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なぜ福田事務次官に女性記者をあてがってはいけないのか

お天気もよくなってきたので、Twitterをみながらファッションの記事でも書こうかと思って準備を進めてきた。こういう時はニュースもあまり見ないのだが、Twitterを眺めていると、福田事務次官が非難されるべきだとかテレビ朝日が悪いとかいうくだらない書き込みが散見される。江川紹子さんですらネトウヨのくだらない書き込みに反応していてちょっとくらい気持ちになった。

この人たちにははっきりと書かないと伝わらないんだなと思った。テレビ朝日が福田事務次官の性癖を知りながら女性記者を送っていたことには問題がある。だがそれは女性差別とはあまり関係がない。上司も女性だったという話もあるのだが、仮にそうだったとしたらこの上司も軽率だったし、上司が女性であるということも実はそれほど本質的ではない。

ではなぜ悪いのか。民主主義の根幹に関わる問題があるからだ。そしてそれがほとんど日本では理解されていないのである。

全く別の例をあげて説明したい。あなたは中小の企業に勤めている課長だ。企業のウェブを作成するのが主な仕事だが定期的な仕事も欲しいので大手広告代理店に営業マンを送っている。大手広告代理店には野心的でやり手の営業マンを送るのがよさそうだ。彼は昼夜を問わず熱心に仕事をして「代理店に大変かわいがられるように」なる。

これは喜ばしいことだろうか。

そのうち彼は「今度コンペがある。うちの体力には合わないがぜひ参加したい」と言い出す。さらに、今回は格安で仕事を受けてくれと言われたと言い出す。次にでかい仕事があるからその時に挽回できると約束してくれているなどともいう。あなたはマネージャーとしてこれを判断しなければならない。

だが、この人は十中八九大手広告代理店に取り込まれている。大きな会社に出入りして通行パスなどをもらうと「その会社の一員」になったような気がしてしまう。そこで所属企業にとって不利な提案などをするようになるのである。

もちろん「彼が取り込まれている」というのは疑惑でしかない。なぜならば、彼の提案はそれなりに理屈が通っているからだ。代理店の仕事は無くしたくないが担当を変えれば仕事がなくなるかもしれない。彼のパイプで取れている仕事も多いだろう。だが、広告代理店の言いなりになれば、リソースだけを浪費されることになるかもしれない。

彼が取り込まれているかを確かめるすべはない。彼はプライベートでも代理店と仲が良い。さらに代理店も騙すつもりでやっているわけではないかもしれない。代理店には代理店の事情がある。中で競争を抱えているので少しでも有利な条件で働いてくれるハウスを抱えておく必要があり、営業マンを「かわいがる」のである。彼らにも悪気はなく、今回だけのつもりかもしれないが、一度「美味しい思い」をしてしまえば次も頼りたくなる。そういうものなのだ。

ここで営業マンが男性か女性かというのは大した問題ではない。しかし、もし仮に女性を一人で担当としてつけていたとしたらどうだろうか。しかもその人は大変女癖が悪いということが知られている。多分「何か問題があった時」にはあなたは糾弾される。そしてあなたが男性か女性かということはそれほど問題にならないだろう。

これが問題なのはどうしてか。それは営業マンが代理人だからである。代理人とは、ある種の権限を与えて任せている人のことを指す。もし彼が企業の代表者であれば経営者としての「ソロバン」が働くだろうから、搾取されるだけになる仕事は受けないだろう。もし仮に癒着したとしてもそれはそれで仕方がない。会社が潰れても自己責任である。

同じことが国レベルでも言える。安倍首相はトランプ大統領と大変仲良くなってゴルフのラウンドを回る。トランプ大統領は「嫌なことを言わず」「忠実にゴルフに従ってくれる」し「ゴルフ場の宣伝にもなる」のでこの首相を大変気に入っているようだ。日本国民も「アメリカの大統領と近しい関係になれば優遇してもらえるかも」と期待している。だが安倍首相は利用されるだけなのでトランプ大統領は重要なことは安倍首相には相談しなくなるだろう。トランプ大統領はお金持ちなので彼のお金に群がってくる人をたくさん「いなして」いる。安倍首相はそのうちの一人に過ぎない。

もし安倍首相が日本の独裁者の家系に生まれたのならそれでも問題はない。体制に関わるようなディールには応じないだろうし、彼の国なのだからそれは彼が決められる問題である。だが彼は選挙で約束してその地位にあるに過ぎない。もし気分を良くして「自分はアメリカから日本の統治を任されているのだ」などと誤認したらどうだろう。ゴルフの間には政府高官も入らないので記録も残らない。だから、あとでチェックをすることもできない。

では日本人がこれを怖いと思わないのは何故なのだろうか。それは終身雇用のもとで「この人はずっとうちの人間だから裏切ることはないだろう」と思っているからだ。冒頭のウェブハウスの例が怖いのは新しい産業には転職があり、営業マンが相手の会社や別の会社にアカウントごと移ってしまう可能性があるからである。また代理店側にも有期雇用の社員がおり競争のために過度のダンピングを強要する場合がある。村落的な制御装置が働きにくいのだ。

これを定式化すると次のようになる。日本は村落から家業が生まれた。いったんは企業という契約・委託関係の集団を作ったがうまくゆかず、そのうちに擬似家族的に忠誠心を保証するような企業形態が生まれる。終身雇用は従業員からみた安全保障でもあるか、企業もまた従業員の忠誠を買っている。雇用関係が結べない場合には系列店を作って「公私ともに」世話をするようになった。こうした固定的な環境では村落的な慣行はそれほど害悪になることはない。しかし、近年では雇用が流動化してきており「契約」に基づいた権限の移譲が行われるようになってきた。

中高年を中心に「その会社の所属員は絶対に企業を裏切らないだろう」と思っている人は多い。なぜならば契約型の社会を知らないからだ。契約型社会では人は裏切る可能性がある。政治の世界でも同じようなことが起きている。安倍首相は日本人だから日本を裏切るはずはないと思っているのだが、それは自民党が政権を手放す可能性がなかったからだろう。現在では政権交代が起こり得る。これが裏切りの温床になるのだ。

それでも慣行を疑いの目で見ることは難しい。例えば安倍首相が金正恩と仲が良く一緒にスキーをする仲だったら何が起きているかを考えてみると良い。突然、安倍首相が「拉致問題は解決済みだ」と宣言し、北朝鮮と友好条約を結んで巨額のお詫び金を支払うことになったと発表したら国民は大反発するだろう。だが「個人の親密な関係をもとにした検証不可能な提案」という意味では、実は現在の日米関係とさほど変わりはない。違うのは文脈だけである。アメリカは良い国で北朝鮮は悪い国とされているのだが、誰がそれを保証してくれるというのだろうか。

さらにトランプ大統領が習近平主席と個人的に親密であり一対一で会合を重ねていたとしたらどうだろうか。多分トランプ大統領は中国との親密な関係が疑われて「アメリカに不利なことを約束しているのではないか」と思われるに違いない。日本も当然そう思うだろう。

さて、ここで改めてテレビ朝日の問題を見てみよう。女性記者が福田事務次官と緊密な関係を持ちスクープを連発してくるようになる。普段から性癖に問題があるとされている人だが明確な証拠はない。二つの疑惑が生まれる。一つは親密な関係を保つために福田事務次官が国の情報を売り渡しているというもので、もう一つはテレビ朝日の女性記者が世論誘導のためにリークを利用しているというものだ。おそらくは両方が疑われるだろう。

実際にこうしたことは起きている。NHKの岩田解説員は何かにつけ安倍政権擁護の極端な論を展開するという疑惑が持たれているが確証はない。ここで「時々親密に寿司を食べているらしい」という話が流れてくる。視聴者は岩田さんのいうことをどれくらい信用すべきだろうか。もしかしたら公平な人かもしれないし、そうではないかもしれない。あるいは岩田さんは公平なつもりでも客観的に自分の立ち位置を見られなくなっている可能性もある。なんら保証はない。

もし仮にそれが田崎史郎さん(食事もしているしお金も渡っているのではないかという噂がある)の場合どうだろうか。田崎さんが菅官房長官と恋愛関係にあるとは思えないが、個人的な親密さが情報の信憑性を損ないかねないという意味では同じことが起きている。田崎さんに違和感がないのはテレビ局がそれをわかって代理人として使っているからなのだが果たしてそれは国民の知る権利にとってはいいことなのだろうか。

それでも「日本は昔からそうだった」という人もいるかもしれない。目を覚ませと言いたい。私たちは検証不可能な親密さが一年以上に渡って国会審議を空転させてきた状態を見ている。安倍首相は加計学園の理事長と旧知の関係だった。プロセス上は問題がなかったようだし、公式の記録からは安倍首相が直接的に関わったという証拠も出ていない。国会で追求しても確たる証拠は出てこないし、出てきたとしても最終的に追い詰めることはできない。でも多分何か不公正なことは行われているだろう。でなければ官僚が総出で嘘をついたり、あとから資料が<発見>されることなどありえない。

モリカケ問題も不透明な外交もセクハラ問題も全てつながっている。これは偶然でもでっち上げでもなく、私たちの民主主義が多分に固定的な関係に基づく村落的な面影を残しているからである。

プライベートな領域に踏み込んでしまうと後で検証ができなくなるので公私は分けなければならない。それは民主主義のプロセス全般に言える。つまり、テレビ朝日の件は「報道機関がプライベートで仲良くなって情報を取ろうとした」こと自体に問題がある。そしてそれが問題なのは権限を委託されている人どうしが第三者に対して検証不可能なことをやってはいけないからだ。

そして、それは終身雇用が崩壊しつつあるビジネス社会にも当てはまることであって、女性だからどうだといった類の話ではないのである。

福田事務次官問題で本当に大切な、そして一番難しいこと

福田事務次官のセクハラ問題を引き続き考えている。当初、この問題が新しいと思ったのはこれが村落性を越えた久々の政治議論だったである。民主党政権の失敗から政治に参画しても得られるものは少ないと考えた日本人は、自分たちが所属している村落に引きこもってしまった。これが安倍政権の安定を支えると同時に日本を停滞させてきた。変わらないことで結果的に世界的な潮流から落ちこぼれることになってしまった。年初から村落性についての議論をしてきたのはこのためだった。

政治を語るに当たってはイデオロギについて考えるのが一般的だが、日本では個人の意見が軽視されるのでイデオロギが政治に果たす役割はきわめて限定的である。さらにイデオロギは単に党派対立の道具としてしか見られていないようである。政権選択可能な二大政党制という現実的な仕組みが作れなかったことで日本人は、であれば自分たちの利得を増やすこと以外に関心を持つことをやめようと思ってしまったのではないかと思う。

しかしながら今回の問題は男性社会が女性を差別しているという女性であればだれでも経験したことがある実感と結びついたために大問題になった。これだけでは声を上げる人は少なかっただろうか、いくつかの背景があり問題が表面化した。

第一に安倍政権ではさまざまなごまかしが横行しており、安倍政権は隠蔽集団だという評価が定まっていた。個人的な付き合いから情報を引き出す記者もいたようだが、視点が面白いとか、独自の情報網を持っているという理由で情報交換ができた記者がいたということのようだ。女性は最初からこの土俵に上がることはできず二級市民か接待要員としてしか認められてこなかった。つまり、女性ジャーナリストへのセクハラは今に始まったことではないようだが、この時期に乗ったために大きな問題になったのだ。

次にMeToo運動がある。この運動はアメリカで始まったが日本では盛り上がらなかった。しかし相場観は作られてゆき「アメリカで認められているのに日本では認められないのは不当だ」というような意識ができてきた。よく考えてみればアメリカで認められようが日本独自の問題であろうが主張すべき権利は主張すべきなのだが、やはり日本人は西洋に追いつきたいという気持ちが強いようだ。逆に世界的なスタンダードですよといわれると逆らえないような雰囲気も生まれる。

さらに一度声をあげてみると男性社会からの大きな反発に遭遇した。今までは声を出さなかったので、男性がこれほどまで醜悪に既得権にしがみついているとは思わなかった人も多いかもしれない。麻生財務大臣の身勝手な言い分を聞いていると追求したい気持ちが強く湧き上がってくる。

このような特殊な事情があり運動が表面化した。逆にこうした盛り上がりがなければ「女性が自分の権利を主張する」ことができなかったということを意味している。

不当に扱われたくないという気持ちがイデオロギを越えて広がったのは良いことである。だが、この運動は収束してしまうのではないかと思う。それは、この運動の起源が外来のMeToo運動に根ざしており時流に乗っただけのものだからだ。

ではなぜそれがまずいのか。単に時流に乗ったのが軽薄だったからなのだろうか。この問題がどこに向かうかによって何がまずいのかは違ってくる。すでにジャーナリストの江川紹子さんが次のように言っている。江川さんのいうように政治家へのパフォーマンスに消費されて終わりになるかもしれない。だが、それでも構わないのなら時流に乗っただけでも構わなう。

ではなぜ利用されて終わりになる可能性があるのだろうか。それは権利の主張がビジョンを伴わないからである。男性並みになりたいといってもいくつかのアプローチがある。

旧来のフェミニストは男性社会そのものが崩壊すべきだという主張を展開してきた。これまでのジェンダーの専門家が女性の支持を得られなかったのは、女性の参画ではなく男性社会の破壊を目指す強硬な姿勢があったからではないかと思われる。フェミニストというと「男勝り」の女性というイメージがある。かつて論壇で活躍していた田島陽子さんのような存在だ。確かに派手な言動は見ていて気持ちがよいが「ああはなりたくない」と思っていた人も多いかもしれない。だが、どんなに過激に聞こえる主張でも、なぜ支持されなかったのかを含めて一応は検討する必要があるだろう。

次のアプローチはバリバリと働けるようになるというものである。しかしそのためにはワークライフバランスを無視した「男性的な」働き方が求められる。母親になっても0歳から子供を預けて働くというやり方である。それは当然母親という<一級下の>作業を誰か別の女性に押し付けるということを意味している。これは名誉男性コースなのだが、そレも含めて検討してみるべきだろう。

最後のアプローチは、男性社会が女性に合わせてスローダウンするというやり方だ。ではそれはどういう意味なのだろうか。卑近な例で言うとお弁当がある。北欧の国のお弁当はとてもシンプルで日本人から見るとこれはとても受け入れられそうにない。例えばノルウェーの弁当はマートパッケと呼ばれるそうだ。ノルウェーの弁当が質素なのは働くお母さんが料理に時間をかけられないからだろう。中華圏でも母親が料理をしないので屋台などで軽く済ませるのが当たり前だとされている。だが、このやり方はむしろ女性の方が戸惑いを覚えるかもしれない。

もちろん、女性が男性に対して女性も男性並みに扱えと主張することは問題はないし、男性側が職業慣行を変えるのは良いことだ。今回の例では分かったのは男性が作った職業慣行は個人的な関係を前提にしており、このことが却って国民の権利を侵害しているということだった。だがそれを明確にするためにはある程度の理論化が必要であり、当事者間で合意する必要がある。

時流に乗った動きがまずいのはこの合意形成ができないからである。

しかしながらこの運動が全く無意味なものになるとも思えない。日本は民主主義先進国の割には女性の地位が低い。そのことは政治的な潜在需要が極めて大きいということである。すでに野党はこれを期に支持率を上げようと考えているようだし、自民党では野田総務大臣がこれに気がついたようだ。

放送を主管する大臣が直接記者にヒアリングするというのは放送の中立性という観点からは有ってはならないことだのだが、日本人はそのような「チマチマしたこと」には関心を寄せないだろう。時代遅れの印象が突いてしまった麻生大臣はテレビ朝日に話を聞くといっているがこれは恫喝に受け止められかねない。そこでニューリーダーである野田総務大臣が女性ジャーナリストの守護者としてリーダー的地位を得れば総裁選に有利に働くのは間違いがない。

つまり男性政治家が放置してきたことで潜在的な需要ができつつあるということになる。政治は意外とそんなことで動くのかもしれない。

女性記者が福田事務次官を告発したことの本当の意味、とは何か

福田事務次官が辞任したが、まだこの問題は収まっていないらしく「テレビ朝日けしからん」というような話になりつつある。ネトウヨの人たちが朝日を嫌っているのはわかっているのでまあいいとして、リベラルの人たちも好意的な見方はしていないようだ。

昨日のエントリーではテレビ朝日けしからんというような書き方をしたのに態度を変えるのかといわれそうなのだが、みんなが朝日系列叩きを始めると、価値判断なしにこの女性記者の是非を考えたくなった。へそ曲がりと言われればそれだけなのだが、価値判断なしに何かを考えるのは実は難しい。

しばらく考えていたのだがよくわからない。そもそも、なぜわからないのだろうかと考えた。普通の企業であれば記者の稼働時間というのはコストなので情報を得るコストと価値を天秤にかければよい。だがそれができない。理由はいくつかある。

第一の理由はどこのテレビ局も同じような情報を流しており情報に価値がないからだ。極論すると政府広報と民放一局で良いのではないかと思える。あとは週刊誌が二誌あれば良い。競争が働くのでそれなりのスクープ合戦が起こるだろう。

また人件費の問題に落とし込むのも難しそうだ。日本の記者というのはオフィシャルの情報をとってくるだけではダメで私生活に食い込んで「本音の話を聞く」のが良いとされているらしい。このブログでは普段から非公式な意思決定ルートが民主主義にとって害悪であるという論を採用しているので、まあこの線でアプローチしてみても良いのかなと思った。だが、実際には「みんながやっている」ことを一社だけ降りるのは難しそうだ。

福田財務事務次官というのは、女性記者が私生活を切り売りして情報をとる価値がある相手なのかと考えた。仲良くなって取れる情報というのは「いずれは公になる情報を他社より少し早く知ることができる」か「財務省が流したい情報をオフレコと称して流す」という二つが考えられる。もしこれが株価に関係するような内容であればいち早く情報を取ってくるのは重要だろうが、そんな情報を軽々しく流すとは思えないので、結局は情報機関の自己満足か財務省のために使われるということになる。だからこの一連の取材活動は無駄だと言える。

だが、そもそも記者が私生活を切り売りしていることが報道社のコストであるなどという論調はどこにもない。これはなぜかと考えてみた。第一に記者たちが仕事時間と私生活を切り離していないという事情があるだろう。つまり「私生活に切り込んでなんぼ」と記者を<洗脳>することで報道社はブラックな職場環境を作っていることになる。ブラックでも記者というのは特権的でやりがいがある仕事とされているので「女性だから使えない」とは思われたくないのだろう。

ではなぜ報道社の記者というのは特別なのだろうか。それは報道社が特別だからだ。ではなぜ報道社は特権的な地位が得られるのか。それは記者クラブがあるからである。女性記者はフリーになるかネットメディアの記者になるという選択肢があったはずだが、いずれも記者クラブから排除されるので取材活動そのものができなくなる可能性が高い。皮肉なことに今回のテレビ朝日の深夜会見でもネットメディアは排除されていたらしい。

記者クラブが特権的な地位を得ることで、労働者である記者は隷属的な地位に置かれるのだが、それ以上の問題がある。国民は新しい視点からの情報を得ることはできないのだ。すると、財務省は「特権的な地位」の許認可権限を握っていることになる。これが報道社から便宜供与を受ける理由になる。

それなりにメディア倫理が働いていると指摘する人もいるのだろうが、普段から行状に問題がある人のセクハラすら告発できない会社が、財務省に都合が悪い情報を流せるはずはない。当然、女性記者の上司のように何かの理由をつけて自粛するはずだ。そしてそれは国民の知る権利を阻害しているということになる。

結局「記者クラブが悪い」ということになった。期せずしてわかったのはこれが単に女性や労働者の人権問題であるだけでなく、国民の知る権利に関わっているということだ。福田事務次官の「名乗り出ることもできないだろう」という強気の裏には「国民の知る権利などというのは高級官僚の胸先三寸で決まるのだ」という確証があったのではないかと思う。「報道各社も独占的に情報を得ることでおいしい思いをしてきたでしょ」ということだ。

そう考えるとこの女性記者が発したメッセージの意味は実は我々が考えているよりもっと重いものなのかもしれない。女性記者が守られるためには「テレビ朝日の配慮を」というような声があるのだが、多分テレビ朝日はあてにならない。当座は女性ジャーナリストが連携して彼女を守る必要があるのだろうが、実はフリーの記者を含めた人たちが連携して彼女を守らなければならないのではないかと思える。これは独占的に情報を占有している報道者と官僚機構の共犯意識から生まれたハラスメントだからだ。

日本を理不尽にいじめて内政の矛盾を隠蔽しようとするアメリカ

トランプ大統領が安倍首相と面会した。アメリカのメディアの論調は「北朝鮮問題で安倍首相が顔を潰されまいとアメリカにご挨拶にいった」というようなものになっている。驚くべきことは日本での数々のスキャンダルが冷静に伝わっていることだ。日本のメディアのような忖度がないのでその書きぶりにも容赦がない。

焦点は北朝鮮問題であって日本はその中のサブキャラの位置付けであり、落ち目の先進国と受け止められている。さらにニヤニヤと笑っている安倍首相とそっぽを向くトランプ大統領の写真を使ったメディアもあり「長年アメリカを利用してきたこずるい日本」というステレオタイプも見られる。メデイアの論調は昔ながらのSly JapanかJapan Passingだ。さらにトランプ大統領はゴルフを断る安倍首相をしつこくゴルフに誘ったらしい。これもたんに休みたかったというような話ではなく自分のゴルフ場の宣伝に使いたかったからのようである。ゴルフ場の中でだけ作り笑顔を浮かべていたそうだ。ここまで露骨に安倍首相の外交の失敗がわかるのは逆に珍しいのではないかとすら思えるほど見事な外交敗北だった。

しかし、今回の話は落ち目の安倍首相に関する話ではない。トランプ大統領がなぜ貿易収支の問題に熱心になるのかがよくわからないので考えてみることにしたという話である。結論としてはアメリカというのはNTTや国鉄などの独占企業だというものになった。ではアメリカは何を独占的に提供しているのかということになる。

まず、アメリカ人に聞いてみたのだが今の状態が持続可能だと思っている人は少ないのかもしれないと思った。アメリカは外国からお金を借りて国債を発行しそれをドルに変えて経済収支を成り立たせているという理解があるようだ。確かに、政府の借金は問題視されているようだが、トランプ大統領が全体のサステナビリティを問題にしているようにも思えない。トランプ大統領はそんな「ちまちましたこと」には興味がない。

アメリカ全体で見ると、アメリカは貿易収支にこだわる必要はない。ドルは国際決済通貨なので、アメリカの経済に必要なドルに加えて国際的な決済に必要なドルの分の需要があり、大量のお金を発行してもインフレに結びつく可能性は低い。基軸通貨としての恩恵がある。だから財政的にも実は余裕がある。単にキャップがあるからこれ以上謝金ができないだけである。

確かに貿易では赤字なのだがそれ以外のところでお金が調達できている。基軸通貨の恩恵に加えて、アメリカ人は金利の安いドルを借りて金利の高い投資をすることで経常収支を黒字にできるとのことだ。だから必ずしも貿易にこだわる必要もない。利子で食べて行ける国だしそれでも足りなければ政府が借金して国民にばら撒けばよいのである。

つまり総和ではバランスが取れているわけで、貿易戦争が起こるようなリスクをとって貿易赤字の解消にこだわる必要はないはずだ。

ただこれはアメリカ全体の話である。実は庶民の暮らしは貧しくなっているらしい。東洋経済のこの記事ではその理由を次のように説明している。

アメリカでは原油と食料の価格が値上がりしているのだが、日用品や機械などの価格は値上がりしていないそうだ。つまりデフレとインフレが同時に進んだような状態になっていることになる。生活に必要な物資は値上がりしているのにものを作って売るような人たちは儲けられないという状態になっていることになる。以前からこうだったようだが、住宅の転売価格まで借金ができるという独特の仕組みがあった。だから、住宅価格が値上がりしている間は経済不調が露呈することはなかった。住宅バブルが崩壊した結果、この窮乏が顕在化してきているという。だから中間層の不満を解消するために政治家は何かしなければならないという圧力が働く。

インフレが起こるのは、金融セクターなど一部が富を吸い上げているからだ。中間層に所得が回らなくなっている。だがトランプ政権としては金融セクターは敵に回したくないし、法人税なども下げたい。そこで、日本を仮想敵にして「君たちの生活が貧しいのは日本や中国のせいだ」と言っている。構造としては中国や韓国を名指しして「反日勢力が日本をダメにする」と叫んでいる日本とそう変わらない。日本では国内的に騒ぐだけだが、アメリカは実際に貿易戦争のリスクを取ってでも実行に移そうとしている。

だが、トランプ大統領には総合的な戦略はないようだ。手の内のバラバラのカードが別のディールに見えているのだろう。貿易の問題では貿易ゲームを有利に勝ち進めようとしており、別のゲームではまたそれぞれの戦略を考えている。これは面倒なことを考えず目の前のお金儲けのことだけを考えるビジネスマンとしては合理的な態度だといえる。常に相手を利用できないかと考えており「安倍首相=ゴルフ場の宣伝」だと思ったのだろう。日本のメディアは自分たちが利用されているとは考えたくないので「トランプ大統領は重要な話は親密なところでしかやりたがらないのだ」と解釈しているということになる。

さらにトランプ大統領が持っている世界観はかなり古びている。日米の貿易不均衡の理由を日本の閉鎖性のせいだと思っているようだが、これは1980年代の見立てである。日本がアメリカの言う通りに市場を解放したからといってアメリカの鉄鋼や車が売れるようにはならないだろうし、そもそも日本市場は縮小している。軽自動車をなくしたら日本の市場は混乱するだろうが、かといって馬鹿でかいアメ車を買おうという気にはならないだろう。だが、日本が抵抗を続ける限りアメリカは納得しないのかもしれない。アメリカ人にはそういうところがある。だが構うことはない。トランプ大統領はそれぞれの件を別物と考えているからだ。多分担当者がクビになって終わるだけである。そして相手との交渉は続けなければならないので「一つ断ったら全ての関係が悪くなる」ということはない。

いずれにせよ相手がこのように単純明快な思考を持っていると考えると、トランプ大統領が理解がしやすくなる。トランプ大統領の得体がしれないのは「何を考えているのかよくわからない」からだ。そこでなんだか不気味に思えてしまうわけだが、過去に得た知見をもとに目の前のディールに集中している人なのだということがわかれば、怖さは幾分薄れる。トランプ大統領がわからないと思うのは、日本がアメリカに見放されているという事実に直面したくないからだろう。色々な解釈をしているうちに頭が混乱してしまうのではないだろうか。

今、問題なのはトランプ大統領が「アメリカの軍事力は売り物になる」ということを理解してしまったということだろう。シリアなどの泥沼化した地域では単にコストがかさむだけなので撤退したがっているが、日本の駐留費用は日本がほとんど持ってくれる上にたいした事件も起こらない。複雑な問題のない沖縄の基地などはリゾート扱いだ。にもかかわらず基地があるおかげで日本と韓国はアメリカに依存せざるをえない。韓国との間には不平等なFTAが結べた。次は日本だというわけである。

日本人は軍事的に自立するつもりはないようなのでアメリカは独占的地位にいるということになる。つまりアメリカは東京電力とかNTTと同じような立場で日本に軍事力という「安全」を提供する企業の位置付けなのだ。日本人ならある程度サステイナビリティを考慮して出過ぎないようにするだろうが、アメリカ人のビジネスマンは独占的な地位があるのならそれをできるだけ高く売ろうとするはずである。それが株主への貢献だからだ。さらに、アメリカの白人有権者はアジア人を一等下に見ている。だから不利に扱ってもそれほど非難はされないだろう。色々な意味で日本はおあつらえ向きのカモになっているのではないだろうか。

安倍政権は国内の失点を海外で解消しようとしていることは誰の目にも明らかなので、自信を有能なビジネスマンだと信じているトランプ大統領がこのビジネスチャンスを逃すはずはない。日本はトランプ大統領を変えることはできない。我々にできるのはまずは危ないメンタリティを持っている安倍首相の首をすげ替えることだけだろう。

実際にアメリカ人有権者の富を奪っているのはアメリカの高額所得者である。しかし、彼らを敵にするのは得策ではないので人種が違っていて潜在的な蔑視感情がある中国や日本を標的にしているのだろう。実に厄介な時代に突入した。しかし、一番厄介なのは日本がこのことに気がついていないということなのかもしれない。

福田事務次官辞任騒ぎにみる女性差別の恐ろしさ

先日財務省の福田事務次官について書いた。だが、ネットを見ているとそれでも名乗りでなければならないというような論調がある。例えばこの記事は「名のり出なければ福田事務次官の不戦勝になる」と言っている。真実を明らかにするためには名のり出なければならないと言っているのだが、実際にはそうはならなかった。

この記事の前提には「真実は明らかにならなければならない」という前提がある。これが間違っていると思いその筋で一本書こうと思っていた。現在の民主主義にとって「真実」などどうでもいいことだからだ。安倍政権は明らかにクロなのだが、それを認めないことで「まあ、仕方がないか」というような印象操作をしてきた。この背景には有権者の諦めがある。政権交代をしても政治は良くならなかった。だったらもう諦めてしまえという思いが強いのではないかと思う。だが、それは諸刃の刃だった。有権者が体感からこれは「クロだな」と思ってしまうと合理的な説明はきかなくなる。福田さんの件はこの最初の事例になった。政権が動かない分個人に矛先が向かうのである。「やめさせてどうなるの」と思うのだが、そんなことはもうどうでも良いと思われてしまうのだ。

女性は普段からなんとなく「自分たちは不遇な立場に置かれている」という気持ちを持っている。だが、それはなんらかの理由で証明されない。これを「ガラスの天井」などと言っている。今回はそれがたまたま「明らかに嘘つきの政権」と結びついたことで「ああ、やっぱり男社会は女を差別して嘘をついているのだ」という確証に変わってしまった。福田事務次官が何をやったかというよりも、男性社会がそれを総出でかばっているということが問題視されるのである。

もう一つ安倍政権にとって不利な状況がある。官邸側は福田事務次官の辞任に動いたのだが、安倍首相の部下であるはずの麻生財務大臣が応じなかったという。任命は内閣人事局マターのはずなのだが、これまで人事に関する問題は各省庁に答弁を丸投げしていた。これを逆手にとられて「やめさせられない」と言われてしまうと官邸は何もできなくなってしまうということがわかった。もう安倍首相にかつての求心力はない。

ただ、この問題は実はここまででは終わらなさそうだ。テレビ朝日に飛び火したのだ。テレビ朝日の女性記者が会社に訴えたものの受け入れられず、やむなく週刊誌に流したという。さらに何もしなかったことに申しひらきができないと思ったのかあとになって会社側は「財務省に抗議する」と言っている。だが、それは福田事務次官がやめてしまったあとだった。テレビ朝日の動きが辞任につながったという批判を恐れたのだろう。

このことから女性の置かれているダブルバインドが可視化された。表向きは平等ということになっているが、実際のメッセージは男性並みになることを求められる。それは女性であることを捨てて男性性を帯びるということである。男性並みに家庭を顧みずに働くことを求められ、女性を蔑視して「言葉遊びを楽しむ」特権を許容するように振る舞わなければならない。さらに母性は弱さだと認識されると子供を作ることを諦めなければならない。しかし、場合によっては女性として男性の玩具になることも求められ、それを会社に訴えても「我慢しろ」と言われる。会社にとって「女性のような弱いもの」が政治記者というスーパーサラリーマンであることは許容されないからだ。明らかに根拠のないエリート意識を持っていて女性蔑視を特権だと認識する社会が間違っているのだが、それを是認しろと迫られるのである。この状態でアイデンティティクライシスに陥らない人がいるとしたら、その人は多分すでに少しおかしくなっているはずだ。

どうやら女性記者は複数回福田次官からセクハラを受けていたようだ。しかしテレビ朝日はそれを公表せず、事態が動いたことから慌てて深夜に記者会見を行った。上司に相談したというが上司が組織的に対応したのかは明らかにしていない。多分受け皿そのものがないのではない上に、男女平等が何を意味するのかを教育する仕組みもなかったのではないだろうか。

福田さんは週刊誌と女性を訴えれば良いと思う。彼の行状が司法の場で明らかになり、テレビ朝日が組織的な対応をしなかったことは社会的に明らかにされるべきだろう。そしてそれは社会的に非難されるべきだ。しかし、実際にやるべきことは少なくとも表向きではあったとしても「男女平等」というものが「女性の男性化」でも「男と一緒になって女性蔑視のある状況で働くこと」でもないということを教える学習の機会を従業員に与えることである。

民法労連は「女性が現場から切り離されることがあってはならない」と恐れているようだが、このような嫌がらせを前提にしか情報が取れないなら、その報道自体をやめるべきではないかと思う。取れたとしてもせいぜいインサイダー情報程度で大勢には影響のない永田町と霞ヶ関の内部事情にすぎないからである。いずれにしてもこの声明も「女性が社会で働くこと」についてあまり整理がなされていないことを意味しているように思える。

いずれにせよテレビ朝日はこの状況を被害者ではなく加害者として総括すべきだろう。

福田財務事務次官更迭騒ぎ – ポリティル・コレクトネスの世界にようこそ

財務省の福田事務次官がセクハラ騒ぎで炎上している。Webに公開されたものはどうやら本人のものであることはまちがいがないらしく、3つのテープをつぎはぎしたものが出回っているようだ。週刊誌が捏造したという話もあるのだが、むしろいろいろなところで同じようなことをやっているということなのだろう。

この事件はもちろん安倍政権の末期症状の一つとしても捉えられるのだが、日本がポリティカリーコレクトな社会に入ったことを物語る最初のケースになるのではないかと考えられる。

これまで職業に入った女性は男性社会に合わせて行動するのが「正しい」と考えられてきた。名誉ある男性社会の一員として「受け入れてあげる」代わりに母親であることを諦めたり性的な嫌がらせに耐えるという嫌な経験を引き受けるということだ。だが、これからは知的な職業であればあるほど「人権に配慮した人が正しい」と考えられるようになるだろう。逆に男性は「これくらいいいじゃないか」と思ったとしてもそれを絶対に口にだすことはできない。男性は常に政治的に正しくなければならない。

もしかしたら被害者は一人ではないかもしれない。会話の様子から会話は最近のものらしいのだが、もし一人にしかやっていないなら直近の行動を調べれば該当記者が分かるはずである。「該当者は名乗り出るように」といっているところをみると「誰に言ったのか」がわからないということで、これはすなわち方々で同じことをやっているのだろうということになる。

これは政界だけの問題ではない。報道各社も彼の人格が分かっていて女性を担当者として当てていた可能性が高い。複数だとしたら複数の会社が同じことをやっているということだ。そして「情報を取る」ことを優先にして女性記者の人権をないがしろにしていた可能性が高い。「役立たずの女なんだからせいぜい女を武器にして会社に貢献してよ」というわけだ。

これについて、福田事務次官は辞任するべきだという声があり、出所の分からないテープで辞めさせられたら悪い前例になる可能性があるという声もある。確かに個人の能力と人格は別なのだがこれは辞めざるを得ないのではと思える。仮にこれが政権を貶めるための週刊誌のワナだったと仮定して「ではどうしたらよかったのか」と考えてみたのだが「どうしようもないだろうな」と思った。それは男性社会がセクハラ親父に甘いという社会通念があるからだ。その証拠に麻生大臣は「ほらやっぱり」と思われている。

さらに「詩織さん」の件がある。彼女はレイプされたという疑惑があるのだがテレビ局の立場を利用したとされるジャーナリストは立件されず、それどころか「女を武器に仕事を取ろうとしたのだろう」などとセカンドレイプされた。確かなことはいえないが政権が擁護したのではないかという疑惑がささやかれている。もしあのときに厳正に対応していれば今回ももう少し違う展開が考えられたかもしれない。

さらに、だれもが財務省は明らかに嘘をついていると思っている。今回の件も本当に何があったのかは良く分からないが、肌感覚に合致してしまった。福田さんが何をやったのかではなく、その後の男性社会の対応のほうが反発を買っている。男はトクだと「誰もが知っている」のだ。

こうした肌感覚はどこから来るのだろう。

先日駅で女性が男性にしつこく声をかけられているのを見た。お金儲けしたくないですかと言われていたが、さらにナンパも兼ねているようでしつこくLINEのアドレスを聞かれていた。彼女には何の落ち度もない。たんに女性であるというだけである。

さらにTwitterで聞いた話では女性だとエスカレータの真ん中に立っているだけで男性がぶつかってくることがあるのだという。こういう経験をしたことがある男性はいないと思うのだが、女性であるというだけでぞんざいな扱いを受けたりすることがあるらしい。

男性は気がつかないが、女性は常にこのような脅威にさらされている。そして何かあったとしても訴えることができる場所はそれほど多くなく、それどころか「自己責任論」で片付けられてしまう。こうした一つひとつのできごとが積み重なって「ほらやっぱり」という感覚になるのではないだろうか。

常識に根ざした感覚は単なる思い込みかもしれない。だが、週刊新潮側は取り立ててこれを照明する必要はない。ああやっぱりなという普段の感覚に接木されて全体が「常識」で判断される。そしてそれが森友・加計問題のようなもやもやした事件の印象と合体して「分かりやすい」印象が生じてしまうのだ。

こうなるとだれにも状況はコントロールできない。ここで「やはり冷静に人格と仕事とを分けてみては」とか「今、事務次官に辞められると政権に打撃が」などといえば、かばっているとみなされてお前はセクハラ男の味方をするのかと責められる事になるだろう。

こうしたことはアメリカでは珍しくない。日本人男性であるというだけで沖縄や女性を蔑視していると取られることはよくあることだ。日本人男性であるというステータスは変えられないのでこれも一種の差別なのだが、日本人男性はことさら女性の人権には敏感であるという態度を取ることを求められる。これがポリティカルコレクトネスの世界である。

一方で日本人は差別の対象でもあるので、白人に向かって「あなたの不愉快な態度はアジア人差別ですか」などと言ってもいけない。これは逆に白人男性であるというだけで彼らが有色人種差別者であるというレッテルを貼ることができてしまうとても重い言葉なのだ。白人男性にとってこれは社会的な死を意味する。

このためアメリカでは肌の色が見えていても「見えないフリ」をして、政治的に正しい発言をしなければならない。カリフォルニアのような先進地域だと移民に対しても差別的なことは表立っては言えない。

これまで漠然とした不満だったものが、やっぱり男性社会はいざとなったら女性を不利に扱うのだという具体的な見込みとなり、漠然とした政府の不信感につながる。もちろんそこに合理性はないのだが、いったんできてしまった連想はなくならない。

事務次官の件を放置すれば騒ぎは拡大するだろう。これを解明するためには与野党の女性議員による調査委員会などを作ってセクハラ官僚をすべてパージするくらいのことをやらなければならなくなるはずだ。大げさと思う人もいるかもしれないが「黒人差別」を疑われたスターバックスはアメリカで店舗を休業して研修会を開いている。

財務省側は裁判をするなどといっているようだが、裁判の恐ろしさを舐めている。裁判になると「被害者の会ができるんじゃないか」とされている財務事務次官の普段の言動が暴かれる上に、報道各社が「女性を武器にしてコメントくらいとってこれないのか」などとほのめかしている事実が明るみに出るかもしれない。そもそも報道各社が毅然とした態度を取っていれば女性記者(あるいは記者たち)が週刊誌を頼る必要はなかったはずである。福田さんの強気の裏には「奴らは情報が欲しいのだから訴えてこないし表ざたにもしないだろう」という安心感があったのだろう。こうなるともう政治だけの問題ではなくなる。

財務省は「裁判するぞ」と脅せば記者たちの雇用主が黙っていないと思っているようだが、実は雇用主の側も下手に財務省に加勢すると社会的に制裁される可能性があるという点が見落とされている。

その意味ではこの福田事務次官の問題は単に個人のセクハラ発言という問題ではなくなりつつある。日本が本格的にポリティカルコレクトの世界に突入した契機としてとらえられるべきである。

残念ながら原因はこれまでこの種の問題を放置してきた男性社会の側にある。差別意識がなくせないのであれば、日本人男性は本格的に建前を脱ぎ捨てられない社会を生きることになるだろう。

シリア紛争の背景にある3つの対立構造

シリアがアメリカ・イギリス・フランスに空爆された。介入の理由はシリアが化学兵器を使ったからというものだ。シリア情勢が混乱しているのは3つの文明の対立があるからである。つまりこの話を理解するためには文明の対立構造について理解すれば良い。

一つ目の対立構造はキリスト教(プロテスタント・カトリック)対キリスト教(正教)というものだ。もう一つの対立はスンニ派(サウジアラビア)対非スンニ派(イラン)というものである。最後はユダヤ対イスラムだ。この3つの対立構造が交わったところで状況が泥沼化している。

だが、この二つの話を理解し終えたところで「なぜ文明は対立しなければならないのか」という疑問が出てくる。これに明確な答えはない。

そもそも、化学兵器の使用に抗議した国は爆撃参加国だけではなかった。The New York Timesには状況が整理されており、ヨーロッパの国は総じて化学兵器に反対していたことがわかる。ただ、西ヨーロッパの他の国は調査が優先であるとしており攻撃には慎重だった。これが破られたのはトランプ大統領が突然「爆撃すべきだ」と言い出したからだ。イギリスもフランスも突然爆撃に参加することを決めたようで、どちらも議会承認を経ていない。

もともとこの地域はオスマン帝国に支配されていた。オスマン帝国が戦争に負けたのイギリス・フランス・ロシアで分割することにした。イギリスのサイクスとフランスのピコが地図を取り出して線を引き「北部はフランスで南部はイギリス」と勝手に約束をしてしまう。この時ロシアが欲しがっていたのは黒海から地中海に出るルートだった。

のちにロシア革命が起こったのでロシアはこの枠組みから離脱した。その上でソ連が秘密を暴きアラブ諸国の反発を招いた。しかしこの枠組みは既成事実化し当時の国連のもとでフランスがシリアやレバノンを治めることになった。

よくアラブ世界というのだが、地中海東部地域は宗教的には一体ではない。レバノンにはキリスト教徒が多く、そこに接する地中海沿岸にはアラウィ教徒と呼ばれるイスラム教の一派を信じる人たちがいる。異端的な傾向が強いアラウィ派はフランスの治世では一定の自治を獲得しており、独立の際にはレバノンと一緒になりたかった。なおレバノンの東側内陸部には首都のダマスカスがあり、シリアの西側にはクルド人が多く暮らしている。クルド人はイラン系のイスラム教徒だ。

アラゥイ教徒は迫害の歴史から政治への関与を強めた。ハフィズ・アル=アサドはソ連で訓練を受けた軍人でイスラム・共産主義のバアス党での権力基盤を固め、指導者の地位に登り詰めた。この親ソ連関係を引き継いだのがロシアである。アラウィ派支配地域に地中海の出口となる基地を確保した。旧ソ連圏以外でロシアが海外基地を持っているのはシリアだけである。

今回の空爆はこの地域に古くから関心を持っていたイギリス・フランスとロシアの対立ということが言える。ロシアは地中海に出口を確保したいのだが、イギリスとフランスはそれを軍事的に攻撃してでもなくしたいという本音があるのだろう。

ではなぜアメリカが出てくるのか。

バアス党政権は西洋的な(つまりフランスとイギリスが作った)秩序を全てなくしたうえで中東を再編成するという政治的目標を持っている。つまり、それはイラク、ヨルダン、イスラエルなどがすべてなくなるということである。当然イスラエルにも敵対意識があり、ゴラン高原などを巡って争ってきた。アメリカはロシアなどから流れてきたユダヤ人が多く暮らしており、アメリカ国内政治に政治的な影響力を持っている。そこで、アメリカ大統領は内政的な関心からユダヤ人に有利になる政策を推し進めたいという動機が生まれる。これがアメリカがこの地域に干渉したがる理由になっているのだろう。

ところが普通の白人はアメリカの税金がイスラエル対策に使われるということを好まない。これが「アメリカファースト」である。トランプ政権は口ではアメリカファーストと言っておきながら、一方ではユダヤ人の票も欲しいというどっちつかずの態度をとっている。そればかりかロシアの協力を得てクリントン一派を追い落としたという噂(ロシアゲート)もあり、その態度は一貫しない。

ただ、これが即座に第三次世界大戦に結びつくというものでもなさそうだ。ロシアも「シリアの北部やダマスカスが攻撃されても実はそれほど腹を立てない」という事情がある。彼らが守りたい権益は地中海沿岸の基地とアサド政権だからである。しかし国民には強いロシアを見せたい。一方のアメリカはアメリカファースト政策を維持しつつも、ユダヤ人の関心を得るために「シリアにコミットし続ける」意思を見せる必要がある。その意味では、ある意味「出来レース」的な様相を見せている。

このため説明ができないようなことがいくつかある。全面戦争を意図しているなら国民のコミットメントを得る必要があるのだが、参加国とも議会には相談しなかった。多分、全面戦争をするつもりなら一定時間をかけてフェイクニュースなどを交えながらマーケティングキャンペーンが行われていたはずである。

アメリカのトランプ大統領は議会に計画を提示しなかった。野党はこの後に全面的な戦争を行うなら議会承認が必要としている。イギリスはこれに先立ってロシア人スパイを巡って外交対立が起きておりロシアへの反発が強まってはいたが、産経新聞によると議会承認を受けていないようだ。東京新聞もイギリスは議会承認を得ていないとしている。フランスでも議会承認は行っていない。国民の中には一定の反発もあるようだが、日本の新聞社は特にフランスの状況には触れていない。

もともとヨーロッパとロシアはクリミア半島の併合をめぐって対立している。クリミア対立は黒海への出口にあたるセヴァストポリをめぐる紛争がもとになってる。

しかし、冷静になって考えてみるとなぜロシアがそれほどまでに地中海にでたがるのかはわからない。世界的な軍事ネットワークを構築してしまえば今度は維持管理にお金がかかる。しかし、そのネットワークを使って戦争を行う動機は今の世界にはない。

そうなると考えられるのは「強い〇〇を回復する」というスローガンそのものに意味があるという考え方だ。プーチン大統領はヨーロッパに阻まれて世界から尊敬される大国になれないという被害者意識を持っている国民の支持を受けているのではないかということになる。

経済的に自信をなくしたり伝統的な利益共同体から排除された人たちがネトウヨと呼ばれ、ナショナリズムに生き甲斐ややりがいを求めているのと同じような心情があるのかもしれない。同じような現象は抗日戦争を勝ち抜いて太平洋の覇者となるという中国の「野望」にも見られる。安倍政権はこうしたネトウヨの人たちの注意を自分たちに引きつけることで5年という長期政権の樹立に成功した。高い経済成長を実現した習近平も急速に権力基盤を固めつつある。

シリア紛争は「ユダヤ対イスラム」「カトリック・プロテスタント対正教」「スンニ派対非スンニ派」という3つの違いが重なったところで起きたと書いた。しかし、その実情を探って行くと本当に争う必要があるとは思えない。一つあるとしたら強い敵を作ることで共通項を持たない人たちにかりそめの連帯意識を与えているということになる。

もし仮に現実的な理由があり戦争をしているならこれが即座に世界大戦規模に拡大するはずなのだが、そうはならない。それはこの戦争の真の目的が国内に向けたアピールだからなのかもしれない。

 

そう考えると「ネトウヨ」という現象はある意味世界の最先端の潮流なのかもしれないと思えてくる。つまり人間というのは対立構造に夢中になる習性があるということだ。

「モリカケは置いといてまずはシリアだ」の意味

今朝はこのようなツイートを見かけた。これについて考えたい。

このツイートには明らかな問題点がある。文書管理の問題が政権の不祥事に「矮小化」されているからである。モリカケ問題の基礎には曖昧な情報伝達と意思決定のプロセスがあり、それは日本人の文化コードに由来する。だからそれを修正しないで政権だけを変えても問題は解決しないだろう。

そもそもなぜ彼らは安倍政権が嫌いなのか。それは日本人が意思決定権を担保したがるからである。安倍政権の打倒を掲げる人たちは自分たちのアドバイズが無視され劣等なネトウヨの意見ばかりが取り入れられることに怒っている。逆にネトウヨの人たちは自分たちの意見が取り入れられていると思っている。

今回は自衛隊の日報問題について見ている。昨日経緯を見たかぎりではこの問題の根は深く、少なくとも小泉政権くらいからの状況を見なければならないということを学んだ。そして、経緯の中には民主党政権も含まれている。つまり、安倍政権を倒したとしてもこの問題は解決しないだろうし民主党系に政権が移っても状況は変わらないだろう。

森友の問題に比べて防衛省の問題がわかりやすいのはこれが明らかに憲法違反だからだ。

イラクや南スーダンで現地の自衛隊員が戦闘状態を認識していたことは明らかになった。もしこれを防衛省が隠していたとなると文民統制に必要な情報を内閣を通じて議会に伝えていなかったことになる。しかし仮に伝えていたとなると文民が知っていたにもかかわらず法律的な措置を講じなかったということになる。これはどちらも憲法違反である。

PKO五原則というものがあるそうで、コトバンクは次のように定義する。

自衛隊PKO国連平和維持活動)に参加する際の条件。(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること、(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること、(3)中立的立場を厳守すること、(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること、(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、の5項目で、それぞれPKO協力法に盛り込まれている。PKO参加五原則

自衛隊が武器を使用できるのは護衛のための限られる。だから戦闘状態であるということがあきらかになった場合、あるいは当事者がそう訴えた場合には必要な措置を講じる必要がある。この原則は憲法の制約のもとに作られているはずなので、PKO5原則違反は憲法違反担ってしまうのだ。

政治家は明らかに「報告さえなければ必要な措置を講じなくても良い」と受け取った。だから聞かなかったことにしたという可能性が高い。ここまでは不作為だ、やるべきことをやっていなかったという問題である。

安倍政権はアメリカの軍事行動にいち早く追随し中国と対抗したように見えるのだが、この時点では政権の真意はわからない。いずれにせよアメリカとの軍事同盟関係により深くコミットするためには集団的自衛権の行使を容認しなければならない。しかし日本人は前例がないことを嫌がるのでまずは実績を作ろうとしたのだろう。

少なくとも安倍政権はどういう理由かはわからないが状態をエスカレートさせようとしていた。だから意図的に隠蔽していた可能性が高い。具体的に指示していたということはあまり重要ではない。意図的に聞かなかったとか意図をほのめかしていたとしたらやはりそれはもはや不作為ではないのである。

しかし、政治が明確な意思を持って政策を変えること事態は悪いことではない。国民にリスクを説明し、自衛隊のコミットメントも獲得すべきだろう。小泉政権もPKOが外に出れば危険な目に会うことは予測していただろうし、野田政権も南スーダンに調査団を送るとそれが戦闘部隊の派遣につながるということを知っていたのだろう。ここにも日本人の村落性がある。村人から頼まれると「いいかお」をしたくなってしまうのである。それは「お付き合いにかかせない」からだ。こうしたこころねだけはなぜか日本語で説明できてしまう。だが、そこから生じる「リスク」をどの政権も国民や自衛隊に説明してこなかった。

自衛隊の海外派遣は「お付き合い」として仕方なく始まった。ある時にはアメリカから「ショーザフラッグ」と圧力をかけられ、別の時には国連事務総長が官邸までやってきて直々に総理に頼み込んだりした。繰り返しになるが安倍政権だけではなく自民党・民主党政権も関わっている。

民主党系の野党が安倍首相に切り込めないのはそのためだろう。彼らも国際社会が日本の軍事的貢献を期待していることを知っており、自分たちが政権を取ってもこの無理筋な要求と「センソーハンタイ」を叫ぶ支持者たちを折り合わせなければならないことがわかっているはずだ。

この意味では民主党系の人たちは難しい立場に追い込まれている。熱心な支持者がいるから安保法制には反対したい。彼らは「戦争はいけないコトだ」と思っておりそれ以上の理解をしようとはしない。政権を得るためには彼らを手放せないが、いざ政権を取ってしまうと今度は国際社会への貢献を求められる。だから「文書隠蔽は民主主義の根幹を揺るがす」としか言えないのである。

まとめると安倍政権は無謀な野心を持ち無理に無理を重ねたという点が非難されるべきだろうし、もうこれ以上政権を運営する資格はないだろう。しかしそれはそもそも運転資格を持っていなかったドライバーを運転席から引きずり出すということをを意味するだけで、その次の運転手が何をするべきかについては規定していない。

ではそもそも政府はなぜ情報の隠蔽をしようとしたのか。それは強硬で聞く耳を持たない人たちがいるからである。では彼らはなぜ聞く耳を持たないのか。

 

共産党の運動は反核運動を起点にしている。そもそも戦争を起こした米国が許容できないというものなので、反核・反戦・反米・反原発が全てセットになっている。だから彼らの主張には「戦争の具体的なイメージ」がない。それは当然で彼らがこだわっているのは過去のトラウマだからである。

この「平和は尊い」という主張そのものは否定されるべきではないが、まがりなりに戦後世界は戦争の惨禍を再び経験しないようにという努力をしてきたが、彼らは「完全でなく自分たちの思い通りにならないから気に入らない」と言っている。そして、単純に「戦争みたいな面倒なコトは嫌だ」という人たちを巻き込んでいる。

加えて、共産主義は国際的に失敗したことがわかっているので共産党はこの反戦反核という誰も反対しない主張以外に頼れるものがない。もともと具体的な懸念の上に立っていない主張であり、なおかつ他に言うべきこともない。だから彼らは頑ななのである。

こうした政治の混乱と国民の「面倒なことは考えたくないし知りたくない」という態度は危険な戦場から状況を必死に訴えようとした自衛隊員の状況を自衛隊自らが「隠蔽する」という事態を招いた。政権が気に入らないと叫ぶ前に、まず国民がこれを反省すべきなのではないだろうか。

シリア情勢が重要なのはなぜだろうか。いくつかの理由がある。まず世界が今までのような固定的な冷戦状態にないということがわかる。幾つかの地域で異なった事象が進行しており、地域ごとに関わってくる人たちが違っている。また、アメリカがシリアで軍事的リソースを取られれば東アジアでは妥協する必要が出てくる。つまり、核となる国がなく世界外いくつかの地域に分割されている上にそれがお互いに何らかの影響を持っているということになる。つまりお互いの状況は刻々と動いており、昨日は協調関係にあると思われた国が次の日には敵同士になっているという可能性がある。最後に、こうした対立は経済を巻き込んだ「貿易戦争になる」可能性を秘めている。軍事大国と経済大国が重なっているからである。

日本人は意思決定をしないで様子を見ながら時間をかけて状況を探って行くという方法を取るのだが、そのやり方はもはや通用しないだろうということをシリア情勢は教えてくれている。お互いに状況が関連しており予測がつかない。数学的には「カオス」と呼ばれる現象だ。

にもかかわらず冒頭で見たツイートのように「私が無視されたからまず目の前の敵を消せ」と叫ぶ人たちが安倍政権打倒を訴えており「まずは森友だ」と言っている。こうした人たちの目にはシリアの情勢はどう見えているのだろうか。

もちろん疑惑を暴こうとした彼らの行動が無駄だったとは思わない。あらかた状況は見えてきたので、あとはやるべき人たちが粛々と問題を解決すべきではないだろうか。それでも問題が隠蔽され中途半端に終わるのであれば仕組みを改める必要がある。

モリカケ問題が些細なこととは思わないのだが、事態は明らかに悪い方向に進んでいる。我々は湾岸戦争以来やってこなかった過去の清算をしつつ新しい時代に備えるという難しい局面にさしかかっている。もしここで日本がなにもしなければあるいは共産党の人たちが恐れていた「全面戦争」に突入する可能性もある。そのために日本人がまずやることは、安倍政権を打倒することではなく自分たちの文化特性を理解することである。

防衛省日報隠蔽問題の経緯

布施祐仁さんの書いたレポートを読んだ。布施さんは当事者なのでいろいろ細かく書いているのだが、はたから見ているといつ誰が何をしたのかがよくわからない。そこでできるだけ判断を入れずに時系列でまとめてみることにした。とはいえ一つの記事でまとまっているものがない。そこでいろいろつぎはぎしてきた。するとなぜこんなことが起きたのだろうなどと思えてきた。遡ると、小泉政権以前に原因があることがわかってきた。

1980年代の日本は経済定期に成功していたので「その成功分の貢献をしないのはおかしい」という国際的なプレッシャーがあった。しかし国内の論争は第二次世界大戦の頃の対立を引きずっており「現状を維持して何も決めない」のが国是だった。岸内閣時代の苦い記憶のせいかもしれない。

もしかしたら間違っていることがあるかもしれないので、随時ご指摘いただきたい。とはいえ、本来これはジャーナリストの仕事ではないかと思う。


1990 イラクがクウェートに侵攻し湾岸戦争が起きた。日本は国際世論から人的支援を求められたが憲法の制約上応じることができなかった。代わりに130億ドルの経済支援を行ったがクウェートをはじめとする国際社会から感謝はされなかった。この経験はクウェートのトラウマと呼ばれており、外務省を中心に国際貢献の必要性が叫ばれることになった。その後、日本は内閣と外務省が「人的貢献」に向けた実績作りを行うことになる。これは具体的には自衛隊のPKO派遣を意味したが防衛庁は部外者だった。(nippon.com

当時、アーミテージ国務副長官から「ショーザフラッグ(旗色を鮮明にせよ)」という圧力があったとされる。そのため政府首脳部は「テロとの戦い」を名目にして自衛隊を海外派兵する実績作りを模索するようになる。イラク復興支援で小泉首相が自体隊の海外派遣に前のめりだったのはこうした国際社会(特にアメリカ)からの圧力があったためと考えられる。

2003 小泉首相は大量破壊兵器が見つかったというアメリカの声明にいち早く支持を表明した。のちに大量破壊兵器はなかったことが判明している。さらに、復興支援への自衛隊の派遣を推進した。これが現在までつながるPKO派遣の端緒となっている。当時の小泉首相答弁をNewsWeekはこう伝えている。結局2018年になってイラクの復興支援で自衛隊が戦闘状態に巻き込まれていたことがわかるのだが10年以上この事実は隠蔽されたままだった。

2003年に国会で「イラクで戦闘がない土地などあるのか」と追及された小泉首相(当時)は「自衛隊の派遣されるところが非戦闘地域」と豪語。しかし、当時のイラクでは外国軍隊へのテロ攻撃が相次ぎ、自衛隊が派遣された2003年、2007年に限っても、米軍だけで、それぞれ486人、904人の死者が出ています。この背景のもと、自衛隊の活動は短期間のうちに終了しました。

2011/8 民主党政権時に国連の要請を受けて菅直人総理大臣が派遣を決定。野田佳彦総理の時に派遣が始まる。最初は2名の調査派遣だったと朝日新聞が伝えている。

朝日新聞によると、わざわざ首相官邸に出向いたパンギムン国連事務総長からの要請を受けた菅直人首相が支援を表明し、野田政権になってから「調査団を送る」という約束をした。朝日新聞はその後の軍事的支援について心配しているのだが、野田首相がどのような心づもりで調査団の覇権を約束をしたのかは見えてこないし、その後本人からの回顧もない。自民党がある程度の戦略的意図を持っていたのに比べると、民主党の対応は場当たり的な印象が強い。

そもそも最初はアメリカを中心とする国際社会への「お付き合い」として構想されたPKO派遣だが、民主党政権下では米国主導ではなく国連主導の平和維持活動への協力として意識されていた可能性がある。あるいは「国連だったらよいか」と思われていたのかもしれない。しかしながら米国追従傾向の強い安倍政権下で南スーダン覇権がどのように位置付けられていたのかはわからない。

日本は小泉政権下で間違った情報をもとにアメリカのイラク侵攻を支持していたことを総括しておらず、南スーダンへの派遣がどのような意図でなされたのかという総括もない。「戦争反対」という声が大きいので、とにかく前例を利用して既成事実を拡大しようとする傾向が強い。そもそも根強い戦争反対論も第二次世界大戦や日米安保の自発的な総括がないところから始まっていることから、過去の記録を振り返らないことが話をこじれさせていることがよくわかる。

2012/12 民主党が選挙で大敗北を喫し、第二次安倍内閣が成立した。

2013/12 南スーダンの戦闘が激化する。その後も戦闘地域は広がり続け、ついには「比較的安全な首都のジュバ」にも危険が及ぶようになる。Yahooニュースが伝えるところによると、この時に撤退することもできたのだが、安倍政権は集団的自衛権の行使容認のための方策を模索しており、実績作りするために南スーダンのPKOを利用しようとしていたのか、それとも単に南スーダンの状況を過小評価していただけなのかはよくわからない。今の所「防衛省が報告をしなかっただけ」で知らなかったことになっているのだが、報道あったので「全く状況を把握していなかった」とは考えにくい。

一方、南スーダンでは2013年12月に内戦が発生。その直後に菅官房長官は「自衛隊の駐屯地周辺は概ね平穏」と発言。その後も、現地の日本人ボランティアが「自衛隊の駐屯地は首都ジュバのなかで最も危険な場所にある」と報告するなか、稲田防衛相(当時)が駐屯地周辺の状況を「戦闘」ではなく「衝突」と表現するなど、政府は危険を過小評価し続けました。結局、2017年3月に政府は「当初の目的を達した」と自衛隊の完全撤収を発表しましたが、その後も南スーダンでは内戦が続いています。

2014/7/2  集団的自衛権の閣議決定が行われる。毎日新聞 はこう伝えている。この後、国論を二分する安保法制論争が始まる。いったん解釈によって集団的自衛権の行使を容認したのだが、2017年になって首相が憲法改正によって自衛隊を憲法の中に書き込むべきだと提案した。これを契機にして自民党の中で憲法改正議論が行われるようになった。

政府は1日、臨時閣議を開き、憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認すると決めた。集団的自衛権は自国が攻撃を受けていなくても、他国同士の戦争に参加し、一方の国を防衛する権利。政府は1981年の政府答弁書の「憲法上許されない」との見解を堅持してきたが、安全保障環境の変化を理由に容認に踏み切った。自国防衛以外の目的で武力行使が可能となり、戦後日本の安保政策は大きく転換する。

2015/8 この年の夏には各地で戦争法反対のデモが起こるが安保法案は成立した。安倍首相は「日本人を守るために法整備したのだ」と説明し続け、自衛隊に危険が及ぶことはないとも言っていた。自衛隊の安全確保義務が法律に書き込まれているとHaffinton Postの記事は解説している。シビリアンコントロールの中には「自衛隊の安全確保義務」も書かれている。つまり軍隊ではないと解釈されている自衛隊が「戦闘状態に巻き込まれた」と報告しているのに何もしなかったというのは、法律違反であり、そのまま憲法違反の可能性があるということになる。

また、安倍首相も(2015年)5月14日の記者会見で、自衛隊員の安全確保は「当然」として、「例えば後方支援を行う場合には、部隊の安全が確保できない場所で活動を行うことはなく、万が一危険が生じた場合には業務を中止し、あるいは退避すべきことなど、明確な仕組みを設けています」と発言。

2016/7 南スーダンで大規模な武力衝突が起こる。しかし、日報に武力衝突という言葉が使われていたために憲法第9条との矛盾を突かれると困ると考えた稲田大臣は戦闘を武力衝突と言い換えてきた。稲田防衛相の日報隠蔽疑惑、「瑣末な話」が大事件化の事情…日報問題の隠れた本質

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊の部隊が、昨年7月に政府軍と反政府軍の間で戦車、ヘリコプター、迫撃砲も使い、300人以上の死者が出る大規模な戦闘が起こった際、「戦闘が生起した」という正確な情報を中央即応集団司令部(相模原市座間駐屯地)への「日報」(日々の状況や行動の詳細報告)で伝えていた。

2016/9 現地からの情報を掴んでいたジャーナリストが南スーダンの日報の情報開示請求を行う。この時点では日報はネットワーク上に残っていたようだ。これ以降の記録は主に安倍首相は本当に「陸自の日報隠し」を知らなかったのかによるが、他の資料も補足に使っている。

この頃すでに成立していた法律による「駆けつけ警護」の訓練が始まろうとしていた。毎日新聞の調査によると反対している国民は48%と無視できないほどだったが、安倍政権はなんらかの意図を元にした実績作りのために法案成立後の実績作りに前のめりになっていた。この記事によると駆けつけ警護が行われるのは11月からの予定だった。当時の説明では南スーダンでは武力衝突は起こっているものの戦闘状態とまでは言い切れない上にジュバは比較的安全なので自衛隊に新任務が付与されても大丈夫だと説明されていた。だが、実際にはジュバにも危険が及んでいたのである。

日報を見るとそのことはわかっていたが、その日報を稲田大臣と安倍首相が知っていたかがまだわからない。知らなかったとなると自衛隊が自主的に状況を報告していなかったことになり「文民統制」上の問題になる。文民統制違反は憲法違反となる。(AERA.dot

このため戦後は新憲法で軍人は閣僚になれないとし、自衛隊法で最高指揮官を首相と定めるなど文民統制を掲げた。自衛隊を管理する防衛庁を設け、官僚(背広組)が自衛官(制服組)に優越する「文官統制」の仕組みも作った。それは軍令にも及び、防衛庁設置法では防衛庁長官の命令を背広組幹部が「補佐する」とされた。自衛隊が有事や災害で動く際の指揮内容を背広組が仕切る形だった。

一方で知っていたとなるとやはり政治家と背広組が法律にある自衛隊の安全義務違反違反だったことになる。これは戦闘状態に巻き込まれると自衛隊が軍隊だったということになってしまうということを意味しており憲法違反になる可能性が高い。

2011/10/11 安倍首相は政府軍と反政府の間で衝突は起きたが戦闘ではないと答弁。(Huffinton Post)この時に内戦とは国や国のような組織(国準)の間で起こる活動であると解釈し、南スーダンの活動はこれには当たらないと説明していた。この時点で防衛省から首相や防衛大臣に報告が上がっていたのかはわからない。

稲田氏は「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とした上で、南スーダンの事例は「こういった意味における戦闘行為ではない。衝突であると認識している」と回答。これに対し、大野氏は「戦闘ではなかったのか」と再三にわたって質問。途中、審議が中断する場面もあった。

稲田氏に代わって答弁に立った安倍首相は、「武器をつかって殺傷、あるいは物を破壊する行為はあった」とした上で、「戦闘をどう定義づけるかということについては、国会などにおいても定義がない。大野さんの定義では”戦闘”となるかもしれないが、我々は一般的な意味として衝突、いわば勢力と勢力がぶつかったという表現を使っている」と発言。あくまで、戦闘行為ではなかったという認識を示した。

2016/11/19 JB Pressによると駆けつけ警護を任務とする第十一次隊が派遣される。

2016/12 ジャーナリストに日報は廃棄してしまいなくなってしまったという報告が戻ってくる。布施さんによると実際に日報が廃棄されたのはそのあとだそうだ。のちに小野寺大臣にあがった報告ではローカルのハードディスクなどに残っていたことがわかる。

この不開示に誰がどのように関わったのかは不明。つまり、安倍首相や稲田防衛大臣が国会が紛糾するのを恐れて防衛省に不開示を指示したのか、あるいは防衛省が勝手にやったことなのかはわからない。

現在の「文民統制」とは報告書をあげていたかそうでなかったかという議論なのだが、実際には危険状態を誰が認識しておりどういう判断で派遣を継続したのかという問題の方が重要である。さらに、危険があるということを認識しながら任務を拡大したことに対する是非も議論されるべきであろう。

2017/1/17 岡部陸上幕僚長は南スーダンの日報があることを知っており、統合幕僚の辰巳統括官にその旨を報告していた。

2017/1/24 安倍首相が日報(全般)は報告のための文書であり公的文書の管理記録に従って廃棄されたと答弁した。安倍首相が日報が実際に存在しているということを知っていたかどうかは不明。

2017/1/27 辰巳統括官は黒江事務次官に南スーダンの日報問題について相談。すでになかったことになっているので見つかったものだけをあったというようにとの指示を行ったとされる。

2017/2/7  南スーダンの日報はすでに陸幕が廃棄したと言った手前統合幕僚監部で見つかった形にしようと判断し、背広組が稲田大臣にそう伝えた。

2017/2/13 幹部との間の会合で稲田防衛大臣「なんて答えよう」と発言したという記録が残っている。稲田大臣は「戦闘と言ってしまうと第9条との間で問題が起こるから戦闘とは言えない」と答弁して辞任を要求された。安倍首相は応じなかった。

2017/2/15 南スーダンでの記録も残っていないので、イラク復興支援の日報について問われて「こちらも廃棄した」と言わざるをえなくなった。稲田防衛大臣も含めた会合が行われ、黒江事務次官が「なかったといったものをあったとは言えない」と発言したとされる。

2017/2/16 今度はイラクの日報が本当にないのか野党が防衛省に問い合わせ。辰巳統括官は捜索の必要があると認識。(イラク日報についての経緯は毎日新聞の記事による)

2017/2/20  イラクの日報の問題で稲田大臣が「残っていない」と答弁。

2017/2/22「本当にないのか」と稲田防衛大臣が辰巳統合幕僚監部統括官に尋ねた。担当者はメールで3部署に確認したが「捜索したがなかった」と回答をしてきた部署の報告だけをあげて「探していない」部署については確認しなかった。

2017/3/27 教訓課でイラクの日報が発見されたが報告はしなかった。

2017/5 南スーダンからの撤収が決まる。Huffinton Post)の記事によると、政府は「危険だから」ではなく「任務が完了したから」撤収したと説明した。

安倍晋三首相は撤収する理由として、「自衛隊が担当している(首都)ジュバにおける施設整備は一定の区切りをつけることができる」と述べた。ジュバでは2016年7月に大規模な銃撃戦が発生するなど、南スーダンの悪化している治安情勢を考慮に入れた可能性もある。

2017/7/27 特別防衛監察の報告書が出る。防衛大臣が具体的な指示を出した可能性はあるが、照明はできないとした。この時点で黒江事務次官が主導して隠蔽を指示したとされた。責任をとって、防衛省のトップが辞任。稲田防衛大臣は事実上の更迭と伝えられている。

2017/7/28 当時の稲田朋美防衛大臣、黒江哲郎防衛事務次官、岡部俊哉陸上幕僚長の3人が揃って辞任した。(ニコニコニュース

2017/11 日報の実態把握調査が小野寺防衛大臣の指示のもとに始まった。(nippon.com

2018/3/7 三原文書課長はこの時点でイラクの日報があったことを知っていたが、他にいろいろと忙しいことがあったので小野寺大臣には報告しなかった。(JIJI.com

研究本部は1月12日、陸幕衛生部が同31日に、それぞれ陸幕総務課に日報の存在を連絡。陸幕は2月27日に統幕へ報告した。小野寺氏への報告が3月31日にずれ込んだことについて、防衛省関係者は「防衛相への説明や国会質問に耐えられるようにするため時間がかかってしまった」と釈明している。

2018/3/28 18年度予算案が可決され、国会で追求される可能性がなくなった。(毎日新聞)しかしながら、予算案成立の過程では森友学園をめぐる決済文書の改竄問題が取りざたされ、首相夫人の関与を巡り証人喚問が行われた。このため、その他の文書改竄や隠蔽が露見すれば政権の存続すら怪しいのではないかという雰囲気になっていた。その後、加計学園問題で首相官邸の関与があったらしいという証拠が見つかっている。

2018/3/31 防衛省によるとこの日になってはじめて小野寺防衛大臣に「日報があった」という報告がなされたとされている。

2018/4/9 安倍首相が日報が見つからなかったことに関して陳謝した。

2018/4/14 2004年に小泉政権下で実施されたイラクの日報にも戦闘の文字があったことが確認された。(朝日新聞)また、シリアが化学兵器を使ったとしてアメリカが大規模な攻撃を行った。国連による調査は行き詰っており調査団の活動期限もすでに切れていた。今回の攻撃では数百人規模のロシア人が亡くなっているという報道もあり、ロシア政府は国連に抗議したが抗議声明は否決された。安倍首相はいち早くアメリカに支持を表明した。(Blogos)トランプ大統領のシリア政策は支離滅裂であるという観測も出ている。(NewsWeek)ロシアとの親密な関係を強調するが、シリア攻撃でロシア人も殺しているからである。

要点は最初に書け – 読んで欲しければ

今回の話は「要点は最初に書け」というものだ。ブログでページビューを稼ぎたいと思っている人にも役に立つし、例えば安倍政権を倒したいのに賛同が得られないと悩んでいる人にも役に立つだろう。

要点を最初に書けといっても、もちろんそれ以外のことを書くなというわけではない。

先日面白い体験をした。「IPアドレスが自己割り当てになったらどうしたらいいのか」という記事が検索エンジンに引っかかるのだが滞留時間がほとんどんかった。これにちょっと手を加えたところさらにたくさん読まれるようになった。ここから「読んで欲しければ要点は最初に書け」ということを学んだ。要点を書かないとそのまま素通りされてしまうのである。そして要点というのは「相手が探していること」であり自分が言いたいことではないということも学んだ。

最初に書いた記事はIPアドレスが取得される仕組みを基礎から順序立てて細かく書いていた。「コンピュータに詳しい」という自負があるので、問題解決するなら基礎から知らなければダメなのだというような気持ちがあったからである。だが、これは良くなかった。誰も読んでくれないのだ。

この記事は検索エンジンからの流入はある。そしてそれは一過性のものではないようだった。そこで、どうにかしなければならないという気持ちになり、要点を冒頭に付け加えた。細かいことがわからなくてもとにかくルーターのアドレスを調べて手動設定すればいいのだ。そして画像を添付した。

すると滞留時間が目に見えて変化した。最初は平均0秒だったのだが、それが12分まで伸びた。最初に要点だけ書いておくと「俺がほしい情報はここにある」という気持ちになるようである。読んでもらっても同じことを細かく書いているだけなのだがそれでも構わないようだ。「忙しい現代人」は秒単位で役に立つ情報を切り分けているんだなと思った。

滞留時間が増えると有用性が増したと判断されるのかさらに流入者が増えた、と書きたいところなのだがそうではない。多分この辺りは検索エンジンに依存しているのではないかと思う。特定のファンがついているというわけではなく「たまたま検索エンジンにかかっているだけ」である。

このことから別のこともわかる。自分であたりをつけたり自分が言いたいことを書いてはいけないということだ。流入は検索エンジンに依存しているのでコントロールができないうえに、ユーザーは自分が知りたいことだけを検索するからだ。さらにすでにたくさんの人が書いている記事は計策されにくい。いろいろな書いてみてたまたま当たったものについて「ポイント」だけを書くのが良い。それが面倒ならいろいろ書いておいて当たったものにだけ改良を施せば良い。ウェブはスペースが限られているわけではないので、細かいことは時間が許す限り付け加えて行けばよいということになる。

とにかく好きなことをだらだらと書くのが楽しいので、普段はだらだら記事を増やして行き、定着したものだけを見直している。

ただ、このやり方はこちらのブログには当てはまらないかもしれないとも思った。こちらはタイトルと冒頭(これは釣りになっていることが多い)だけを読んで「わかった」と考えてRTされることが多い。政治や文化は複雑なプロセスなのでこの「わかった」が危険なのである。さらにトップページへの遷移が顕著に増えることもある。過去の傾向から多分「安倍政権の悪口が書いてある」とか「共産党が危険な理由が書いてある」などと感じた人が同じような記事を探しているのではないかと思っている。特に政治は複雑なので「答えが見つかった」と感じると同じ記事を探したくなるのではないだろうか。

政治的な意見をつぶやくときには誤解を恐れていろいろと注釈を入れてしまいがちなのだが、これは避けた方がよさそうだ。もし反発を受けたらそのときに注釈を入れてやれば良い。とにかくわかりやすいのだと思わせることが重要で、細かい説明は後からすればよい。

ただしこれは単純なメッセージだけを考えていれば良いということではない。議論を呼びそうな話題についてつぶやくのならあらかじめ想定問答集くらいは考えておいた方がよいし、できればどこかに自分の考えをまとめておくと良いだろう。相手に対する対策にもなるが、まずは自分で検証ができる。常々書いているように「安倍は戦争を従っているから憲法は守らなくては」と主張しても誰も聞いてくれない。その戦争が何なのか当人たちも説明ができないからだ。ただしそれは「あれ、戦争って何だろう」と考えてみないと気がつけないことでもある。

今「戦争反対」デモが各地で行われているのだが、共産党が署名を集めるキャンペーンをやっているからのようだ。自民党と公明党への投票が3000万人程度なので、それくらいの署名が集まれば自分たちの方が正しいことになるという理屈のようである。ただ彼らに「何が戦争なのか」と聞くとリーフレットを渡される。そこには共産党のいう安倍政権が戦争をする理屈が細かく書いてある。ただこれが現実離れしており読んでもよく意味が話からない。そこで人々は興味をなくし「やっぱり共産党が今の政治を気に入らないから騒いでいるんだな」などと思ってしまうわけだ。

これまで見てきたように契約型の民主主義社会に移行したいと考えているなら、市民が政治を監視するのはとても重要だ。だから、一方的に作ったお話をデモで叫ぶのはもうやめた方が良い。ただしそれを一人でやるのは難しいので、政治について意見交換ができる素地を普段から作っておく必要がある。そのためにもまずは興味を持ってもらう方法を考えることは重要だと思う。