左翼・右翼に代わる新しい指標とは?

最近、「資本主義とはなんです」か「社会主義とはなんですか」という質問をよく見る。さらに右翼・左翼という言い方もある。今となっては意味がなさそうな区分けだが、こういう対立構造は日本だけではなく欧米にもあるようだ。




ところが、このラベリングはあまりにも恣意的に使われすぎており、単に悪口になっている。これに代わる別の指標はないのかと思っていたところ、朝日新聞に面白い記事が載っていた。これをA/Bと言い換えているのである。最初はA/Bとは何か?と考えたのだが、実はA/Bが良いらしい。つまり、無標にして言葉から意味をなくしていることになる。

このA/Bは統計的に割り出されているのだが、元になっているのはやはり左右対立だ。そしてこの中には「議論が別れるテーマ」と「それほどでもないテーマ」がある。

朝日新聞の議論を見てゆく。まず国民は政策には興味がなくなだらかに山を形成している。これがノーマルディストリビューションなのだろう。つまり自然によるとこれくらいのばらつきが出るのだ。そしてこの山は15年間動いていないことからもこれが標準的なばらつきであることがうかがえる。

逆に政党はこの中で有権者を掴もうと「あの手この手」でアプローチするのでばらつきが不自然になる。これは前回見たアメリカの事例とあまり変わりがない。アメリカは共和党が右側で動かず、民主党は徐々に左旋回してヨーロッパの左の中心に近づいている。

ところが日本には別のダイナミズムがある。自民党は純化し民主党は分極するのである。

自民党はコアの支持層がいてA(旧来で言えば右側)に偏った政治姿勢を持っている。その代表者が安倍首相である。議員は首相に阿って地位を得ようとするので政治的には安倍首相よりになる。調査はこれを「純化」と言っている。

ところがこのA/Bの広がりは有権者とはずれている。多分、地方組織の実感ともずれているのだろう。ゆえにこの純化は有権者獲得とは関係がない。だが有権者は「現状維持」だけを重要視しておりこの政策的ずれを気にしない。ここから先はレポートには書いていないが「安倍さんは口だけで、行動にまでは結びつかないだろう」という妙な安心感があるのかもしれない。つまり、日本の選挙はそもそも思想や政策では動いていないのである。

Quoraでマニフェスト選挙が成り立たなかった理由を聞いてみたが回答がなかった。このことから政治に関心がある日本人でも政策や組織のダイナミズムにはあまり興味がないことがわかる。日本人は政治をネタに自分を大きく見せることには関心がある。つまり、結果を利用したいのであってプロセスに関与しようとは考えていない。実は日本には民主主義のようなものはあっても民主主義政治はないといえる。天皇の権威を利用して自分を大きく見せたい人と民主主義の権威を使って自分を正しく見せたい人がいるだけなのかもしれない。

一方、民主党は過去の失敗で有権者からは離反されている。この失敗が何だったのかはわからないし書かれてもいない。民主党は結果的に失敗した政党なので近寄りたくないのだろうと考えるとわかりやすい。ここでも日本人の結果主義が見て取れる。民主党を応援しても自分を大きく見せることはできないし、民主主義が持っている正しさを証明して安倍政権の鼻を明かすこともできない。

民主党は政策に関わりなく支持が得られないので、新しい支持者を求めて自民党のカウンターとしてB側にシフトする。ところが面白いことにその中で分極化してしまったようだ。民主党は猟官運動がないので議員が党本部に従う理由がない。逆に本部を収奪して意思決定権を握りたいという動機が働くのではないかと思う。このため、立憲民主党・国民民主党・その他というようにB側の細かな違いが先鋭化してしまった。

つまり、自民党はフォロワーばかりの政党になり純化が進み、民主党はリーダーワナビーばかりなので分極化したことになるのだが、どちらも国民とは全く関係がない話である。そして政策は「意思疎通の通貨」とはみなされていない。日本人は政策を信頼していないか、あるいは別の通貨を持っているのだろう。

「マニフェスト選挙」が失敗した当時、このブログでは盛んになぜ個人の考えによるマニフェスト選挙が成り立たないのかというような考察をしたがこれといった答えが出なかった。sもそも日本では個人の考えを社会的な政策に落とし込むという考え方がないからだ。人々が政治に期待するのは現状打破か現状維持でありおそらく有権者は「自分たちが変わらずに相手が変わることで現状がよくなる」という相対的なシナリオを持っているのであろう。ゆえに現状打破と現状維持が希望として両立するのだ。

共和党が右傾化すると民主党が左傾化するという傾向はアメリカでも見られる。アメリカのマニフェストをプロットした調査では共和党はヨーロッパと比べてもかなり右寄りで、それに対抗する形で民主党が左に動いてきているのだという。しかし、アメリカの調査は政策を追っていればだいたいの説明はできる。

ところが日本は「集団内の相対的な関係性」という別の要素が加わるために、政策だけをフォローしても投票行動が分析できず、集団内での立ち位置と位置関係をモデルに組み込む必要があるということのようだ。さらに政策は左翼や右翼といった悪口に使われることが多いラベルになってしまい用をなさなくなる。

単にAとかBというラベルをつけてこれまでの議論と切り離さないと、政治言論が分析できなくなっているのである。その上で考えると右・Aというのは自己の正当化であり、左・Bというのは自己の可能性の追求であると言える。指標をなくしたほうが実はそれが何を意味するのかがよく見えてくるのだ。

日本のテレビは勝手に大本営発表を流すところまで追い詰められている

日本のテレビとアメリカのテレビ(正確にはストリーミングだが)を同時に見ていて不思議な気分になった。日本のテレビは延々と韓国についてやっていた。「日本は何も悪いことはしていない」のに韓国がWTOに提訴すると息巻いているという話である。細川昌彦さんという目だけが笑っていない元官僚が出てきて「今騒ぐと損ですよ」と触れて歩いている。この間世界で何が起こっているかという報道はおやすみである。




最近日本のテレビを見ていると「見たくないものから目をそらすために忙しいふりをしているんだな」と思えるものが多い。

参議院議員選挙で話し合わなければならない問題はたくさんあるのだが、誰もそのことには触れようとしない。

例えば年金が2000万円足りないという問題やかんぽ生命をめぐる一連の騒動は「高齢者が老後の資金を安定的に管理できずしたがって消費が停滞するであろう」という大問題である。だが、これを認めることは老後不安と対面すしなければならない。個人で直面するにはあまりにも大きな問題である。

金融庁には金融庁の危機感がある。彼らは彼らの植民地である地銀を守りたいという気持ちがあるのだろう。独自の正義感が暴走するという意味では「関東軍」に似ている。金融庁の焦りは「政治家はちっともわかっていないから自分たちがなんとかせねば」というものなのだろう。支援されないが有能でやる気がある集団の暴走はとても恐ろしい。やがて倫理観が麻痺してしまうからである。

マスコミはこの問題に対して「年金を守るためにはどうしたらいいのか」という自己防衛説話を流し始めた。公共や国家が信頼できない時できるのは自己防衛だけだ。マスコミには「国はあてにできないが表立っては抗議できない」という確信だけがあるのだろう。

こうした地殻変動は外からもやってくる。日米同盟がもう当分あてにできないだろうという情報がSNSでダイレクトに飛び込んでくるようになった。

アメリカの今の状況を見ていると、選挙キャンペーンのためにはなんでもありの状態になっている。ABCのニュースはアメリカもまた「閉鎖的な動物園の熱狂」にさらされていることを伝えている。アメリカは移民によって成り立っている国なので、人種や出身地についての屈辱的発言は最大の政治的タブーのはずだ。だが、トランプ大統領はそれを軽々と超えてくる。そしてそれに対して感情的に抗議する大勢の人がいる。

今後この件は日本の安全保障・エネルギー問題・憲法改正問題にリンクしてゆくだろう。多分、外交・防衛部局の人達はアメリカのニュースを見ながら大いに慌てているはずである。彼らが政治家に支援も理解もされていないと考えた時、どのような暴走をするのかと考えるとちょっと暗い気持ちになる。おそらくその暴走も我々を不安に陥れるだろうが、マスコミは見て見ぬ振りをして「自己防衛」を呼びかけるだろう。

日本の議会政治はあまりあてにならなかったが、官僚システムと日米同盟という二つの地殻は割と盤石だった。ここにきてそのどちらもが揺れているように思える。だが、その振動があまりにも大きすぎて「もう笑うしかない」という状態になっている。

日本のテレビ局は、国からの恫喝やそれを支援する人たちの抗議に怯えて参議院議員選挙がまともに報道できない。それは仲間のテレビ局が政府からの干渉に一緒に抗議してくれるであろうという確信が持てないからだろう。そうなると何かもっと重要な問題で時間を埋めなければならなくなる。韓国の話題はそんなテレビ局が取り上げられる唯一の「政治のお話」まmpだ。

誰もが韓国は日本より序列が下だと感じているので視聴者からの抗議はない。だが、テレビ局は「今が安心」というメッセージ以外は流せない。だから、テレビ局は細川昌彦さんを呼んで「日本は悪くない」「この戦争は絶対に日本が負けない」というようなことを説明させている。元インサイダーに語らせておけば取材もいらない。いわば大本営発表を垂れ流しているのだが官邸が関与しているとは思えない。テレビ局が元官僚と組んで自発的に大本営発表を流さなければならないほど日本のジャーナリズムは弱体化し追い詰められ価値をなくしている。

ジャーナリズムはもう何を知るべきかという指針を示してくれないし、本当に知りたいことは何一つ取材できない。さらに官邸も暴走気味にこの問題を煽ってきたのでマスコミは官邸の指示も仰げない。

ここから想像する未来は単純だ。日本は地滑り的な変動が起きているという認識を持てないまま状況の変化に流されてゆくということになるだろう。

例えば、バブルが崩壊した時も我々は構造的な変化が起きているということを認められず、したがって構造的な変化を作れなかった。社会的な取り組みができないのだから、我々に残された道は自己防衛だけだ。

日本の企業は終身雇用のなし崩し的な破壊と金融機関からの依存脱却という「自己防衛」に走り、「いわゆるデフレマインド」という長期的な沈滞に陥った。背景にあるのは徹底した公共や社会に対する不信だろう。そして不信感を持てば持つほどそれは自己強化されてしまういまいましい予言なのだ。

実は日本のマスコミは社会や公共というものを全く信じていない。それは単に彼らの思い込みだと思うのだが、多分既存のメディアがその殻を破ることはできないだろう。なぜならば彼らの思い込みは彼ら自身を縛り、なおかつ視聴者も縛るからだ。

国が嫌いならどうぞ出て行ってください!と大統領が叫ぶ国アメリカ

面白いツイートを見つけた。トランプ大統領が「国が嫌いならどうぞ出て行ってくれ」と言っている。




まず最初にこれを発見したきっかけはABC Newsだった。女性が抗議の会見を開いていた。出て行ってくれと名指しされたのは4人の有色人種の女性である。例えて言えば安倍首相がTwitterで蓮舫参議院議員に「台湾に帰れ」と名指しするというのに似ている。男性でなく女性を狙ったというのも確信的な行為なのだと思う。

こんなぴったりな状況が簡単に見つかるほど、日本とアメリカは今そっくりの状態になっている。そして、これほどひどいことを言っても大統領を辞任に追い込めないばかりか賛同者すらでてくるというのも似ている。

このTweetはこれで終わらず、民主党は社会主義者でアルカイダを応援するような人たちだと攻撃していた。そこでアメリカ人はこの「社会主義」というような言葉をちゃんと理解しているのだろうかとふと思った。理解していなければ単なる悪口である。

これについてQuoraで聞いてみたのだが、当然のことながら対して有用なコメントはつかずさらに人々はこれに興味がないようだった。それでも8回答が付き、トランプ大統領に肯定的なコメントが多く諦めたものがちらほらある。

だがそれでもこれを読むとアメリカ人の社会主義像がよくわかる。

2016年のキャンペーンでヒラリー・クリントンは有能ではなかったが「人々は見たいように彼女」を見た。その後民主党は分裂し一部の左傾化した人たち(バーニー・サンダーズのような候補者を言っているのだろう)が現れた。

この中にシャンパン社会主義者という言葉が出てくる。シャンパンを飲みながら慈善事業を語るというイメージである。民主党の社会主義とは「古いリムジンに乗っていてガードがついている人たち」と「新興のシャンパン社会主義者たち」の自己満足の内輪揉めであると決めつけている。

日本でも自分たちの意に沿わない人たちを反日と決めつけ「中国や韓国に帰れ」という言動が飛び交っているが、政治家たちがそのような発言をすることはそれほど多くない。ところがアメリカでは大統領自らがそれを口にして選挙キャンペーンに利用しているという現実がある。そして、それが熱狂的に受け入れられてしまうのだ。

もちろん、人種攻撃そのものには批判が集まっていて「4人の女性にトランプ大統領が言ったことについてどう思うか」という質問は大いに盛り上がっていた。トップに着ているのはこれが「人種差別だ」というものだ。しかしこれも人格に関する話であって、もはや政策論争とは呼べそうにない。

一方、野党民主党も「お金持ちのエスタブリッシュメントのたわごとである」という印象を拭えず人々の関心を掴むことはできない。日本もなかなか泥仕合なのだがアメリカの政治はもっと混乱しているように見える。「日本に民主主義を押し付けた」アメリカの節度ある民主主義は完全に壊れているのである。

もちろん「社会主義・共産主義」と「公共サービス」を分けているコメントもあったのだが、どこか諦め気味だ。まとめると次のようになる。

社会主義という言葉は悪口として「コミュニズム(共産主義)」と同じ意味で使われる。貧しくて怠惰で報いるに値しない人たちに金を投げ捨てるという意味だ。だが、それは用語の正しい使い方ではない。社会主義教義に根ざした正しい使い方は警察・消防・学校のような無料公共サービスのことである。

しかし、こうした冷静なコメントはこの騒ぎの中では全く力がない。つまり、社会主義、テロリストという言葉は単なる悪口として使われておりその中身に人々は関心を持たない。4年ごとに勝った負けたで熱狂していたお祭り民主主義が最後に行き着いた修羅場を我々は今見ているということになる。

日本郵政を巡るある陰謀論

今日お届けするのは陰謀論の類であり、一切根拠はないという点をまずお断りしておく。今回のかんぽ生命の騒ぎは金融庁が起こした陰謀なのではないかという説である。動機は恨みと金儲けだ。




今回、かんぽ生命で様々な騒ぎが起きている。長い間かんぽ生命では詐欺まがいの営業が行われており、二重払いや無保険などが増えており、規模は数万件ということだ。だが、問題は「なぜこの問題が今蒸し返されたのか」ということだ。金融庁は長い間これを放置してきたのだが、ここまでのおおっぴらな詐欺的営業行為を全く知らないということはありえないのではないだろうか。もし知らなかったのなら「何をしていたのか」ということになる。

一応説明は出ている。金融庁が監督を強化したから不正が明るみに出たというのである。なるほどなとは思うのだが、それでもわざわざ選挙期間中に出さなくても良かったのでは?と思える。そこで、あるいは選挙期間中だから出したのではないか、と思った。

金融庁の長官が森信親から遠藤俊英に代わった時、日本郵政の長門正貢の更迭が課題になっていたという。長門が郵便貯金の枠を1,300万円から増やしたいと「増長して」いたからである。金融庁は長門を更迭して「どっちが偉いかはっきりさせてやろう」としたようだが、長門は自民党を味方につけてしまう。自民党議員は選挙を目の前にして郵貯枠を増やすことで地域票を取り込もうとして利害関係が一致してしまったのである。結果的に郵貯の枠は2,600万円になり、長門が勝利した。

ここまでは文春オンラインからそのまま引用した。長門正貢はSUBARUからシティバンクに移り、数々の業績を信任されて日本郵政の経営を任されたそうだ。

日本人の男性は「メンツ」にこだわる。長門政治的勝利を金融庁が恨んだとしても不思議ではないし「顔に泥を塗ってやろう」と金融庁が考えても不思議ではない。そこで、出した方策が「モニタリング強化」である。そこで不正が発覚したのだ。本来ならばここで日本郵政あるいはかんぽ生命の幹部辞任問題につながるはずである。

そもそも日本郵政と金融庁はなぜそんなに仲が悪いのか。遠藤長官は二つの方針を持っていたという。地方の金融機関の基盤強化と積立NISAと呼ばれる投資商品である。ここから先は金融庁の報告書が実はとんでもない軽挙のワケという別の記事を読む。

この記事によると例の2,000万円文書の主眼は投資の促進だった。そしてその投資の担い手は地方の金融機関であるべきだっだ。地方の金融機関はもはや貯金では成り立たない。金利がゼロに近くその状況が好転する見込みはない。記事はNISAの税制優遇措置を恒久化する口実として「年金では足りないから」という<事実>を利用しようとした。

ただ、年金の記載について厚生労働省と調整はしていなかった(官邸には報告したというようなことは伝わっているが)ようで、レポートが野党に利用されることになった。野党はそれが「ブーメラン」になることを恐れて、麻生批判に矛先を変えた。こうして結果的に金融庁の目論見には邪魔が入り「地方救済策」が出せなくなったという。

つまり、この話は最初から金融庁と日本郵政(後ろには自民党がいる)の代理戦争なのである。戦争なのだから相手を潰すまで戦うべきだし、小うるさい敵が「選挙で忙しい時」を狙って爆弾を投下するというのは戦い方としては「正しい」ということになるだろう。ただ、これは金融庁村の論理であって国民の論理ではない。国民はただ単に「老後は大丈夫なのか」と不安を募らせるだけだ。

そして、官邸はなすすべがなく意欲もない。今の官邸にできるのは全てを押し入れに押し込めてなかったことにすることだけだ。これが野党の格好の攻撃材料になる。こうして議会の泥仕合が続くわけである。だが、泥仕合の目的は政党の維持存続であり、これも国民の幸せとはなんらか関係がない。

ここで問題になるのは、郵便局の信頼の毀損が何を意味するかである。ちなみに日本郵政の株は2019年秋に売り出しが決まっている。ここで郵便局の評判を落とすと株価を下げることができるのである。ただ、誰が買うかはわからない。仮に長門さんの顔をつぶすことだけが目的だったのなら、喜ぶのはこの株を買いたい機関投資家だけである。控えめに言っても軽挙であり厳しく言えば売国行為だ。

私の陰謀論は「大人同士の意地の張り合い」が今回の事件を招いたというものなのだが、ここに外資の影をほのめかせば壮大な国際陰謀論が展開できるだろう。実際に小泉・竹中時代には「自民党が外資に日本を売り渡そうとしている」というような批判はあった。

ただ、現在の条件では日本郵政はユニバーサルサービスを維持しなければならないことになっていて、外資にあまり旨みはなさそうだ。この辺りが今回の陰謀論のちょっと弱いところではある。今後、金融系二社の切り離し議論が起きた時に誰が登場するのかで陰謀論に肉付けができるのかもしれない。

今回は、金融庁・財務省・厚生労働省・郵政民営化委員会という異なった組織の人たちが調整しないままそれぞれの争いに突入しており、族議員たちを巻き込んで戦争が起きているのかもしれない。だが、統治能力を失った官邸に調整意欲はなさそうだ。集団の争いに没頭する永田町と霞ヶ関にとっては負けられない戦いなのだろうが、多くの日本人は単に老後不安を募らるだけでありいい迷惑だ。例えていえば、関ヶ原か京都の街で戦が始まりそれを外から見ているような感じであろう。

一つだけ確かなのは、こうした状態では金融機関に頼らず手元に現金を置いておくのが一番賢い選択であるということだ。金融庁の推す商品も「手数料詐欺」まがいの営業に利用されてしまいかねないし、日本郵政も信用できそうにない。つまり、ますます「デフレマインド」に拍車がかかってしまうのである。

かんぽ生命の失敗 – 民主主義が高齢者詐欺を作るまでの歴史

かんぽ生命の問題で郵便局員が非難の矢面に立っているという。ほどんと詐欺としか言いようがない営業をしていたのだから当然といえば当然なのだが、それでも経営者ではなく局員が責められるのは間違っていると思う。




だが、これを「誰が悪いのか」という観点で調べて行くと、実は有権者に行き当たる。多分、郵政民営化選挙で浮かれた人たちが大勢騙されていると思うと、民主主義は極めて残酷な制度でもあると思った。誰も責められないとなると郵便局員に八つ当たりするしかない。

こういう時に非難されるのは経営者であるべきなのだが、実はここに難しい問題がある。かんぽ生命の株主は日本郵政なのだが日本郵政の57%の株は国が持っているというのである。だったら官僚が厳しく監視すればよさそうなのだが、それも期待できない。国はこの比率を秋までに1/3まで減らすつもりでいるそうだ。つまり関与を減らそうとしているのだ。

もともと郵便局は国が持っており「経営」とは無縁だった。Quoraで話を聞いたのだが民営化がなければ幹部には顧客志向は根付かなかっただろうと言っている。だから郵政民営化が悪いということにはならない。だが、結果的に詐欺的営業が比較的長い間放置されることになった。

民営化されたと言っても市場原理にさらされているわけではないから有能でない経営者が温存されたのだろう。彼らができるのは職員を脅かしたりほのめかしたりして詐欺まがいの営業をさせることだけだった。

さらにこの事件が発覚したきっかけはそもそも日本郵政と金融庁の内輪揉めなのだそうだ。これまで日本郵政を放置してきた金融庁が既得権の拡大(郵貯枠の撤廃)を主張した日本郵政長門正貢社長に激怒し「監督を厳しくする」と恫喝した。その結果これまで見過ごされてきた数々の不正が明るみに出たのである。しかし、かつての官僚組織なら「穏便に」ことを済ませようとしたはずだ。つまり、官僚組織から調整能力が奪われていることになる。選挙期間中にこんな問題が出るのを官邸が許すはずはないのだから、官邸はスルーだったのではないかと思う。

だが、問題はこれだけでは終わらないのではないだろう。

2019年の日本郵政の株主総会では「効率化するために郵便局の数を減らせ」という要求も出されたという。ユニバーサルサービスの廃止要求である。すでに農協がない地域が出始めていて、郵便局もなくなれば地方にノーバンク地帯ができる。タンス預金が問題になっているが、それに逆行するかのように地方の高齢者は金融機関にお金を預けることができなくなってしまうだろう。2,000万円を勝手に投資しろと国民に言い放った金融庁が地方の面倒まで見てくれるとは思えない。

どうしてこんなことになってしまったのだろうと考えた。もともとは小泉純一郎の郵政民営化がきっかけになっている。「郵便局は既得権益だ」と指をさして郵便局を解体することだけが目的だったという乱暴な選挙である。だが、有権者はこの熱狂に乗った。郵政解散は2005年だそうだ。つまり、郵便局の民営化は有権者のお墨付きのある政策なのである。こうなると国会議員や官僚を非難してみてもどうしようもない。彼らは言われた通りのことをしただけである。

それでも小泉政権当時は官僚はなんとかやってくれるだろうという信頼があった。「官邸主導」の名の下にこれを壊したのも国民だ。今回の金融庁の一連の挙動から見てもわかるように、結果的に省庁間の調整機能やガバナンス意欲は破壊され国は統治不能になった。官僚の学級崩壊状態である。

この件についてQuoraで聞いてみたのだが、局所的な質問に局所的な回答が返ってくるだけである。地域をどうするべきかと聞けば「守らなければならない」という回答が返ってくるが、郵便局は統合すべきかと聞くと「税金は投入できない」という話になる。日本は官僚統治の国なので、当然ながら国民や議会には政策立案意欲はない。誰かが裏方で政策パッケージをまとめてできるだけ有権者に反発されないような見せ方で改革をしなければならない。一人ひとりが愚かというわけではないが、集団としては「衆愚」の集まりにしか見えない国が「民意主導」で作られてきたのだ。

その結果起こっていることは、高齢者を騙す営業に対して誰も責任を取らないという無責任経営であり、多分この先にあるのは金融機関にアクセスができない地域がたくさん出るという「ノンバンキング」の恐怖である。願ったことがそのまま実現してしまう民主主義というのは実に恐ろしいものだなと思う。我々は「壊したい」とは願ったが「創りたい」という意欲のある人は現れなかった。今、その通りの現実が目の前にあることになる。

日本が戦争するかしないかはアメリカ上院次第になってきた……

Twitterで朗報を見つけた。下院が大統領の戦争権限をブロックする法律を可決させたという話である。27名の共和党員が造反したらしい。




27 Republicans just joined Democrats to block Trump from going to war with Iran without congressional approvalというビジネスインサイダーの記事である。日本ではすでに多国籍軍が編成されるような雰囲気の記事ばかりが出ているので朗報だなと思った。

もともとアメリカ大統領は戦争ができる権利を持っていたようだが、徐々に制限されてきているようだ。アメリカでは宣戦布告は議会の権限のようだが、大統領は宣戦布告なき戦争ができる。これをどこまで認めるのかというのが政治課題になっている。ベトナム戦争と朝鮮戦争の反省から生まれたと書かれている。

だが、記事というものはよく読んでみなければならない。Twitterでこの件を紹介しているアカウントは「戦争を下院がブロックした」と読めるような発言になっているのだが、実際の記事の内容には不吉な一文がある。

The amendment will likely be excluded from the final version of the defense bill, given a similar measure failed in the Senate last month.

27 Republicans just joined Democrats to block Trump from going to war with Iran without congressional approval

大統領権限を奪う議案は前回も提出されたが失敗したと言っている。つまり今回も上院で擦り合せる時に否決されてしまう可能性があるということだ。つまり風向きによって、日本の運命はどうなるかわからないということになってしまうわけである。

安倍政権がこの戦争への参加を拒否できるとは思えない。上院の風向き次第では日本は自動的に参戦することになるだろう。行政府は守る意思がなく資本は判断しない。憲法第9条は今の日本では単なる空文でしかない。憲法上戦争ができないとはいえ、見捨てられ不安を抱えアメリカに頼まれたらノーと言えない安倍政権は憲法も法律も歪めてアメリカへの追随を決めてしまうのではないだろうか。そして、これは日本の議会を必ず混乱させる。

多くの日本人もアメリカに対して「見捨てられ不安」を持っている。一方で「巻き込まれ不安」を持っている人もいる。そうなると日本の政治議論は「参戦の是非」一色になり決して解決しないだろう。こうなると消費税議論も景気議論も全て吹き飛んでしまうかもしれない。このように重大な決議なのだが日本では全く報道がない。不勉強なのかそれとも参議院議員選挙への影響を恐れているのかは全くわからない。

アメリカを支持している人たちは未だにアメリカには中長期的な戦略を持った人たちがいて「世界平和のためにはどうしたらいいか」を考えてくれていると思わせたいようだが、SNSでダイレクトに情報が入ってくる現代、そんなことを信じるのは無理な話だ。そして、それがますます見捨てられ不安と巻き込まれ不安を増大させる。根底にあるのは「日本人は決して話し合えない」という共通の了解事項である。

日本の有識者たちはこれまで作り上げてきたパズルのような世界観が一瞬にして崩壊するのを恐れているのだろう。いったんパズルが破壊されてしまえばもう元のような絵は作れないだろうからだ。それは彼らにとってはカオスであり恐怖だ。

ホルムズ海峡の日本船舶、守るのは有志連合ではないという日経ビジネスの記事を読んだ。そんな関係者たちの苦悩が現れているような記事だった。日本の自衛隊なり海上保安庁が日本のタンカーを守るという話は個別自衛の範疇で議論できる。そして、統合幕僚会議事務局長まで務めた幸田さんとおっしゃる方が日米同盟を擁護したい気持ちもわかる。単純な件はこれまでの世界観でかろうじて説明ができるわけだ。

ただ、トランプ政権はこれをイラン包囲網とリンクさせようとしている。幸田さんが心配しているようにこの話はアメリカの軍事作戦(多分戦争ではなく圧力を加えてイランを交渉に引っ張り出すのが目的なのだろうが)とリンクされて語られることになるだろう。つまり、アメリカの作戦に参加して集団的自衛権を行使するか、何もしないかという極端な議論が展開される可能性も高い。今、日本の中枢の人たちはこれをどう軟着陸させるかという議論を行っているはずだ。そしてその議論をしているのは多分官邸ではないだろう。

こうした「配慮」をよそに、政治家は議論を「安保法制の間違い」や「改憲議論」とリンクさせてしまうかもしれない。無理な作戦で死者でも出れば国民は動揺し野党は攻撃する。しかし石油が入って来なくなれば今度は「護憲を盾に国民を餓死させるつもりなのか」という泥仕合になる。さらにこれは「韓国が北朝鮮と組んで攻めてくるかもしれない」という人たちや、中国が尖閣を奪いにくると信じ込んでいる人たちを巻き込むことになりかねない。まさにパンドラの箱が開くか開かないかという状況なのだ。

議論というのはある時点までくると急速に進展するものだなと思う。日米同盟は維持したいが戦争には巻き込まれたくない。過去の法体系は正当化したいが使用して失敗したくない。こうした矛盾が積もり積もって決して解けないパズルのようになっている。しかし、不思議なことにそれが一枚の風景画を完成させている。それは単なる砂に描いた絵に過ぎないのだが、その砂絵は70年もかけて作られたものなので、それを実在の風景だと誤認している政治家たちもいるかもしれない。

おっさんの失われた怒りが日本を没落させる

先日来、アメリカがイランに対して緊張感を高めている様子を観察している。もともとの関心は憲法第9条問題だった。




内政の不満を外国に結びつけるトランプ政権を見ていると「日本もアメリカとの同盟を解消する方向に進んだ方がいいのでは」と思える。いちいち付き合っていられないからである。ところが、そうもいきそうにない。意外と自主独立を目指して却ってアメリカに巻き込まれるリスクが増えるという選択肢が選好されるかもしれない。民主主義にはこうした不合理な側面がある。集団は得てして感情に彩られた判断をしてしまうからである。

Quoraを見ていると「韓国が北朝鮮と組んで日本を攻撃してくるかもしれない」などと言い出す人がいる。中国が敵だと継続して叫び続けている人たちもいる。共通するのは彼らが年配の男性であるという点である。もっと尊敬されてもよかったのに自己肯定感を得られなかった人たちである。自己肯定感は企業が収益をあげるために彼らに与えたかりそめの勲章だった。そこを離れた時彼らには何も残っていないのだ。

アメリカの事例を見ていても、外国や移民に不満をぶつけているのは「Relative deprivation」を持った白人である。相対的剥奪と訳せるが「あいつらが自分たちの正当な分け前を奪っていった」という被害感情であり、日本の失われた怒りと共通するものがある。

しかしこうした怒りを持っている人たちは表向きにはそれを認めない。それどころか話してみるととても物分りの良い人であることが多い。日本では個人が願望を表面化させることは幾重にも禁止されており、抑圧が強ければ強いほど「ある正解」を示された時に化け物のような表情をみせる。厳重に抑圧された欲求を客体視してもらうということはできそうにない。

ただ、この極めて偏ったものの見方には別の側面もありそうだ。それが文化接触である。別の質問に答えていて理由がわかったような気がした。昔は映画といえば洋画だったし音楽もMTVの方が本格的という印象だった。つまり、アメリカ文化は圧倒的に華やかで良いものというイメージがあったのだ。

YouTubeやストリーミングメディアで韓国文化にどっぷり浸かり週末に新大久保に繰り出す人たちには想像ができないかもしれないが、昔は韓国については情報がほとんどなかった。韓国は1988年まで軍事政権が続いており「遅れて抑圧された国家」であるという印象が強かったのだ。

最初に韓国に行った時のことを思い出した。パスポートを見ると1992年で、民主化から4年後のことである。まだビザが必要で大韓旅行社にビザの取得を依頼しに行った記憶がある。ただ日韓共同きっぷというものがあり、ソウルから列車と船を乗り継いで下関に帰ってくることができた。切符は1988年から2015年まであったそうだ。

ビデオレコーダーを持って行ったのだが「港を撮影して逮捕されたらどうしよう」と思った記憶もある。戒厳令の知識もあったし民間防衛訓練で街の機能がストップするというような情報もあった。行ってみて「意外と普通の国だな」と思った。つまり、情報と現実がかなりずれていたのだ。

世界観は若い頃にだいたい固まってしまうので、このころの印象で固まってしまった人も多いのかもしれない。そう考えると「ソフトパワー」というのはバカにしたものではないなと思う。

そんな中、気になるニュースもある。TWICEの日本人メンバーがワールドツアーに参加しないという話があった。健康上の都合としか書いていないのであまり大げさに騒ぐような話ではないのかもしれない。ただ、別のニュースでは日本人メンバーに対するバッシングが広がっているという話もあり「もしかするとリンクしているのかもしれないなあ」などと思ってしまう。

一部の人たちが特定の国に対して特定の意見を持つことはまあ仕方がないのかなと思うのだが、現在の状況を見ていると、今まで築き上げてきた良い雰囲気を一瞬にして破壊してしまうということもあり得ると感じる。テレビでは連日日本と韓国が対立しているというようなニュースをやっていて、これが失われた怒りを持った人たちを刺激するかもしれない。長年かけて築き上げてきた信頼を崩すのにそう時間はかからないだろう。

さらにデモを見て憤る若者を見ておじさんたちは「韓国文化にキャーキャーいっているお前たちが不謹慎なのだ」と喜びを募らせるだろう。彼らが理解できるのは昔の日本の歌だけなので「それを時代遅れと笑うお前らがいけないのだ」といえるからだ。むしろ「K-POPに自分たちの注目を取られた」と感じている人すらいるかもしれない。非モテの嫉妬心ほど強力な炎はないのである。

日本人は長い間「自分たちは政治を変えられない」と思っていた。しかし、敵を見つけて叩くことは簡単にできる。さらに政府も自分たちの矛盾を追及されるよりはこうした騒ぎに便乗したほうが良いと感じるだろう。アメリカでもイランを指差して「戦争だ!」と叫んでいる人たちがいる。民主主義というものは本当に壊れやすいものだと思う。

日本は世界経済が安定する中で成功を手にした国である。だが、自分たちから進んでこの環境を作ってきたわけではない。そう考えると世界経済が不安定になったときに真っ先に没落してしまうのかもしれない。一部の人たちはその没落に喜んで手を貸してしまうのだろう。

アメリカはもう助けてくれない – 憲法第9条議論の新しい展開

参議院議員選挙期間なのだが重要なニュースが流れてきた。だが多分選挙期間中は話題にならないだろうし、そのあとも冷静には評価されないだろう。




産経新聞は「米軍トップのダンフォード氏、ホルムズ海峡などでの有志連合結成を表明」とヘッドラインをつけている。これだけ読むとアメリカがホルムズ海峡を守ってくれるような気がする。だが、最近では一つの新聞を読んだだけでは何が正しいかがわからない。毎日新聞は全部が記事が全文公開されているわけではないが「米国 タンカー護衛せず ホルムズ海峡など、有志連合の結成を検討」と書いている。

産経新聞のタイトルはアメリカが主導して有志連合をつくると読めるのだが、毎日新聞は「アメリカはホルムズ海峡から手を引いた」と読める。そこで産経新聞を読んでゆく。

有志連合の結成は、日本のタンカー2隻がイラン沖で攻撃された事態などを受けた措置。米海軍が指揮統制のための艦船を派遣し、ISR(情報・監視・偵察)活動を主導する。参加国は米艦船の周辺海域を警備する一方、自国の船舶を護衛する。

米軍トップのダンフォード氏、ホルムズ海峡などでの有志連合結成を表明

アメリカは、イランでの偵察活動に各国を協力させるが各国のタンカーは知らないといっている。勝手に状況をエスカレートさせておいて手に余るようになったら各国に協力しろといっているのである。その裏にあるのはあまり冷静とは言えないイラン敵視論のようである。

アメリカの「関心」とは何なのだろうか、これについて英語版Quoraで回答がついた。書きぶりはあまり冷静とは言えないが一応歴史的経緯は踏まえている。

BP(ブリティッシュペトロリアム)はイランに権益を持っていたが1950年代に一度奪われそうになる。石油メジャーがイランの石油を売れないようにしてこれを阻止した。次にイラン皇帝がアメリカと組んで近代化を図る。つまり、米英はイランに権益を持っていた。米英はそれが「イスラム勢力に奪われた」ことに怒っているということらしい。もちろんこれだけが正しいのかはわからないのだが、イギリスがいち早くイラン封じ込めに協力した理由はわかる。ジブラルタルでシリアに向かうイランのタンカーを拿捕したりしている。現在、BPのタンカーはイランの報復を恐れて避難しているそうだ。つまり、もともとこれは米英とイランの「戦い」なのだ。

例えて言えば恨みを持っている二つの家がご近所争いをしているところに「お前はどちらの見方をするんだ?」と凄まれているというような状態である。これは局所対立が世界大戦化してゆく典型的なシナリオだ。

日本は状況をエスカレートさせるなと抗議しても良いはずなのだが、米軍に国土の一部を実質的に占領されている状態では頭が上がらない。そればかりか、今回の件は日本のライバルである中国にとって良いチャンスになっている。国際政治学者の鈴木一人さんがこう書いている。

こうしたかなりカオスな状態で国内の改憲世論は二つに割れるだろう。改憲派は自主独立を望みながらアメリカの威光にすがっているということは認めたがらない。そこに中国の脅威が出てくるので「依存を強めながらも強がりを言う」ことになるだろう。逆に護憲派の人たちは「アメリカが守ってくれるわけでもないのだから従米で戦争に巻き込まれるのは嫌だ」と騒ぎだすに違いない。こちらはこちらで、外交が全てを解決してくれるはずという考えに固執するに違いない。

日本人はかつてない世界に住んでいる。アメリカも国際的な協力もあてにできないという極めて無秩序な世界である。だが、日本人はそのことを認めようとはしないだろう。こんな中、選挙期間中の日本は実は極めて深刻な事態に陥っている。

この報道について野上官房副長官は10日午前の会見で、「ホルムズ海峡における航行の安全を確保することはわが国のエネルギー安全保障上死活的に重要」とした上で、「コメントを差し控えたい」と述べた。さらに打診があれば参加するかとの質問には、「イラン情勢を巡り日米間で緊密にやりとりをしているが、詳細は控えたい」と答えた。

米、イラン沖などの民間船舶護衛で「有志連合」結成目指す-AP

急激に変化する状況について行けず、自民党政権はついにフリーズしてしまったようだ。与党が選挙活動をやめてしまえば「野党に取って代わられる」という日本人独特の危機意識があり国防や石油の安定確保のことなど考えられないのではないだろうか。実は日本に必要なのは国民の自由を奪う緊急事態条項ではなく、緊急時に与野党が話し合える環境なのである。

「面倒で危険な作業は外国人にやらせればいい」について

東京電力福島第一発電所の廃炉作業に外国人を使うというアイディアが撤回されたという。朝日新聞が伝えている。この記事を読んで日本人の自国民に対する冷酷さについて考えさせられた。




日本人は仲間内での議論に疲れると誰が犠牲者を差し出して問題解決を図ることが多い。例えばアメリカの機嫌を損ねるのは嫌だが戦争には行きたくないという場合、沖縄の基地を差し出して「納得してもらう」というのはまさにその一例だろう。少子化に疲れ除染対策に疲れた日本人は外国人に犠牲になってもらうことを一度は決めたらしい。だが、それができなくなった。

朝日新聞の記事で考えさせられたのはまずベトナム政府が法律を作ってこうした危険を防いでいるということの意味である。朝日新聞は大使館の言い分しか伝えておらずその背景事情がわからない。つまり、キレイ事を言っているが実は黙認するのではないかと疑ってしまったのだ。

ベトナムには放射線汚染だけではなく戦地にも労働者を送ってはいけないという規定があるそうだ。

「ベトナムは1980年から労働者を(外国に)派遣しています。ベトナムの海外派遣法では『放射線量が高い現場には行かせない』とある。ここには『戦争の地域に行かせない』ともあるので、イラク、イラン、リビアでは戦争になったときにみんなを引き揚げさせ、帰国させました。リビアからは1万人が引き揚げました。2011年の原発事故では、福島から群馬に移動させました」
ホァンさんは、法令集の文字に黄色いマーカーを引いていく。
「ベトナムからは20代前半の若い人たちが、家族のために(日本へ)働きに来ます。将来のために働くのですから、健康第一です。原発には行かせません」

「廃炉作業に外国人労働者を」の波紋――先送りになった東電計画の底流

ここにはベトナムならではの複雑な事情があるようだ。ベトナムは新興国なので「労働者を輸出品として扱っている」ようだ。2003年には5万人派遣という目標があったそうだが、2007のWTO加盟を挟んで近年では14万人にまで増えているという。そして日本は多くを受け入れている。ただ、この労働力は本来国の未来を支えてもらいたい人たちである。つまり若い頃は海外で働いても将来的には帰ってきてもらって自国経済を支えてほしいと思っているようなのだ。

日本人にとっては単に使い捨ての労働力なのだろうが、ベトナムにとっては金の卵であるという意識の違いが見られる。

日本人はそもそもアジア人を下に見ている上に「金に困っているから出稼ぎに来ているんだろう?」という蔑んだ気持ちもあるのではないだろうか。さらに日本はかつて余剰労働力を海外に「捨てた」経験がある。楽観的な宣伝文句で移民を送り出してそのあとの面倒を見なかった。日本人は同胞に優しくない。同胞は単にライバルであり助け合う存在ではないのである。だから、日本人も海外からの短期労働者に同じような感覚を持ってしまうのだろう。

さらに、この記事には面白いことがもう一つ書いてある。SNSが発展しているというのだ。

長年ベトナム語の通訳を務めてきた男性が、その内容をベトナム語に訳してSNSで紹介すると、ベトナム人たちから次々と反応があった。最も多かったのは「知らずに連れていかれたらどうしよう」という困惑の声だった。

「廃炉作業に外国人労働者を」の波紋――先送りになった東電計画の底流

ホフステードの文化指標を見るとベトナム人は日本人より従順だが、横の連携を重要視する共助型の社会のようである。こんな社会では誰かが騙されればその噂があっという間に広がるだろう。

Twitterを見ると日本人は孤立していてそれぞれの主張を叫び合っているというような状態にある。これは日本人が競争型で助け合いの気持ちを持たないからである。だがベトナムは多分そうではない。

SNSが発展し相互扶助の考え方の根付いたベトナムで「自国政府が外国政府と結んで国民を危険なところに連れて行った」という噂が立てばばどんなことになるのかを考えてみると良い。ベトナム政府が自国民を「本当に危険な労働」から守る十分な動機になりそうである。

問題は日本人がその意識にどこまでついてこれるかである。日本人は従順で孤立したベトナム人を便利に使おうとするだろう。だがその背景には連携意識の強いベトナム人の独自の文化や国の事情があるかもしれないのだ。

日本人が「外国人に危険な仕事をさせて使い捨てればいいのでは?」と考える裏には、遅れた国は「自己責任でそうなったのだろう」というおごった気持ちがあるのだと思う。そして、自国民に対しても同じ目線を向ける。人口が43万人も減っているというのに少子化はわがままな今の世代のせいであると非難し続けており、必要なサポートはしない。つまり集団化した日本人は支援しないことを含めて、搾取を搾取と思わないのである。

日本はアジアの中では極めて競争的な文化を持ちそれが経済発展のドライバーになっていた。しかし、世界の情勢が変化する中でその競争心が裏目にでつつある。あまりにも無慈悲なのでアジアの国々と仲良くできず浮いてしまうのである。特に高度経済成長期に多感な時期を過ごした人たちが現代の若者を非難し外国人を搾取しようとする裏には強烈な成功体験があるに違いない。それがいろいろな意味でこの国の首を絞めているのである。

権益とthe interests




中東に関して面白いニュースを見つけた。ペンス副大統領が「中東権益を守る」と宣言したというのである。共同通信が伝えている。

ここでアメリカがイラン関連でどんな権益を持っているのかが気になった。アメリカの基地があるという話は聞かないし、国内で石油が取れるのだから中東はそれほど重要地域ではないはずである。

ところが英語の記事を見て驚いた。「Pence: U.S. ready to protect its interests as Iran makes nuclear threats」となっている。its interestsである。興味・関心というような意味である。辞書で調べてみたが「権益」という言葉はits interestsの訳語としては流通しているようで、間違いとはいえないようだ。

権益というと「既得権益」というようにすでに持っている権利というような含みを感じる一方、intesrestsは興味関心なので「あの子の持っているお菓子が欲しいな」というようなものにも使える。つまり、日本人はこの記事をみると「すでに持っている過去の権益」を想起するがアメリカ人にとってはそうではないのではないかと感じたのである。

質問を出してみたのだが、英語が正確かどうかわからない上にこの言葉のズレが伝わることはないのかもしれないなあと思った。閲覧はされたが回答はつかなかったので多分アメリカ人もよくわかっていないのではないかと思う。

ロイターの記事を読むとペンス副大統領が言っているのは「あの地域には大勢のアメリカ人が住んでいるので彼らを保護しなければならない」というようなことなのだが、それはどの地域にも言えることである。さらにイランが勝手に緊張を高めているわけではない。アメリカも当事者である。ただ、演説の場所は福音派の集会だ。アメリカ人は正しいんだからどこにいっても好きなことをやるぞ!と言っているだけなのかもしれない。

例えて言えば日本が韓国との間の緊張関係を高めておいて、神道右派(あえて名前は出さないが)の集会で「日本は正しいんだから攻撃するぞ」と言っているようなものである。

実際にそういう質問を出す一般国民もいる。この質問は韓国をきっかけに憲法9条改憲まで持って行けるのではないかと真剣に質問している。コメントで理由を聞いてみたのだが口調自体は極めて落ち着いていたし、多分ニュースもよく読んでいる人なのではないかと思う。そしてその動機は極めて切実である。ただ、なぜかアメリカは信頼できるが韓国は北朝鮮と組むという前提を持っているようだ。彼は多分そのことを「よく知っている」のであろう。

ベトナム戦争のころは「共産主義者が生活を破壊してしまうかもしれない」という漠然とした恐怖心が戦争へのドライバーになっていた。だが現在もそのような状況はあまり変わっていないのかもしれない。我々はそれほど賢くなっていないのだ。

この疑問の起点は憲法第9条だ。憲法第9条は軍隊を無理やり軍隊でないといっているのだから、それを変えるべきであろうという意見を持った上で、しかしそのためにはアメリカの戦争への巻き込まれ不安を解消しなければならないというところまで来た。

そこでアメリカの戦争というのは何なのだろうか?と考えたわけだ。今あるイランとの関係を見ると、もともとは「選挙キャンペーン」と「軍需産業の維持」という目的を持った人たちが緊張を高めている様子がわかる。アメリカのポピュリズムに自動的に巻き込まれてはたまらないのだが、日本は石油を8割がた中東に依存しており「無関係でございます」とは絶対に言えない立場にある。

このような理不尽な状況が改善されたのなら、あるいは合理的に憲法第9条を正常な状態に近づけても良いのでは?と思えるのだが、現状は更に酷くなっているようにしか思えない。アメリカの複雑さに耐えかねた人たちが「問題は全て非白人のせいだ」と思いこんでいるようにしか見えない。彼らにはイスラム教徒やヒスパニックが悪魔のように見えているのかもしれない。

イランとアメリカの交渉を見ていると、彼らがもはや冷静に議論をしているとは思えない。特にペンス副大統領の演説はキリスト教右派に向けてのもののようなので特に内向きで冷静さがない。ロイターの記事では「 an evangelical Christian group that advocates for support for Israel」となっている。イスラエルへの支持を訴えるエバンジェリスト派のキリスト教グループという意味である。

一方、日本人は外交的に諸外国と関係を維持するということをやってこなかった。ゆえに内心では焦りを感じていて「今のうちに軍隊を持っておかないとやがて周辺国に仕返しされるのでは」という恐怖心を募らせているのかもしれない。さらにアメリカのことはよく知っていると思い込んでいて無理な改憲論を進めてしまう。背景にあるのは感情なので議論が起こると彼らは感情的になる。憲法議論が最終的に感情対立で終わってしまうのはこのためだろう。

多分、日本人が自分たちの手で改憲議論を行うのは無理だと思う。「よく知っている」と思い込んでいる人ほど感情に彩られた歪んだ情報を持ってしまっているからである。