意外と侮れない中国家電

今回はAmazonのアフィリエイトつき。つまり、宣伝込みである。内容は中国家電は侮れなくなっており、必ずしも安かろう悪かろうではなくなっているというものである。




HOMIEE 体重計 体組成計 体脂肪計 スマートスケールBluetooth アプリで健康管理 赤ちゃんの体重測定可能というのを買った。中国製品って意外と侮れないなと思った。

きっかけは何かのモノブログかTwitterの宣伝アカウントだった。タイムセールで安くなっているという。ダイエットをしているので体重計を探していたのだが、なかなかいいのが見つからない。

今持っているのはタニタの体脂肪計なのだが、体脂肪だけしか測れずスマホとも連携しない。家電量販店に見に行ったりしたのだが、やはり3000円を切る物は売られていないし、低い価格帯のものはスマホ連携ができない。それが2300円で手に入るというわけで、思い切って買ってみることにした。

だが、問題もあった。中国製なのだ。なんとなく中国製というとすぐ壊れるし低品質というような印象がある。Amazonのちょっと変な日本語も不安を感じさせる。Amazonでの評判も悪くないがやらせもあるのではなどと疑った。

セール品のせいなのかすぐに発送され翌日には受け取ることができたのだが、まだ疑っていて「何か絶対に不具合があるはずである」と考えた。なにせ、がっかりしたくないので「たかが2300円だから捨てたと思えばいい」などと思っていた。

アプリをダウンロードし、ブルートゥースでつなぎ、体重計に乗って連携させた。なにも問題はなかったのであれ?と思った。おかしい、中国製のくせに問題がない。スマホのアプリにもあまり問題がなく(強いて言えばちょっとローカライズに変なところがある)、Appleのヘルスケアという体の情報を集約するアプリに情報を引き渡すこともできる。タニタの今までのやつとあまり数値が違わないので、体重と体脂肪は正確に測れているようだ。その他にもいろいろと数値があるがこれが正確かどうかはよくわからない。

と、ここで足りないことに気がついた。この体重計にはスイッチがない。つまり体重しか表示されない。だからスマホがないと情報がなにもわからないのである。ということで、体重を測るときにいつでもスマホを横に置いておかなければならないというのが難点なのである。

が、裏返しにすると「スマホを持っている人にはいらない機能」が多かったという意味になる。この辺りを割り切ったのが中国企業の強みなんだろうと思う。日本製品はここが切れないのだ。

例えばパナソニックはパナソニック 体重・体組成計 スマホ対応 ブラック EW-FA43-Kという製品を出している。Amazonでは6,000円ちょっとで売られているのだが、自前で体重計とデータを管理する仕組みを作り、アンドロイドにも対応させたという製品だ。日本人は全て自前で作りたがるところがあり、他の会社の仕組みには乗りたがらない。そのため当然アプリ対応が追加機能になりその分コストがかさむ。しかもアンドロイドにしか対応していない。多分、自前でiOSアプリの開発者を探せなかったのだろう。

日本人は車輪から全部車を作りたがるが、中国人は車輪の再発明はしない。だから結果的に安くできる。加えてスマホが使えないお年寄りからクレームがきますよなどということは考えない。パナソニックのようなナショナルブランドには「誰かを切り捨てるような」商品は作れないだろう。

最近「海外からの労働者に頼らなければ日本の工場はやって行けない」というような問題を取り上げたことがある。日本人は全部自分たちでコントロールしたがるのだが、いったんコントロール下に入ったら囲い込んで「賃金をあまり与えない」傾向がある。結局、これが首を絞めている。

中国企業は「今あるものをわざわざ自分たちで作り直す必要はない」と考えて、それを知っているエンジニアを雇うのだろう。2004年の記事では「世界第三位の高い給料をもらっていた」という日本のエンジニアの給与は2018年には中国に抜かれているそうだ。

その他にも新しい企業は店舗を持たないとか宣伝をしないとかいろいろな合理化策が取れる。日本はこれまでの何かを削って合理化をしなければならない。例えばパナソニックの新製品が「宣伝をしない」とか「Amazonでしか売らない」などと言えばきっと落ち目だと言われるだろう。中国の新興企業は最初からそういうものを持たなければ良いので思い切ったコスト設定ができるのだ。皮肉なことに過去の成功が今を縛っているということになる。

崩壊に向かう日米同盟と憲法第9条改憲のシナリオ

北朝鮮が核兵器保有国になるかもしれない。トランプ大統領が国内政治を優先して北朝鮮に妥協してしまう可能性があるからだ。




この一連の流れはかなり劇的に動いており一瞬先も見えない。原因になっているのはアメリカ・韓国・朝鮮の指導者の交代である。日本は全くこの動きについて来ておらず、憲法第9条の改正議論自体が全く無効になってしまう可能性が高い。憲法第9条の改正議論は東アジア唯一の自由主義社会のスターの日本がアメリカの威光を背にしてアジアに君臨するという前提で組み立てられているからだ。日本の憲法改正議論は、東アジアのヒーローになりたいというあまりにも非現実的な願望と、ありもしない戦争に引きずり込まれる被害者意識を軸に動いている。

先日、トランプ大統領はこうツイートした。私は仕事をよくやっていると言いたいらしい。彼の大統領人生はすなわち永遠の選挙キャンペーンであり、これは国内有権者に向けたアピールだろう。北朝鮮はこの中に組み入れられている。安倍首相が民主党政権はめちゃくちゃだったといって自分の政治の不具合を隠そうとするのと同じようなことが行われており、そのメニューの中に北朝鮮も入っている。メキシコの壁が移民を防げるように、金正恩と取引することで戦争の脅威がなくなると吹聴しているのだ。

現に、私が大統領になった時国はめちゃくちゃだった。予算が足りなくなった軍隊、終わらない戦争、北朝鮮との戦争の可能性、退役軍人(V.A.)問題、高い税金、多すぎる規制、国境、移民、健康保険の問題、などなど。私は長い時間働かざるをえなかった。つまり、オバマ大統領の元で国はめちゃくちゃになっていたが自分が正しい方向に導いたと言っている。

これについて、日本の従米派の人たちが騒ぎ出している。北朝鮮と中国の脅威を前提にお金儲けしていた人たちはアメリカが北朝鮮と結んでしまうと共産主義脅威論が語れなくなってしまう上に、日本は完全に東アジア情勢から排除されてしまう。対露の恥辱的な敗北は「もともと返ってくる見込みがない」ものが返ってこないというだけの話だったが、こちらは東アジアの安全保障に直結している。国際情勢を読み間違えて日本を孤立に追い込むことになる安倍政権無策ぶりは後世の歴史の中で大きな汚点の一つと考えられるようになるだろう。

その先に考えられる最悪のシナリオは韓国と北朝鮮が一体化して核保有国になってしまうというものだ。そんなことはありそうにないがKOREXITと呼ばれており一部では可能性が議論されているという。こうなってしまえば、自由主義対社会主義独裁という図式は全く崩れてしまう。だが、日本はそれに対応できるだけの準備を全くしてきていない。

韓国と北朝鮮が一体化し核保有国になると、日本は核保有国に囲まれることになる。加えてアメリカの支援はあまり期待できなくなるだろう。アメリカは統一朝鮮がアメリカにミサイルを飛ばさないという確約さえ取れれば東アジアの安全保障にお金を出さなくなるはずだ。

加えてトランプ大統領は安倍首相とではなく金正恩と「親密な関係」を築きつつあるようだ。日米同盟が首脳同士の個人的な信頼関係で成り立っているというのは安倍首相の願望でしかないのは誰の目にも明らかなのである。

金正恩のリーダーシップのもとで北朝鮮は力強い「経済発電所」になるだろう。彼に驚く人もいるだろうが、彼の才能を完全に知る機会があった私は驚かない。北朝鮮は経済という違うロケットになるだろう!

こうなってくると今の憲法改正議論は全く意味を失う。日本の政権は自衛隊を軍隊に格上げする意思はあるがアメリカの同盟から出る意思は全くない。さらに、アメリカが日本に基地を置いているのは韓国保護と共産主義の拡散予告のためなので、経済関係が良好になれば設置の根拠が失われてしまう。形式的な同盟関係は残るかもしれないが同盟関係の根拠は失われるだろう。基地を置いておくのは構わない。お金は日本が出してくれるからだ。沖縄は兵士のリゾートであり米国本土ではできない危険な訓練の演習地として使えばいい。しかし戦争は別である。大統領の個人的な信頼など紙切れほどの重みしかない。アメリカ議会は自国の利益にならない戦争にお金は出さないからだ。

こうした想定外の状況に対応するためには、左右ともに一丸となって解決策を考える必要があるのだが、多分そうしたことにはならないのではないかと思われる。日本人はその他の政治問題と同じようにこれまでの正解にしがみつき続けるだろう。

例えば今地方は衰退に向かっている。少子化対策をせず排他的な雰囲気を変えなかったことが原因だが、当事者たちは考えていないようだ。予算審議の最初に岸田さんが安倍政権につきつけた要求リストを見ると「地方にもっと援助をするためにこれからも消費税を増税せよ」という宣言から始まりおねだりリストが延々と続いていた。税収が滞っているのは「そちら(官邸)の事情」なので、それはそっちでどうにかして今まで通り仕送りをしろというのである。これが今の日本の有権者の本音なのだろう。彼らは安倍首相の夢物語である「なんとか5.0」など信じていない。彼らが信じられるのは補助金とコンクリートだけである。

同じように、日本の保守はアメリカのソリッドな同盟が首脳同士の緊密な連携によって維持されているという嘘を信じているフリをして、何かが起こるまできっと何もしないだろう。安倍首相の嘘を信じてリベラルをいじめていれば彼らはなんとなく自分たちが立派だったと思い続けることができる。これもまた嘘の政治の代償の一つなのである。

スウェードの革靴の色落ちを修復する

なぜか政治系ブログに共存している生活ブログです。今回は色落ちしたスウェードの靴の色を補修します。

準備したのはなぜか片方だけ色落ちしたスウェードの靴です。

準備したのは片方だけ色落ちしたスウェード靴です。水濡れに弱いことはわかっているのに靴箱が外にしかなく片方だけ濡れ続けたせいだと思われます。これは悲しい。で、ABCに行ってきたんですが「今のスウェードは色落ちを防げず、色落ちしたら新しいのを買うしかない」と力説されました。靴が売りたいからだと思うんですがいい加減なことを言いますよね。

で、東急ハンズに行ったらなんと二つの製品をオススメされました。「靴屋にはそんな品物はないといわれたのに東急ハンズって品揃えすごいですね」というと、静かな顔で「東急ハンズではこれが当たり前ですから」と言われました。渋いです。で購入したのがコロンブスの補色ミストダークブルーです。価格は1000円とちょっと高めかなと思います。

このスプレーのいいところはガス式ではないところ。ローズヒップが入っているということでほのかにいい香りがします。新聞紙がうっすらと青くなっていることから色がついていることがわかります。

1日置いたもの。奥が補色したものです。

一晩置いてみました。肉眼で見ると違いがわかるのですが、遠目からはわからないくらいには改善できました。ちなみに色落ちしていないところも局所的に白くなっているところがあり、それも補修できます。

スウェードの靴が痛むのが怖くてあまり使えないという人もいると思うのですが、こういう補修のやり方を知っているともう少し稼働が増えるかもしれません。まだ履けるのに色落ちしてしまったからといって捨てるのはもったいないです。こういうやり方で補修してみてはいかがでしょうか。

テレビ局があなたの視聴データを盗む?

テレビ局が取得している番組視聴のデータを共有するとしてニュースになっている。IPデータ単位で誰が何を見ているのかということがわかるようになるということで「視聴者行動の覗き見」になるのではとTwitterで少し話題になった。(共同通信社




この件について眺めているとなぜ日本がIT技術に乗り遅れたのかということがわかる。理解が曖昧なままでわかったふりをしているうちにどんどん時代に乗り遅れてしまっているのだ。多分共同通信社の人も発表したテレビ局の人も自分たちが何を言っているのか、また何がしたいのかがわかっていないと思う。だからどこがダメなのかも当然わからないのだ。

このニュースの最初の「一部の」というところがあいまいだったので調べてみた。試しにデータ放送のメニューを探してみた。テレビ朝日とフジテレビはすぐに「ログ送信の中止」というメニューが見つかった。わかりにくかったのは日本テレビだ。ログインというわかりにくい項目の所にログ送信の中止メニューが隠れている。どうやらこの3局は視聴データを集めているらしい。

一方、テレビ東京とTBSではログ送信中止のメニューが見つけられなかった。テレビ東京には項目そのものがなく、TBSはログを収集することがあり警察などには提出することもありうるがプライバシーには配慮しますというようなことが書かれていて、一瞬たじろいだ。

共同通信社の記事にはどの放送局がデータを集めているのかを書いていない。だから、ログ送信の中止というメニューがわかりにくいところに隠されている(あるいは存在しない)のかログをとっていないからメニューそのものがないのかがわからないのである。特にTBSは報道ではリベラルさを唄っている放送局なので、もし勝手にログを取っていて中止操作もできないのならボイコットしろなどと書きたくなってしまう。だが、実際に視聴のログをとっているのかがわからない。画面をよく読むと「データ放送のアクセスログ」と書いており、視聴データを取っているとは書かれていない。

よく考えてみると、一部のテレビ局の一部の端末から番組視聴データが取れたとしても、それが何かの役に立つとは思えない。統計を問題解決に生かそうと考えれば、データ収集設計からはじめなければならない。「ここにデータがあるから持ち寄って何か使えないか調べてみましょう」というようなことはできないのである。依頼された方も困るはずだ。

Twitterでよく安倍政権の支持率調査が行われているが、ネトウヨの統計では安倍首相が熱烈的に支持され、パヨクの統計では安倍首相はすぐにでも退陣しなければならない。これは統計に応じた人たちにバイアスがかかっているからで、実際の支持率がどうなっているのかはよくわからない。仮にフジテレビを見ていたIPアドレスが日本テレビに移ったとして、そのIPアドレスが同一人物かはわからない(テレビが2つあったら別のテレビかもしれない)し誕生日などのデータもあったりなかったりするはずである。

一方、Googleは個人単位の情報が欲しいので「セキュリティの高いメールアドレスを無料で配る」という利便性を供与する(当然費用もかかっている)ことで情報を買っている。これは彼らがインターネットはIPアドレス単位の情報しか補足できず、そのままでは行動解析には役に立たないということを知っているからである。テレビ局はこの「IPアドレス単位のデータは役に立たない」ということが理解できない。多分、IPアドレスとアカウントの違いもわからないかもしれない。

日本の「偉い人たち」がIT技術についてよくわかっていないということは驚くには当たらない。しかし、実際には統計についてもちゃんと理解していないことがわかる。にもかかわらずわかったように発表してわかったように書いて、モヤモヤ感だけが残るような記事ができてしまうのである。

こうしたことが起こるのは彼らが自分たちが作ったのではない既得権益によって守られているからだろう。データが取れるらしいしGoogleなんかはそれで大儲けしているわけだから「自分たちもリスクを取らないで儲けられるのでは?」などと思ってしまうのだろう。テレビ局は成功した村なのだが、成功しているが故に徐々に時代から取り残されつつあるのかもしれない。

WordPress 5.0の不具合と対応の覚書

読んでいる人たちにはまったく関係がないのだが、Wordpress5.0にして不具合が出たのでその対応としてやったことを書いておく。




この対策が正しいのかはまったくわからないのだが、何をしたのかを書いておかないとあとで不具合が起きた時に修正できないと思い記録を残すことにした。

あとで思い返すとすべて徒労だったかもしれないなと思う。なぜならば同じような変更をした別ブログには全く不具合がでなかったからだ。冷静になって考えると、テーマを編集した時に間違って何かを壊してしまったのかもしれない。表示ができなくなったらまずはテーマを入れ替えてみて表示を見るのがよいのかもしれない。

なお、読者に関連する変更としては外観の変更と一部機能の不具合がある。テーマを変更したのでトップページには概要ではなく全文が出るようになった。また、全目次が使えなくなった。カスタム仕様のページテンプレートが利用できなくなったようだ。ということで全目次が追えなくなったので代わりにサイドバーとフッターに過去記事30が出ている。


WordPressが5.0にアップデートされエディタが入れ替わった。エディタだけでなく中の文章管理方法が大きく変わってしまったようだ。これをGutenbergエディタというらしい。これまで書いた文章はすべてClassicというブロックになる。しかし、編集をしようとするとエディタそのものが使えなくなってしまった。つまり、文章の作成も変更もできなくなってしまったのだ。

プラグインの不具合だろうと一つひとつ当たったのだが、広告表示のプラグインを外したところエディターが表示された。広く使われているものだが、長い間間更新されなくなっていたらしい。すると今度は画面下に出ていたレコメンデーションだけがでなくなってしまった。ページにテーマのsingle.phpに直接書き込んである広告ユニットが二つある。なぜか一番目が表示され、二番目のコードが表示されないのである。

そこで新しくWP QUADSというプラグインを導入した。このショートコードは生きているようで一応広告は表示されるようなった。しかし、アダルト広告が出てくる。これは使い物にならない。

結局、Classsicだけだと二番目のコードが表示できない。そこで、文章の一部を取ってセクションを新しく作ると二番目のコードも表示された。

再利用コンテンツを作ってコンテンツ内に直接広告を書き込むと、テンプレートにあるものもコンテンツとして書き込んだものも両方再生されるようになった。これでは二重表示されてしまう。しかし、テンプレートハードコーディングしているとこの先何が起こるかわからないので、記事を置き換えて行こうと考えた。かなり面倒な作業になりそうだ。午前中かけて1/3程度が修正できた。が、残りは変換するのを諦めてトップ50に入っているページだけをClassicからGoutenbergに移行した。

Classicコンテンツをセクションに置き換えるのは簡単だ。Classicコンテンツの右上にある設定(ドットが3つ並んでいる)のボタンを押すとセクションに置き換えてくれる。作業はこれで進めたのだが、今度はDisqusに置き換えているコメントが表示されなくなってしまった。しかし、翌朝見てみたら表示ができている。不安定だなと思ったのだが、これは自力ではどうにもできない。

Classicエディタを生かすプラグインがWordpressから出されている。2021年まで使えるという。しかし結局はディスコンが決まっているわけだから今のうちに直しておいたほうが良いに決まっている。だが、Disqusが表示できたりできなかったりするということがあったことからもわかるようにプラグイン依存が大きいページではかなり混乱も予想される。

バーリアルから安倍政権の問題点を考える

ダイエットをしている。普段の食事から少しずつ量を減らすと却ってストレスがたまるのでいつもは思い切って減らしている。しかし、そればかりだと代謝もモチベーションも下がるので時々ジャンクフードなんかを食べる。ちょっと気をぬくのが長く続けるコツではないかと思う。

ということで、ある時ポテトチップスとビール(一番搾りだった)を試してみたのだがあまり美味しくなかった。なんでだろうかと思って別の機会に手作りキムチ餃子と合わせてみた。多分ビールというのは食事に合わせて美味しくなるようにできているんだなと思った。

そこで見つけたのがバーリアルである。100円以下で売られている。カラムーチョと合わせても200円にならない。さすがに如何なものかと思ったのだが、これが抜群に美味しかった。後になって調べてみたところキリンビール製造に変わったそうだ。(商業界ONLINE)「あれ、これはおいしいぞ」と思ったわけだから、理屈はともかくとして「それなりにアリ」な製品に上がっていることになる。

安く商品が手に入れられるのはいいのだが、これって経済にはどう影響するんだろうかと思った。そしてしばらく考えているうちに、この線でモデルを作ればイデオロギーなしに政策論争ができるぞとも思った。おいおい説明してゆく。

まず、キリンビール側の事情を調べた。かつては「ちょっと落ちる代替品」だったプライベートブランドの商品で良い成績を収めないとやって行けない市場環境ができつつあるようだ。ダイヤモンドオンラインの記事を見つけた。経営学ではファイブフォースと言ったりするのだが、サプライヤーの力が弱くなっているのである。

バーリアルが美味しくなっているということは、製品そのものの品質は犠牲になっていないということである。では何が犠牲になっているのだろうか。

第一に流通経路が短くなっている。商業界ONLINEの説明によるとイオンとキリンビールの直接商取引きになっているそうだ。さらに広告が不要になるので、これに関わる産業が軒並み排除される。広告代理店、芸能事務所、タレント、制作会社、テレビ局などがこれにあたる。他社が広告を引き下げれば他の会社も広告が必要なくなる。さらに、小売店も手間を省いている。イオンの小型スーパーでは仕入れを単純化したりカゴのままで展示陳列したりしている。

このように考えてみると「関わる人の数を減らせば減らすほど」価格が減らせるということになる。さらに、細かく減らすより大胆に「バッサリと」削減した方が効果的なのである。もちろんこれは政府のせいではない。企業努力によるものである。つまり、格安の品物が定着するとデフレではなく国内労働市場の縮小が起こるのだ。

ただ、低価格商品が出ると高齢者は支出を減らせるのでその分を金融資産の運用に回せる。ここで挽回すれば国内総生産には影響はでない。だから統計上はデフレにならないかもしれないのである。

統計操作などいろいろな問題が指摘されたが、まあそれでも金融資産運用で経済が維持できればそれはそれで問題がないようにも思える。だからデフレではないというわけだ。同じように企業も人件費を削減できれば海外資産への運用や株への運用ができる。経済的な損失はないかもしれない。

ところが市場労働という絵を置くとちょっと違ったことがわかる。バーリアルの登場によって小売流通に関わる人が減っていることがわかる。すると、こうした産業が日本から消えてなくなる。広告代理店がいなくなれば嬉しいと思う人もいるかもしれないが、要は広告のノウハウが日本から消えてなくなるということである。バーリアルは図式としては「知識がなくなることで製品が安くなる」ということを示しているのだ。そして残るのは「飲む」という原初的な欲求(低次元欲求ともいうがこの言い方には問題が多いように思える)である。私にとってバーリアルはありがたい製品なのだが、知識を蒸発させるのだ。

国内労働市場がストックとして持っている資産は何だろうかと考えるとそれは知識である。

バーリアルは単に市場によって登場しただけだが、政府はこの傾向を後押ししている。例えば消費税を増税して国内消費を冷え込ませる。一方で法人税を減税すると海外投資(一般に内部留保と呼ばれている)が増える。資金としては国内市場からは退出する。すると、資金によって裏打ちされていた知識が維持できなくなり蒸発する。さらに、賃金によって法人税減税効果を市場に戻すこともできなくなる。国内市場そのものが縮小しているからだ。

国内市場が冷え込むとそれを穴埋めしようとして海外から労働者を入れる。するとエントリーレベルの単純労働に若年者が関われなくなる。海外の労働者は一定期間で帰ってしまうのでトレーニングの成果も海外に流出する。今回話題になっている「これは技能労働なのかそれとも単純労働なのか」という議論は実はあまり意味がない。実際には足りないのは「低賃金・技能労働」なのである。経営企画とレジ打ちのどちらが大変かという議論に意味はない。どちらも大変な仕事だ。問題は技能労働者が低賃金で貼り付いているということだ。技能を身につけても暮らしが良くなるというモチベーションがなければ知識だけでなく意欲も蒸発する。

若年労働者(一部で構わない)は熟練の機会さえあれば高付加価値の人材になれるかもしれない。また、女性は子供を生むとキャリアを中断しなければならないのでそこで生産性の向上が止まる。国が保育園政策を充実させていれば彼女たち(たいては女性なのだ)はキャリアを諦める必要がなかったかもしれない。いずれにせよ少子高齢化のもとではノウハウは自然蒸発するので、それを充填しなければならないのだが、どこからも補充はない。ホワイトカラーの残業時間も国が抑制する方針(ホワイトカラーエグゼンプションが導入されるが労基署の人材は増えない)ので、使い潰される労働力は増えるだろう。専門家も技能を向上させる時間がない。

低価格帯の製品が増えるとそれに適応した企業が出てくる。これは当たり前のことだ。だが、それに最適化してしまうと高技能労働がなくなる。加えて市場労働そのものが縮小しているので次世代の教育に回せるお金がなくなる。すると、次世代はもっと低賃金・低技能労働に貼り付いてしまう。こうして世代を重ねるごとに日本の労働力はどんどん生産性を失ってしまうのである。実はこれはもう始まっている。現在OECD35ヵ国の中での生産性は20位となっている。

よく労働者から「賃金をあげて仕事を増やすべきだ」という意見が出る。一方経営絵者の方は「賃金をあげたら仕事がなくなる」と言って恫喝する。しかし、実際に起こっていることを観察すると中間が整理されることで「仕事がバッサリなくなる」ことの方が起こる可能性が高いということになるだろう。

日本が取り組むべき政策は実は簡単で、国内に仕事が戻るように(言い換えれば国内消費を改善する)ように取り組めばいいということになる。具体的にいえば消費税を減税(あるいは撤廃)してブレーキを緩め(あるいは取り除き)、女性が労働市場に戻れるようにし、海外から低賃金「技能」労働者を調達する政策を取る代わりに若年者を教育するようにすればよい。すべての人が将来的に生産性を増すことはないかもしれないが、少なくとも海外人材のように数年で流出するということはない。そしてキーワードになるのは、市場が自分たちの判断で知識を増やせる機会を増やし、流出したり蒸発したりする機会を減らすということだ。

もちろん公共事業を増やして国内労働市場を活性化するという方法も考えられる。ここで問題になるのは定着力である。公共事業は手っ取り早く国内消費を回復させる効果がある。ところが公共事業が止まってしまうと国内消費も落ち込む。技能が蓄積されることがない上に継続性もないからだろう。

今回は簡単で乱暴なスケッチを書いただけなのであるいは間違っている点もあるかもしれないのだが、コンセプト自体は簡単なものなので誰でも理解できるし、特に右とか左とかのイデオロギーを持ち込む必要もない。

なぜこんな簡単なことに政治家は気がつけないのだろうか。それは、国内市場の仕組みがよくわからない上に、今出て行く年金・福祉予算のことで頭がいっぱいになっているからだろう。さらにここに党派対立が加わるともう議論はできなくなる。あらかじめ正解が決まっているからだ。

加えて世襲政治家は労働市場を通じて技能を上達させるモチベーションがない。いずれは政治家になるのだから、自ら技能を磨いて自分の暮らしをよくしようという気持ちになれないのは当然である。

だが、だからといって議論そのものができないわけではないし、打開策が見つけられないわけでもない。単にシンプルなモデルに戻ってみるだけで良いのである。

だが、だからといって議論そのものができないわけではないし、打開策が見つけられないわけでもない。単にシンプルなモデルに戻ってみるだけで良いのである。

お気に入りの靴底を安く補修する

昔買ったちょっと高価な靴を持っているのだがちょっと残念な状態になっているという人は多いのではないかと思う。流行りの断捨離をしてもいいのだが、その前に修理を検討してみてはいかがだろうか。かかとが磨り減っている靴が何足かあったので、実際にやってみた。

まず最初に考えたのは100円均一だけで修理するという方法だった。ダイソーには替え用の靴底やボンドが売られている。釘で打ち付けてボンドで接着するようだ。ちょっとしたビジネスシューズならなんとかなりそうだがサイズが選べないのできれいな状態ににはなりそうにない。

Amazonを探した。シューグーという商品とシューズドクターNという商品を見つけた。今回は安かった方のシューズドクターNを選んだ。何足に使えるかはわからないのだが価格は600円とお手頃である。セメダイン社の製品ということでちょっと躊躇した。なんとなくプラモデル用の接着剤メーカーというイメージがあったからだ。

高価なものに使って取り返しがつかなくなるもの嫌なので、まずは捨ててもいいと思っていたスニーカーから試すことにした。

やり方は簡単だ。付属のプラ板をガムテープでくっつけて土手を作り、そこにシューズドクターNを流し込んで行く。固まるまで24時間かかるのだが待ちきれずに12時間くらいでプラ板を外すと乾ききっていないところがあり、そこからシューズドクターNがはみ出してきた。しばらくたつとここが少し割れてしまった。これをちゃんと修理するためには割れたところにシューズドクターNを再度充填しなければならない。

ちょっとてかてかと光り、デコボコした感じが残ったのだが、歩いているうちにゴムと馴染んでくる。一応履けるようになったという感じである。ただ、やはり空洞ができていて、何回か履いているうちにちょっと沈み込んできてしまった。

次にちょっと勇気を出して少し高めのスエードの靴を。本来なら茶色の製品を選ぶべきだが、今回はテストということもあり黒を塗ったので塗った部分がよくわかる。

今回はちゃんと24時間待ったので問題なく仕上がった。だが、靴底が平らになりらなかった。これは充填するときに量をケチったためである。これももう一度塗ってからやり直せばいいのだが、このまま使用している。

この靴はそれほど高い靴ではないので、かかとが脱着できず、磨り減ったら捨てるしかない。実はこうしたやや低価格帯の靴の方がシューズドクターNには向いているのだと思う。

ということでいよいよ本番の靴に試すときが来た。昔デパートで買ったものの擦切れるのが惜しくてあまり履いていない靴がある。少し傷が入っていることから新品ではないことがわかると思う。こうした傷はヤスリをかけて平らにした上で色付けして補修するのだそうだ。

ただ、高い靴の靴底は脱着修理が前提になっているので、駅前にあるミスターミニットなどに持ち込めば修理してくれる。ミスターミニットのラバー張替えは2600円だそうである。靴底を全て張り替えると14000円と少し高価だ。一万円以下の靴はこうした仕組みになっていないものもあるので、実は数万円台の靴の方が長い目で見るとお得かもしれないのである。

あまり履いてはいないのだが、それでも靴底が擦り切れている。歩き方が悪いので後ろだけが擦り切れてしまうのである。あらかじめ二足で練習したこともあって、かなり綺麗に修理することができた。コツは2点だ。

  • 多めに塗っておいてあとでへらでこそぎ落とすとよい。細かいバリはハサミを使って切り取ってヤスリで整える。
  • 出来上がりが見たいからといって焦ってプラ板を取らずにきちんと24時間以上待つ。

後ろの方のデコボコがないところが今回埋めたところである。少しバリが残っている。一応、紙やすりで仕上げることになっているのだが、誰も見ないだろうし、歩いているうちに擦切れるだろうと思う。

この製品は接着剤になっているので、少し開きかけているつま先の部分に塗り込んで開きを抑えることもできた。セメダイン社によると靴底の割れにも使えるそうだ。

一応セメダイン社は「高い靴には使うな」と言っているのだが、多分ビジネスシューズであればシューズドクターNで問題なく対応できるのではないかと思う。

文章だけではわからないよという人が多いと思うのだが、セメダインのチュートリアルビデオを見るとやり方のコツはつかめると思う。お芝居が臭いのと最後のオチが笑えないのが気になる。

このビデオはあまりすり減っていない靴を修理している。製品の説明には4mm以上のすり減りは数回に分けて塗れというようなことが書いてあるのだが、実際には1/3くらい減っていて、すり減りが1cmくらいあっても大丈夫だと思う。

50mlでどれくらいの靴が修理できるのかと思ったのだが、スニーカー・スエードの靴・ビジネスシューズと3組修理してまだ余っているので4組くらいまでは使えると思う。一足あたり200円以下で修理できるということになる。

修理してまで靴を履くというのはなんだか貧乏くさいなあと思ったのだが、今回調べてみて意外と革靴修理の情報は多いということがわかった。道具を手入れして長く使うのがかっこいいと考える男性は意外と多いのかもしれない。

腹筋を割る・体幹を鍛える

最近、腹筋を割ろうと思っている。だが、腹筋の割り方を書いても仕方がない。そこで近頃サボりがちだった個人の動機付けと成長について考えようと思う。人は誰でも「ああ、これは無理だな」という憧れを持つことがあると思う。だが、大抵はやる前に諦めてしまうのではないだろうか。これを乗り越えるためには「とりあえずやってみる」ことが重要だと思う。

腹筋を割ると言ってもすぐにボコボコにシックスパックが現れるということはない。今はその途中経過である。普通の状態では縦に筋が入っており力を入れると上の二つが「ああ、なんとなくここにいますよ」とわかるくらいになった。体脂肪率が15%を切らないと腹筋の形はきれいにはみえないそうなので、前途は厳しそうである。

まず、なんとなくはじめてみる

運動経験のある人いは理解しにくいかもしれないのだが、腹筋を割るというのは運動経験のない人にとってはほとんど「ロケットに乗って宇宙に行く」というのと同じくらい不可能に思えるプロジェクトだ。だから、成果がでなくても当たり前と考える必要がある。

あまり過大なことをやると失敗するので、最初は布団の中で5分ほど腹筋運動の真似事をするところから始めた。だから、いつプロジェクトを開始したのかはよく覚えていない。これが続いたのはとりあえず足を上げてしまえば運動が開始になってしまうからだ。そして、そのうちに効果が見えてきた。お腹を動かすと「ああ、ここに腹筋があるかな」くらいが見えてきたのだ。これまで全くそんな経験がなかったからこそ「これが効果だ」と思えたのだろう。昔スポーツマン体型だった人はそれくらいでは満足できないのではないだろうか。効果が出たと思えたからこそ、次に何かやってみようかなと考えることができた。そこから半年くらい経過しているので一応は定着させられたということになるだろう。

効果がなさそうでも無理しない

現在でも20分くらいしか運動していない。いくつか理由がある。あまり長い時間やると「いつまでも続けなければならない」というプレッシャーになる。成果が出ないうちから「いつまでやればいいんだろうか」などと考えてしまうのだ。だから、運動に関してはちょっと物足りないくらいのことを長く続けた方が良い気がする。

次に集中力が続かない。最初は腹筋運動を50回X2セットやっていたのだが、これでも疲れない。腹筋を長い回数やろうとすると知らず知らずのうちに余力を残そうとするらしい。集中力が続くのはせいぜい10回から20回というところではないかと思う。さらに、最初は腹筋運動が何に効くのか全くわからなかった。バカみたいな話だが、腹筋がどこにあるのかが理解できなかったからである。今では腹筋に力を入れて50秒数えることにしている。腹直筋の上の方だが、二つの大きな塊があるのでこれを2セットやっている。やってから気がついたのが、これを呼吸法付きでやっているのが「ロングブレスダイエット」だ。いずれにせよ、効果を見ながらフォームを意識しているとあまり多くの回数をこなすことはできない。

情報は毒にも薬にもなる

実際にやってみるとYouTubeや雑誌の特集の意味がわかるようになってくる。例えば、カーヴィーダンスモムチャンダイエットにはやたらと腰を振る動きが出てくる。腹筋を使ってみようといろいろと体を動かしてみると、腰を回したりしないと腹筋を別々に動かす必要はない。別々に動く必要がないものを鍛えても仕方がないということになる。つまり、あまり使わないから腹筋が割れている人が少ないということになる。だが、逆に腹筋の動きがわかると、あまり想像もしていなかった体の動かし方ができるということだ。

不思議なことにこうした動きをやると腹筋の形がわかってくる。するとまた効果が出たことに気がつけるのでだんだん面白くなってくるのである。やったことはないがゴルフを習いたての人もゴルフ番組を見るのが楽しいのではないかと思う。いろいろなことに気づけるからだ。また外国語の学習も同じだ。単語帳で聞いた単語がYouTubeから流れてきて意味がわかると無条件に嬉しい。学習というのは基本的には快楽による動機付けの延長なので、豊富な情報は大変良い薬になるのだ。

例えば長友佑都が体幹トレーニングについて様々な本を出している。普段は使わない動きなのであまり科学的なトレーニングをしない日本のコーチ達は体幹の重要性にあまり関心がなかったのだろう。だが、体幹が使えるようになると急に止まったり、敵に当たり負けしなかったりと、ちょっとしたところで差がつくことになる。ヨーロッパサッカーに触れた人たちや独自に研究した人たちはこの普段はやらないけれども差がつく筋力に注目していることになる。もともと怪我の克服のための始めたようだが、長友は体が大きな選手ではないが、それでもヨーロッパでやって行けるほど核心をついたメソッドということになる。こうしたことに気がつけるのも面白い。

腹筋運動に戻ると、実際にはトレーニングしている20分に意味があるわけではないということになる。単に目覚ましをしているだけあり、その他の時間にその部位を意識して動けるかどうかが重要だということになる。その状態で、例えばYouTubeのビデオを見ていると「ああ、これはそういう意味なんだな」とわかってくる。徐々に新しい視点が作られるわけである。

一方、情報が毒になる場合もある。多くのダイエット本は「とりあえず行動を起こしてもらう」のがどんなに大変なのかを知っているのだろう。簡単にすぐ効果が出るというようなことを書いているものが多い。そして見栄えのよいモデルを使って動きの解説をしている。だが、実際にはすぐにフィットネスモデルのようになれるわけではないので、がっかりしてやめてしまうことになる。

アメリカではモチベーションビデオというのがたくさん作られておりYouTubeに上がっている。これはジムに通うためのモチベーションを高めるためのビデオで、ムキムキのボディービルダーが出てくる。しかし、こういうものを見ると「ここまでになりたいわけじゃないし、これは無理だなあ」などと考えてしまう。これも逆効果だ。

さらに「有料コンテンツ」につなげたいために「今までのやり方は全部間違っている」というビデオも出ている。これを見ていると「もっと楽でいい方法があるのかもしれない」と思えてしまう。これもやる気を減退させるもとになる。とりあえず腹筋を200回やれば目標が達成できるとわかっていれば楽なのだが、探り探りやっているとこうした情報に惑わされがちになる。

ダイエットの本にはいいこともたくさん書いてあるのだが、これは無理だなというような要素も多く含まれている。この辺りの切り分けがとても難しい。

ガラッと変えた方がよいものもある

運動や語学学習のように反復が必要なものは「とりあえず始めて見る」ことと「物足りないくらいでやめておく」方が却って長く続けられるのかもしれないとも思う。ライフスタイル化したほうが長く続けられるのである。

しかし、その一方でガラッと変えてしまった方がよいものもある。体重を減らすためには食生活にも気を配らなければならない。今あるものを少しずつ減らすとその分だけストレスがかかる。こうしたものはガラッと変えてしまった方が楽だ。例えば鶏肉とサツマイモの蒸したものを塩などの調味料なしで食べるようにすると、あとは余計なことを考えなくても済む。少しだけカロリーや調味料を工夫する方が面倒なのだ。

ただ、この場合一回の食事量が減ってしまうために、少量の食事をこまめに取らないと「いつも食事のことばかりを考えている」ことになりかねない。最初はとにかくお腹が空く。また、食物繊維の摂取量が減ってしまうので、時にはお菓子などを活用しながら食物繊維を摂取しないと健康に影響が出てくる。この場合、あまり他の人たちと食事ができなくなるので、同じ目標を持っている人が周囲にいないなら、先に宣言して「お付き合いは週に一度にする」などと言ってしまった方がよいのかもしれない。

ライフスタイル化を目指すには「だらだらやった方がよいもの」と「ガラッと変えてしまった方が楽なもの」がある。

健康なモチベーション・危険なモチベーション

最後に「危険なモチベーション」について書く。この文章を書くためにダイエットについて調べたのだが、女性のモデルのなかには、拒食症になってしまったり生理が止まってしまう人がいるという記事を読んだ。ヨーロッパのモデル界の美の基準は痩せすぎになっており、健康を害するほど痩せていた方がよいとされているためだ。

モデル達が無理なダイエットに走るのは、目標が曖昧なのに、食べないことで痩せるという効果だけが出てしまうからだろう。その上「何が美しいのか」を決めるのは他人であって自分ではない。ゴールが明確にわからないので、ついつい極限まで食べなければいいのではないかと考えてしまうということになる。

自分の中に明確な目的があれば健全な状態に保っておくことが可能なのだが、基準が曖昧だと精神のバランスを崩してしまうことがあるということに気がつく。例えば「英語がしゃべれる人になる」という目標の場合、ただ漠然と「周りから英語が話せる人と思われたい」という目標設定は実は危険なのではないかと思う。自分で「とりあえず旅行ができるようになる」とか「料理レシピの動画を見ることができるようになる」といった細かい目標を設定すれば自己管理ができる。

つまり、自分で管理が可能で達成の見込みがある目標を設定することが大切なのではないかと思える。今までできなかったことを始めるというのは良いことだし、成長できるのは本能的に気持ちが良い。しかし、成長が呪いになってしまい苦しんでいる人も実は多いのかもしれないと思う。それは、多分目標設定の方法が間違っているだけなのだ。

メールでのご質問 – 公共と過剰適応について

メールで質問をいただいたので、ここに返信を書きたい。

引用の許可を取ればいいのかもしれないのだが、著作権の関係があり質問の全文引用して書けないので却って誤解が生じる可能性がある。今後ご質問はできればコメント欄にお願いしたい。コメント欄は公開されている上に後で編集が可能なので、ご自身で著作物(つまり質問)をしていただきたいからだ。許可を取ってメールの内容を載せたとしても「あとで書き直したい」とか「撤回したい」ということになるかもしれない。

ご質問の内容は二つ。日本人には公共空間を作るつもりがないというのはどういう意味かというものと、過剰適応とゲーム産業の関係である。

第一に「日本人は公共空間を作るつもりがない」についてである。主語を日本人にすると「日本人は議論をする資質がない」とやや自虐的に捉える方が多いというのは意識して書いているつもりなのだが、やはりそこから抜けるのは難しいのかもしれないと思った。

日本人にはそもそも公共という概念が存在しないと考えている。だが、この日本人はかなり限定的に使われている。経験上、英語圏での海外生活を経験している人は公共空間とか社会という概念が理解できる。例えばエンジニアのように英語が専門でない人でも英語圏で働くと簡単にこうした概念を理解するようだ。

例えば、英語で行われる授業で先生が何かを発言したとする。すると、誰かが手を上げて今回の授業に関係がありそうな情報を加えたり考えを述べたりする。これを「授業に貢献する」という。授業の貢献は成績に加算される。ただ聞いているだけでは「授業に参加していない」ことになり貢献点がつかない。授業はみんなで作り出してゆくというのが英語圏のやり方であり、アメリカなどでは高校レベルでもこうしたことが行われているようだ。こうして「みんなで作ってゆく」のが、社会であり公共空間である。こうした考え方は職場にも引き継がれる。

日本人は社会的なルールには素直に従うので、あらかじめこうした空間ができていれば簡単に公共概念を理解する。わざわざ海外留学や海外赴任をしなくても、公共を理解している日本人はたくさんいるのだ。例えば登山をすると下山してきた人に挨拶をされることがあり応えるのがマナーになっている。登山は多分ドイツやオーストリア辺りを発祥とする若者に人気のアクティビティだったのでその名残が残っているのだろう。つまり、登山愛好家は「みんなで山の雰囲気を作ろう」という気分があり、ゴミを拾ったりお互いに挨拶をするという習慣があることになる。同じように海外と接触したサッカー愛好家もゴミを拾って帰る。これも公共空間をみんなで守ろうという意識の表れである。つまり、こうした人たちは西洋と接触しているがゆえに公共という概念を理解していることになる。

だが、見たことがない人にはこうした公共という概念が理解できない。例えば自民党の憲法草案でいう「公」というのは、すなわち「ズベコベ言わずに国のいうことを聞け」という意味であり、その国とはすなわち国会議員のことだ。ある人は国にあれこれ言われるのは嫌だといい、別の人はみんなに異議を申し立てるとは迷惑な存在だと言う。知らず知らずのうちに公共を「誰かの空間」と認識し、その上で「誰の声が一番大大きいか」ということを瞬時に計算してしまうのである。

しかし、これはアメリカ人が優れている言う意味ではないし、日本人が劣っているという意味でもない。しかし、日本人が作る独特の社会には名前がないので、このブログでは、所有権や上下関係など諸々の属性を含めて「村落」と呼んでいる。社会学にはもっと別の良い呼び名があるかもしれない。

日本のスーパーマーケットで子供ににこりと笑ったり、コンビニでドアを開けてあげたりすると睨まれることがある。特に女性にこうした傾向が強い。多分「私に関わらないでよ」という気持ちが強いのではないかと思われる。日本には公共がないので外で出会う人は全て単なる他人でしかない。ゆえに他人同士で協力することもない。ただ、現行憲法が公共とか社会という概念を取り入れてしまったために、左派リベラルの中には公共とは国の行政サービスのことなのだと考える人もいる。

ある人は公共をお互いに参加して作り上げる社会だと捉え、別の人は誰かの所有物だと考える。そして、また別の人は公共を国の行政サービスだと捉えるわけである。

メールの内容を公開してもよければ貼り付けたいのだが、この後質問にはかなり様々な要素が整理されないままで入り込んできているように思える。そこに至る前にまず「公共」をどう理解しているのかということを整理した上で、提示してみるべきなのではと思う。

常々、外国の文化と接していない日本人が「公益」や「公共」を理解しているのかということが知りたいと考えているのだが、意外と「当たり前」と考えていることを言葉にするのは難しいのではないだろうか。この辺りはご協力いただける方がいらっしゃったらコメント欄にでもお考えを残しておいていただきたい。


ゲームに関しては、書いていることはほぼ当たっていると思う。かつてゲームのマーケティングをやっていたことがあるのだが、この時にすでにメールにあるような議論があった。当時の日本のゲーム業界はコンソールゲームが主流でPCゲームは日本では「洋ゲー好きの物好きしかやらない」となっており、携帯ゲームは「低スペックのかわいそうな」存在であった。

ただ洋ゲーのオンラインゲームを担当している人たちは顧客と接点があったので(オンラインゲームではイベントなどを仕掛ける必要がある)こうしたことが起こるのはあらかじめわかっていたようだ。

コンソールゲームの人たちはPRをコミュニティに頼っていた。日本にはゲーム雑誌が一つしかないので、そこのPRスケジュールが優先され、そこから逆算してオンラインの情報解禁日などを決めていた。ゲーム雑誌がランキングを発表しそれにファンが従うという構図があったのである。このため「過剰適応」が起きており、売り上げを広げることができなかった。「洋ゲー=クソゲー」という構図がありそれが固定化されていた。さらにライトゲームユーザーはゲームユーザーですらない完全に取り残された存在だった。彼らはそもそもゲーム雑誌などを読まないからである。

ということで、多分「過剰適応」にはマーケティング的な名前が付いているはずなのだが、今回は見つけることができなかった。

日本体操協会のゴタゴタについて勉強する

日本体操協会で揉め事がおきている。またかという気がする。

スポーツをめぐっては、内柴事件(2011年)、女子柔道(2013年)、相撲(2017年)、女子レスリング伊調馨事件(2018)、日大アメフト部特攻タックル事件(2018年)、水球女子日本代表パワハラ事件(2018年)、日本レスリング連盟事件(2018年)と数々の事件が起きているが、どれももやもやを残したままで消費されているのが実態である。

それぞれの問題には特徴があり一概に共通点を見つけることはできない。個人スポーツもあれば団体競技もある。オリンピックだけでなく興行的な色彩を帯びた相撲でも問題は起きている。唯一の共通点はどれも閉鎖空間で起きており周りの目が行き届きにくいという点である。問題は長い間放置されているのだが、一旦マスコミに漏れると大騒ぎになり「ガバナンスの問題だ」ということになるという経緯がとてもよく似ている。村の恥が外にさらされると世間の目が「酸素」のような役割を果たして炎上するのである。

今回の問題はその中でも最も複雑な部類に入るのではないかと思われる。問題の経緯が複雑で一概にどちらが悪いとは言い切れない。選手とコーチの間の暴力問題があり、それとは別に女子体操の私物化問題がある。この二つの要素が絡み合っており「悪者」が特定しにくい。

問題の発端は、宮川紗江選手のコーチが暴力問題を起こしたとして「期間を定めずに」コーチの資格を剥奪されたというものだった。これに怒った宮川選手(なぜかコーチではなく)が実名で記者会見をした。そこで宮川選手が訴えたのは朝日生命体操クラブへの不自然な勧誘行為だった。コーチも「裁判に訴える」などとと言っていたのだが、話が大きくなったことに驚いたのか仮処分の訴えを退けてしまったため、宮川選手の告発が宙に浮いた。最終的には塚原千恵子(強化本部長なのだが女帝という言葉の方がふさわしい)と宮川選手の直接対決になっている。

当初テレビ朝日が問題の沈静化を図ったので、フジテレビが宮川選手に単独インタビューを行い「対立」の構図がクローズアップされることになった。

こうした経緯がわからないとハフィントンポストの記事を読んでも何が何だかさっぱりと見えてこない。

キャラの濃い登場人物たち

日大アメフトの問題ではものが言えない選手たちと高圧的な監督という権力格差があったが、今回の場合宮川選手が告発に踏み切ったために「キャラの濃い」人たちの群像劇になっておりワイドショー的には極めて面白い。

まず宮川選手は単なる被害者ではなくかなり腹が据わった女性のようである。こういう強さがないとオリンピックで代表になれないんだろうなとは思う。だが「このコーチでなければダメだ」という思い込みも見られる。中には共依存という言葉を使って説明しようとする人もいるくらいである。つまり、表向きの強さと暴力さえも許容してしまう態度が共存してしまっているのである。

それに比べてコーチは様々なしがらみがあったのだろう。暴力癖があり感情が抑えられない上に、永久追放ではなく体操協会に従えば戻れる可能性があるということがわかると訴えを取り下げて宮川選手を見放してしまった。

さらに塚原夫妻(特に奥さんの方)は恰幅がよくワイドショーで悪役を努めるのにもってこいの顔をしている。フジテレビは彼女を悪役に仕立てるつもりのようで悪い女性の声色を使った演出を試みていた。夫の方も終始一貫しない態度が際立っている。「100%悪い」と言ってみたり「記者が指摘する意味とは違う」などと発言がコロコロ変わる。

どうやら昔から朝日生命体操センターに選手を引き抜くためにオリンピック強化プログラムを私物化していた疑惑があるようで、今回も正規の強化選手枠と塚原夫妻が立ち上げた強化プログラムの二本立てになっていることが問題になっている。正規のプログラムに従うと私物化ができないので、独自のプログラムを使って「裁量権が行使できる」ようにしていたと指摘されているのである。また谷岡学長が「伊調馨さんはまだ選手なんですかね」と切り捨てたように塚原千恵子さんは「宮川さんは最近成績が悪かった」と切り捨てるような発言をしている。小池百合子東京都知事にも言えることなのだが、女性の方が切断処理があからさまで容赦がない。これも彼女を悪役キャラに見せている大きな要因だろう。

体操協会もはっきりしない。「まだ何もわからない」としつつも「膿を出さなければならない」などと言っている。これまで「となり村で何が起こっても感知しない」というような態度だったのだろうが、世間の矛先がこちらに向かいかねないので慌てているのだろう。

この問題で唯一出てこないのは体操協会の会長だ。元ジャスコの社長で二木英徳さんという。実質的に体操には関与しておらず「体操協会の象徴」のような存在なのだろう。つまり統一的なガバナンスはなく男子と女子が「好き勝手に」運営していたのが日本体操協会なのだということになる。

自我の不形成と閉鎖集団

この問題を見ていると、自我が形成されていない人たちが閉鎖的な集団を作るとどうなるかということがよくわかる。この点では早くから入門して世間を知らずに育つ相撲とよく似ている。

体操は10代の後半から20代の前半がピークなので、自我が形成されていない早いうちから指導が始まる。そこで行き過ぎた暴力が生まれるのだが、団体競技ではないのでコーチと選手の間に親密な関係性が生まれやすい。宮川選手はPC的な観点から「暴力はいけない」などと言っているが実は家族も含めて暴力も「愛情表現がたままた行き過ぎただけ」だと容認している様子がうかがえる。プロになったりすると「自分で判断」する必要が出てくるのだ、プロのない体操では自我の不形成はそれほど大きな問題にならないのかもしれない。

さらに競技団体の私物化も行われていたようだ。当初、塚原負債が朝日体操クラブになぜ傾注するのか疑問だった。Wikipediaを読むともともと塚原千恵子コーチらが朝日生命の協力の元で立ち上げたクラブが母体なのだが、朝日生命は経営から手を引いており「協賛」という形で名前を使わせているだけのようである。つまり実態は「塚原体操クラブ」に有力選手を引き抜いて経営を安定させようとしていたということがわかる。問題は私企業の経営者が長い間体操協会の握っていたという点なのだろうが、それにしてもこうした慣行が長い間放置されていた理由がよくわからない。

だが経営能力の欠如は致命的だ。女子柔道も朝日生命体操クラブも行き詰っている。女子はオリンピックでは何大会もメダルに手が届かない。男子では塚原直也、内村航平までは選手が順調にメダルをとっていたのだが、そのあとの選手が出てきていない。リオオリンピックの団体選手もコナミスポーツが目立っているくらいである。コナミスポーツの方が組織的に運営できており選手層が厚いのだろう。こういった焦りが強引な勧誘行為につながったのではないかと思われる。有力な選手の引き抜きはかなり認知されていたようで、元選手たちも含めて「宮川さんを応援する」と言っている人が多い。中には「元朝日生命体操クラブなのだが宮川さんを応援する」と言っている人もいる。

対立に拍車をかけた偏向報道

このニュースでは当初テレビ朝日が協会側に立った報道をしていた。羽鳥慎一のモーニングショーでは、司会の羽鳥が元アナウンサーの宮嶋泰子を「この人はすごいひとなんです」と紹介したのだが、予断を与える言い方に「いくらなんでもこれはひどすぎるな」と思った。宮嶋は過去の取材経験から体操協会側の人間であることがあからさまである。背景を調べてみると、テレビ朝日がようやく獲得した放送権をめぐる事情がありそうだ。テレビ朝日は2018年10月の世界体操の放送権を持っている。フジテレビがNHKから引き継いで放送をしていたのだが、2017年からはテレビ朝日が担当しているということである。

テレビ朝日がこのようなポジションをとったので、これを好機とみたフジテレビは多分夏休み中だった安藤優子を召喚して宮川選手にインタビューを試みていた。こうして対立構造が作られてしまったのである。

ただ、選手が宮川側につき体操協会の側も「膿を出し切らなければ」ということになった途端にテレビ朝日は「やはり塚原夫妻側にも問題があったのかもしれない」などと言い出している。こうした態度が一貫しない日和見的な局が安倍政権批判をしても「結局は商売でやっているだけなんだな」ということになる。結局政権批判ごっこに過ぎないわけである。

経営のプロがいない

改めて考えてみると、体操選手出身の人たちが協会やクラブの経営を任されるという状態になっており、日本には経営のプロがいないことがわかる。経営文化という意味では町の少年野球団と変わりはない。これまでなんども見てきたように、こうした人たちが自分たちだけでどうにかしようとしているうちに状況が悪化してきてしまい、周囲を巻き込んで大騒ぎになる。

スポーツでは多額の金が動く。さらに選手の側もオリンピックに出られるか出られないかで人生が大きく変わる。つまり、もはや少年野球団の素人経営者だけでは運営ができなくなっているのだ。かといって全てに国が出て行って関与することもできないしやるべきでもないだろう。プロの経営者がスポーツマネジメントに積極的に関与する必要がある。

最近ワイドショーであまりにも同じようなパターンが繰り返されるので「政治のいざこざを忘れさせようと政府が何か企んでいるではないか」という人もいるのだが、実は外からの文化をまったく受け入れない内向きな姿勢が制度疲労を起こしているのだろうと思う。ただ、マスコミには問題解決をする姿勢は見られない。視聴者の様子を見ながら日和見的に態度を決めているだけなので、いつまでたっても「膿」が外に出てくるばかりで治癒しないのである。