ポピュリストとしての山本太郎

AERAに載っていたという山本太郎のインタビューを2本読んだ。れいわ新選組「消費税廃止」を掲げる本当の狙い 山本太郎議員に聞く山本太郎議員、誘われたら安倍内閣の財務相に? 自民と組む条件は… この人「ポピュリストだな」と思った。




これまで「ポピュリズム」について散漫に見てきた。ポピュリズムには決まった定義はなく、それぞれが好き勝手なレッテル貼りに使っている側面がある。なので「山本太郎はポピュリスト」と言っても根拠のない悪口にしかならない。

まずAERAでの山本太郎の主張をまとめてみた。

  • 党名は適当に決めた。特にこだわりはないがキャッチーで覚えやすい。肉球を入れたのはかわいいから。
  • 野党が支持されないのは増税ありきの財政再建路線だから。それでは魅力がない。
  • 財源は国債でも「応分の負担」でもとにかくなんとでもなるから心配するな。
  • 減税してくれるなら自民党と組んでバラマキをやっても良い。原発と憲法の問題が合わなくても別に構わない。その代わり俺は暴れる。
  • 経済対策費用の50兆円くらいなんとでもなる。とにかく緊縮財政が悪いのだからズベコベ言わずにそれをやめたら経済成長してなんとかなるはずだ。

ここからわかるのは山本太郎が経済や政治には門外漢で、特に経済を「極めて単純に」見ている点だ。国粋主義や民族主義由来ではないのでその意味では「左派ポピュリスト」であるといえる。だがここまで来ると右とか左というラベルにはそれほど意味がない。

だが、山本を見ていると「ポピュリストの何が悪いんだろう」という気持ちにもなる。アメリカではトランプ大統領が台頭し、イギリスでもボリス・ジョンソンさんが首相候補ナンバーワンなのだそうだ。どちらも乱暴な物言いで知られる人である。世の中が複雑になるとテレビ映えする暴れん坊が人気者になる。人はテレビを見て政治を知るからである。

山本が「政党の名前なんか覚えにくいからなんでも良いから覚えやすいものにすれば良いんだ」と言っているように「徹底した無党派目線」である。立憲民主党のキャンペーンサイトには「おしゃれ民主主義」で気取ったところがある。もともと立憲主義という庶民にはよくわからないものを党名に掲げていることから、立憲民主党には「インテリで気取った」ところがある。一方、山本の主張はわかりやすい。つまり、ポピュリストは「大衆が言っていることを同じ目線に立ってダイレクトに伝える」才能があるということもできるのだ。

山本の「財源はなんとかなる」はまぐれあたりする可能性が出てきている。日本の状況を冷静に分析する海外の専門家の中にも消費税延期を言い出す人が出てきた。朝日新聞によるとオリビエ・ブランシャール氏は「私なら期限を定めず延期して、『引き上げられる時期が来たら直ちに引き上げる』と言うだろう」と言っている。山本の「2%になるまでバラマキ続ける」と同じことを言っているのだ。これが非専門家の恐ろしいところだが、一回当たったからと言ってそれが再現するとは限らない。ただ、人々は一回当たれば次を期待するだろう。

このように、専門性のなさと単純化は危険に満ちている。山本はトンデモ法と名付けたいくつかの法律を廃止するらしい。TPP協定、PFI法、水道法、カジノ法、漁業法、入管法、種子法、特定秘密保護法、国家戦略特別区域法、所得税法等の一部を改正する法律、派遣法、安全保障関連法、刑訴法、テロ等準備罪などがそれにあたるそうだ。理解できないものは全て廃止すると言っているのである。これはポピュリストの極めて危険な一面である。つまり、わからないからなんでも反対なのだから、政権に取り込まれてしまえば(彼のファンも含めて)なんでも賛成になってしまう可能性がある。

実際にイタリアでは左右ポピュリストの政権があり内部でバラマキ政策を競っている。日本ではこうしたことは起こりそうにないが、自民党の中の公共事業推進派(MMTを主張するような勢力)と山本太郎が連合して自民党の既存勢力を置き換えてしまう可能性はある。百家争鳴のイタリアと違い権威志向の強い日本では「政権政党自民党」というのは利用できる看板だろう。中から改変する方が簡単なのだ。

その意味では日本会議が徐々に影響力を強め精神的に自民党の一部を「改変」してしまったのに似ている。山本も「自民党と組んでいい」と言っていることからわかるように第二の日本会議になれる素質があるということだ。こうした動きはアメリカでも起きている。共和党は今やトランプ党である。つまり、いったん下野して「精神的な改変」を繰り返す中で山本らの勢力と組んでしまう可能性もあるということになる。

ただ、山本の主張にはポピュリズムに当てはまらないものもある。ポピュリストは内外に敵を作り脅威を煽るものと相場が決まっているのだが、山本の主張にはあまりそれがない。またトランプ大統領のように「あなたたちはすばらしいものの中にいるのだ」という一体感を強調したりはしない。

日本には欧米のような外からの脅威がない。これまで移民を受け入れてこなかったし、EUのように上から国家を抑えつけるような機関もない。唯一脅威として使われているのは「放射能」である。大きな敵を設定しない山本はまだポピュリストの有資格者とは言えない。

山本がまだ組織を持っておらず「運動体を維持する必要」がないというのも重要な点である。運動体を維持するためには革命は進行中だがまだ道半ばであると主張する必要があり、そのためには敵の設定が必要になる。山本にはまだその必要がない。

この「外敵がいない」ということが、山本の勢いが全国規模で広がらない原因にもなっている。自民党を支持する人も野党を支持する人も「これまでの仕組みを継続していってもまだなんとかなる」と感じているのだろうし、選挙に行かない人も多分そう思っているはずだ。唯一騒いでいるのが安倍政権を敵設定している人たちだ。Twitterでは一部「自民党を倒してくれると思ったから寄付をしたのに金を返して欲しい」と言っている人がいるようだ。

山本の運動の核にある動機は「とにかく政治的権力を握るまでは無党派目線にたってなんでもやる」という意欲のようだ。小沢一郎となぜコンパチブルであったのかがわかるとともに、特にやりたいことがなかった小沢一郎のように政界をふらふらとさまよう存在になるのかもしれないとも思う。

税か国債か – ちょっとおかしな議論を展開してみる

最近、Quoraで展開しているお気に入りの理論がある。「税も国債も一緒」というものだ。なんちゃって議論としてとても気に入っている。ここから見えてくるのは「公共なき社会」が陥った袋小路である。




まず前提から確認して行きたい。「日本の企業は法人税を支払わなくなっている」という前提が本当なのかを検証する必要がある。

まず日本では直間シフトが始まっている。所得税と法人税が減っていて消費税が増えている。法人税がピークだったのは平成元年あたりである。つまりバブル崩壊と一緒に法人税の減収が始まっている。この直間シフトの裏に何があるかはよくわからないが、官僚の政治不信だと思う。政治に左右されず安定した税収が見込める一般間接税に移行したいと考えるといろいろと説明がつくからである。つまり官僚は政治家を信頼していない。

次に企業の内部留保は増えている。最近では企業の蓄積を「内部留保」とかっこ書きなしに使っているようだ。経常収支も黒字なので留保した金を使って海外に投資したり日本の政府に貸しているのであろうということがわかる。

ちなみに最新の資料では家計は1%程度しか国債を保有しておらず、海外の比率は10%を超えたくらいのようである。なので、企業が政府をファイナンスしているという言い方は間違っていないと思う。ただし、短期国債の7割は海外に買われているという。都市銀行は長期債から逃げているが地方銀行の保有は伸びている。

ということで政府債務を長期的に支えているのは日銀と企業(地銀含む)であると言えるし、海外に投資できない企業にとって政府は残された唯一の投資先になっているという可能性が見えてくる。

常識的に考えると税金は税金であり国債は国債だ。しかし、見方を単純化してしまえば「誰が誰に資金を融通しているのか」というだけの話である。税金は所有権が移転する資金移動だが、国債は所有権が移転しない資金移動である。つまり企業も政府を信頼していない。国債でファイナンスすれば少なくとも元本は保証されるということである。なので、利息が得られない低成長経済・過剰資本蓄積社会において、国債は税と一緒なのでそれほど問題にはならないということになる。

日本を閉鎖された経済系としてみると、税金として支払っても国債として貸し付けても、最終的には自分たちに戻ってくる。最終的に自分たちに還流してくることになる。ちなみに賃金として分配しても同じことである。自分たちの商品を買ってくれれば結局自分たちのところに戻ってくるはずだ。だがそうはしない。企業は従業員も消費者も信頼していない。ただ、結局国に貸しつければ国がばらまいてくれるのでこれも「まあ、言ってみれば同じこと」と言える。

ただ、問題は別にある。それは動機になっている不信感そのものである。

賃金を支払わないことで消費が冷え込んでいる。新しい製品やサービスも生み出しにくくなっておりイノベーションが阻害される。しかし弊害はこれだけではない。サラリーマンは失敗できずレールから外れることができないので労働市場が流動的にならない。こうしてますます不信感が閉塞感を生み出し、それがさらに不信感を増幅させてゆく。

最近の暴走する車問題を考えても「周囲に助けてもらうような存在になったらおしまい」と考えている高齢者が多いこともわかる。この先2,000万円か3,000万円を抱えて生きてゆく高齢者が増えることも予想される。不安は不安を呼び、それが消費の停滞につながり、経済がますます閉塞するというわけである。恒例になった日本人は運転免許も貯金も手放せないし、それにしがみついて生きてゆくしかない。

よく、北欧の国では「自分たちに戻ってくるから税金を払うのが苦にならない」というような話を聞く。共助が社会に染み付いている国はこのように公共に支出したものは自分たちに戻ってくるであろうという確信があることになる。逆にギリシャのように公共に信頼がない国は、レシートを発行せずに売り上げを過小に申告していた小売店が多かったというような話がある。

我々はまず隣人を信頼し公共という概念を再構築しなければならないというのがこの話の結論になるのだが、それを行動に移す人はそれほど多くならないだろう。日本はそれほど徹底的な社会不信がある<自己責任社会>なのだと言える。個人の競争もないので突出する人は叩かれる。そうなるともう他人を叩きつつ「自己防衛」するしかないということになる。

結局、閉塞感を生み出しているのは私たち一人ひとりなのかもしれない。

ベーシックインカムの是非について散漫に考える

Quoraで「OECDの中で日本の格差が広がっているのはどうしてか?」という質問をもらった。かなり長大なテーマでまともに答えられるわけもなく、かなりいい加減な答えを書いた。




筋だけを説明すると次のようになる。

グラフを見ると、格差が大きい国には新興先進国・先進国から脱落しかけている国・アメリカ合衆国に分類できるようだ。新興先進国は福祉制度が充実しておらず、EUの脱落国は財政にキャップがかかっていて財政出動ができない。そしてアメリカ合衆国は福祉に興味がない、という具合になる。

ところが、日本は財政規律が甘くなおかつ国家が年金・医療にかなり支出をしている。つまり、この累計のどれにもあてはまらない。にもかかわらず日本で格差が拡大するのは経済が二本立てになっているからではないだろうか。既存の年金制度に守られている人たちとそこから脱落した人たちがいるのだ。

格差の記事を集めて読んでみるとシングルペアレントと子供の貧困が問題が語られることが多いようだ。これが「植民地経済」同然になっている。この植民地が一部高齢者にも広がりつつあるのではないだろうか。

ここから先、さらに煽ろうかなと思ったのだが、あまりやりすぎると嫌われそうなので「この先もこういうのがしばらく続くと思いますよ」とお茶を濁しておいた。

さて、これを書いている時に二つの記事を思い出した。一つは韓国が最低賃金引き上げをやって経済を冷え込ませたという話だ。そしてもう一つは「イタリア経済に迫る危機、バラマキで国を疲弊させるポピュリズムの実態」というダイヤモンドオンランの記事である。

経済困窮者が出るとこれを一気に解決しようという政治勢力が伸張する。これをポピュリストと呼ぶことが多いようだ。ポピュリストは政策ゆえに失敗するわけではない。先進国の中にもイギリスのように最低賃金を引き上げているところがあるががそれで経済が大混乱したという話は聞かない。問題は一気に解決しようとしてやりすぎてしまうところにある。

ダイヤモンドオンラインの記事によると、コンテ政権の政策の目玉は「市民所得」という一種のベーシックインカムなのだそうだ。全面的なベーシクインカムではなく失業者や貧困層に向けた所得の保証という政策である。

ギリシャ問題の再燃を恐れているEUは加盟国に「あまり借金はするな」と釘をさしておりこれが加盟国の一部に反発を生じさせる。前回香港や戦前の日本の事例で見たように「あらかじめ枠が設定された民主主義」は反発を生むのだ。敵を作って国民を惹きつけるという意味ではポピュリズムなのだが、かといって貧困を救うためには福祉の充実はやむをえないという見方もできる。

イタリアでは「この政権は信頼できない」と判断した投資家が資金を引き上げた結果経済が冷え込んでいるのだそうだ。ベーシックインカムや所得維持は彼らの政策の柱ではあるが嫌われているのは政権の話の進め方であってベーシックインカムそのものではないのである。

貧困を放置したまま何もしない日本と急激なポピュリズムで失敗しつつある韓国・イタリアのどっちが良いのだろう?というのは究極の選択のように思える。プロセスを考えるのが苦手だけで結果だけで判断したがる日本人にはなかなか判断がつけられそうにない。同じ左派的政策にも成功と失敗がありどちらを選んでいいかがわからないからだろう。

そんな中、全く別の記事を見つけた。フィンランドはテストを実施しているそうだ。言われてみればなるほどと思うのだが、よくわからないなら限定的に試してみればよいのである。フィンランドでは2年間限定でランダムに2,000人を選んで7万円づつ渡したのだそうだ。結果は「心配しているような問題は起こらなかった」というものだった。

ただ、これを日本で実施しようとすると導入自治体選定の時点で「利権を引き込みたい人」たちが湧いてくるのではないかと思う。実験が成功したらしたで「あそこだけズルい」ということにもなるかもしれない。

ただ、日本でこれが実現しない理由はそれ以前の問題のようだ。Quoraで聞いてみたところ「フィンランドと違って日本人は他人を反日呼ばわりする人がいるくらいでどうせうまく行かないに決まっている」という回答がついただけだった。外国から批判されると色をなして怒るような人でも同胞は信頼していないし自ら人に優しくするようなことはしたくないという日本人の特性がよく出ている回答だと思った。

全ての日本人とは言わないが「ああ、そんなことはわからないし聞くべきでもない」と言って怒り出す人は多い。このため日本社会は前にも後ろにも進めないのである。

香港のデモは民主主義のモデルになり得るのか?

香港の100万人デモが一定の成果を挙げた。逃亡犯条例の改正が延期されたのである。勢いに乗った香港市民は200万人デモを行い行政長官が謝罪に追い込まれた。これは民主主義の勝利と言えるのだろうか。




まず事実関係を整理したい。逃亡犯条例の改正延期、香港政府トップが記者会見で語ったこと。「決定は私が下した」【会見詳報】を参考にした。

  • 法令の目的は、香港が犯罪者の逃げ込み先にならないようにするためのものだった。
  • 中国の直接的な指示はなかった

ところがこの条例案が反発をうむ。中国と香港政庁への累積した不信感が爆発し「一国二制度が潰される」という感情的なレスポンスを生んだわけだ。こうしたことが起こるのは、香港の民主主義が限定的だからである。行政長官の選挙権を持っている人は1200名しかおらず、立法会も直接選挙枠35に対して30名の「補正」が入る。

こうした補正が入るのは「香港の民主主義」に枠がはめられているからだろう。自治権の拡大が「中国分裂」に向けて作用しかねないという事情がある。ところがこの枠が却って反発を生む。

こうしたことは日本でも起きている。日本の議会制民主主義は限定選挙権の時代が長かった。天皇が主権者であることから国民主権は危険思想とされており、加えて社会主義共産主義が現実的な脅威だったという事情がある。このため、徐々に選挙権を拡大せざるをえなくなり、最終的に男子普通選挙が実施されることになる。

戦前には何回かデモによって倒された内閣があるそうだ。桂内閣が日比谷焼き討ち事件をきっかけにして倒され、寺内内閣は米騒動をきっかけに倒れた。日比谷焼き討ち事件は日露戦争の賠償金を取れなかったことが原因になっている。また米騒動はきっかけこそは米価高騰に対する抗議運動だったが、次第に社会主義者の抗議運動に利用されるようになった。無産階級(プロレタリアート)は選挙からは排除されていたのだから当時の民主主義に責任を持つ必要はなかったのだ。

さらに、戦後に普通選挙が実施された後にもデモは起きている。こちらは日本人が関与できない日米同盟が原因になっており岸内閣が倒された。日本人は国政には関与できても日米体制という大枠を変えられなかったということだ。

あらかじめ枠が決められているとデモがおこりそれが沈静化しなくなる可能性がある。これをいいか悪いかで判断することはできない。「参加していない」と思う人はこうした手段に訴える可能性があるという単純な事実があるだけなのである。

ところが面白いことに選挙権を与えて「ご自由にどうぞ」というと却って選挙に参加しない人が増えてしまう。労働組合や各種利権団体に属している人は選挙に行くが組織されていない人は自ら放棄する。その上に年金受給者が既得権益者になっていて彼らも「補正効果」を生み出している。実は香港の政治が「親中派の既得権保持者」に握られているのと同じ状況になっている。

日本で政治から締め出されていると感じている人たちは反原発デモや集団的自衛権反対デモなどを実施してきたがどれも世論の同調を得ることはできなかった。最近では年金返せデモをやろうとしているようだが、もはやニュースバリューを見出すことは難しい。この人たちが締め出されているのは政治ではなく既得権を持った利権集団であり、実は香港とそれほど違いはないのかもしれない。

香港と日本の一番の違いは「一般の人たちも選挙に参加しようと思えば参加できるようになっている」という点である。つまり平時の普通選挙や民主主義には民衆の懐柔策という側面がある。

このように条件が違うのに多くの人たちが香港のデモを支持しているようだ。ある人は民主主義の勝利といい、ある人は経済的に成功しつつある中国共産党に対するアンチテーゼだという。このような投影は日本の民主主義や経済成長が機能していれば起こらないはずである。多くの人が行き詰まりを感じているがそれを認めることを拒否しているのであろう。

外交火遊びの末に戦争を起こしかけた「外交のアベ」

安倍首相が危うく戦争を起こしかねない状況を引き起こしていると言っても良いのではないか。原因は前宣伝のしすぎである。選挙にイランを利用しようとして、逆に誰かに利用されてしまったのだ。




安倍首相は大した見込みもなく、250万ドルの無償資金援助を持ってイランに会いに行った。ロウハニ大統領とはそれなりの話ができたがハメネイ師との会談は不調に終わった。「アメリカは信頼していないから」という理由で親書も見てもらえなかったようである。

ところが訪問時に思いがけないことが起きた。日本の所有するタンカーが襲われたのだ。世耕経産大臣は「何の問題もない」と会見したが、アメリカのニュースではタンカーの腹に穴が空いている様子がニュースで流れた。日米のニュースを同時に見ていると世耕さんがいかに間抜けなのかがよくわかる。「ちっとも大丈夫ではない」のだ。

だが、そのあとのアメリカ側の手回しがよすぎた。なぜかアメリカがイランの仕業だというビデオを持っているというのだ。ポンペオ国務長官が手回し良く会見をし、トランプ大統領もとにかくイランのせいだと声明を出した。NHKはアメリカの言い分をそのまま流した。NHKの忖度もここまできたら芸術である。

もちろん「ただの偶然」かもしれないのだが、安倍首相は利用された可能性が高い。つまり、戦争のきっかけに利用されかけたのである。

このあと、各方面が非難合戦を始めた。アメリカはイランが国家ぐるみでやっているといいイラン革命防衛隊が暴走したという人もいる。イラン側はアメリカの謀略だと言っている。さらにはBチームと呼ばれる人たち(イスラエル首相・ボルトン補佐官・サウジアラビアの皇太子)が仕掛けていると指摘する人も出てきた。黒井文太郎さんが指摘するだけでもこれだけ容疑者がいる。少なくとも誰かが中東で騒ぎが起こることを期待しているのだ。

イランとの関係が良好とはいえないアラブ諸国からも懸念の声があがった。アラブ連盟のアブルゲイト事務局長は「危険な展開だ」とし「中東の混乱を狙う勢力がいる。このことを知る必要がある」と強調し、国連安保理に対処を求めた。

米、タンカー攻撃「イランに責任」 イランは関与否定 

アメリカの手回しの良すぎる主張とは裏腹につじつまが会わないことが多い。まずアメリカのビデオの件だが、国華産業は機雷説を否定している。識者の中にも喫水線より上に機雷を仕掛けるのは不自然だという人がいる。わざざわ水面に穴を出してわざわざ取りに戻るのは「これを写してください」と言っているようなものである。

国連は「第三者機関による検証が必要」と言っている。

一方、国連のグテレス事務総長は14日の記者会見で、攻撃について、「真実と責任の所在を明らかにする必要がある」とした上で、「独立した団体による調査が必要だ」と述べ、第三者による調査の必要性を訴えた。

「イラン関与」裏付け、米が機密開示を検討

トランプ大統領は「とにかくイランの可能性が高い」と言っており要領をえないので本当のことは知らないのかもしれないと思える。実はアメリカの政府も踊らされれている側なのかもしれない。当初トランプ大統領は「世界の警察はやめる」と言っていたわけでその考えは今でも変わっていないようだ。であれば軍の方は「トランプ大統領の私的な関心事を守るためには軍隊が必要」と説得し続ける必要があるわけだ。

菅官房長官はアメリカと緊密に連携すると言っているが、これは「アメリカの指示を待つ」ということなのだろう。集団的自衛権の時にやけにホルムズ海峡に執心していたので今の状況と恐ろしくリンクする。しかし、2014年はオバマ政権時代だったので政権とは関係がない人たちの意向があるのかもしれない。そう考えると安倍政権もトランプ政権も「踊らされる側」なのかもしれない。

日本に関係がないタンカーが襲われたとしても日本が集団的自衛に協力してくれるかどうかはわからない。しかし「日本のタンカーが襲われた」とすれば関与はさせやすくなるだろう。CNNには次のような分析が出ている。つまり、中東もヨーロッパも軍事作戦には参加しないだろうというのだ。そうなるとアメリカが「国際行動」を主張して中東に展開するためには日本を道連れにするのが一番簡単なのである。

The US might be able to count on Israel, Saudi Arabia and the United Arab Emirates if push comes to shove, but that’s not going to come near to the firepower and political support George W. Bush was able to muster in his “coalition of the willing.” The Europeans, particularly the French and the Germans, are unlikely to back military action. The United Kingdom, consumed by Brexit, probably doesn’t have the appetite either.

US policy toward Iran is all stick and no carrot

誰が何を意図しているのかはわからないのだが「初動」によって印象は全く違っているというのは確かなようだし、緊張を高めたい誰かがいるのも確かなようだ。

日本はそもそもカモにされやすい立場にあるわけだが、安倍首相は選挙を有利に運ぶために、日本人の命と財産を危険にさらしたといえるのではないか。トランプ大統領が全てを仕込んだとも思えないので「このチャンスに日本の世論に火をつけてやろう」とした可能性がある。さらに外務省も危険が察知できなかった。日本の情報収集能力と「躍らされる」という立場は特定機密法を作ってもなんら変わらなかったのだ。

いずれにせよG20の前に「安倍外交」は世界の笑い者になった。BBCは冷静にこの件を伝えているのだが、内向きで世間知らずな有権者には受けるだろうという論調である。イランは最初から日本の仲介などあてにしておらず、ロシア・中国側に接近している。

香港のデモに自分の思いを重ねる人たち

香港でデモを最初に知ったのはTwitterだった。多分反中国派の人たちだと思う。そのうちABCニュースが取り上げ始めた。やはり「中国が香港の民主化を阻害している」というようなニュアンスに聞こえた。日本のテレビはそこから遅れて独自取材が始まった。催涙弾を投げ込まれた記者の姿が印象的だった。抑圧に立ち向かう人々によりそうというジャーナリスト像を自己演出している。




今回の香港の100万人デモは「なぜ起きたのか」という点も注目ポイントなのだが、それはいろいろなメディアで取り上げそうなきがする。今回印象に残ったのは「政治ニュースに自分の思いを乗せてしまう人たち」の姿だった。

デモの概要

さて、まず今回のデモの概要だが、普通は次のように解説される。

また、香港では6月9日、刑事事件の容疑者を香港から中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐって、大規模なデモが起きた。これは香港の自治を保障する「一国二制度」が骨抜きになることへの危機感のあらわれだ。

香港デモで懸念される”天安門事件”の再来

ABCニュースもプロテスターの映像を流していたが、なぜこれが一国二制度の崩壊につながるのかについて議論している人はいない。Quoraで聞いてみた。

要約すると、昔からの不満や不信感が今回の条例改正案をきっかけに爆発したということのようだ。

不完全な民主主義社会 – 香港人の不満とは

まず香港の人たちは自分たちのことを中国人だとは思っていないのだが、中国の社会主義体制に飲み込まれてしまうのではないかという不安がある。BBCが詳しく解説している。香港は「限定的民主主義」の世界を生きていて自分たちの運命を自分たちで決めることができない。

香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄りだ。

【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景

香港特別行政区立法会も普通選挙枠の他に職能枠があり香港住民の意思が完全に反映される仕組みになっていない。完全な民主主義のように見えるが親中派が歯止めを聞かせるという変わった仕組みになっているのである。これは却ってフラストレーションがたまるかもしれない。

これまでも中国に批判的だった書店員が次々と消えるという不可解なことが起きていているそうだ。表向きにデモを鎮圧するというようなことを共産党はやらないだろう。裏で影響力のある人を潰すのだ。

究極の自由主義社会だった香港

しかし、香港はもともと植民地だったのだから、限定された民主主義でも一歩前進なのではないかと思える。ところがそうではないらしい。

中国と香港は真逆の世界だった。中国は共産党が国民の安心・安全を考えてくれるという建前の共産主義社会なのだが、香港はイギリスが「港を使いたいから支配していただけ」という植民地だったのである。このためイギリスは香港の経済には不介入でだったし、年金制度も長い間なかった(ZAIオンライン)ようだ。つまり国に頼れないが経済的には豊かという地域だったことになる。香港政庁は最低限のことしかしてくれなかったが、香港の平均寿命は世界一なのだという。

ところが、この放任主義は長続きしないかもしれない。珠江デルタの大規模開発(粤港澳大湾区発展計画)が始まり社会主義的な開発が行われれば国の関与が増えることが予想される。また、米中貿易戦争の影響で仕事が東南アジアに流れたりすれば中国への反発も強まるはずである。こうした経済的な不満も政府への不満につながっていったようだ。

ついに台湾の情勢ともリンク

さらに複雑なことも起こっている。香港人の不満が台湾独立問題とリンクし始めているそうである。台湾独立問題とリンクすれば中国共産党は香港の民主化運動を無視できなくなるだろう。

我々は見たいフィルターをかけて他国の状況を見てしまう

このようにそれなりに複雑な香港情勢だが、先に引き合いに出したプレジデントオンラインの記事は「中国共産党が香港を抑圧している」という単純化された論調になっている。実際にデモを鎮圧しているのは香港政府なのだが、その辺りは無視されてしまう。一応ジャーナリストとして訓練されているはずの江川紹子もこのような調子になる。

中国は影では抑圧するかもしれないし間接的には指示も出しているのかもしれないが、あからさまにデモを鎮圧して国際世論の非難を集めるようなことはしないだろう。でも、時期が近いことで天安門事件と重ねた論考が出てしまうし、我々は思い込みからは完全に自由になれない。行政長官は審議を継続すると言っているが、ブレーンからは「今回はやめたほうがいいのでは?」という意見も出ている(香港の逃亡犯条例改正案、行政長官顧問「審議継続は困難」)ようだ。

ところが日本にはこれと別の流れがある。

日本では香港でもへの支援が広がっているようだが「自分たちの運動が見向きもされない」ことに対する代償を求めて集まる口実を作っているようなところがある。

さらに、1960年代の学生運動に批判的だった人・当事者として関わったが人生を棒に振ったと思っている人や、朝日新聞に代表されるインテリが嫌いな人たちがいる。彼らはリベラルが嫌いなので「民主主義国でデモを起こすのは彼らがわがままだからだ」と主張したくなるようである。ただ、彼らが本当に非難したいデモは日本の反原発デモや安倍打倒デモなのだろう。

相手が中国共産党ということになっているので、日本のデモを非難する体制よりの人が香港のデモを応援するというねじれも起きているようだ。

今回の件は香港特有の事情があって起こった問題のはずなのだが、我々はどうしてもそこに自分の意見を乗せて見てしまう。事実をそのままに見るのはなかなか難しいのである。

ViViの自民党キャンペーンが「炎上」する

ViViという雑誌の自民党キャンペーンが炎上しているという。Twitterだけで見ると確かにアンチしか反応していない。みんなが怒っているのに景品欲しさに「自民党いいね」という読者がいるとは思えないし「政治は面倒だから関わらないようにしよう」と考える人が増えるのではないかとすら思う。




この件にはいろいろ不思議な点が多い。

まずViViがなぜこのような「キワモノ」に手を出したのかが不思議である。ViViの自民党キャンペーン「#自民党2019」は、読者への裏切りではないのか。 元編集スタッフの私が感じたモヤモヤ。という軍地彩弓さんが書いた記事が見つかった。

日本の雑誌の総売上がピークを迎えた頃だ。1号あたりの広告費は数億円になることもあり、“赤文字雑誌”はまさに出版社のドル箱だった。しかし、2009年以降スマホが普及し、TwitterやInstagramなどのSNSが雑誌の役割を奪うと、雑誌の部数は減少する一方になり、当然広告収益も下がった。

ViViの自民党キャンペーン「#自民党2019」は、読者への裏切りではないのか。 元編集スタッフの私が感じたモヤモヤ。

軍地さんは書きにくいだろうから代わりに書くと「ViViは食うに困って政治に手を出したんですね」ということになる。モデルを使って読者を誘導するというのはファッション雑誌お得意のスタイルなのだろう。「みんなやっているよ」と言われればなびく読者は多いだろうからだ。

普通のマーケティングならギリギリ許されていた行為が政治に結びつくと「政治的扇動」ということになってしまう。だが、普段から政治や暮らしなどを考えたことがなく「ふわふわと生きている」大人たちにはそんなこともわからなくなっていたのであろうし、これからも理解することはないだろう。

大手雑誌の編集者といえば「憧れの仕事についたステキな勝ち組」として上からファッションを語る。こうした人たちは自分が才能があるから成功していると思っているはずで社会や政治に関心を向けたり困窮者に同情を寄せたりすることはないだろう。だが、実際の経済事情は火の車であり、なんとか虚栄の市(バニティ・フェア)を守られなければならない。そこで覚悟なく手を出したのが政治だったのだ。

さらに調べたところYahooに分析記事が見つかった。こんな一節がある。

米国とは異なり、日本のファッション「雑誌の広告主は政治関連記事掲載を許容」はしない気がする。今回、講談社が「政治的意図はなかった」とすぐに表明したのも、広告主の反応を気にしたからといってよい。

雑誌は政治的発言をして良いはず 『ViVi』と自民党のコラボが炎上した背景とは

こちらは「スポンサーを気にしているのではないか」という。つまり色がつくのを気にしたというのだ。政治を他人事と考える人たちはやっかいごとに巻き込まれるのを恐れて政治に近づかない。しかし軍地さんの分析と合わせると「そうも言っていられなくなった」ので大勢に媚びていったということになる。

ただこの記事は伝説のアナ・ウィンターを引き合いにしており、日本の「そんじょそこらの」編集者たちと比較するのはちょっと酷な気もする。

そう考えると、今まで「私は実力で成功でいるから政治なんか関係ない」と言えていた「キラキラした人たち」がそうも言っていられなくなり、「ステキな政治」を演出しようとして炎上したということになる。かなり救い難い話である。

二番目の論考にでてくるように、ファッション雑誌も「自分の頭で考える人」が作れば、政治的意見を持てないわけではない。アメリカではセレブが政治的な発信をするのは当たり前だし、それがマイナーな意見であっても「勇気ある発言だ」と賞賛されることがある。日本の場合は「周りの目を恐れて浮かないように」生きてゆくのが当たり前だとされている。ファッション雑誌にはその国の価値観が出る。

叩かれるのを恐れずに個性を出してゆくというのがアメリカだとすれば、日本は周りの目を気にして生きて浮く社会であるといえる。政治的な意見を持つというのが忌避されて当然なのだ。ただ、それはもう成り立たなくなりつつある。

今、雑誌よりも影響力が強いのはInstagramだが日本ではローラが世界標準に乗せてセレブっぽい社会問題を発信し続けている。仕込まれた感じはするが、これを見ている日本の読者は「社会問題に関わるのはかっこいい」と思うようになるはずである。韓国のタレントも社会奉仕活動や寄付には熱心でInstagramをフォローしているとその様子がわかる。結局取り残されるのは雑誌の方なのである。

今回のTwitterの反応を見ていると「広告には理想的なことが書かれているが自民党のやっていることと真逆だ」というようなコメントがついている。なるほどもっともだなとも思うのだが、考えてみればこれも不思議な話である。

女性が政治に興味を持って一定の塊を政党は無視できない。つまり、女性から政党という意見の流れはあるはずだ。今、自民党の政治が女性を無視しているのは女性があまり政治的な声を挙げないからである。そしてそうした雰囲気を助長しているのは大手の会社に守られた「周りに浮かないように素敵な人生を送りましょう」というメッセージである。つまりそれこそが政治的洗脳なのである。

「みんなと同じように生きていれば自動的に幸せが得られる」という社会ではなくなっていることを考えると、いわゆるみんなと同じね安心ねという「ファッション雑誌」というステキはもう存続できないのかもしれないと思う。

今回のキャンペーンがViViの読者にどれくらい響いたのかはわからない(読み飛ばされている可能性は極めて高い)のだが、もし彼女たちがそれを意識したとしても「なんか面倒だな」としか思わないのではないだろう。

だが、ViViの読者たちもすぐに子育てとキャリアの両立というような政治的課題に直面することになる。そうなると世の中から置いて行かれるのはファッション雑誌である。彼らはもはや時代の最先端ではないのだ。

経常収支黒字国 – 日本の歴史的ラッキー

これまで「日本はうまくいっていない」というような文章を多く書いてきたのだが、「必ずしもそうでない」ということを書いてみたい。




韓国の経済がうまくいっていないのだという。ダイヤモンドオンラインが韓国「ウォン」の下落が示す、文政権の失策と韓国経済の厳しい現実という記事を出している。韓国を引き合いに出すと「メシウマ感情だろう」と思われるかもしれないのだが、隣国の経済を見ると日本の経済がよくわかる。ラッキーだったということもわかるし、その幸運がいつまでも続かないであろうということもわかるのだ。

ダイヤモンドオンラインの記事は主に文在寅政権の失策という観点で書かれている。もちろん、それだけでもないとは思う。韓国は後発先進国なので資本面で不利な立場に置かれ続けてしまうのだ。貿易に依存している韓国では国際貿易が滞ると収支が赤字になる。外国からの投資を受けているので利払いをしなければならないからである。そしてこの「貸し手と借り手」というポジションがなかなか消えてなくならないし、何かあった時の余剰貯蓄がない。

なお、経常赤字転落の背景には、海外への配当金支払いという要因もある。例年4月に韓国企業は海外投資家に配当金を支払い、所得収支の落ち込みから韓国の経常収支は他の月よりも少なくなる傾向にある。

韓国「ウォン」の下落が示す、文政権の失策と韓国経済の厳しい現実

米中貿易戦争が激化すればこの状況は長引くだろう。そうすると政府が財政支出を増やして乗り切らなければならない。かといって国内企業に潤沢な資金はない。だから、企業から国家への貸付もできない。後発先進国の取れるオプションは日本以上に少ない。このため、とりあえずなんとかしようと急激に最低賃金を上げてしまったために足元の経済さえも冷え込ませてしまっている。こうなると「リベラル政権はやはりだめだ」ということになってしまうのだ。

こうなってしまったのは何も韓国がダメな国だからではない。韓国が後発先進国だからである。先発先進国はすでにインフラ投資が終わり、資金を貸す側に回っている。その代表がドイツと日本だ。日本では企業が大きな貸し手になっていて、海外企業と日本政府に国債という形で貸し付けている。(ダイヤモンドオンライン

日本は単に黒字というだけでなく、ドイツについで二番目に経常収支の黒字額が高い国なのだ。日経新聞は国際収支発展段階説というコンセプトでこれを説明している。日経は5段階目と言っておりこの後取り崩し段階に入る(コトバンク)はずだ。しかし、少なくともあと一世代くらいは余裕がありそうである。

実は日本の課題は、貸付で得た余剰資金をなんらかの形で国内市場に還元して余裕があるうちに次世代型の人材と市場を育てることなのである。先発先進国にはモデルがないので自分たちでモデルを作って行かなければならない。これはこれで大変なことなのだ。

韓国はこのまま「先進債権国」に利子を支払うために働かなければならない。つまり自分が得意なものを伸ばして行こうなどというような贅沢は許されず、海外に売れるものを作り続けなければならない。K-POPでいうと海外で受けそうなものをいち早く見つけて歌って踊り続けなければならない。だが、日本はそこを先に抜けてしまったために、その気になれば「自分たちが得意なものを伸ばそう」と考えられる余裕がある。にもかかわらず日本人はなぜか後発先進国(韓国)や中進国(中国)と張り合ってばかりいる。一度染み付いたマインドセットからなかなか抜け出せないのだろう。

MMTのように「いくらでも国債を印刷していい」というのは国債の裏打ちが徴税権であることを考えると戯言だとは思うのだが、そんな戯言が成り立つのは日本が債権国だからなのだ。

こうした状況を冷静に把握するためには他国の事情について冷静に観察すべきである。妙に侮ってはいけないし、逆にあまり悲観的になりすぎてもいけないわけである。

開いたパンドラの箱 – うっすらと広がる年金不安

テレビ朝日が「老後に2000万円足りなくなる」問題を煽っている。このままではパンドラの箱が開きそうだ。安倍総理は一度年金問題で退陣に追い込まれており、これが再現できるのではという狙いもあるのかもしれない。




金融庁は投資機関のために「貯蓄から投資へ」と煽っているようだが、本当にそんなに貯金できるのかという論調で始まったプログラムだが、長年年金システムを取材している玉川さんの追求はそれでは終わらなかった。

玉川さんは「政府は100年安心年金プランと言っている」が実は危ないのでは?と言いだした。もともと年金は積立方式だったそうなのだが、政治家が「今使わないんだったら」と使い始めて積立金が足りなくなったという経緯があるそうだ。積み立てではつじつまが合わなくなったので「世代間の助け合い」という賦課方式という言い方を発明したというのである。

とにかく、彼らには年金制度はこのままでは持たないという認識がある。羽鳥さんも「みんなうっすらとそう思っていてやっぱりそうかってなってますよね」と重ねる。玉川さんは、積み立てにするとこの問題は解消するのだが、積み立てに戻す原資が足りないので「損を切り離して100年くらいかけて税金で補填するしかない」というような破綻処理の話までしていた。

この問題は「不安になればどこまでも不安」になる。かといって裏の取りようもないし対処方法もない。非正規雇用で働いている人にこれ以上貯蓄しろというのは無理な話だし、ギリギリの公的年金で暮らしている人にも対処のしようがない。

ここから「100年安心プランというのはそもそもなんだったのか」という話になりそうである。TBSでは決算委員会で蓮舫議員が総理大臣を追求した様子を伝えていて、その後に「小泉政権と公明党が100年安心と言っていた」というような話をしていた。「経緯の説明」と称して2007年の選挙で負けた時の安倍首相の顔がテレビで繰り返し流れれば一定のサブリミナル的な効果はありそうだ。選挙って空気で決まるんだなと改めて慄然とさせられる。

ちなみに100年神話を言い出したのは2004年の公明党なのだという女性自身の記事が見つかった。女性自身は政府に批判的な立ち位置のようである。2004年といえば北朝鮮電撃訪問があった年で政治家の年金未納問題が大きな問題になっていた。民主党が自民党の年金未納の問題を追求した結果「ブーメラン」が菅直人議員にぶつかったというような話である。ちなみに安倍首相が退陣に追い込まれた「年金記録問題」が起きたのは2007年であり未納問題とは別の問題である。

そもそも年金システムは100年安心なのだろうか。

調べたところ野口悠紀雄の2010年の文章が見つかった。もともと日本の年金は積立方式だったので年金が破綻するという問題が起こるはずはなかったというところまではテレビ朝日と同じことを言っている。制度設計は積立が前提になっているのだという。ところがなぜか今は賦課方式だと説明されている。賦課方式だと説明するのは、物価スライドによる支給額調整と保険料の引き上げという新しい政策との性豪性を取るためなのだそうだ。

ところが野口さんの文章はここで終わっている。続きは本を読んでねということなのかもしれない。つまり誰が賦課方式と言いだしたのかはわからない。

さらに別の記事が見つかった。これも2010年のものだ。今のやり方では年金は2032年に厚生年金が破綻するというのである。現役で払う人が減り貰う人が増えるからである。このような主張があり玉川さんの「損を切り離す」認識につながってゆくのかもしれない。これを払拭したとされたのが「生まれ変わった」安倍政権である。だから今の高齢者は安倍政権を支援する。

今回「野党が自民党を攻撃するだろう」と言われている予算委員会だが、実は民主党にいたひとは「今のままでは制度が持たない」ことをよく知っている。だから彼らは対案を出さない。決算委員会で蓮舫議員が追求だけしている裏にはそういう事情がある。だが、TBSのニュースは「蓮舫さんが言ってくれた」というような扱い方になっていた。多分これを見た高齢者は「自民党がちゃんとしていないだけで、蓮舫さんに叱らればシャキッとするのでは?」と考えるのではないかと思う。つまり、選挙に影響は出ないのではないかと思うのだ。

だが、識者たちの間の危機意識はそれほど変わっていないようだ。野口悠紀雄は2018年になって「年金では暮らしが賄えないので老人も働け」と言っている。これは金融庁と同じ立ち位置である。

今回の騒動がどこまで広がるかはわからない。自民党が気に入らないにしても代替与党はなく、高齢者は正常性バイアスを働かせて自民党を支持し続けるかもしれない。少なくともうっすらとした不安は広がり高齢者は防衛意識を強めさらに消費しなくなるだろう。

テレビ朝日は、今回の金融庁レポートの狙いを「株を買い支えるために民間の資金を投資に入れたかったのではないか」とか「低金利だから投資してもらって手数料収入を稼ぎたいのでは」などと説明していた。だとすれば、金融機関支援のために大きなパンドラの箱を開けてしまったといえるだろう。

このパンドラの箱を開けた麻生さんだが「もうじき引退するのでは?」と囁かれているそうだ。国会ではさらっと「レポートは読んでいない」と言ってのけた。

年金が減らされる? NHKの反乱

野党が望んでいる予算委員会を拒み続け、選挙の目玉だったスーパーシティ法案を流してまで争点隠しをしている安倍政権なのだが、思わぬ不確定要素が出てきた。「年金が減らされるかもしれない」というニュースが出たのだ。




まず金融庁が「老後には2000万円が必要だ」という報告書を出し、それを麻生副総理が得意げに記者に語った。麻生さんは火消しを図ったが不安がくすぶっているようだ。ところがこれに重ねてNHKが「年金支給水準が下がるが結果を隠して参議院選挙をやるらしい」というニュースを流してしまった。

この一連のニュースがどう投票に影響するかはわからない。もし高齢者が今の暮らしに余裕を感じていれば「ああ、時代は投資なんだな」と考えて自己防衛のために資産を投資に移すだろう。だが、「今更投資などと言われても困る」となれば自民党の政治に不安を覚えることになるはずだ。このどちらに転ぶかは選挙をやってみないとわからない。

高齢者たちが安倍政権を支持してきたのは「年金は100年安心だが民主党に任せていたらなにをされるかわからない」と思っているからである。これが崩れた時、自民党は支持されなくなるだろう。だが、よほどの事態が起こるまでは正常性バイアスが働くのではないかと思われる。

いずれにせよ高齢者が頼みにしているNHKは「物価が上がるし年金が下がる」というニュースを流している。ここで具体的な行動に出られる人やもう投資に資金を回している人は安心だが、そうでない人は不安を怒りに変えるはずだ。

それでも自民党が実効性のある成長戦略を出してくれれば問題は解決するはずである。具体的には「スーパーシティ」という新しいワードが出て、そして消えていった。記事を読むと加計学園問題でケチがついた戦略特区の「衣替え」を図ったことがわかる。包み紙を変えればまた使えるかもしれないというわけだ。なんだか日本人が好きそうな強そうな単語が羅列されている。

政府は7日、人工知能(AI)やビッグデータなどを活用した都市「スーパーシティ」を実現する国家戦略特区法改正案を閣議決定した。車の自動運転やキャッシュレス決済、遠隔医療などを一体的に取り入れたまちづくりを目指す。

スーパーシティ法案を閣議決定 規制緩和、首相が省庁に要請 

選挙には手土産が必要である。自民党は「地方への手土産」としてこのスーパーシティ法案を考えていたのだろう。これがどうなるかはわからないがとにかく自民党議員が選出された選挙区でないと「選考すらしてもらえませんよ」と言えば良い。「野党に入れたらどうなるかわかっているんですね?」というだけで十分なのである。

中身がないうえに加計学園の問題を蒸し返されかねないので、後半ギリギリに閣議決定したのだが「審議時間が足りないから延長も」ということになった。予算委員会を開かないのにこの法案だけ通してくださいなどという虫のいいことができるわけはない。公明党はさほどこだわっていなかったことから、自民党が「選挙のためならなんでもあり」という状態になっているのがわかる。

日経新聞が全文を掲載している自民党の選挙公約には、なぜか外交・安全保障が最初になっており、三番目に経済が来ている。一方で、自民党の候補者たちが気にしているであろう地方への分配には具体性がない。唯一具体的な提案は地方に戻ってきた学生に300万円支給するという案と人出不足を解消するために外国人を導入するという話だけである。あとは人工知能やビッグデータという言葉で「地方がなんだかすごいことになるかもしれない」という幻想を振りまいている。

なんだかめちゃくちゃな選挙準備だが、それでも有権者は自民党を応援するんだろうなあと思う。もうこうなると「これくらいが今の国民にはふさわしい政党なんでしょうね」くらいのことしか言えなくなる。高齢者にとってみれば今の日本が成長しないのは若者がだらしないからだし、自分たちの生活が続けられるならそれでもかまわないわけだ。