ヤノマミ – 殺し合う人たち

ホッブスの万人の万人に対する闘争という言葉がある。この言葉を地で行く部族がいる。「5万年前」にはアマゾンに住むヤノマミ族に関する記述がある。彼らには殺し合いをしてはいけないという掟はないようだ。逆に人殺しの経験がある男性は、妻の数が2.5倍ほど多いのだという。アフリカ南部に住むサン族にもプライバシーや私有財産という概念がない。権力者がいないので、調停の方法は、話し合い→決闘→殺し合いというように進むのだそうだ。

よく、人殺しをした人はすべて死刑にすべきだという議論がある。人の命と命を対価交換しようという理屈だ。この等価交換理論を突き詰めてゆくと、欲望を満たす為に自分の命をリスクにさらしてもいいと思うのであれば、人を殺してもよいということになる。現代社会に住んでいる人たちはこの可能性を排除するために「人はもともと人殺しなどできないようにできている」とか「人の本性は善だ」と言ったりするのだが、サン族やヤノマミ族の事例はそれが本当ではないことを示唆する。

それではなぜ「人殺しをしてはいけないのか」という答えも彼らが教えてくれる。ヤノマミ族の集団はこの社会構造のためにある一定以上の数を越えることができない。争いが深刻になると群れは分裂し、別の場所に移動せざるを得なくなる。財産は蓄積できないかもしれないし、知識も溜まってゆかないだろう。結果として大きな差が広がってしまうことになる。

争いが人殺しに至る前に調停ができるということは人間の社会が安定化するためには有利だ。権力者が裁定するというのが考えられる。また、宗教的な権威(正しさ)も調停原理として働くだろう。そして権力が民衆の手にゆだねられた社会では人々が歴史的に蓄積した「法律」によって調停することになる。

ここで疑問に感じるのは原初の社会にはなかったかもしれない殺人のあり方だ。例えば、イライラが募り何の対価もないのに人殺しを実行するというのは、一つの逸脱だと考えられるだろう。こうした殺人が頻発し、防ぐための有効な手段がみつからなければ、群れは滅んでしまうかもしれない。

社会がここまで発展する経路はひとつではなかったようで、それぞれの社会がバランスを取りながらなんとか発展してきた。「協力」と「闘争」もその一つだ。生き残っていることを見ると、我々はなんとかそのバランスを崩さずにここまで発達することができた人々の子孫だということがいえる。しかし、今生き残っているということは、これからもこのバランスが取れるかどうかを保証するものではない。

殺人と厳罰化を議論する前に、どうして人殺しの代償として命を奪ってしまう社会が多数派でないのかを考えてみるとよいだろう。そこにはやはり何らかの理由があるのだ。

ヤノマミ族についての観察がある。
http://www.ne.jp/asahi/wepjapan/net/sekinoyoshiharusan3.htm

自閉症と表情の読み取り

朝日新聞に面白い記事が載っていた。『自閉症、ホルモンを鼻に噴射して改善 東大チーム』

この記事を読んで面白いと思ったのは「経度の自閉症」と呼ばれる、意思疎通に問題を抱える人の症状についてだだ。記事によると彼らは、他人の表情や声色を読み取るのが苦手らしいのだが、その率は健常者の84%もある。これを0.96 X 0.84と計算してよいなら、正解率は8割もあることになる。もちろん「経度の」ということなので、個人差はあるのだろう。それでも「症状として認知される」くらいだから、問題は顕在化しているのだろう。つまり、今の社会で「お互いの表情を読み合う」能力はかなり高くなければならないということになる。

朝日新聞では東京大学の研究を掲載しているが、ネットでは金沢大学の取り組みがヒットした。オキシトシンと自閉症の関連を最初に見つけたのは金沢大学のようだ。金沢大学のページによると、オキシトシンによって表情読み取り以外にも生活の質が向上する事があるらしい。

この記事を読んで別の疑問も生まれた。最近では「自閉症」という言葉への理解が深まり、発見される率も増えてきているのだろう。しかし、例えば戦後すぐにうまれた人たちの中には、こうした「問題」を持ちつつも、自閉症という診断名を持っていない人もいるのではないかと考えられる。アメリカで自閉症が「発見」されたのは1943年の事だそうだ。また、知能が正常程度だがコミュニケーションに問題がある高機能自閉症はそれよりも遅れて認知されたらしい。(Wikipedia

こうした人たちは、他人の言っている言葉の意味が良くわからない。例えば、にやにや笑いながら、親愛の情を示すつもりで「バカだなあ」などと言われたときに、本気で怒り出してしまうということも考えられる。また、愛着が他のひとよりも薄い可能性がある。

男性の場合「男は黙っているべきだ」という価値観があるために、こうした問題は表面化しないだろう。しかし、表面化しないので「あの人は冗談が分からない」とか「家庭での何気ない会話(こうした会話は会話自体にはほとんど意味がない)に混じれない」といった、弊害があっても顕在化しないかもしれない。その弊害といっても経度の場合は、わずか2割程度の微妙な会話が分からないだけなのかもしれないのだ。

女性の場合には別の問題があるだろう。かつては「女であれば子どもさえ生まれれば即座に情愛が湧くはずだ」とされていたわけで、「子どもがカワイイと思えない」(オキシトシン不足なのだから当然なのだが)とか「子どもが自分に愛情を向けているのか分からない」などと言った問題が出てくる可能性がある。つまり「母性に目覚めない」のだが、それを「個人的な問題だ」と感じていた人がいただろうということである。

この記事では「既に自閉症だということが分かっている人」と「オキシトシン」について書かれているのだが、実際には「自閉的な傾向を持つものの、それが生涯発見されなかった人」と親子関係を持っている人が「親だったら当然持っているであろう親密な関係」を築けなかったという可能性も示唆しているのだと思う。

100x100戦後「家」は社会的制度からより親密でプライベートな存在へと変化してきた。このため、プライベートな空間で親密さを築けないことは、重大な問題になりえる。また、社会生活においても「表情を読み合う」必要性が増しており、ちょっとした表情が読めないことが深刻な問題になり得るのだ。

おせち料理の歴史的変化

ファッションにおける権威と民主主義について考えているうちに、 このプロセスが巡りしたらどうなるのだろうかということが知りたくなった。ファッションを見ていてもよい事例が浮かばないので、考えついたのが「おせち料理」である。

お正月は日本の伝統を感じさせてくれる数少ない機会だ。その伝統がどこから来ているかは分からないが、なんとなく朝廷料理から来ているような印象がある。つまり朝廷料理を基本とした「本物のおせち料理」というものがあるはずで、そこから逸脱した「偽物」もありそうだ。

冷泉家のお正月料理について記した本には次のような記述がある。それによると、ごまめ、カズノコ、タタキゴボウ、黒豆、くわいなどがお膳に載っている。また、塩鯛が1人に1匹付く。さらに、四重の重箱があるが、煮しめ以外には決まり事がない。つまり、おせち料理にとってお重はあまり重要ではないらしい。

聞き書・ふるさとの家庭料理〈20〉日本の正月料理この正月料理を考察している。全国調査によると、うどん・スシ・小皿料理などで、年始客をもてなす地方も多いらしい。重箱(これをお重詰めという)を使うのは名古屋と近畿圏が中心だ。「祝い箸」といって正月の間だけ箸を新しくするのは、京都と大阪でしか観測されない。さらに箸袋に名前を書くのは大阪だけだ。

この本の考察によると、正月料理には、年末の年取り膳、飾りの組重、正月のお膳、雑煮がある。このうち、関東で「おせち」と呼ばれていたのは、組重ではなく正月のお膳だ。今、私達が「おせち料理」と呼んでいる三段や四段のお重のことを、関西では昭和三十年代頃まではお重詰めと言っていたのだそうだ。

現在でも天皇家には正月に来客があり「お膳」が振る舞われる。しかし、その内容は質素なようである。そもそも普段の食事から質素なようで皇室の食卓によると、食べている魚も大衆魚だ。

今見られる豪華なおせち料理は「宮廷の儀式料理がルーツになっている」と主張する人たちも多い。これは、実際に口にする料理(お膳)と神様にお供えする飾り物(食積/重詰め)が混同されているからである。関西では三が日は鯛を食べずに重箱に詰めておく「睨み鯛」という習慣が残っている。この重詰めが、江戸や大坂の料理屋で洗練されて江戸時代には原型になるようなものが完成したとされる。つまり、現在のおせち料理の直系の先祖は料理屋の料理なのである。「皇室が権威だ」と考えるのであれば、豪華な料理は神様にお供えし、自分たちが食べるものは質素なものにしなければならない

では、今のような重箱詰めの「おせち料理」が完成したのはいつなのだろうか。関西でお重詰めが「おせち」と呼ばれるようになった昭和30年代から40年代頃なのだろうか。昭和50年に発行された土井勝の四季の献立 – おもてなしから毎日の献立まで (1977年)に出てくるおせち料理は、重箱料理ではなく大皿料理だ。土井勝はNHKの「今日の料理」に初期から関わっており、NHKが重箱詰めの料理を「おせち料理」として広めたという説も成り立ちそうにない。

となると、残るのはデパートだ。戦後核家族化が進み、テレビで「伝統料理」を学ぶようになり、徐々に本来あった正月料理が忘れられて行く。そして残ったのが、江戸時代の料理屋が枠組みを作り、デパートが継承した「おせち料理」だったというわけである。

100x100今でもおせち料理の本を読むと「おせち料理には決まりはない」と書いてあるものが多い。伝統を重視した場合「おせち」とすら言わず、「正月料理」と書いてある。にもかかわらず、再構成された伝統を見ている私達は、なんとなく正解のようなものを持っていて「中華風のおせち」とかお膳に盛られた「新作おせち」のようなものを見て眉をしかめたりするのである。

ヒトラーの思想はいかにして生まれたのか

今回は多様性について考えている。英語やドイツ語では健康な状態を「whole」という単語で表現する。これを日本語にすると「まっとうな」だろうか。ここから何かが欠落すると流れが失われる。流れが失われると何が起こるのかというのが今回のテーマだ。極めて単純にいうと、暴走が始まるのである。

ヒトラーはオーストリアで生まれた。父親は私生児(つまり、祖父が誰だということが分からない)だったのだが、その事は後に問題になる。画家を志すが挫折し、ウィーンの底辺で生活する。このころに様々な「思想」に触れる。当時、ドイツ民族はそのアイデンティティを模索中であり、ロシアでは社会主義が姿を現しつつあった。ヒトラーが身につけたのは、そうした知識の寄せ集めだった。今で言うと、ネットで集めた知識を元に偏った思想を強化してゆくのに似ている。

ヒトラーが寄せ集めの知識から思想をでっちあげる

ノーマン・デイヴィスは、『ヨーロッパIV 現代』の中で、白人に共通の気質を見つけようという取り組みを「有りもしないもの」と一刀両断にしている。つまり、アーリア人というのは科学的事実ではなく、思想(あるいは幻想)であるということだ。

ともかく、ヒトラーはそうした知識を寄せ集め、「思想」を作り上げた。ドイツをドイツ人の手に取戻すということと、そのためにはドイツの東側に生存のための領域が必要だというのが、その主旨だ。

いったんはクーデターのような形で政権奪取に失敗した後、大衆を煽動することに成功した。ここから彼は民主主義のルールを一切破らずに、ドイツ全体に君臨することになる。

でっちあげられた思想が現実を変えようと取り組む

『ヨーロッパIV』を読み進めると、いささか気分が悪くなってくる。思想が寄せ集めなので、冷静に考えれば論破できそうなものなのだが、ドイツ国民はヒトラーを支持した。第一次世界大戦にも負けて、多分「考えるのを止めた」のではないかと思う。唯一この狂気を説明できる論理は次のようなものである。

思想が寄せ集めの場合、現実との間に差違が出てくる。すると普通は「ああ、思想が間違っているんだな」と考えるだろう。しかし「現実が有るべき姿ではないのだ」と考えることも可能である。つまり、現実から「有るべきでない姿」を切り取ってしまえばいい。

ヒトラーに率いられたドイツ人はまさにそれを実行した。ポーランドの知識層を殺し、近隣諸国に攻め入り、ユダヤ人や障害者などを「効率的に」抹殺しはじめた。今もって何人のユダヤ人が殺されたのかは分かっていないものの、だいたい400万人から600万人が殺されたそうである。

現実をいくら変えても、出発点が間違っていては、幸せになれない

しかし、ヒトラーはそのことで幸せにはなれなかった。極秘裏の調査の結果、自分の祖母がユダヤ人らしい家庭に奉公していたことを突き止める。確かな証拠はないものの、自分がユダヤ人の血を引いているかもしれないのである。部下に命令を出し、故郷の村を爆破する。

ヒトラーは「全ての権威あるものが自分の価値を認めている」と主張しつつ、言いようのない自信のなさにうちひしがれる。ソ連軍が検死した時には「自分で自分を去勢しようとしたのでは」という疑いがかけられたそうだ。自殺する直前まで結婚をしなかった。『ヨーロッパIV』では自分が父親になることを怖れた可能性が仄めかされている。

一言で表現すると「狂っている」で終ってしまうのだが、ヨーロッパ全体がこの狂気に巻き込まれたというのはまぎれもない事実である。民族や国民国家という概念が急ごしらえで作られていた、この当時のヨーロッパには「それぞれの価値観を持った人たちが、共存する」という多様性は失われ、純粋さを取戻すという名目で、大規模な殺人が効率的に行われることとなった。

多様性が失われたことでこうした暴走が起こったというよりも、実は健全な状態には多様性が含まれていると考えた方が分かりやすい。状況が不健全化すると「純化しなければ」という運動が起こり、自身を攻撃し始める。これが「多様性を損なう」ことになるということだ。そこで起こるのは成長どころか、自身の破壊である。

また、現在の欧米人のエリート層はこうした歴史を学んでいるというのも重要な点だろう。だから「国民国家」という概念に対して懐疑的な見方をするだろう。それを考えると、日本人の手に日本を取戻すというような主張が、どのように響くのかということがよく分かるのではないかと思う。

キプロスとお金の話

しばらく前に「キプロスの銀行が大変なのだ」というニュースを聞いた。ところが日本ではあまり伝えられる気配がなく、伝えられたとしてもEUとの関係で少し触れるだけという感じだ。ところが、この話について少し考えてみるといろいろなことが見えてくるように思える。

まず、疑問を並べてみる。

  • なぜ、キプロスは国にはお金があるのに(GDPの8倍もある)経済破綻の危機に直面しているのか。
  • メドベージェフにとってキプロスと北方領土の共通点は何か。
  • 日本銀行が金融緩和してもインフレにならないのはどうしてか。

キプロスの金融危機について、納得の行く説明をしてくれたニュースショーは皆無だった。日本には以前銀行口座が封鎖された歴史がある。そのために「報道を自粛しているのだろう」という人もいる。

唯一、なんとなく分かったように思えたのは、キプロスは昔からロシアの金融オフショア先になっていたというネットの記事だ。どうやら、お金は「お金A」と「お金B」に別れているらしい。お金Aは人々が何かを買うために使う手段だ。しかし、お金Bは「貯めて増やす」ものであり、お金Aとは分離されている。ロシアのお金持ちたちは、儲けた金を国内ではなく海外に逃避させた。これをオフショア金融というのだそうだ。しかし、キプロスの銀行はギリシャ危機をきっかけに資金の一部を失ってしまう。銀行が潰れると、ロシア人のお金持ちたちは資金の一部を失うことになる。

なぜ、ロシア人たちは自分たちで稼いだお金を国内ではなく海外に預ける必要があったのだろうかという点が次の疑問になる。この点についてはよく分からないものの、キプロスが小さな国であり、なおかつロシアと宗教が同じであるという点が重要らしい。さらにイギリスの植民地だった経緯がありビジネスインフラが整っていたことと、EU圏だということも重要なのではないかと思われる。つまり、ロシアにとってキプロスは、EU圏に開かれた出島のような存在だったということになる。EUの立場から見ると、自分の圏内にロシアの出先があるのは面白くなかっただろう。単に規模が小さいから潰すのではなく、この機会に「オフショア金融」を潰したいと考えても不思議はない。政府からみるとそれは「脱税行為」だからだ。

すると、メドベージェフが言った「北方領土をオフショア基地に」という言葉の意味が分かる。ロシアにとって北方領土は「円経済圏の出島」になれる。領有権問題を棚上げにして共同運用区域にすれば、日本の税制もロシアの税制も完全には及ばない(逆に言えば、両方の影響力が等しく及ぶ)区域を作る事ができる。ロシアはEUと日本の間でバランスを取りながら、両方のいいとこ取りができるだろうし、日本の政治家たちにもうまみがあるかもしれないと考えても不思議ではない。

このように世界のお金は、国民の懐からオフショア勘定に流れて行くような仕組みができあがっているらしい。この事が正しければ、いくら金融緩和策を取っても一般消費者が関与する物価が上がらないことが説明できる。これは結局、税金として戻ってこないことを意味する。

お金がそのまま消えてしまえば、それはそれで問題がなさそうだ。しかし、実際には株式、国債、土地、資源、小麦などの農産物などの価格をつり上げる「バブル」が起こる。だから、「株がちょっと上がった」くらいで喜んでいてはいけないのだろう。しかし、バブルを経験した事があるおじさんたちが支配的なマスコミはもウキウキらしい。投資信託や株の本を読んでいる高齢者も多いのではないかと思う。つまり、多くの日本人(多分政治家も含めて)にとって、お金にはAもBもないのだろう。また、経済についての考え方にも一定の「しばり」がかかっているに違いない。1980年代の物の見方が支配的なのだといえる。

メドベージェフの言う事をそのまま受けるのはあまり得策とは言えそうにないが、日本はロシアの提案を戦略的に検討することができる。アメリカとロシアの間でバランスを取りながら、政策選択ができるからだ。ところが安倍首相は「優等生」のように見えるので、このような「リスクを伴う」政策を検討する事はできないだろう。「日本にとってアメリカとの同盟が基軸です」というのが、日本にとっての唯一の正解であり、ここから外れることはない。

例えば、多くの国民はロシアに譲歩することは受け入れがたいと感じるだろう。たぶん選択肢として俎上に載せただけで「売国・親ロシア派」というレッテルが付くのではないかと思う。これも戦後すぐに作られた感情的なフレームをそのまま維持していることによる弊害だ。だから、ロシアと「取り引き」して「新しい金融ゾーンを作ろう」などと言い出せば、国賊扱いされた上でTPP以上の大問題に発展するに違いない。戦後すぐに構築されたマインドセットに縛られていると「北方領土にオフショアセンターを作るとは、さては返す気がないというサインだな」などと読んでしまいかねない。

マスコミがこの件をあまり熱心に伝えないのは、キプロス問題が、基本的にはEUの問題だと考えられているからではないかと思う。だから、EUがこの問題を処理できさえすれば問題は解決するのだろうと思っているのだろう。ところが、実際にはもう少しだけ多面的な広がりを持っているのではないかと思う。

日本はどうTPPを取り扱えるかということを3年も逡巡している。背景にあるのは、アメリカの機嫌も損ねたくないし、戦後すぐに作られた農業利権も損ねたくないという「解答のないパズル」だ。それぞれ一定の時期に作られたマインドセットである。そもそも動けないのだから、新しいスキームが入り込む余地はない。日本が動きを止めている間にも、事態は大きく動いている。しばりから自由になれれば、いろいろな選択肢が手に入るだろうし、今考えている経済政策には実は誤りもあるのではないかということが分かるだろう。

日本人はマインドセットを変更せずに、問題をどのように処理しようかと考えている。このために、周囲で起きている様々な問題が不安定で恐ろしいものに思えるのではないかと思う。

このように、マインドセットは人々の選択肢を大きく制限して物事に対する理解を限定的にしてしまうのである。

トウガラシから見えてくるもの

インド料理について調べていて興味を持ったので、トウガラシのことを調べてみた。なかなか面白いことが見えてくる。

トウガラシは中米(現在はメキシコ説が主流らしい)原産のナス科の植物だ。にも関わらず、トウガラシ料理を自国の文化と結びつける民族は多い。例えば韓国と日本を比較するのに「トウガラシとワサビ」という言い方をする人もいるし、インド料理やタイ料理にはトウガラシが欠かせない。

新大陸からヨーロッパに渡ったのはコロンブスの時代であり、それ以前のインド料理にはコショウはあってもトウガラシの辛さはなかったはずだ。こうした料理を見るとグローバル化という言葉が使われる以前から、世界の交易が盛んだったことが分かる。

トウガラシの叫び: 〈食の危機〉最前線をゆく』は、気候変動とトウガラシの関係について書いた本だ。邦題を読むと、いたずらに悲壮感をあおる本のように思えるが、実際にはトウガラシとアメリカ各地の人々の関係について実地調査した「明るめ」の本だ。

この本を読むと各地のトウガラシ – 日本人はひとまとめにしてしまいがちだが、実際には様々な品種がある – とのつながりと「トウガラシ愛」が分かる。気候変動によって引き起こされたと思われる水害によって壊滅的な被害を受けた土地もある。気候変動が将来の可能性の問題ではなく、いま目の前にある現実だということが強調されている。その一方で、過去には育てられなかった作物が収穫できるようになった土地もあるそうだ。

『トウガラシの叫び』は作物の多様性についても言及している。農作物も産業化しており、大量に収穫が見込めるトウガラシがローカルのトウガラシを駆逐して行くことがあるそうだ。それぞれのトウガラシには固有の風味というものがあり、それが失われることで、食べ物の多様性も失われて行くであろう。各地のトウガラシ栽培には、先祖たちのストーリーがある。それが失われるということは、すなわち先祖とのつながりや誇りといったものが切れてしまうということを意味する。

その事は、『トウガラシの文化誌』からも読み取ることができる。この本も人々のトウガラシ愛について言及している。

両方の本に書かれているのが、タバスコ・ソースについての物語だ。現在に至るまでルイジアナの一家が所有した企業によって作られているタバスコ・ソースは、南軍の兵士がメキシコのタバスコ州から持ち帰ったトウガラシから作られている。この一家の先祖は、北軍による攻撃を受けてその土地を追われてしまった。戦争が終わって戻ってくると土地は荒れ果てていたのだが、ただ一本残っているトウガラシを見つけた。タバスコペッパーは生きていたのだ。そのトウガラシから作ったソースは評判を呼び、今では世界中で使われている。

このようにトウガラシから分かることはいくつもある。地球温暖化や気候変動は身近な作物 – つまり私達の生活 – に影響をあたえている。多様な食文化は、食材の多様性に支えられている。グローバル化はそれを脅かしつつある。一方で、伝統的に思えるローカルな料理も実はそのグローバル化の影響を受けて変質している。変質してはいるものの、世界の人たちはおおむねこの変化を歓迎しているようだ。

トウガラシに着目するといろいろなことが見えてくる。理屈だけを見るよりも、具体的な物や人に着目する事で、問題についての理解が深まる。

さて、世界の人々がトウガラシに愛着を感じるのはどうしてなのだろうか。

トウガラシにはカプサイシンという成分がある。ほ乳動物はこの物質を摂取すると舌に痛みを感じる。ところがこのカプサイシンを少量だけ摂取すると体温が上がり、ランナーズハイに似た症状を感じるらしい。エンドルフィンなどの鎮痛成分が生じるためと言われている。

また食べ物の味を明確にする機能があるようだ。よく「辛いものばかり食べていると舌がしびれてバカになる」と言う人がいるが、実際には逆らしい。このことは日本人の好きなスシとワサビの関係を見てもよく分かる。ワサビの辛みが加わる事で、味に「枠組み」のようなものが生じ、うまみが増すのが感じられるからだ。

麺とグローバリゼーション

CIMG3509最近、秋に収穫をしたトウガラシを使ったペペロンチーノを作っている。

単純なパスタだが、水とオリーブオイルを混ぜ合わせる乳化という作業があり、なかなか難しい。

単純なだけに却って熟練を要するように思える。なんとなく挑戦しがいがある料理なのだ。

さて、パスタといえばイタリア料理である。日本風の食材を使うと和風のペペロンチーノができる。ほとんどそうめんなのだが、それでもなぜか「これはイタリア料理なのだ」という気分になる。多分スパゲティのソースもイタリア風の名前をつけたほうが売れるに違いない。

なぜヨーロッパではイタリア人だけがパスタを食べるのか気になって調べることにした。以下『ヌードルの文化史』を参考にした。

小麦は中央アジアからイランのどこかに自生していたイネ科の作物だ。これを乾燥させて持ち運んだのもこの地域の人たちなのだそうだ。これが東に広がり「麺」と呼ばれ、アラビア経由でヨーロッパに持ち込まれたのが「パスタ」だ。中央アジアやロシアにも小麦を加工した食品は広く食べられている。

イタリア人も古はからパスタを食べていたと主張する。当初彼らが食べていたのはヌードル状になったパスタではなく、シートになった今でいうラザニアのようなものだ。パスタはエトルリア時代の遺跡からも見つかっているのだそうだ。

現在の「パスタ」はシチリア島に持ち込んまれた。シリチアは当時イスラム圏だった。そこからジェノバやナポリに広がり、ナポリでトマトと出会った。当時南イタリアを支配していたのはスペイン人で、ラテンアメリカから持ち込まれたトマトやトウガラシなどと合わさって、現在のような形ができた。

このことから、現在のようなパスタは「イタリアでうまれた」というよりは、貿易の拠点として栄えた多国籍文化を背景に育ってきたことが分かる。

結局、どうしてヨーロッパでイタリア人だけが麺料理に取り組んだのかはよく分からなかった。スペインもかつてはアラブ圏だったのだが、こちらは、パエリアのような米料理は食べても、ヌードル状の料理はなさそうだ。ギリシャとトルコにはヌードルやパスタがあるそうだ。

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台湾には牛肉麺と呼ばれる麺料理がある。

日本人はヌードル状の料理を麺と呼ぶ。これらはうどんを含めて中国経由だと考えられている。特にラーメンは「中華料理」の一種と見なされることが多い。

ところが、台湾や中国では、日本人が想像するようなラーメンを見かけることは少ない。例えば台湾で有名な牛肉麺はどちらかといえば、牛肉のダシで食べるうどんみたいな印象である。

そもそも中国語の「麺」には「ヌードル」の意味はないそうだ。麺は小麦粉を練って作った食品全般を指す。

とにかく、大陸生まれとされるラーメンは日本に入り様々な変化が加えられるようになった。特に劇的な変化は、麺を揚げたインスタントラーメンだ。この時「即席うどんを作ろう」という発想にならなかったのは、ラーメンが外来食品だとみなされていたからではないかと思われる。うどんやそばのような既成概念がなかったから却って自由な発想ができたのだろう。

これがさらに国際化されてカップヌードルがうまれる。

私達が英語だと思っているヌードルだが、語源はドイツ語なのだそうだ。ただしドイツではヌードルに麺という意味はなく、国際化された結果「麺のようなもの」を表す言葉として広く使われるようになった。中国の「麺」が日本で「ヌードル」の意味を持つようになったのと似ている。

例えば、ソバは小麦料理ではないので中国では「麺」とは呼ばれない。そもそもソバは穀類ですらないのだそうだ。

このように食べ物には保守的な側面と革新的な側面が共存している。土着の食べ物に対しては保守的な気持ちが働き古い性質が残される。ところが、外国から持ち込まれた食品に対してはとても大胆な改良が加えられることがある。その一部が土着化して固定される。麺やヌードルのように、ある国でうまれた言葉が誤解された結果、別の国に広がることもある。

例えば、日本産とされる寿司はsushiになる。西洋人は生魚など食べないという日本人の常識に反して、アメリカ人はランチにスーパーで買ったsushiを食べる。その中身を見ると、アボガドやサーモンなどが使われていて、主食というよりはサラダの感覚で食べられているようだ。

21世紀はグローバリゼーションの時代と言われるのだが、実際には紀元前から国際交流があり、その結果私達の食生活は豊かになった。こうした交流からイノベーションがうまれることがある。

 

文明の衝突と日本

「文明の衝突」は、東西冷戦が終わりアメリカが唯一の覇権国家になった直後、1993年に提唱された概念だ。アメリカが超大国であることには変わりないが、それに敵対する可能性のある地域大国があり、地域には2番手の国があると考えた。イスラム圏のように地域大国がない世界もある。その中で東アジアは特異な地域だ。地域大国は中国なのだが、地域の2番手の国である日本は、中華圏を含めどの文明とも共通点がない独自の文明だとみなされている。
今回は2000年に出版された『文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)』を読んだ。日本向けに書かれたダイジェスト版と言える。

このフレームワークは、アメリカ中心の視点で書かれている。「イスラム対キリスト教」という対立が念頭にある。アメリカは当然「西方キリスト教的世界」の中に位置づけられている。

この図式は当時とは大きく変わった。2012年の大統領選挙では、イスラム教徒を父親に持つ候補と、アメリカで生まれたキリスト教系の新興宗教を信奉する候補が対峙することになったが、今の所「文明の対立」とか「宗教の対立」だとは考えられていない。つまりアメリカは純粋に「西方キリスト教的」とまでは言えない。

また「超大国であるアメリカの本土」が直接イスラム世界から攻撃されるという事件も起きてはいなかった。

毎日の問題を見ていると、一つひとつの問題がとても大きな脅威に見える。また、別の問題は日本から遠く離れた所で起きており全く関係ないと感じられたりする。こうした大きなフレームワークの利点は、こうした混乱に満ちた世界を整理して眺めることができる(眺める事ができるということは、対策を立てることもできるということだ)という点だろう。

このフレームワークは、アメリカの内部から世界を眺めているのだが、実はアメリカが持っている「新世界的な」側面をあまり重要視していないように思える。それは旧世界の秩序から脱却して、新しい動きを作るための原動力になるという側面だ。その後「グローバリゼーション」が引き起こした様々な問題点を考えると、諸手を挙げて賛成するわけにも行かないのだが、それでも貢献も大きかったのではないかと思う。

同じ事が日本にも言える。日本を内側から見ると、自分たちの文化圏を過小評価してしまいがちになる。アメリカと中国に挟まれて、独自性が乏しく「物まねに過ぎない」というのが一般的な評価なのではないかと思う。ところが、世界的に見ると「日本はやはりどことも違う」というのが一般的な評価だ。ただし、海外に出かけた日本人は出先の文明に融合してしまうので、どの国ともつながりがなく「孤立している」というのもやはり一般的な見方である。

古くからの国の成り立ちを見てみると、日本はかつて東アジアの中で多分に「新世界的な」要素を持っていたらしい。だからこそ南中国や朝鮮半島から新しい機会を求めた人が押し寄せた。「文明の衝突」が前提にしている「西洋文明と非西洋文明は衝突するはずだ」から「新しい秩序を作り出せる文明が必要だ」という主張は、日本人から見るととても不思議に思える。日本ではこの2つの価値観は「なんとなく」折り合っているからだ。多分これはアメリカにも当てはまるのではないかと思う。非西洋系の移民たちは、なんとなく東洋的な価値観を受け継ぎながらも、西洋社会にとけ込んでいる。いわゆる「新世界人」的である。

ここで問題になる点はいくつかある。まず日本の指導者たちは日本の国が持っている「優位性」を資産だとは感じていない。さらにこうした資産を使って世界に貢献しようという気概はない。さらに目の前の問題を見て右往左往しており、もうすこし広い視野で物事をみようとはしない。

さらに、日本ではこうした「違ったものを折り合わせる」行為はあまりにも当たり前に行われていて、取り立てて他人に説明しようとするのが難しい。多分、日本流のやり方をすれば「とりあえず、二階に住んで、盗んで覚えろ」というような言い方になってしまうのではないかと思う。多分「黙っていれば相手に伝わる」という点が、周囲から理解されにくいという特性を生んでいるのではないかと思う。

最後に日本人は西洋文明に対して卑屈さを覚え、近隣の東洋文明に対しては尊大に振る舞う傾向がある。相手によって自分の価値までが変わってしまうわけで、冷静に自分たちの資産を評価する妨げになっているのではないかと思う。

ファッションに見る、消費者の誕生

買い物は祝祭化しており、場合によってはかつて宗教が果たしていた機能を代替している。この主張を「ああ、そうだな」とか「何かの哲学書で読んだなあ」と感じる方もいらっしゃるだろう。また、そんな馬鹿なことがあるはずはない、と思う人もいるのではないかと思う。ある人は宗教はそんなに軽薄なものではないと思うだろうし、ある人は宗教のように訳のわからないものではないと感じるだろう。

これはおもしろい問題だと思う。なぜなら、本来、消費は儀礼行動ではないので、儀礼空間が持っている機能をすべて満足させることができないからだ。では、いったい何が欠けているのだろうか。
かつて宗教と買い物の間にははっきりした垣根があったはずだ。ファッションの歴史(下巻)を参考に見て行きたい。ファッションの近代化は1815年頃から始まった。背景にはアメリカが綿の生産地になったこと、テキスタイルの機械化が進んだことがある。1829年にバルセルミー・ティモニエがミシンを商業ベースに乗せる。その後、アイザック・シンガーがミシン業界を席巻した。工程の分業化が進み、デパートで注文服を受け付けるようになる。

しかし、一番重要な点は「中産階級」が生まれたことだ。チャールズ・フレデリック・ワース(シャルル・フレデリック・ウォルトと書いている文献もあるが同じ人だ)が、予めデザインを作り、それを売り込むことを始めた。これを「オート・クチュール」と呼ぶ。1851年、第一回ロンドン万博が開かれた年だ。最初は中産階級向けに商売をしていたのだが、メッテルニッヒ公爵夫人に服を売り込んだ。これがパリ中で評判を呼び、ついには海外からの観光客を呼び寄せるまでになった。(ちなみに、トーマス・クックにより鉄道による団体旅行が行われるようになったのは1839年から1841年頃だった。)

ファッションデザインアーカイブによると、1868年にフランス・クチュール組合(サンディカ)が作られ、1911年にパリのファッションショーが開始される。プレタポルテが出てくるのはこれよりずっとあと、第二次世界大戦後だそうである。つまり、19世紀の後半にはファッションショーはなかった。

デパートが生まれ、服が産業として成立したのは、産業革命の後「消費に回す金がある中産階級の人たち」が生まれたからだ。彼らは「労働とは別に消費をする場所と時間」を持っていた。もともとこうした時間や空間を持てたのは土地を持っている貴族だけだったのだが、経済が成長し、層が厚みをましたのだと考えられる。『共産党宣言』が刊行されたのが1848年だそうだ。プロレタリアート(無産階級)という言葉が発明された時点で、彼らは資本家であり、ブルジョワだという概念が発明されたことになる。「資本主義」という言葉が成立したのもこのあたりではないかと思う。

この頃の市民はまだ宗教に影響を受けた生活をしていたはずだ。神様が死んだり(ニーチェ)、無意識という言葉が発明されたり(フロイト)するのはまだ後のことだ。なぜ消費の担い手が貴族から中産階級に広がると消費が始まるのかという疑問は残る。身分が自明でなくなった分、支出によって身分を証明したり、価値観を共有する必要が出て来たということなのではないかと思う。消費の現場にいなければ、流行に関する情報を得る事はできなかっただろう。

ワースがオートクチュールを始めるまで、ファッションデザインといってもそれほど突飛なものはなかった。消費者が「生地を買い」「装飾品を選び」「仕立て屋に行き」「お針子に仕立てさせる」という作業を行っていたのだ。つまりコミュニティに流行があり、その流行に沿ったものを消費者が選んでいたということだ。男性服からは顕著なファッション性は消えていたが、女性服の流行はめまぐるしく変化しつづけていた。

今とは情報の伝達の仕方が逆になっている。現代では、出来合いの服を選択し、それをどう組み合わせるかで「モテるかどうか」が決まる。つまり、自分が所属したいコミュニティに所属できるかどうかが決まる。さらに、コミュニティがどのような「モテ」を選択するかには明確な決まりはない。「自分にあった服を着ればいいんじゃないですか」などといいながらも漠然としたラインは存在する。コミュニティの移動も可能といえば可能だ。高校時代オタクだった子が、東京に出てくるのをきっかけにPopeyeや「脱オタクファッションガイド」を片手に服を探すということがあり得る。

しかし、消費者が出て来た時代には、それなりのコミュニティがあり、規範が決まっている。どのような服を着るのかということはメンバーに知られていて、それに従って職人が服を作る。消費階級がふくらみ、上流階級のコードを伝達するうちに「モード」が生まれ、やがて、発信源が「デザイナー」に取って代わられるようになった。

こうした流れはやがて、人々に「自分は何者か」という問いを突きつけるようになる。まず科学が発展し、自分たちが聖書をベースにして作り上げて来た世界観が「実は正確でない」ことに気がつき始める。国際分業と植民地獲得競争が激化するにつれて「国民」という概念が組み上げられるようになる。930年代のドイツやオーストラリアの人たちのように「ドイツ性」や「ドイツ語圏を生きるユダヤ人性」というやっかいな問題もうまれた。やがて、ウィーンに上京して来た画家志望の青年が、都市のコミュニティから排除されたのち「崇高なアーリア性」を崇拝するような時代がやってくるのである。ヒトラーがウィーンで美術学校に受け入れられていたら、現在のヨーロッパは今とは違った形になっていたかもしれない。

 

ヒトはどうして夢を見るか

脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみを読んだ。夢にはいくつかの機能がある、昼間の経験を再編成し、いらないものをふるい分け、感情との擦り合わせを行う。長期的に覚えている必要があるものを記憶する。まだ起こっていない経験をシミュレーションして、未来に備える。こうして、私たちは定期的に自己認識や経験の意味を再構成している。
夢を見ない(つまり眠らない)と人は死んでしまう。実際に眠れない病気「致死性家族性不眠症」があり、脳が壊れて亡くなってしまうのだという。眠れないから亡くなるのか、脳が深刻なダメージを受けるから眠れなくなるのかはわからないという。例えば、ナショナルジオグラフィックのこの記事を読むと、ヒトが眠る理由は良くわからないと書いてある。『脳は眠らない』を読むと、幾分断定的な感想を抱く。
どうしてヒトは眠るのか。眠っている間は周囲の情報を遮断しているので、敵に襲われる可能性が増えるわけだが、それよりも「メリット」が大きかったということになる。ただし、眠るのはヒトだけではない。本によると、ネコは夢を見ている可能性があるらしい。寝ている間は行動を起こさない仕組みがあるのだが、ここに損傷を与えると、寝ている間に動き出すのだそうだ。その間にシミュレーションを行っているのだろうと考えられている。つまり学習が進んでいるということだ。一方、原始的なほ乳類は夢を見ている形跡がない。つまり進化の過程で、眠ってでも記憶を再構成した方が「トク」だということになったのではないかと考えられる。結果、高度な情報処理ができるようになったのである。
さて、ヒトは夢を見る事で感情の処理も行う。夢はネガティブな感情と結びつく事が多いそうだが、夢で自己認識を改訂することで、こうしたネガティブな感情を処理していると考えられている。しかし鬱病の人は夢を見てもネガティブな感情が更新できない。従って夢を見るたびに、さらに悲観的になり、長期的には悪い影響を与えることになるだろう。ということで、鬱病の人に「夢を見させない」という治療があるのだそうだ。
このように、夢には学習機能がある。いったん全ての外部情報を遮断し、脳内で再構成するという「振り返り」の機能である。こうしたギャップがあるおかげで、私たちは自己認識を新たにし、行き詰まったアプローチとは違う発送を持つ事が可能になる。朝起きたら、新しいアイディアが浮かんだり、昨日は練習してもできなかったことができるようになっているのはそのためだ。そして、大抵の場合努力してそれを行う必要はない。基本的なOSに組み込まれているからだ。
これを読みつつ、常に、情報に晒されて、いつも考え事をしているのは良くないのだろうと思った。つまり時々は情報を遮断して、再構成をする時間が必要だということである。進化の過程を「効率のよい情報プロセスの解」として受け入れるのなら、いったん休んだ方が、連続して情報処理を続けるよりも効率的に問題解決が図れるだろう。もし、山ほどの情報を出し入れしているのに「何も解決しない」のであれば、もはや問題解決に資する情報解決を志向しているとはいえないのではないか。
夢についてはまだまだ解明されていない点がたくさんある。しかしながら、科学者たちは、寝ている人を観察したり、動物の脳に電極を差し込んだりして、夢の解明に努めている。もともと何の意味もないと思われていた夢だが、実は私たちの記憶や学習に決定的な役割を果たしていることが、徐々にわかり始めているところである。