改めて考える – 統計が読めない・作れないというのはどういうことなのか

今回は統計について考える。統計が信頼できずまともな統計が取れないとはどういうことなのかという問題だ。が、統計の話は最後に少しだけ出てくるだけである。




もちろん政府が統計を誤魔化すこと自体が悪いことなので、統計問題の是非など考えなくてもいい話ではあると思うのだが、一通り考えを巡らせたほうが立体的な像が描けるかもしれないと思った。

前回、人は答えがないとムキになるという様子を観察した。これを政治議論に当てはめたい。TwitterやQuoraの政治議論を見ていて不思議に思うことがある。普段の我々の暮らしでは政治について議論になることはない。それはなぜだと聞くといろいろな答えが返ってくる。しかしいまひとつ納得できるものがない。よくよく考えてみると生活実感のある政治ネタは少なく、憲法や外交といった大きな問題を語りたがる人が多い。そしてそれはなぜなのだと聞いてみても誰も答えを持っていない。

まず生活実感について聞いてみたのだが「景気がよい」と言っている人は一人もいなかった。かといって安倍政権が悪いと考えている人は実はそれほど多くない。大きな政治課題(外交や安全政策)についての議論は比較的好調なのだが、暮らしに結びついた政治になると途端に答えが減る。

ところが大きな問題についてもその基礎知識は実は極めて曖昧だ。イデオロギーの基礎概念の知識も不確かで、統計についての知識もほとんどない。実はかなり目をふさがれた状態で議論をしている人が多い。ところがなぜかみんな「正解」は知っているのである。

非常に奇妙な状態で、これをすんなり説明できる理屈がない。最初は「自分たちが動いたところで生活が変わるはずはない」という諦めがあるのではないかという可能性を探ってみた。だが、どうもそれだけではなさそうである。

しばらく考えていて別の要因を思いついた。それが正解へのこだわりである。Quoraの質問で怒られることがある。「背景情報」がわからないと言われることがあるのだ。最初はなぜこれが怒られるかはわからなかった。フレームがないなら仮置きして答えればいいからである。いろいろ話を聞いたりして「その場の正解」を言いたい人にとっては、この答えを書いても「正解にならないこと」がとてつもなく不愉快なのではないかと思った。さらに正解を暗記しているだけでは問題の穴埋めもできない。

文脈がわからないと正解を言えないので怒り出す人が多い一方で、揺れがある状態でフレームを勝手に決めて「楽しみましょう」という人はあまりいない。そこで、MBTIテストを思い出して「あなたは何のために議論をするのか」を聞いてみた。自分でもやってみたところ「議論を楽しみ場合によってはdevil’s advocateにもなる」という類型だった。いろいろ探してみて、MBTIだとだいたい三つくらいの類型があることになりそうだと思った。枠を作って回答を絞るとフレームが明確になるので答えが付きやすくなる。

  • 議論そのものを楽しみたいタイプ
  • 理解し合うために交流したいタイプ
  • 問題解決のために交流したいタイプ

聞いてみたところ、議論そのものを楽しめるし場合によっては悪魔の使徒にもなれる人もいた。逆に議論に嫌悪感を持ち問題が解決しないなら議論は意味がないという人もいた。そして少数ながら共感型の人もいた。だが、このほかに「正解を出してみんなをあっと言わせたい」人も多いのかもしれないと思った。これはユングの類型にもMBTIにもない類型だし、正解を言いたいと自己申告する人はおそらくいないだろう。

だが、日本人には意外とこういう人が多そうだ。例えば、MIDI規格についての知識とか専門の数学分野での知識とか調味料の違いについての知識などは時々専門家が出てきて詳しい正解を解説してくれる。つまり、ドメイン(専門領域)が明確であればあるほどやることがはっきりしてくるので基礎知識と経験に基づいた正解が出しやすくなり、フレームがはっきりせず正解がないと不安になってしまうのである。日本人はこうした職人型と職人の調整型は多いのだが、モデレータータイプはあまり活躍が出来ないのではないかと思う。

この正解を知っていて正解を代表していると思っている人が得られる心理的満足感はスパゲティ論争を見ていてもよくわかる。かつてはスプーンを使ってスパゲティを食べるのが日本の正解であり、今ではスプーンを使うのは不正解だ。そして正解を知っている人はどうしても自分が正解を知っているということを認めさせたいのである。が、冷静に考えてみるとどうしてすべての日本人がイタリア人に成り代わってパスタ・ポリスにならなければならないのかはよくわからない。それでも日本人は正解を語りたがる。

MIDI規格について書いている人が面白いことを言っていた。今のMIDI規格はシンプルで柔軟性があるそうで、それが残って欲しいと言っている。ところが現在MIDI2.0の規格化が進行していてこれが過去のものになりそうなのである。つまり、ドメインでの正解にこだわるとそこから抜け出せなくなってしまう可能性もあるということである。ドメインが人工的な村落になってしまうのだ。

正解のある製造業でも正解にこだわりすぎると時代について行けなくなる。ましてや政治経済のように正解を導く式から考えなければならなくなると、人々はとてつもない不安に襲われてしまうのである。現在の政治議論は相手の人格攻撃や業績の否定ばかりなのだが、これは実は正解がわからなくなりパニックを起こしているからなのかもしれない。一方「国家イベント→コンクリート工事」のようなものが得れれるととたんに雄弁になる。この正解を持っていて「かっこよく見える」代表格が宗教的正解に支えられた公明党の質問者たちだろう。

では、みんなで新しい正解をつくるために新しい式を作りましょうとなったところで、「今どうなっているのか」ということがわからなければ議論を始めることすらできない。そこでやっと出てくるのが調査と統計だ。調査と統計がないがしろになっているのは、実は正解にこだわり続けることによる安心感があるからもう現実は見なくてもいいですよということなのだろう。

生活実感のあるところで政治課題が語れないのは人々が自分たちの暮らしの中では正解が探せなくなっているということを意味しているのではなかと思う。そうなるとあとは他人を非難して毎日をやり過ごすしかない。そこで、人々は安心して語れる外交や安全保障といった政治議論に逃げ込んでお互いを攻撃し始める。この辺りだと括りが大きすぎるので他人の答えをコピペしただけで済んでしまう。これが現在の政治議論の正体だ。

実は、政治家も統計が読めないがゆえに経済政策が作れない。朝生で田原総一郎さんが「野党には経済対策がないから国民が自民党で我慢しているんだ!」といって怒っていたが、野党の人たちにも自前で統計を取ったり経済政策を組み立てられる基礎知識がないのではないかと思う。自民党は政府の言っていることを聞いていれば議員としてやって行けるのだが、野党は経済政策のフレームから作って行かなければならない。だから野党にこそ調査統計の基礎知識が必要なのであり、今すぐ政府攻撃をやめて自分たちで信頼できる統計を作るべきである。マスコミが野党統計を信頼するようになれば政府の統計は規模が大きくても紙くずになってしまうだろう。

多分、この国で政治経済の議論ができるだけの基礎学力がないというのは我々が思っている以上に深刻な問題を引き起こしていると思う。実は問題を解決するのは簡単である。政府の統計にはもう信頼はないのだから、単に信頼できるサンプル調査を自分たちで作ればいいのだ。

石坂浩二と内向的な性格

MBITにEとIという性格特性が出てくる。ユングの心理学理論を基にしており、外向性と内向性と訳される。内向的な性格というと内気だという印象があるのだが、これは間違っているらしいが実感としてよく分からない。ところが、最近、石坂浩二さんのニュースを見ていて、内向的な人が少し分かったように思えた。

石坂浩二さんが『なんでも鑑定団』という番組で2年間干されていたという。いろいろ話をしているのだが、全く放送には乗っていないというのだ。普通の人ならここで「なぜ、自分の場面がカットされるのか」と不満に感じてよいところだが、石坂さんは全く意に介さない。フジテレビのインタビューに対して「個人で思うところはあるが、それは個人のも問題」だとした上で「テレビ東京の問題はテレビ東京に聞くべきだ」と言っている。

普通にこれを聞くと「相手や立場を慮っているのだろう」と考える。しかし、そうではないのかもしれない。

石坂さんは浅丘ルリ子さんと結婚をしていた。ところが実際には長い別居だったのだそうだ。ところが、ある日突然離婚を切り出した。「女優に母親を介護させられない」というのが表向きの理由だった。ところがその5日後、身の回りを世話してくれていた女性と結婚してしまった。回りの人たちは、石坂さんとこの女性が付き合っていたとは思っていなかったという。

このことから、石坂さんは人間関係に関心がないことが分かる。関係が切れていても実質的な問題がなければ特に気にならないのだろう。ところが、身の回りの世話をしてくれていた女性にきっちりと法的な関係を与えなければならないとなると、ためらいなくその関係を切ってしまうのだ。

『なんでも鑑定団』で自身の発言が放送されなくても(放送は毎回見ているようなので、切られていることは知っているらしい)気にしなかったのではないだろうか。使われない事が分かっていながら、お宝に関する蘊蓄は毎回話していたのだという。内部に価値観の源があって、それを披瀝できていれば、特に回りが反応してくれなくても満足なのかもしれない。

石原さんの趣味は幅広い、絵を描いたり、プラモデルを作ったりと「内側にある創造性」を追求したい人なのではないかと思われる。インタビュー記事によると、プラモデルを眺めながらいろいろ考えを巡らせるのが好きということだ。思いを巡らせ色々調べるうちに様々な蘊蓄が蓄積して行くのだろう。あるインタビューでも「作品に没頭することで回りが見えなくなるくらいが良い」と語っている。全く見えなくなるのもダメで全体を俯瞰しているくらいがよいのだそうだ。

石坂さんは「内的な世界」を気にするという逸話はまだ残っている。石坂黄門は短命(2シーズン)で終った。表向きは病気の為の降板ということになっているのだが、実際には周囲との関係が悪かったからだという説があるそうだ。もともと髭を生やして印籠をかざしているいる印象が強い水戸黄門だが、石坂さんは「史実と違う」という理由でこれを拒否していた。長年蓄積されたTVショーとしての歴史や視聴者の愛着よりも「史実」の方が重要なのだ。

東映京都撮影所は撮影の調整を暴力団に依存していたという話がある。代々の水戸黄門はこの関係を保とうとしていたが、石坂さんはこれを断っていたというのだ。退院してから「面倒な仕事がなくなって清々した」というような発言をしたという逸話が残っている。

石坂さんにとって重要なのは内的世界を構築し、それを他人に披瀝することなのだろう。それがどう使われて、どのような評判を得るかということはあまり関係ないことなのではないかと思われる。

「内向的な性格」というと、話しべたで自分の気持ちを伝えられない人という印象がある。しかし、石坂さんは社交的で女性にももてるそうだ。自分の意見もしっかりと持っていて、人に伝えることもできる。また、内向的な人は内側に閉じこもるので主観的であり客観性に欠けるのだという人もいるが、石坂さんは客観的で冷静な印象がある。

外向的・内向的という性格特性は誤解されやすく、様々な性格診断でも「暗い人=内向的」となっている場合も多い。むしろ、動機の源泉がどちらにあるかということなのではないだろうか。

ISTJ, ISTP

ISTJ

義務を果たす人。手許のメモにはファイナンシャル・オーディターと書いてある。多分、法律や会計上の規則といった「こうでなくてはいけない」ということに対して忠実だからだろう。現実的で頼りがいのあるタイプだ。一度、こうすべきだと決めたら、抗議されてもいっこうに自分を曲げないのだそうだ。

ちなみに勝間和代さんの本を立ち読みしたら(Twitterで、この人がMBTIを紹介しているということを知ったので)勝間さんは30歳のときにESTJだという結果が出たのだそうだ。ESTJもプロジェクト・マネージャータイプだそうなので、決まったゴールに向けて自分の資産を活用してゆく資質のある人なのだろう。

こういうタイプの人たちは、一度「こうだ」ということが決まると、そこに向けて邁進するきらいがある。世の中が勝間さんみたいな人たちばかりになると、大きなゴールは決められないのに、現場には精密な機械のような人たちがあふれているような社会ができ上がるだろう。多分、そこがあの人の本の弱点になっているのではないだろうかと思った。逆に勝間さんの本が売れるのは、日本にはリーダータイプの人が少ない一方、フォロワーや中間マネージャの役割を期待されている人が多いということだろう。「S型」の人たちは具体的な情報を好む。大局(マクロ)でものを見ようと思うとN型の直感力が必要になってくるはずだ。「大企業の男性正社員」は、この大きい視野を持つ事をある意味強制されることになる。うまくこうした視野を作る事ができればリーダーになれるだろう。これは生得的に男性がリーダーにむいているということではない。社会のフィルタリングによってこうした傾向が生み出されるということだ。いわゆるジェンダーの問題だ。一方、そうした役割を期待されていなかった女性は自分たちでこうした視点を獲得することがあるだろう。

大前研一さんのような一部のスターパートナーを除いて、マッキンゼーのマネージャーが「大局的」な視野を持つように強制されることはあまりないと思う。マッキンゼーだけでなく、外資系にはこうした人たちが多いのではないだろうか。必要なのはプロジェクト管理能力や効率といった知識だ。Nの人たちがこうしたSの知恵を見ると、「戦術的だ」と思うに違いない。しかしSの人たちにとっては戦術が全てなのである。こうした戦術を総動員して効率的に生き抜くことが戦略になっているのである。

私はこうした違いは、デザインの現場でも出てくると思う。たいていのウェブサイト制作会社ではフレームワークを作る人と実際のデザインを作る人が別れているはずである。フレームワークを作る人たちをインフォメーション・アーキテクトと呼ぶ人もいる。デザイナーが大局的な視野を持つようになると、アート・ディレクターと呼ばれるようになる。しかしこの人たちは全ての成果物に対して細かな指示を与えつつ、全体の統一感を守ることを「大局的」と考えるだろう。フレームワークを作る人たちはコンセプトや全体の位置づけを骨組みで捉えており、細かなディテールにはあまり意味がないのである。

ISTP

さてこの世界では「効率」という問題が関心を集めるようだ。ISTPはムダなことはしないタイプなのだという。しかしJがPに変わってしまっているので、「unexpected flashes of or original humor」という記述がある。英語で書くと優しいが、要は時々独りよがりのユーモアがわき出してくるということだろう。Iなので「何が面白いのかさっぱり分からない」ということも多いのではないだろうか。機械のようなものに興味があり、新しいことはとりあえず試してみたくなるということだ。Wikipediaには俳優の名前が何人か出てくる。

このわき出してくるようなユーモアというところにI(内向性)を理解する鍵があるように思える。つまり行動の動機が外側(例えばテレビを見た)からではなく、内側(何か面白いことを思いついた)からわき上がってくるということだ。このIPという組み合わせは、外からの刺激によって行動するE型の人や、常識で判断するJ型の人には堪え難いことに違いない。こうした「理解できない」という気持ちがコミュニケーション上の摩擦を生み出す。

勝間さんの本に戻る。現場マネージャータイプの人に必要なのはもしかしたら「自分の出世や生き残り」の為に自分がどういったタイプであるという現状認識があれば十分なのかもしれない。しかし、もう少し大きな組織のリーダーになるためには、いろいろな特性のバリエーションがどのような表現形となってあらわれるかを研究する必要があるだろう。EJの人たちがIPの人たちの理解に苦しむようにちょっとした形の変化がコミュニケーションの問題を引き起こすからだ。

ISFJ, ISFP

ISFJ

WikipediaでMBTIごとの有名人というセクションがある。見ていて、うーんと思った。実際にテストを受けていない人もいるわけで、どうやってタイプ分けしたんでしょうね。さてさて…このISFJにあたる有名人の記述がないんですよね。

静かなタイプなのだが、かなり現状維持型の保守的なタイプらしい。SでJなのだから当たり前とも言える。この人がいるとプロジェクトは安定性が増すだろう。Fなので人の気持ちは分かるはず。注意書きがある。「細かい事(テクニカルな)主題」について注意を払う事と書いてある。これ細かいと訳すか、技術的なと訳すかでかなりニュアンスが変わってきそうだが、TでもNでもないので技術的で細かいことは分からないだろうということは容易に理解できる。

ISFP

引き蘢った感じで、自分の意見を押し付けたりはしないタイプだそうだ。リーダーとはならず、フォロワーであることが多い。今を楽しむタイプで、必要もなく張り切ってシゴトを終わらせようという意欲はないそうだ。

つかみ所ないなあ。ここらへんも「典型的な日本人」っぽいのだが、外向性なのに表面的にこうした人のフリをしているタイプも多いのだろうな、とは思う。逆に内向性だったのに、周囲の期待からリーダーに祭り上げられたりすることもあるだろう。特に調和を重んじる日本社会ではありそうなことだ。

こうした場合やり方は2つある。1つは新しい役割に向けた価値観を獲得する事。もう一つは自分の役割を知っていて、それにあった環境を準備することだ。今どういう性格特性を持っているかということと、これからどうなるかということは必ずしも同じではない。そのためには今の自分の位置は知っておいた方がいい。

もう一つ重要なのは、チームがリーダーだけで成り立っているわけではないということだ。終身雇用制はまがりなりにもこういったチームを作るための枠組みを準備してきた。それは特性や役割によって損をする人ができないようにすることと、長期的に利害を調整する仕組みだった。やがて全ての人に利益を分配できなくなると、この枠組みが崩れてゆく。どういう性格特性の人たちが非正規化したのかは分からないが、1/3が非正規という現実を見るとある特性があるに違いない。しかし、だからといって非正規化しないような性格特性を目指そうというのは間違っている。例えば黙ってルーチンワークをこなす人たちが非正規化したと仮定し、プレゼンテーションが得意な外向型と現実を重視する調整型が正規として残ったと仮定してみる。しかし、プレゼンテーションと調整だけで現場が回るわけではない。

プレイヤーとして参加する人たちは、自分の性格特性を読み解くとよいだろう。しかしリーダーになりたいと思ったら、それだけでは不十分で、いろいろな性格特性を知る事が大切だろう。

INFJ, INFP

INFJ

忍耐強く、望まれていることを成し遂げるタイプ。努力を惜しまない。静かで、他人のことを慮る。公共のために強い信念を持って行動する。なにやら、日本人の美徳が詰まったようなタイプ。I型なので、いろいろうるさく話をしたりはしない「不言実行型」。なぜ、TがF(感覚型)に変わっただけで集団で望まれるタイプになるのかは分からないが、昨日のINTJに比べると扱いやすそうだ。

ここに日本の社会が持つ強みと弱みがあるように思える。Jは現実重視型なようなので、新しい知識や概念にはあまり関心を持たないはずだ。変化が少ない場合にはこれでよいのだろうが、変化が大きい社会では問題が出てくる。しかも思考でなく感情で物事を捉えるので「なぜ、こういうことが起こったのか」ということはよく分からない。加えてIであまり多くを話さないので、お互いが何を考えているのかが分からなくなってしまい、社会不安を引き起こすのではないか。暗黙でも伝わるためには経験などを共有する必要があり、多様な他者が集まる場所では居心地が悪く感じる可能性があるかもしれない。

INFP


熱意と忠誠心に満ちているのだが、お互いを良く知るまではあまり話さない。学習、アイディア、言語(概念的なものに関心を示すのはP型だからなのだろう)といったような小さめのプロジェクトを好む。社交的ではないので、いつの間にかシゴトが片付いている感じだそうだ。物欲や所有欲はない。

同じような不言実行型のタイプだが、JがPに変わっているので新しい事が起きてもあまり動じないのかもしれない。

さて、アメリカには、外向性が75%・内向性が25%とか、感覚型が75%・直感型が25%という結果があるそうだそうだ。どうやら1960年代の調査らしい。MBTIは生物学的な指標ではないので、社会的な価値観が反映されやすいことは容易に想像できる。アメリカは「自分を積極的に表現してゆこう」というプレッシャーの強い社会なので、この分布が日本にも当てはまるかどうかは分からないのだが、少なくともアメリカではINは少数派のはずである。

「ENTJ – $84434」でGoogle検索していただくと分かると思うのだが、どうやらタイプごとの年収についての数字が出回っているようだ。原典が何で、いつごろの数字なのかはわからなかったので、引用はしないことにする。しかし、タイプによって年収が違うのだったら、年収が高いタイプになりたいという人も出てくるかもしれない。

特に、日本は和を重視して、みんなが損をしないようにする社会を作り上げて来た。しかし自由競争が始まると、どうしても外向的で現実を重視する人の方が「有利」になるように思える。それに加えて「こういう人格を持つのが、正解だ」というような認知が流布すると、MBTIは一人歩きするかもしれない。


ちなみにwikipediaには有名人でこのタイプの人というコーナーがある。INFJにはガンジー、マーティン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、アルベルト・カミュという名前がならんでいる。社会がおかしいと感じたら、それを変革するためにたゆまず努力する人たちだ。この一群の人がいなければ、インドはカースト制のままだったかもしれないし、アメリカや南アフリカの黒人達も差別されたままだったかもしれない。必ずしもこの人たちが経済的に成功したかどうかは分からないのだが、それでも社会に必要な資質を持った人たちだということがいえるだろう。 INFPにも『1984年』で有名なジョージ・オーウェルやダイアナ妃などがいる。

INTJ, INTP

INTJ


がんこ、批判的、独自性のある考え方をする。プロジェクトを整理して、人の助けのあるなしに関わらず任務を遂行することができるタイプだそうだ。詳細にこだわらず、譲るところは譲る気持ちを持つ必要がある、とのこと。「J」なので当然、常識的な判断をする。唯我独尊。手許の資料にはプロジェクト・マネージャーという走り書きがある。

さて、これまでのE型とのいちばんの違いは、これから紹介する人たちが「I」だということだ。Introvertの頭文字で、日本語でも英語でも「内向的」というと、暗いヒトというような意味で使われることが多い。英語でも、「日本人は内向的だ」(つまり、思っている事を口に出さない)という意味で使う。日本人なら誰でもしっている事だが、思っていることを口にしないからといって、おとなしい人というわけではない。影ではとんでもないことを言っているかもしれない。MBTIの内向性はこれとは異なるように思える。


Eの人たちが外側から価値観を持ってくるのに対して、自分の内側に価値観がある。これがINTJの人たちを「我が道を行く」にしているようだ。自分の価値観で現実を直感的に捉え、その価値観に合うように現実を変えてゆこうとするわけだ。これをEが強い人が見ると、「わがまま」な人に見える。逆にIの人から見ると、Eは「自分がない」ように見えるはずだ。

INTP

なぜだか良くわからないが、静かな人なのだそうだ。私のタイプの内向性が強いタイプ。理論的で科学的な主題を好むというのはENTPと似ている。細かい部分に理論的なので「博士」みたいな人なのだろう。細かい点にこだわりが大きいので、好きな事を追求できるようなキャリアを積むのがよいそうだ。どうやらJの人たちが現実的なことに興味を持つのに対して、Pの人たちは「可能性」やら「未来」やらを追求したいみたいだ。

このように、これから広がるIの人たちは、Eの人たちに比べ、何かと扱いにくく、キャリアに一工夫が必要なことが多い。これが、一般的に言われる好きなことをし貫き通した奴が負けという評価につながる。これは考察に値する。この文章に書いてある、観客目線はE的な態度だ。周りの人が面白いと考えたことが面白いという価値観だ。これがなりたつのは、日本のお笑いが即物的で刹那的だからだと思う。また集団内の秩序が乱れるのを嫌う傾向が強いので、全体の空気を読んで違和感がない会話を選択する人が人気ものになることができるということなのかもしれない。さらに教育機関と言っても、企業の論理が入る以上は大量に効率よく人材を輩出しなければならないのだから「マーケットに合わせて」といいたくなる気持ちも分かる。

この文章にはマイケル・ジャクソンの例が出てくる。マイケル・ジャクソンは幼少期に周りの大人達から「期待されるべきマイケル像」みたいなものを押し付けられたのだと言われている。子役にはそういうところがある。本来この人がIかEかは分からないのだが、人に期待されるままに自分を演じていると、自分が何者なのか分からなくなってくるかもしれない。ネバーランドを作ってコドモと遊んでいたところからコドモとしての自己像を持ち続けたのかもしれないし、最後には肌を白くして、整形を繰り返した。そこまで深刻にならなくても「受けるお笑い」ばかりを追求するあまり、自分が一体何をしたかったのか分からなくなる人も出てくるだろう。
最近、アンディ・ カウフマンを題材にしたマン・オン・ザ・ムーンを見た。この人は典型的な「内向型」のようだ。幼い頃から一人芝居が好きで(つまり、人が見ているから面白いことを言うわけではないのだ)、そのギャグは独りよがりだった。テレビが壊れたような映像演出をして「この番組は放送しない」とABCに言われたり、テレビでおなじみのギャグを期待する観客に対して、延々と華麗なるギャツビーを読み、客が誰もいなくなるまで語ったりした。確かにこうしたギャグはテレビには向かないかもしれない。しかし当時のアメリカにはショー・パブや自前講演の機会があり、カウフマンは最後まで自分が面白いと思うことを貫き通した。というより、そういうやり方しかできなかったのかもしれない。最後には肺がんに冒され35歳で亡くなってしまうが、あのまま生き続けたらどのような喜劇人になったのだろうか。

内向性でも(自分のやりたい事を貫き通しても、と言い換えてよい)後世に名前を残す芸人になることはできる。人はときにものごとには正解があり、それに沿わないことはよくないことなのだという強固な信じ込みを持ちやすい。また、世の中に余裕がなくなると、こうした「難しい人たち」を排除してしまおうという動きが出てくることもある。確かに自分の傾向を知った上で、変わってゆこうと思うことは大切だ。自分の特質を活かした活躍の場所を見つけるのもまた重要なことなのである。つまり多様性が重要なのである。

ESTP, ESTJ

ESTP


何が来ても慌てない人。機械いじりとスポーツが好き。長い説明は苦手で保守的。いちおう、手許の資料を訳してみたのだが、よく分からない。こういう人、周りにいますか?あまり、リーダーとしては使えないタイプのように思える。だけど、機械のメンテナンスとか日々の作業はこなせそうな感じにも見える。もしTP型を指向するなら直感でばりばりと判断すべきなのだろうけど、この人はどうやらSなので、現実的なディテールを好むみたいだ。でも、ちょっとよく分からない。

どうやら短期集中型らしい。確かに、すべての人が「大きな絵」ばかり描きたがり、戦略作りばかりしていたのでは現場は破綻しそうだ。しかし、だからといってちいさなシゴトをやりかけて放り出されてばかりいると困る。現実的になるのであれば、PよりもJに徹した方がいいように思える。

ESTJ


実際的、現実的、役に立ちそうにないことには興味を持たないが、応用は得意。整理整頓を好み、他人のことを考えることができたら、よいアドミニストレーターになれるような能力を持っている。資料にはプロジェクト・マネージャー向きという走り書きがある。こういう人は具体的に想像ができる。

ネット上の資料を見ると、これを裏返したことが書いてある。すなわち仕切り屋。鍋奉行みたいな感じ。
これで、Eは終わり。どうやら大きな絵を描く戦略家・重役タイプの人から、現場のことを細かく面倒見る人まで様々なバリエーションがあることが分かった。手許の資料は右にESTPがあり、左にENTPがあるのだが、どうも「現場監督」から「戦略家」まで順番に並んでいるような印象を受けた。また、それぞれの能力にはコンパチビリティがあるようにも思える。

もう一つの洞察は、自分がどういう資質を持っているのかを知っておくのは大切なのではないだろうかということだ。日本ではMBTIはあまり知られていないので、就職対策としては役に立たない。しかしながら、例えば、長期的なビジョンを立てることが得意ではないのに戦略コンサルタントになりたいと考えても、あまりよい結果は生まないだろう。


一方、他の資質を知る事によって、自分がなりたいシゴトにはどのような能力が必要なのかを客観的に見る事もできる。例えば、デザイナーのようなシゴトには現実と細部をありのままに観察する能力が必須だと思う。(今は半分しか見ていないのだが、I型の人の方が向いているかもしれない)もし、物事を大枠で捉える人が、どうしてもデザイナーになりたいのであれば、物事を細かく見る訓練をすればよいということになるだろう。

実際にシゴトをして「現場でプロジェクト監督をしながら」「デザインもこなし」「企画書を書く」というような人がいたとして、自分は何で一流を目指すべきかということを考える場合にはこうした人物のフレームワークを研究したり、人に聞いてみてもいいかもしれない。(チームメンバーの中にはちゃんと観察している人がいるはずだ。)

ESFP, ESJF

昨日までのグループはENだった。外向的直感型だ。これがESに変わるとどうなるだろうか。物事をフレームワークではなく、細かなディテールに満ちた存在として捉える人たちだ。

ESFP

楽しいことが好き。スポーツが好き。みんなでわいわいするのが好き。手許にある資料を見るとそんな人物像が浮かんでくる。周りを察知して何が起こっているのかを事細かに感じる事ができるのが利点なのだろう。理論は苦手なはずで、具体的に見せてほしいと思っているかもしれない。大きな絵を描くというより、現場のマネージャーとしては良さそうに思える。
これを読んでいて思い出したのは、ピーターの法則だ。人は出世すると、いずれ「無能レベル」に至るというやつだ。しかし実際には直感型で大きな絵を書く人たちが現場でくすぶっていることもあるだろうし、現場の細かいマネージメントが好きで現実的な解決策を作るのが得意な人が、経営幹部になってしまうこともあるだろう。コンセプトしかないパワーポイントを見せられて「で、具体的にはどうなの」と聞く人がいる。具体例があるんだったら企画書なんかだしとらんちゅーの、と心の中で笑いながら愛想笑いをするということになりかねない。

ESFJ

さて、これがJになるとどうだろうか。5年前に受けたテストではESFJと診断された。

さらに現実的なタイプだが、ここではSとFのバランスが取れているように思える。人の気持ちが分かるので、カウンセラーやコンサルタントなどに向いていると言われる。何か相談があってそれを持ってゆくと、親身になって具体的に答えてくれそうなタイプだ。また、調和を重んじるので現場も和やかになるだろう。なぜか「褒められるとうれしい」と書いてある。どうしてだろうか。人々の暮らしに直結した具体的な事柄を好み、抽象的な概念にはあまり興味がないのだそうだ。


個人的な経験から言えることは、こうした特性は先天的なものというよりは、後天的に獲得できるものではないかということだ。ユング派の説によると、劣等機能は躾けられない馬のようなものだそうだ。だから感情型の人が思考を模倣することは「周りから見ると明らかに変なリクツなのだが、本人は大まじめ」というような結果を招きかねない。しかし、いったん獲得してしまうといくつかの役割をこなす事ができるようになる。例えば、現場にも目配りしながら、大きな絵も描けるといった具合だ。

逆に、人生の転換点を迎えずに、一つのキャラで押し通してしまうと「人の気持ちが分からず、応用の利かない」人になりかねない。終身雇用下のサラリーマンは会社に入ると挫折無く一生を過ごすことが多く、一つのキャラのまま60歳まで過ごす人も多いのではないだろうか。組織の外でシゴトをしている人はそういう訳には行かないだろう。
また、MBTIはスケールなので、どちらかといえば外向的という人も、極端に外向的という人もいる。

いよいよ明日は外向性の最後の一群をご紹介する。現実的な思考型の人たちとはどういった性格なのだろうか。

ENFP, ENFJ

ENFP

昨日のENTPは「考える」すなわち客観的な理解をもとに行動をする。ENFPは、熱心な活動家ではあるが、理解が主観的だ。それは、考える代わりに感じるからだ。外向的で飽きっぽく主観で考える。つまり暖かくてよい人ということになる。いつも面白いことを考えているので人気があるかもしれない。

ENTPと同じく、飽きっぽいことは欠点になり得る。別の資料には考えるの苦手なのに考えるから、ひどく理屈っぽくなることがあると書いてある。ユングのタイプ理論による劣等機能というやつだが、ユングの研究者は、感情、感覚、思考、直感を並列に扱うので、劣等機能は1つということになっている。つまり、ENTPであっても思考が苦手でない人はいるのではないかと思われる。

手許の資料では、ENFPはWarm, enthusiastic, high spiritedと書いてある。多分、悪い人ではないだろう。

ENFJ

Pは新しいアイディアを許容するが、これがJに代わるとどうなるだろうか。責任感があって、人に共鳴する人なのだそうだ。どちらかというと他人のニーズの為に行動するので、グループ全体が困らないような解決策を好む傾向がある。社交的で常識人の「よい人」だ。よい人さ具合は、ENFPと変わらないが常識人というところが異なる。

欠点は、主観的であるところだろう。批判や賞賛に大きく反応するということは、外からの評判に弱いということでもある。リーダーシップはあるのだが、その質はTタイプの人たちとは異なる。家族的経営の中ではよいリーダーシップを発揮できるのかもしれないが、大きなチームや競争的な企業のリーダーには向かないかもしれない。

もう一つの特質はEへの理解だろう。Eは外向性という意味なのだが、口語では「明るい、いいやつ」という意味で使われることが多い。しかし心理学での外向性という言葉の使い方はこれとはちょっと異なっている。情報の流れが、外から内へというように使われる。この外向性が現れているのが、このENFJではないかと思われる。

規範の基準が外部にあるので、得てして「自分は本当は何がしたかったのか」が分からなくなってしまう可能性がある。考えるタイプは客観的な情報をもとに状況判断をするのだが、感じるタイプはそこが顕著になりがちだ。すると、1人では何も決められなくなる恐れすらある。こういう人が理屈で理論武装すると、論理はめちゃくちゃなのだが、言っている本人は至極まともな理屈だと考えるだろう。それはこのタイプの人たちが他人の理屈も「感情的に聞いている」からだ。普段は問題が表にでないが、いざ口論となると思考タイプの人は愕然とするかもしれない。感情タイプの人へ「実は理屈が全く伝わっていなかった」ことを突如として知るからだ。

故に、チームのリーダーを決めるときには予めこうした傾向を知っておく必要があるのかもしれない。

ENTP, ENTJ

得意なことをやっていると時間を忘れるという経験をしたことがある人は多いと思う。それでは何が得意なの、と聞かれてもちゃんと答えられないことがある。これを埋めるフレームワークがMBTIだ。日本ではMBTIが権利を持っている。しかし、フレームワーク自体は簡単なので模倣もしやすい。日本MBTI協会はこれを「MBTIもどき」と呼んでいる。もどきの一例がこちら

ユングのタイプ論を基礎にしているのだが、ユングはこれをマトリックスにして人間の類型を作ったりはしなかった。ユングのタイプ論から来ているものは、外向・内向、感覚・直感、指向・感情だ。それに、独自の、規範・柔軟という指向性が加わる。ちなみに私は昔受けたときにはESFJだった。最近Facebookの「もどき」を受け直してみたところ、ENTPという結果が出た。設問の内容の構造が簡単なので「職業的に理想的な人物像」を意識すると結果が変わることがあるらしい。

ENTP


ENTPは、新しいアイディアが好きで、創造力に富むタイプだ。今あるものを改良するより、全く新しいものを追い求めるのが楽しいと考えている。手許にある資料を見ると、知的で問題解決能力に優れ、議論を好むと書いてある。外向性なので「人が何を欲しているのか」を探るのもうまい。

しかし、この傾向には悪い面もある。現実を気にせず、安定感に欠け、次から次へと中途半端に新しい事に挑戦するということだ。しかも、ルーチンワークを嫌うので、退屈すると「もっと新しい事はないかなあ」とどこかに飛び去ってしまう可能性もある。

ENTJ

ENTJは、上記の性格のPをJに変えたもの。ENTPは、まだ世の中に出ていないものに対して関心が向くが「J」の人たちは既存の枠組みを尊重する。議論好きでリーダーシップがあり飽きっぽいという点には違いがない。自分の正しさを議論によって証明しようとする。

この飽きっぽくて現実的な問題にあまり関心を持たないという性質は、Nから来ている。Nは直感型だ。Sの人たちの現実は細かなディテールにあふれている。例えば、誰かに会っても、髪型とかシャツのディテールとかを覚えている。しかしNの人たちの現実は「スケルトン」のようなものだ。だからこそ直感的な判断ができるのだが、この現実感のなさが裏目に出ると、細かい気配りができない人ということになる。
よく「大きなビジョンを語るのはうまいが、細かなところのツメが甘い」政治家を見かけるが、こういう人はENTJだと思っていいのではないか。

この2カテゴリーの人たちは、デザイナーや職人のようなディテールに時間をかけるような職業は向いていない。またパワーポイントの絵を描く事はできるかもしれないが、それを細かい施策に分解するのは苦手だろう。つまり政治家にはなれるかもしれないが、官僚のようなシゴトはできない。

一方、ENTPのいない世界では、デザイナーは完璧を目指していつまでも「何に使うか分からない」作品を作り続けることになるだろうし、プログラマはいつまでもバグを取り続けるだろう。そして官僚も細かな点にこだわり過ぎるあまり、全体最適には目が向かなくなるだろう。

イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材は、実務的なグルーピングだったが、このMBTIもクリエティブなチームを作るのには欠かせない。

また、政治の問題を見る時にもこの性格類型は役に立つだろう。民主党は机上の空論ばかりを振りかざしているように見える。この政党は、理想(マニフェスト)と議論の政党だったのだが、政権を取ったら、対局を失わないように現実的なタッチを与える必要があるわけだ。当たり前なのだが、組織を円滑に動かすためには組み合わせとチームワークが求められるのである。
このシリーズ、気が向けばあと7回つづく。