産経新聞がまた新しい願望込みの物語を投げ込んだ

面白いニュースを読んだ。トランプ大統領が安倍首相と会談した時「父親はカミカゼだったのか」と聞いたというのである。




トランプ大統領はカミカゼがなぜタンクを半分空にして特攻したかったのか知りたかったらしい。「お酒か薬の影響だったのか」と聞いたそうだ。安倍首相は「愛国心ゆえだった」と答えたそうだが、トランプ大統領は「愛国心でタンクを半分カラにして突っ込むとは」とジョークのネタにして支援者の集まる席でスピーチしたようだ。他国の文化を重んじるという気持ちが全くないある意味アメリカ人らしい態度である。

このエピソードがQuoraで紹介された。これに不愉快な思いをしたらしい回答者から「曖昧なことを言うならばソースを示せ!」と苦情めいた回答が入った。時期的に韓国と日本の間の軋轢が問題になっており、韓国人に対しては居丈高になるのにアメリカだと何も言えないのかという含みを持ちかねない話である。

こうした感情的な問題に関しては上から抑えてやるといい。つまり「日本人は英語ができないから知らないのは仕方がないですよね」と言ってやるといいのである。日本人は英語とアメリカ人に対してコンプレックスを持っているので「親切に教えてあげる」のがよいのだ。序列を気にする人には実に効果的である。

実はこのエピソードはニューヨークポストが元ネタである。もともと伝統のある新聞だったようだがタブロイド化し最近では過激な見出しで知られるという。英語版Quoraで調べてみたが評判はあまり芳しくはなかった。日本でいうスポーツ紙のような扱いらしい。ただし記名記事なので全くの作り話だと斬って捨てるわけにも行かない。

支援者たちはアメリカ人なので当然日本の戦争のことなどには大した関心はない。例えばアメリカ人はほとんど原爆について考えたことなどないだろう。だから特攻のような常識では考えにくい精神状態も単なるパーティージョークになってしまうことがある。片道切符で特攻するなど常軌を逸しているのだからお酒か薬物の影響だったのだろうと笑って終わりである。当然相手に対する共感もリスペクトもない。

英語で情報が取れる人なら誰しもアメリカ人は日本に対してさしたる関心がないことは知っている。だから日米同盟もその程度の確かさしかないということはよくわかっている。だが、英語で情報を取らない日本人はそのことが不安で仕方がない。ゆえにこういう話はなかったことにしがちだし、願望込みで解釈を加えがちだ。

韓国とのやり取りを見ていると「ちょうどその反対のこと」が起きている。韓国人が日本に反抗的な態度をとると、それを大きく拡大しいつまでも騒ぎ続ける。日本人は韓国人ならなんとかなると思っているからなのだろう。

日本人は心象による序列を作ってしまうところがあり対等な人間関係や同盟関係が作れない。だから政治家が絡んだ外交交渉で日本はいつも間違える。心象で目が曇っているので侮られたり不用意に怒らせたりするのである。

とはいえ、日本がアメリカ人から下に見られているのはいつものことだし相手はタブロイド紙なのだからそんなに気にする話でもない。ところが産経新聞の記事を見て驚いた。ニューヨークポスト電子版を引き合いにしているのだが、安倍首相の父親が特攻隊だと知ったトランプ大統領が安倍首相の説明に心を打たれたという感動秘話になっているからである。「トランプ氏、日韓首脳の「なまりある英語」を揶揄 安倍晋太郎氏が元特攻隊員と知り感銘」となっている。外国人が日本の心に触れて感動するという「日本スゴイですね系」の記事である。

確かにニューヨークポストはこのジョークの意味は書いていないのでトランプ大統領が特攻隊をクレイジーだったと言っているわけではない。だが、パーティーで気楽に話題にしているのだからリスペクトしたわけではないだろう。この話はネットですでに紹介されていたので産経新聞は「フォローしなければ」と思ったのかもしれない。彼らにとって安倍首相はヒーローなので「ヒーローが何も言い返せなかった」では困るのだ。

ただ、新聞電子版を読んでネタ元(ちなみに記名記事である)に確認も取らずに勝手に解釈を加えているわけで、これはもはや新聞記事ではない。願望込みのファンタジーだ。

ただこの件で産経新聞を非難する気にはなれなかった。産経新聞も自分たちのプリンスがトランプ大統領に相手にされていないことは知っているのだろうなと思った。だからこそ躍起になって物語を作ったのだろう。また朝日などの反安倍陣営の新聞も政治的な影響を失っていてこうした心象を正当化する記事を書きかねない状況になっている。こちらもインテリ層が政治に対して影響力を持てなくなったということを認めたくない。

一種のメンタルクライシスにある新聞が心象的創作物からは逃れられるはずはないのだ。

ただ、これが我々の政治的な意思決定にどんな影響を与えるかという点は気になった。日本人は本音と建前を分ける二重思考を社会的に容認している。このため自分が本当はどう考えているのかがわからなくなってしまうことがあるのではないかと思った。

産経新聞が本当はアメリカに相手にされていないことを知りつつ「安倍首相はアメリカに強い影響を与えている」と信じている限り、彼らは難しい判断から目を背け続けるだろうなあと思った。そうすると我々読者はますます自分たちが信じたい物語だけを信じることになるだろう。

日本にはその意味では信頼できるジャーナリズムはないのかもしれない。誰もそんなものを求めていないからである。にもかかわらず日本人は政治的に中立でありたいと考え、中立な新聞やメディアを持ちたがる。中立とは「自分の意見とぴったり合っている」ということだから偏っているのだが、他人の意見を尊重できない我々はどうしても自分の中にある偏りは見たくないのであろう。実に不思議な光景である。

日本のテレビは勝手に大本営発表を流すところまで追い詰められている

日本のテレビとアメリカのテレビ(正確にはストリーミングだが)を同時に見ていて不思議な気分になった。日本のテレビは延々と韓国についてやっていた。「日本は何も悪いことはしていない」のに韓国がWTOに提訴すると息巻いているという話である。細川昌彦さんという目だけが笑っていない元官僚が出てきて「今騒ぐと損ですよ」と触れて歩いている。この間世界で何が起こっているかという報道はおやすみである。




最近日本のテレビを見ていると「見たくないものから目をそらすために忙しいふりをしているんだな」と思えるものが多い。

参議院議員選挙で話し合わなければならない問題はたくさんあるのだが、誰もそのことには触れようとしない。

例えば年金が2000万円足りないという問題やかんぽ生命をめぐる一連の騒動は「高齢者が老後の資金を安定的に管理できずしたがって消費が停滞するであろう」という大問題である。だが、これを認めることは老後不安と対面すしなければならない。個人で直面するにはあまりにも大きな問題である。

金融庁には金融庁の危機感がある。彼らは彼らの植民地である地銀を守りたいという気持ちがあるのだろう。独自の正義感が暴走するという意味では「関東軍」に似ている。金融庁の焦りは「政治家はちっともわかっていないから自分たちがなんとかせねば」というものなのだろう。支援されないが有能でやる気がある集団の暴走はとても恐ろしい。やがて倫理観が麻痺してしまうからである。

マスコミはこの問題に対して「年金を守るためにはどうしたらいいのか」という自己防衛説話を流し始めた。公共や国家が信頼できない時できるのは自己防衛だけだ。マスコミには「国はあてにできないが表立っては抗議できない」という確信だけがあるのだろう。

こうした地殻変動は外からもやってくる。日米同盟がもう当分あてにできないだろうという情報がSNSでダイレクトに飛び込んでくるようになった。

アメリカの今の状況を見ていると、選挙キャンペーンのためにはなんでもありの状態になっている。ABCのニュースはアメリカもまた「閉鎖的な動物園の熱狂」にさらされていることを伝えている。アメリカは移民によって成り立っている国なので、人種や出身地についての屈辱的発言は最大の政治的タブーのはずだ。だが、トランプ大統領はそれを軽々と超えてくる。そしてそれに対して感情的に抗議する大勢の人がいる。

今後この件は日本の安全保障・エネルギー問題・憲法改正問題にリンクしてゆくだろう。多分、外交・防衛部局の人達はアメリカのニュースを見ながら大いに慌てているはずである。彼らが政治家に支援も理解もされていないと考えた時、どのような暴走をするのかと考えるとちょっと暗い気持ちになる。おそらくその暴走も我々を不安に陥れるだろうが、マスコミは見て見ぬ振りをして「自己防衛」を呼びかけるだろう。

日本の議会政治はあまりあてにならなかったが、官僚システムと日米同盟という二つの地殻は割と盤石だった。ここにきてそのどちらもが揺れているように思える。だが、その振動があまりにも大きすぎて「もう笑うしかない」という状態になっている。

日本のテレビ局は、国からの恫喝やそれを支援する人たちの抗議に怯えて参議院議員選挙がまともに報道できない。それは仲間のテレビ局が政府からの干渉に一緒に抗議してくれるであろうという確信が持てないからだろう。そうなると何かもっと重要な問題で時間を埋めなければならなくなる。韓国の話題はそんなテレビ局が取り上げられる唯一の「政治のお話」まmpだ。

誰もが韓国は日本より序列が下だと感じているので視聴者からの抗議はない。だが、テレビ局は「今が安心」というメッセージ以外は流せない。だから、テレビ局は細川昌彦さんを呼んで「日本は悪くない」「この戦争は絶対に日本が負けない」というようなことを説明させている。元インサイダーに語らせておけば取材もいらない。いわば大本営発表を垂れ流しているのだが官邸が関与しているとは思えない。テレビ局が元官僚と組んで自発的に大本営発表を流さなければならないほど日本のジャーナリズムは弱体化し追い詰められ価値をなくしている。

ジャーナリズムはもう何を知るべきかという指針を示してくれないし、本当に知りたいことは何一つ取材できない。さらに官邸も暴走気味にこの問題を煽ってきたのでマスコミは官邸の指示も仰げない。

ここから想像する未来は単純だ。日本は地滑り的な変動が起きているという認識を持てないまま状況の変化に流されてゆくということになるだろう。

例えば、バブルが崩壊した時も我々は構造的な変化が起きているということを認められず、したがって構造的な変化を作れなかった。社会的な取り組みができないのだから、我々に残された道は自己防衛だけだ。

日本の企業は終身雇用のなし崩し的な破壊と金融機関からの依存脱却という「自己防衛」に走り、「いわゆるデフレマインド」という長期的な沈滞に陥った。背景にあるのは徹底した公共や社会に対する不信だろう。そして不信感を持てば持つほどそれは自己強化されてしまういまいましい予言なのだ。

実は日本のマスコミは社会や公共というものを全く信じていない。それは単に彼らの思い込みだと思うのだが、多分既存のメディアがその殻を破ることはできないだろう。なぜならば彼らの思い込みは彼ら自身を縛り、なおかつ視聴者も縛るからだ。

ニューヨークタイムス紙によると日本は独裁体制を彷彿とさせる国らしい

The NewYorkTimes(ニューヨーク・タイムズ)が面白い記事を書いている。望月衣塑子記者を官邸と戦う記者としてフィーチャーしているのだ。「記者が日本でたくさん質問をする。それは日本では普通ではない」というようなタイトルである。




朝日新聞は好意的に書いており記者クラブ制度については触れている。ただタイトルだけ読むとThe NewYorkTimesが政権批判したと読み取れるのだが実際に批判されているのは新聞そのものである。また、朝日には削った箇所がある。それが「男性中心の秩序に挑戦している」という部分だ。彼らは日本人は英語が読めないであろうと考え印象操作してしまっているのだが、あるいは自分たちの認知不協和を癒そうとしているのかもしれない。

サンケイスポーツはずいぶん煽った書き方をしている。望月記者は国民的英雄であり独裁政権のように振る舞う政権に挑戦していると言っている。逆に反発心を煽ろうとしている感じがする。

だが記事が「独裁体制を彷彿と(reminiscent of authoritarian regimes)」と言っているのは確かである。

記事は東京新聞の望月記者の攻めた報道姿勢は市民の間に支持者が多いと言っている。国連報告者のデビッド・ケイもその姿勢を「意味のあることだ」と積極的に評価する。この辺りは、反政権的な姿勢の人たちにも好意的に受け止められそうである。だが記事はそこでは終わらない。

東京大学の林香里さんは「望月記者は男性中心社会を攻撃している」と言っている。つまり望月記者は「報道の自由」だけでなく「男性社会に挑戦する」ヒロインと捉えられているわけである。これはアメリカ人が持っている典型的な日本人像である。つまり日本は女性が男性に従うだけの封建国家であると考えられている。

記事を読むと「日本はアメリカ占領時代に作られた憲法があり報道の自由が守られた民主主義国」のはずだが、男性中心の古臭い人たちがそれを拒もうとしていて、女性差別もその一環であるというような印象で書かれているように思える。

記事をだけを読むと、日本の報道は男性の絆で維持されたジャーナリズムは封建的な(これは記事には出てこない言葉なのだが)体制の維持に協力してきた協力者であるという印象を持つだろう。記者クラブは地方の警察署のような小さな組織から首相官邸まで記者クラブがあり会員以外を排除しようとしているというのはアメリカ人から見れば言論統制だからだ。

外国人記者は記者クラブ制度に入れてもらえない。そのため外国人特派員協会を作ったり記者クラブ制度の廃止を訴えている。ジャーナリストといえどもやはり「中立」にはなりえないということがよくわかる。ただ、これだけでは不十分なので「抑圧された女性」という別の視点を入れて記事を補強しているのだ。伊藤詩織さんの時もそうだったが「旧弊な体制に立ち向かう勇敢な女性」というのは心情的にわかりやすい。だからこそ記事になるのだが、それだけ危険でもある。

これは日本人が中国や香港の民主化運動を極端に持ち上げるのに似た姿勢だ。日本も自分たちは中国よりマシな民主主義国だと思っている。そこで「中国の人民は無知ゆえに騙されているのだろう」と考えると同時に、体制に反抗する人たちを過度に持ち上げてしまうことがある。アメリカ人は民主主義や民衆の知る権利を至上のものと考えており、そうでない社会が崩れて変わってゆくことを求めている。ある種のスーパーマン願望を持っているのだ。

多分、この記事を日本語で読むと日本人の中には嫌な気分になる人が多いに違いない。例えば政府に対して疑問があっても「日本は男性社会であり」という部分に抵抗感を持つ人もいるだろうし、アメリカ占領時代に民主主義を与えてやったのに権威主義的な体制を維持しているという上から目線の論調に辟易する人もいるだろう。

実はアメリカでもこうした「上から目線」にうんざりした人たちが増えているのではないかと思う。The NewYorkTimesはアメリカでは有名なクオリティペーパーだが、同時に「エスタブリッシュメントの代表」だと思われている。オバマ大統領は立派なことを言っていたが結局何もしてくれなかったと考える人が、わかりやすいトランプ大統領になびき、バーニーサンダーズ大統領候補のわかりやすい言葉に親しみを感じている。

つまり彼らが高邁な理想主義を掲げれば掲げるほどそれに反発する人が出てくる。スーパーマンはもうヒーローではいられなくなってしまい今度は批判の対象になるのである。

朝日新聞もある程度まではこの記事や望月記者にシンパシーを持つだろう。記者クラブは政府の広報機関になっており自分たちの正しいはずの理想主義が共有されないという苛立ちはありそうだ。しかし、それでも彼らは男性中心の編集姿勢に踏み込まれれば反発するだろう。みんなに感謝されるスーパーマンが家では抑圧的な男尊女卑主義者だったというのは彼らには受け入れられないだろう。だから朝日新聞は記事のその部分を紹介しなかったのかもしれない。

ということでこの記事は全文読んだ上で分析するとなかなか面白い仕上がりになっている。The NewYorkTimesは登録すると毎月何本かの無料記事が読める。

香港のデモに自分の思いを重ねる人たち

香港でデモを最初に知ったのはTwitterだった。多分反中国派の人たちだと思う。そのうちABCニュースが取り上げ始めた。やはり「中国が香港の民主化を阻害している」というようなニュアンスに聞こえた。日本のテレビはそこから遅れて独自取材が始まった。催涙弾を投げ込まれた記者の姿が印象的だった。抑圧に立ち向かう人々によりそうというジャーナリスト像を自己演出している。




今回の香港の100万人デモは「なぜ起きたのか」という点も注目ポイントなのだが、それはいろいろなメディアで取り上げそうなきがする。今回印象に残ったのは「政治ニュースに自分の思いを乗せてしまう人たち」の姿だった。

デモの概要

さて、まず今回のデモの概要だが、普通は次のように解説される。

また、香港では6月9日、刑事事件の容疑者を香港から中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐって、大規模なデモが起きた。これは香港の自治を保障する「一国二制度」が骨抜きになることへの危機感のあらわれだ。

香港デモで懸念される”天安門事件”の再来

ABCニュースもプロテスターの映像を流していたが、なぜこれが一国二制度の崩壊につながるのかについて議論している人はいない。Quoraで聞いてみた。

要約すると、昔からの不満や不信感が今回の条例改正案をきっかけに爆発したということのようだ。

不完全な民主主義社会 – 香港人の不満とは

まず香港の人たちは自分たちのことを中国人だとは思っていないのだが、中国の社会主義体制に飲み込まれてしまうのではないかという不安がある。BBCが詳しく解説している。香港は「限定的民主主義」の世界を生きていて自分たちの運命を自分たちで決めることができない。

香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄りだ。

【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景

香港特別行政区立法会も普通選挙枠の他に職能枠があり香港住民の意思が完全に反映される仕組みになっていない。完全な民主主義のように見えるが親中派が歯止めを聞かせるという変わった仕組みになっているのである。これは却ってフラストレーションがたまるかもしれない。

これまでも中国に批判的だった書店員が次々と消えるという不可解なことが起きていているそうだ。表向きにデモを鎮圧するというようなことを共産党はやらないだろう。裏で影響力のある人を潰すのだ。

究極の自由主義社会だった香港

しかし、香港はもともと植民地だったのだから、限定された民主主義でも一歩前進なのではないかと思える。ところがそうではないらしい。

中国と香港は真逆の世界だった。中国は共産党が国民の安心・安全を考えてくれるという建前の共産主義社会なのだが、香港はイギリスが「港を使いたいから支配していただけ」という植民地だったのである。このためイギリスは香港の経済には不介入でだったし、年金制度も長い間なかった(ZAIオンライン)ようだ。つまり国に頼れないが経済的には豊かという地域だったことになる。香港政庁は最低限のことしかしてくれなかったが、香港の平均寿命は世界一なのだという。

ところが、この放任主義は長続きしないかもしれない。珠江デルタの大規模開発(粤港澳大湾区発展計画)が始まり社会主義的な開発が行われれば国の関与が増えることが予想される。また、米中貿易戦争の影響で仕事が東南アジアに流れたりすれば中国への反発も強まるはずである。こうした経済的な不満も政府への不満につながっていったようだ。

ついに台湾の情勢ともリンク

さらに複雑なことも起こっている。香港人の不満が台湾独立問題とリンクし始めているそうである。台湾独立問題とリンクすれば中国共産党は香港の民主化運動を無視できなくなるだろう。

我々は見たいフィルターをかけて他国の状況を見てしまう

このようにそれなりに複雑な香港情勢だが、先に引き合いに出したプレジデントオンラインの記事は「中国共産党が香港を抑圧している」という単純化された論調になっている。実際にデモを鎮圧しているのは香港政府なのだが、その辺りは無視されてしまう。一応ジャーナリストとして訓練されているはずの江川紹子もこのような調子になる。

中国は影では抑圧するかもしれないし間接的には指示も出しているのかもしれないが、あからさまにデモを鎮圧して国際世論の非難を集めるようなことはしないだろう。でも、時期が近いことで天安門事件と重ねた論考が出てしまうし、我々は思い込みからは完全に自由になれない。行政長官は審議を継続すると言っているが、ブレーンからは「今回はやめたほうがいいのでは?」という意見も出ている(香港の逃亡犯条例改正案、行政長官顧問「審議継続は困難」)ようだ。

ところが日本にはこれと別の流れがある。

日本では香港でもへの支援が広がっているようだが「自分たちの運動が見向きもされない」ことに対する代償を求めて集まる口実を作っているようなところがある。

さらに、1960年代の学生運動に批判的だった人・当事者として関わったが人生を棒に振ったと思っている人や、朝日新聞に代表されるインテリが嫌いな人たちがいる。彼らはリベラルが嫌いなので「民主主義国でデモを起こすのは彼らがわがままだからだ」と主張したくなるようである。ただ、彼らが本当に非難したいデモは日本の反原発デモや安倍打倒デモなのだろう。

相手が中国共産党ということになっているので、日本のデモを非難する体制よりの人が香港のデモを応援するというねじれも起きているようだ。

今回の件は香港特有の事情があって起こった問題のはずなのだが、我々はどうしてもそこに自分の意見を乗せて見てしまう。事実をそのままに見るのはなかなか難しいのである。

古いAppleTVでアメリカのニュースを見る

アメリカのニュースを見たいのだがCSにお金を払ってまで見るのもなあと思っていた。ところがひょんなことからABCニュースが見られるようになった。中古のAppleTVを手に入れたのだ。




小さな黒い箱がAppleTV

このAppleTVは第二世代と呼ばれる古いものだ。「セットアップができない」という理由で1,000円で売られていた。セットアップには専用のAppleリモコンが必要なのである。

Macのガラクタを集めているウチには古いAppleリモコンがある。セットアップができるなあと思って買って帰った。セットアップは簡単だ。手持ちのAppleIDを入れると全てが終了する。難しい設定は何もない。テレビはCOBYの中古で1,500円である。

最初は「おもちゃ」としてiPhoneやiPodの映像を映してみた。だが、それは一度やったら「ああ、できたね」で飽きてしまう。昔はこの世代のものでもYouTubeが見られたようだがアプリのサポートが終わってしまって見られない。また、自分でアプリを追加することもできない。かなり使えない箱なのだ。

AppleTV第二世代はiOS5.3時代にはジェイルブレーク(脱獄)ができ自分でアプリを追加できたそうだが、6.2にアップデートするとそれができなくなるらしい。だから今あるコンテンツ以外は見ることができない。できるのはiTunes Storeから映画を買ったりレンタルしたりする(これはこれで楽しめそうだが)くらいのようだ。

YouTubeがどうしても見たければMacのSafariを使って中継するかiOS系の機器をストリーミングするというやり方もある。ただ、これもやり方を勉強したら飽きてしまった。iPhoneに入っている写真をみんなで見るというような使い方はできるかもしれない。かつてのようにホームシアターシステムに音楽を送るという使い方もできる。

「やっぱりおもちゃだからそんなに使えないなあ」と思ったのだが、ひょんなことから新しい使い道が決まった。ABCとBloombergが見られるのである。YouTubeでも同じようなものが見られると思うのだが「見たいものを選んでくれ」という形式なので何がイチオシなのかよくわからないという欠点がある。

最初の10分くらいは何を話しているのかわからなかったが、そのうち耳が慣れてきた。今は便利になっていて、わからない単語があるとパソコンなどで調べられる。英語の勉強をしたい人には面白いのではないかと思った。

今はバイデンさんとトランプ大統領の「対決」について流している。トランプ大統領が「バイデンは頭がおかしい」と主張しバイデンさんは「相手にしない」というようなことをやっていた。バイデンさんを支持する人は30%いて民主党ではトップなのだが、それでもまだ20名の民主党候補の1名にすぎないそうだ。だから、トランプ大統領と遊んでいる余裕はないのだという。

普段「マスゴミ批判」にばかりしているのでテレビの否定的な部分ばかりが目についてしまうのだが、今何が起きているのかを知るためには選択式のネットよりもテレビのほうがわかりやすいということもわかる。

バイデンさんのニュースの後には、共和党のEPAがトランプ大統領を批判しているというニュースが流れていた。昔ならEPAが何なのかわからないまま見ていたと思うのだが、今は検索して調べられる。トランプ大統領が環境系の予算を減らしているという話のようだ。

ABCをしばらく見ていて「あれ疲れないな」と思った。変な声色のナレーションとコメンテータがないのだ。あれがいかに人を疲れさせるかということがよくわかる。

「知りたいことだけが簡潔にわかる」というのは気持ちがよいものだが、これができるのは記者たちが自分の言葉で話ができるからだ。このため、アンカーは知りたいことを記者に質問し、記者がサクサクとそれに答えてゆくという形式でニュースが進む。これができるのは記者たちが地方局から選りすぐられて上がってくるからなのではないかと思う。

日本の記者は会社の「おつかい」に過ぎないので自分の言葉で何かを話すことはできないし、何かを話すことも許されていない。さらに、何が起きているかよりも「みんながどう思うのか」ということを気にする日本人はコメンテータの顔色を見ないとニュースをどう評価していいかわからないことになる。

もっともこんな苦労をしなくてもCS放送で好きなチャンネルを購読すれば良いだけの話なのだが、やる気になればいくらでも海外報道に触れられるようになった。マスコミ批判だけしていても日本のメディアが意見を聞いてくれるとは思えないし、そろそろ対応もできなくなっているのではないかと思う。

パソコンで全てをこなすのもいいが、安いPCとモニターを買ってくれば簡単にニュース専用テレビを設置することができるようになっている。

ABCはネットにかなり力を入れているようで、同じプログラムはPCでも見ることができる。また、iTunes Storeでアプリを手に入れることも可能のようだ。たったこれだけのことで、生の英語に触れて時事問題にも詳しくなることができるのである。

殺人を糾弾するテレビが人を殺すまで

ついに恐れていたことが起きてしまった。川崎・登戸の事件報道が二次被害を生んだようなのだ。正確には最初の事件から「波及した殺人」が起きている。




川崎・登戸の事件は「ひきこもり」が起こした事件として報道された。ひきこもりは社会の役に立たない人たちであるとされている。そのため、世の中はこの決めつけ報道に疑問を持たなかった。

支援者たちはこれに危機感を持ち当事者や家族が追いつめられ「社会とつながることへの不安や絶望を深めてしまいかねません」との懸念を表明していたのだが、実際にはかなり悲惨なことが起きた。最初の事件は福岡で起きた。働かない息子を叱ったら母親と妹を刺して自殺したというのである。ただ、この件はそもそもあまり報道されなかった。

今後、若干派手に報道されそうなのはもう一つの事件である。殺人未遂で逮捕された人が農水省の事務次官という「立派な肩書き」を持った人だったのだ。

「報道との因果関係などわからないではないか」という反論が聞こえてきそうだ。こうした反論が起こる背景には「ひきこもりのような役に立たない人間は殺されても当然だ」という社会に溢れている差別意識に加え、因果関係を認めてしまうとテレビや新聞などの報道を経済的・社会的に制裁しなければならないという他罰的で妙に律儀な意識があるのだろう。さらにその奥には「まともに生きている自分さえ処理されかねない」という危機意識もあるのかもしれない。

続報を読むと「暴力にさらされておりいつ何が起きてもおかしくない状況」だったことがわかる。マスコミ報道は単に背中を押しただけなのかもしれない。早かれ遅かれ問題は起きていたのかもしれない。

つまり、平穏そうに見える家庭にも「やるかやられるか」という状態が持ち込まれている。だから、この件について「マスゴミの姿勢を問う」というような糾弾姿勢は返って逆効果になる可能性が高い。誰が悪いのかと指を指しあっても緊張を高めるだけで問題解決にはならないからである。

マスコミの問題点は「解決策を提示しないで危機意識だけを煽ったこと」だ。例えば老人に蓄えがないと暮らして行けないという報道も別の人たちの背中をおす可能性がある。

ただ、マスコミは問題糾弾だけをしていれば良いという意識もある。日本の報道機関は各社の村の共同体なので問題意識を共有して議論するということがないのだろう。ゆえに、こうした決めつけ報道の歴史は古く根強い。

辿れる源流は1988年から1989年に渡っておきた宮崎勤の事件である。宮崎は今田勇子という名前で犯行声明を出し、これがマスコミの注目を集め続けた。この事件を扱いかねたマスコミは「6000本近いビデオテープが出てきた」ことを根拠に「気持ち悪いオタクは人を殺しかねない」というような報道をし、生育歴を問題にした。つまり家庭を責めたのだ。

当然、世間の非難は家族・親族に向かった。批判にさらされた父親は自殺し、他の親族も仕事を辞めざるをえなくなったようである。報道の二次被害というとこのような関係者に対する直接の影響を指すことが多い。今回の話は「波及効果」なので厳密には違いがある。

宮崎勤は今でいうひきこもりだったのだが、当時この言葉はあまり一般的ではなかった。このひきこもりという言葉も元の意味を離れて一人歩きしてゆく。そして解決策が見つからないまま単なるレッテル貼りに使われるようになってゆく。

ひきこもりという概念の歴史(1) 稲村博先生と斎藤環先生という文章に経緯が書いてある。まず、精神医が不登校問題を考えるうちにアメリカの資料から「社会的ひきこもりという問題があるらしい」ということを発見する。そして不登校の原因はひきこもりかもしれないという解決志向の啓蒙活動が行われた。

ところが、発案者や啓蒙者の思惑を離れて使われるようになってゆく。2000年に入ってひきこもりと犯罪を結びつける報道がなされたという経緯である。

この間、マスコミは根本的な対処はせず「その日の仕事を済ませるため」に「番組や記事の派手なタイトル」を欲しがっていただけだった。そこから継続的に「オタクやひきこもりのような暗い人たちは何をしでかすかわからない」というような報道だけが繰り返され、今回のような事態にまで至ったことになる。

今回の農水省元事務次官の件も「暴力を受けていたから止むを得ず殺した」という情状酌量の方向で短く報道されるのではないかと思われる。なぜこの元事務次官がこの問題を誰にも相談できなかったのかというようなことは語られないだろうし、語られたとしても「行政が悪い」という話で終わるはずだ。

ただ、この「やっつけ報道」は違和感も生じさせているようだ。宮崎勤事件の記憶のあるマスコミは型通りに「岩崎容疑者の自宅から出てきたもの」を「速報」として報道した。テレビを見ているのは主に高齢者なのでいつも通りの報道に疑問を持たなかったのではないだろうか。

ところが、出てきたものがテレビとビデオゲーム機だけだった。宮崎勤の件を知らない人たちは「テレビとゲーム機などどこにでもあるのに」と不思議に思ったようである。J-CASTニュースは山田太郎前参議院議員の違和感を紹介している。

山田さんは「傷つく人がいる」とソフトな表現をされているが、実際には傷つくどころか殺人事件まで起きてしまった。本来社会の問題を解決するために報道があるとすればそれはとても間違った恐ろしいことである。

しかしそれを責めて見ても何の問題も解決しそうにない。「直接的な因果関係は証明できない」わけだし、そもそも「社会の迷惑は死んだり殺されたりして当然」と思う人も多いのではないか。

我々はどうも人が「片付けたり・片付けられたりすることを」仕方がないと思うところまできているようだ。前回の記事にはこのような感想文をいただいた。

最低賃金が引き下げられて、都会では貧困層が生活できなくなる?

先日、厚生労働省の武田賃金課長が韓国で立ち回りを演じてニュースになった。マスコミはこの話題を「春先に変な人が出てきた」という論調で伝え、Twitterもそれに乗っかってしまっている。このTwitterのおかげで政府は本来の議論を隠すことに成功した。Twitterも使いようなのだ。




この文章を読んでいる人たちを含めた全員が「バカだから騙された」という前提で議論を展開する。読んでいる方は「この文章の書き手は自分をバカ呼ばわりしおり、失礼極まりない」という前提で以下を読み進めていただきたい。

現在の最低賃金は地域ごとに決められている。これを業種ごとに設定しようという動きがあったというのが「春先の変な人ニュース」の影で報道されなかった文脈である。これが話題になったのは3月7日のことだそうだ。伝えられているところによると、厚生労働省の「ある課長」が自民党議員連盟会合で提言したことになっている。発言の後にも「マスコミに向けて年内にまとめたい」と意欲を見せたので気の迷いではなかったということがわかり一部の界隈で評判になった。しかしこれは日本の賃金行政の大転換になってしまうので、菅官房長官が火消しに走った。すべてのニュースは一官僚の意見であってはならない。見え方としては「安倍首相の指導力の賜物」であるべきなのだ。

ダイヤモンドオンラインは「地方の最低賃金が上がる」という前提でこれを南欧に例えて分析している。これを書いた人は問題がわかっているので、今回の定義ではバカではない。ここに南欧が出てくるが「バカ」にはこれがわからないはずなのだ。南欧と聞くとギリシャ危機が想起され、別の人が日本はギリシャと違って外国から借金していないし独自通貨も持っているといって議論を収束させてしまう。

現在、アベノミクスの成果は結果的に大企業に偏っている。応分の負担を求めてこなかったからである。このため東京の景気だけがよくなり地方が取り残されるということが起きている。野口悠紀雄は零細企業から人が離れて大企業に移るときに、非正規転換が起こったのではないかと分析している。正規から非正規に移ることで大企業は安い賃金で多くの人が雇える。こうして落ち込んだ零細企業の中には小売りと飲食が多く含まれているそうだ。経済は再び成長を始めたのだが、それは大企業が地方と零細を切り離すことに成功したからなのである。

大企業は東京など一部の都市に集中しているので都市の経済は潤うだろう。するとますます地方が疲弊する。これが都市と地方の賃金格差を拡大させる。すると、地方で外国人を雇ってもいつの間にか消えてしまい都市に流れることになる。日本人はどこに流れても構わないのだが、海外からの労働力はそうは行かない。この問題を統一的に管理する部局がないのだ。厚生労働省は「不法労働者としての外国人」管理を迫られることになるだろう。だが、実は入国管理局は法務省の管轄であり、企業を管理するのは経済産業省である。複数象徴にまたがる複雑な状況が生まれるはずだが、官邸にその種の調整能力があるとはとても思えない。多分誰かが「なんとかしろ」と叫ぶだけだろう。

実はこれが別の種類のバカになっている。つまり、優秀な人がいても全体を統括することができない仕組みになっているのである。視野は限られできることも法律でがんじがらめになっているという世界だ。

実際に今回の最低賃金闘争では何が議論になったのかがよくわからない。実は議論そのものが行われていないのではないかと思う。つまり、それぞれがそれぞれの正解を抱えているがそれが話し合えない状況があるのではないかと思うのである。するとそれぞれの正解を抱えている人は自分の正解を証明するために「実力行使」をして一点突破を図る必要が出てくる。それが突然の「ご説明」であり韓国での騒ぎなのだ。

自民党の人たちはこれが何を意味するのかわからなかったのではないだろうか。それはこの政策転換が自分たちにどのように得になるかがわからないからである。これが今回最初から書いているバカの正体ではないかと思う。つまり、具体的な影響を聞いてその損得がわかって初めて「賛成反対を決める」のが今回の「バカ」の正体である。これまで安倍政権は官僚が書いてきた作文に「バカにでもわかる解説」を加えることで長期政権を保ってきたということになる。

まとめると次の三種類の人たちがいる。「バカ」と言っていたが実はバカではなく「論理に豊かな色彩がついて見える人たち」だったということになる。逆にいうとバカでない人は「色が見えない」か「あるいは色ではなく形を見るように訓練されている人」ということになるだろう。ではその色彩とは何なのか。

  • 論理的に全体像を構成するが「バカ」が何を気にしているかがわからない人たち
  • 具体的なことを聞いて損得を判断する人たち(第一のバカ)
  • 全体を見ることができないか許されておらず限られた視野の中で論理的判断を下す人たち(第二のバカ)

第二のバカである武田さんが考えたのは賃金政策である。彼の持ち場なのでこれは彼にとっては考えられた正解なのであろう。都市への流出を食い止めるためには最低賃金を一律にしてしまえばいい。都市の魅力はなくなり却って物価高が嫌われる。これは実は完璧な回答なのである。問題はそれを他部局とすり合わせていないという点だけなのだ。

賃金を一律にすると「都市で最低賃金で働く人たち」の給料が低くなるか「地方で最低賃金で働く人たちの」給料が高くなる。ダイヤモンドオンラインの最初の記事は「人件費が上がるから地方の経営が圧迫される」という前提で書かれていて「これを交付金でバランスするのではないか」と書いている。一方、前回の記事と今回のタイトルでこのブログが煽ったのは逆側である。つまり、東京が地方に合わせれば「東京で最低賃金で働く人」の生活が圧迫される。経済的な埋め合わせはできるのだが、これが選挙でどう響くのかというまた別の要素もある。

日本の政治議論というのは運動会になっており、与党か野党の政治家が主張して初めて「村の意見」になるという構造がある。これまで「バカ」と書いてきたのだが、実はTwitter論壇は「その意見が自分たちの陣営での勝利につながるか」ということをかなり敏感に感じ取っており、それ以外のものには反応しないようにできてるのである。つまり「バカ」ではなく鋭敏な感覚を持っている人たちなのである。逆に色がが付きすぎていて、論理好きの人が「本質」と考えることがわかりにくくなっているのとも言えるだろう。論理好きの人は「その論争に勝ってどうするのだろうか」と考えてしまう。

いずれにせよ、民主党系の野党がこの問題に気がついていないのは自民党にとっては幸いである。もしこれに気がついた人がうまく料理すればかなりの炎上材料になるだろう。野党が都市で勢力を握りたければ「東京に貧困層が増える」と煽ればいいし、地方で勢力を握りたければ「地方の経営が圧迫される」と言えばいい。

この「持分に集中して損得だけを考える」というやり方は高度経済成長期にはうまく機能してきた。つまりバカではなかった。だがその前提になっているのは、基本的な構造がうまくできており「どう利益を分配するか」ということだけを考えていれば良かったという世界である。しかし、現在の議論は「どうやって損を捨てるか」がベースなので、損得勘定だけを考えていると「誰かが損を被る」ことになり、その損はどんどん苛烈なものになる。大企業は中小企業と消費者に痛みを捨てて逃げた。今度はその痛みを都市の住民に被せるのかそれとも地方にばらまくのかという議論になってしまう。その過程で損が濃縮されるとう構造がある。

実際には「何がどうなっているのか」ということはもう誰にもわからない。野口悠紀雄は今あるデータから構造の一部を抜き出して見せたのだが、これを気にする人はほとんどいないだろう。自分にとって得なデータなのかがよくわからないからである。もし、彼が「消費者は傷んでいるから消費税は今すぐ廃止すべきだ」という文脈に乗ればあるいは聞いてくれる人もいるかもしれない。問題は解決しないが「運動会」に乗るからだ。

有権者も政治家も第一のバカなので、本来は問題意識を持った人たちが様々な統計情報を探してきて全体を検証する必要がある。つまり第一のバカのマインドセットは変えられないが、第二のバカの状況は変えられる。多分日本の官僚組織はこうした一部のエリートたちの集団作業でうまく回ってきたのだろう。

野口先生の統計分析を見る限り、消費税が日本の小売りに与えた影響は大きそうだし、地方と零細企業がこれにやられている可能性は高い。だが、日本の官僚は官邸に分断されてしまったので、もうこれもできない。あとは各々が檻の中で各々の正解を叫ぶという動物園さながらの光景が展開されるだけのはずである。その中心では安倍首相が「すべてはうまくいっている」と叫びながら檻の前をうろうろとさまよっている。

いつかは全体像を理解しなかったつけを支払うことになるだろうと書きたいのだが、どうもそうはならない気がする。あとはNHKが疲弊した地方と困窮する都市住民を「不幸で可哀想な人たちがいます。助け合いでなんとかしなければなりませんね」と取材して終わりになる可能性の方が高いのではないだろうか。これを見て視聴者は「ああ自分の問題でなくて良かった」と安心するわけだ。

NHKの思考停止と考えないことを決めた私たち日本人

新潟のある地区から精神病院がなくなるという。国が精神疾患に関する保険の支払い方式を変えたからだそうだ。このため病院の経営が成り立たなくなり地域から撤退するのだそうだ。NHKのニュースでは統合失調症の患者を抱えた母親が途方に暮れていた。




ところがNHKはこのニュースをまともに扱えなかった。ネットへの権益拡大を狙うNHKは安倍政権に恩を売っておかなければならない。そこで忖度が働き「政権がこれを決めた」ことは伝えないのである。最近のNHKの困窮者のニュースは全てこのような調子である。忖度だ改竄だと言いたくなる。

だが、このニュースは奇妙なバランスで成り立っており破綻していない。NHKの職員はある意味優秀すぎるのだろう。

このニュースは「地震で家が倒壊した人」や「津波で家族を流された人」と同じような扱いになっていた。日本人はこうした天災系のニュースに慣れていて、これが成り立ってしまうのだ。考えてみると変な話なのだが、結果的に政権批判は避けられる。運が悪いかわいそうな人を哀れんで「ああ、うちじゃなくてよかった」という感覚を助長することになる。NHKは自分達の食扶持のためにこうした「運が悪かった人報道」を繰り返している。稲妻系と言ってもいい。雷に当たったのは運が悪かったが、雷はそうそう落ちてこない。

視聴者は何の行動も起こさないから、自分がこの「かわいそうな人」になった時には誰からも助けてもらえないことになるだろう。そしてそれを悟り静かに「迷惑にならないように」息を潜めて暮らすのだ。

数年前なら多分「安倍政権は長期政権だったのでその膿が出てきた」などと書いたのだと思うが、今はそうは思わない。その代わりにNHKは思考停止を決め込むことにしたんだなあという淡々とした諦めの気持ちがある。そしてその背後にあるのは「もう何も考えたくない我々」の諦めがあるのだろうなと思う。人生何が起こるかわからないからもうそんなことを考えても意味はない。だったら今を生きようと健気に決意してしまうのである。

NHKはもう議論の分かれるテーマは扱えないからジャーナリズムは成立しない。これは、センセーショナルなバラエティ情報番組でもない日本独特の何かである。が、NHKが扱えないのはニュースだけではない。

朝の連続テレビ小説「まんぷく」では、日本人がインスタントラーメンが作られるまでの話をしている。チキンラーメン開発が終わったので視聴率的には停滞しているようだが、このドラマには、みんなが知っているが誰も言わない「秘密」がある。萬平さんは実は台湾出身なのである。台湾出身なので憲兵に目をつけられたりGHQに目をつけられたりするというのが多分史実だったのだろうが、これを「差別に当たるかもしれない」といって避けたのだろう。

だが、戦前に台湾が日本領だったことは誰でも知っていることだし、安藤百福が台湾出身だったといっても別にそれはおかしいことでも恥ずかしいことでもない。見ている方が偏見をもっていて「自分は理解できるが、これを理解しない人もいるのでは?」と勝手にやっているだけだ。

大河ドラマ「いだてん」はもっとひどいことになっているようだ。NHKはオリンピックに向けた世論誘導に失敗した。視聴率は低迷傾向にある。加えてピエール瀧さんがコカイン吸引容疑で捕まり「過去から全てのシーンを撮り直す」そうである。ピエール瀧さんで放送した事実は消えないのである意味「歴史改竄ドラマ」になった。

だが、それでもみなさんのNHKは「全く問題がない無菌の日本社会」というありもしないリアルを追求せざるをえない。安倍政権には全く問題がなく、戦前の台湾統治の歴史もなく、出演者に私生活上の問題が全くなく、国民が一致団結して国家的プロジェクトを盛り上げるという幻想の「美しい日本」がNHKの中にだけは存在する。

この「オリムピックばなし」の失敗は、もはや日本人がみんなで喜べることがなくなってしまったことをかなり残酷に映し出していると思う。しかし、NHKはこの幻想を捨て去ることはできない。そうなると「ああ、あれも都合が悪い」「ああ、これも扱えない」となってしまう。結局もう自分たちでは何も考えられないだろう。何かを考えたらどこかで「地雷」を踏んでしまう。でもそれを地雷だと思っているのはNHKだけである。普通の人はそれを「現実」というのだ。

だが、これを見ていて日本人はNHKを笑えるのだろうかと思った。これは我々が望んでいる日本なのではないだろうか。何の社会問題もなく、政治家は嘘をつかず、みんなが健全な「丸い村」というのが私たちがNHKの中に見たい日本なのである。

そんなものはもうどこにもないのだがそれを見つめることすらできない。だからそれを他人と共有して話し合うことすら許されない。そう考えた時、私はとても惨めで傷つけられた気分になる。

バーニングサンゲートに揺れる韓国芸能界

「バーニングサンゲート」という言葉がある。BIGBANGのV.Iが経営に携わっていたクラブ「バーニング・サン」で起きたスキャンダルを発端にした事件である。これが韓国では連日大きな騒ぎになっていて日本にも飛び火しそうである。詳細は朝鮮日報によくまとまっている。




この事件からわかることは二つある。1つ目は我々はかなり細分化された情報社会を生きているということである。この事件を知ったのはTwitterなので、知っている人はこの問題についてかなり詳しくなっているはずだ。だが、一方で安倍首相批判を繰り返しているだけの人もおり、人によって知っている情報がかなり違ってきていることがわかる。地上波だけを見て知りたい情報だけを捕捉している人と、アンテナを外に向けようとしている人の間にはかなりの格差が開くという社会になりつつある。自分の問題を伝えたいと考える人は「そもそも情報が細分化されている」ということを念頭に置いて話を始めたほうがいい。「NHKが取り上げてくれない」と騒いでいるだけでは事態は変わらないだろう。

もう1つわかるのは日本が経済成長しないことを前提にした定常化社会に入りつつあるということである。韓国は外国からの投資を呼び込んで経済上昇できる社会であり、バラエティー番組を見ていても「投資」の話がよく出てくる。生活を安定させるためにはとにかくお金を稼いで何かに投資することが重要なのだ。日本と生活習慣が似ている点もあるので、こうした違いが人々の生活やマインドセットにどのような影響を与えるのかということがよくわかる。そこから振り返ると私たちの「閉塞感に溢れる社会」のありようも見えてくる。日本の状態だけを見ていても日本の問題を解決する糸口は見えてこない。

BIGBANGは2006年にデビューした有名なアイドルグループだ。スンリ(日本ではV.Iという名前で活動している)はその末っ子(マンネ)であり、他のメンバーが現在徴兵されているなかで一人で芸能活動をしていた。日本語が堪能で日本のバラエティにも度々出ており、通訳なしの早口でダウンタウンとの会話が成り立つほどである。さらに起業家としても知られ、ラーメン屋やクラブなどを経営していた。この顔を利用したバラエティ番組も放送されている。貧しい家からのし上がった「成功者」としてスンリとギャツビーを合成したスンツビーという名前でも知られるという報道もあった。

ところが、2019年2月に経営していたクラブバーニングサンで違法薬物の取引が疑惑が報道され、クラブ代表に薬物の陽性反応が出た。スンリは当初これを「知らない」と否認しており、クラブの代表を降り、電撃入隊を発表する。

ところが程なくして捜査はスンリの性接待疑惑に飛び火した。違法な女性のやり取り(つまり売春斡旋である)が行われているという疑惑である。最初は否定していたスンリだが、非公開のSNS上のやり取りなどの証拠が次々と報道されて炎上状態になった。中央日報の伝えるところによるとかねてから海外での違法賭博容疑などもかけられていたそうだ。2019年3月には芸能界引退を発表したが騒ぎは収まらなかった。SNSのやり取りが公開されると芸能人が次々と巻き込まれていったからである。

スンリが芸能界を引退を発表するのと同時に、女性をやり取りしたり性行為の内容を盗撮してSNSに流した芸能人がいたことがわかってきた。アイドルのファンは女性なので、今度はファンが怒り出す。歌手のチョン・ジュンヨンが盗撮したものを流布したという容疑で警察の調査に応じ、引退を発表する。KBSの日曜日のバラエティーショー「一泊二日」がチョン・ジュンヨン(チョンジュニョンとも)の降板を発表したが騒ぎは収まらず、結局番組が「お蔵入り」になった。KBSは謝罪文を出したがmこれで問題は終わらなかった。一泊二日のプロデューサもグループチャットに参加していたのではという疑惑や出演者の賭けゴルフをほのめかす内容もあり出演者たちが芸能活動の自粛を決める事態に発展している。プロデューサが絡んでいれば番組の打ち切りも決まるかもしれない。

またこの種の動画をチョン・ジュンヨンと共有配布したとしてFTISLANDのチェ・ジョンフンも警察の捜査を受けており、芸能界の引退を表明した。今度はこれが警察に飛び火する。飲酒運転で免許停止処分を受けていたが公にしなかったという疑惑が持たれている。この隠蔽に警察が関わっていたのではというのでは?と囁かれ、騒ぎがさらに拡大した。この警察関係者はチャットの中では「警察総長」と呼ばれている。そのような役職はないのだが、A総警という名前までが出てきており、ついには具体的な名前(氏だけだが)も報道された。現在この人には待機命令が出ているそうだ。

CNBLUEのイ・ジョンヒョンにも関与の疑惑の目が向けられており「グループ脱退間近なのでは」などと言われている。こちらもチェ・ジョンフンとの間の通信記録がある。一連の事件に直接関与したという証拠は上がっていないのだが、やはり「女性をモノのようにやり取りした」ことが不適切だと考えられている。

この事件は日本とはあまり関係がないと思われていたのだが、日本の建設会社も性接待を受けていたという報道がある。まだ匿名扱いだが日本のネットでは名前が特定されている。日本のタレントを家族に持つ社長さんなのだそうだ。

この問題はもともと違法薬物の取引問題が発端になっているのだが、本筋とされているのはスンリさんが韓国の会社と組んで海外投資家からお金を得るために性接待をしていたのではという事件である。そして、その背後には警察の上層部も絡んでいたのではという「癒着」の疑いがかかっている。つまり、官民汚職事件の様相を呈しているのだ。関係者の対応が後手にまわり連日有名アイドルや名物番組の名前が取りざたされることで人々の興味を掻き立て続けている。

さらに国政にも関係するスキャンダルも取りざたされている。バーニングサンゲートは枝葉に過ぎないというのだ。だた、この記事を読むと「私が自殺することはないが」などというほのめかしが書かれており、こうなるともう韓流ドラマの世界である。ネタ元がスポーツ新聞なのでどこまでが本当なのかがわからなくなる。「清潔なイメージで売っていたアイドルが盗撮や女性のやり取りをしていた」という意外性があることからもう何が起きても不思議ではないと思われているのだろう。

ここまで加熱しているバーニングサンゲードだが日本では断片的にしか報道されていない。このためTwitterでこれを断片的に知った人のなかには「何を騒いでいるの?」と不思議がる人もいるようだ。

ピエール瀧が出た映像作品はお蔵入りにするべきなのか?

ピエール瀧容疑者がコカインの吸引容疑で逮捕され、違約金が30億円になるのではという報道がある。あとから「作品を全てお蔵入りにすると言っているが、そんなことはしなくてもいいのでは」という議論が出てきた。坂本龍一も音楽に罪はないと言っているそうだ。




これを見ていて全く別のことを考えた。地上波ってもう無理なんじゃないかなと思ったのだ。

こうした自粛祭りが起こるのは「不特定多数の人達」を相手にしているからだろう。いつどこでどんな炎上騒ぎが起こるかわからないので、とにかく一度遮断して様子を見ているのである。つまり、不特定多数を相手にしてビジネスをする以上何が起こるかは予測できないから当座の処置としての自粛は避けられないということになる。

音楽にも特定の人たちに支持される「サブカル」とされる音楽と「メジャーな大衆音楽」の間にはなんとなく境目がある。「電気グルーブの音楽はどちらか」ということになるのだが、紅白歌合戦への出場が検討されていたということなので、ちょうど境目に来ていたのだろう。もし電気グルーブが本当のサブカルだったら自粛騒ぎにまでは発展しなかったかもしれない。

映画はピエール瀧容疑者が入ったままで公開に踏み切るところが出てきているようである。マージャン放浪記2020という大人向けの名前がついているので「話題を呼んだ方がトク」という判断が働いたのだろう。大衆映画だがサブカル風味で売っているものは「少々傷があったほうがハクがつく」というそろばん勘定が働く。ピエール瀧容疑者は北野武監督作品にも出ているそうだが「その手の物」は地上波は無理でも配信などでは許容される可能性が高いと思う。

しかし、これだけでは地上波全般が無理とまでは言えない。地上波が無理と考えた背景は別のところにある。こうした炎上騒ぎが起こる環境で「みんなが満足するもの」はもう作れないのではないかと思ったのだ。地上波は、みんながないところでみんなが楽しめるものを提供し続けようとするとどうなるのかという惨めな実験になっている気がする。

どうやら、政治にしろ文化にしろ公共は「ある種のエンターティンメントになっている」のではないかと思う。つまり、他人があれこれ詮索して非難をしても良いジャンルなのである。よく「公人」という言い方がされる。政治家が公人なのはわかるが、芸能人が公人であると言われると違和感がある。だが、個人の名前でビジネスをしている突出した人には無条件で「公人格」が付与される。権利でもあるが「いざという時はみんなで叩きますからね」という刺青になっているのである。

日本では「みんなで支えて維持する」という公共は作れなかったが処罰の対象としての公共はできつつあるのだろう。日本人の考える公共とはテレビの中にある別の世界なのである。視聴者はつながっていないので、公のコンセンサスというものが消えつつある。例えばみんなが楽しめる音楽番組はもうない。紅白歌合戦では誰かが必ず退屈な時間が出てくる。

報道情報番組にもそんな傾向がある。最近、SNSでテレビについての議論を見る。NHKが政権を忖度しているとか、民放のバラエティーショーが同じような芸能人の不倫ばかりを追いかけるというような不満だ。なんとなく、今のテレビに不満を持っているようだ。「みんなの共通認識」がなくなったのにみんなを満足させようとするから誰も満足させられなくなってしまった。唯一残ったのがワイドショーの「突出した個人を叩く」という娯楽なのだ。つまり、大衆の個人に対するリンチだけが残ってしまったのである。

このため、本当にニュースが知りたい時にはネットに頼る必要がある。今ではCS放送に代わってネット配信が盛んになりつつあるようだ。Huluを使えば月額1,000円でBBCとCNNが見られるそうである。原語でよければ直接配信されたものを見ることもできる。試しに見てみたが、アメリカではトランプ大統領と共和党上院議員のバトルが起きており、イギリスではEU離脱交渉でメイ首相が声を枯らしながら議会を説得していた。また韓国ではバーニングサンゲート事件が起こり芸能人が次々と引退に追い込まれている。日本の地上波を見ているだけでは現地の興奮は伝わってこないし、いったんこれらを見てからツイッターの炎上議員の様子を見ると「大阪のチンピラがまったりと騒いでいるな」くらいにしか思えないほど、世界は動いている。

このように選択肢が豊富にある状態で地上波だけを見続ける理由を探すのはとても難しい。テレビは番組の合間の自局CMを見て次に見たいものが決まるシステムなので、いったん離れてしまうとテレビを見る習慣そのものがなくなってしまう。こうして地上波のニーズはどんどんなくなってしまうのである。

よくNHKしか見ない高齢者が騙されるというような話を聞くが、高齢者というのはかなり上から目線なので「自分の価値観に合わないものがあればこちらから叱り飛ばしてやる」くらいに思っているはずだ。高齢者の万能感をなめてはいけないと思う。これからのテレビは高齢者の思い込みに合わせて番組をつくることはあっても「扇動してやろう」などとは思っていないと思うし、実際にはそんなことは不可能である。だからNHKのニュースは政権ではなく高齢者に忖度したものになるだろう。彼らが理解できないものは流せない。

ピエール瀧容疑者の問題は芸能コンテンツの問題として捉えるよりも「皆様が安心して楽しめてご満足いただけるコンテンツはもう作れない」という観点から見たほうが有効な議論になると思う。多様化した世界で「皆様のNHK」という「皆様」はもうどこにもいないのだ。