わざわざ水害の多い地域に住むのはなぜなのか

台風が来るたびに川が決壊したというニュースが流れ「水があふれて想定外たった」というような話になる。最近では線状降水帯という聞きなれない気象用語が一般化した。このため気象災害が起こると「想定外だった」という話になり、そんなところに住んでいる人が悪いという論が出てくる。




しかし、調べてみると川が決壊するのは決して偶然ではないことが分かる。むしろ、日本人はもともと洪水が起こるような土地に好んで住んできた。川の決壊が驚きを持って語られるのは日本人がどこから来たのかを忘れかけているからなのだろう。政治議論をするにしても避難経路を確かめるにせよ、自分が住んでいる地域の川がどのような来歴でできているのかを知るのはとても重要なことである。

また、堤防の議論は日本人は氾濫原に好んで住んでいるという事実を踏まえる必要がある。ダムや堤防を高くすれば普段の洪水は防げるようになるだろう。一見良いことのようだが、数年に一度ものすごい雨が降ると今度は逆に被害を大きくすることがわかる。防いでいた水が一気に流れ下るからだ。2018年の水害ではダムが被害を大きくした。朝日新聞には次のように伝える一節がある。

西予市は3~4キロ上流の野村ダムの放水量が一気に増加したことが原因の一つとみている。野村ダムは7日午前6時すぎ、放水量を1時間前の4倍以上に増やした。ダムを管理する国土交通省四国地方整備局野村ダム管理所によると、上流河川が未明に氾濫危険水位に達し、ダムも満杯になって貯水能力を超える恐れがあったためという。

担当者は「今回はダム周辺に長時間、雨が降り続いた特異なケース。こんな状況での大量放水は想定していなかった。やむを得ない措置だった」と説明する。

ダム管理所は放水の1時間前、サイレンや市内アナウンスでダム放水に伴う河川水位の情報を流し、西予市防災行政無線で避難指示を呼びかけたという。愛媛県の中村時広知事は「本当に難しい判断だと思う。マネジメントを間違えると逆に決壊ということにもつながる」と述べた。

観光名所の京都・嵐山を流れる桂川では6日夜に水位が急上昇し、氾濫(はんらん)した水が道路に流れ込んだ。近畿地方整備局によると、上流の日吉ダムで貯水能力を超える恐れが生じ、6日夕に毎秒約900トンの放流を始めたためという。

NHKを見て「水害対策がなされていない」と騒ぐのは構わないと思うし、心情的には理解できるのだが、いったん雨が落ち着いたら地域を実際に歩いてみてどこに何があるのかということを調べてみるべきだと思う。さらに時間があるのなら地域の図書館に出かけて治水の歴史について考えて見てもよいのではないだろうか。

例えば2018年に被害の出た小田川にはかつて東西両ルートがあったとも西側ルートだけだったとも言われているようだ。山から降った川は井原で谷筋とぶつかる。もともと山陽道が通っていた筋で福山から倉敷に抜けているルートである。実はこの筋に従って小田川は西に流路を変えて福山から抜けていたという話があるそうだ。今では東側に流れており高梁川に接続している。小田川には天井川になっている地点があり、これが今回の被害につながった。また、終点が高梁川なので、高梁川に大量の水が流れると流れがせき止められたような状態になる。改めて地形をみるとそのことがよくわかるのだが、言われてみないと気がつかないという人の方が多いのではないだろうか。

今昔マップなどを見ると古い地図を調べることができる。

僕が住んでいる地域は関東ローム層という火山灰が降り積もった台地になっている。近くには貝塚が点在している地域もあるので、もともと台地と深い入り江が入り混じった地域だったようだ。

oldmap

白く塗ったところが川筋に当たる。火山灰の柔らかいところを小さな川が削ったのだろう。この地図ではすでに鉄道が通っており、街道も見える。

面白いことに集落は真っ平らなところにはない。谷ぞいの高台に作っている。高台の集落から谷底の田んぼに通ったのだろう。

その奥には水害に無縁の大地もあるのだが、ここは旧来全く利用されてこなかった。古くは藩の訓練施設になっていたようでその後軍隊が使うようになった。軍の訓練施設は隣の市からさらに隣の市まで広がっており、隣の市は軍都と呼ばれており、今でも多くの史跡がある。

戦後になって周囲の事情は一変する。原野にあった軍用地は大幅に縮減されて開拓団が作られた。開拓団は水の便が悪い地域を切り開いたのだが田んぼが作れなかったので畑になったようだ。川がないと栄養分も蓄積しない。肥料を外から入れない限り農業には向かない土地なのだが、今でも畑が広がっている。ところどころに開拓記念碑があり、戦後切り開かれてきたことがわかる。

関東地域は多くの川が現在の隅田川に流れこむ非常に不安定な土地だった。東京も元は湿地だった場所だ。こうした川を付け替えて流れを利根川に帰ることで地域を安定化させた歴史がある。

2015年に氾濫した渡良瀬川も流れが変わった川の一つだ。川が安定すると氾濫土壌由来の肥えた土地を農業利用することができるようになるが、時々水害の被害が出る。もともと米どころの豊かな地域はそのまま水害地だと言っても良い。水害の事だけを考えると人々は高台に住めばよかった。だが、実際にはそうはなっていない。それは我々の祖先の暮らしが米を基礎にしていたからである。

今でも雨が降ると低い土地には雨が溜まる。昔、田んぼがあったところである。つまり、日本人は雨が降ると洪水が起こるような土地を「価値がある」と考えており、わざわざその周辺に住んでいたのだ。しかし、そこに住めないことも知っており、高台に暮らしてきた。

今でも水浸しになる地点には「源弁天」という名前が付いていて小さな祠がある。この水源が潰れないように「よくお乳が出るのだ」というような伝説まで与えられている。弁天は水が湧き出るところによくある地名で源町という町も水源地を意味するのだろう。近くの田んぼの水源地であり大切にされてきたのだが、同時に水害があることも知られているので小さな祠を作って鎮めたのかもしれない。

このように地形によって住宅利用してきた土地のなりたちが分からなくなったのは高度経済成長期だ。そこで農村の人たちは田んぼを売って区画を整理した。それを取りまとめていた人たちが市議会議員になった。谷が埋められることはなかったが、谷筋を無視して直線的な道路が引かれ、高低差は分かりにくくなっている。この近くにも「〜台」という地名がついた。だが実際には谷である。それでも水だけはやはり制御できず、大雨が降ると水浸しになってしまう地域がある。よく地域で問題になるがうまい解決策はないようだ。そういう土地に家は建てられないので自治会館が立っている。避難場所にもなるが地元の人は決してそこには避難しないだろう。そもそも源弁天が海に流れる流路にあたり、その道にはいまでも地下河川が通っているからである。

それでも住むには適さない地域が残った。そういう場所は市に買い取らせて、モノレールの基地や公園を整備した。そのように「うまく市政を使う」のが地元の政治家の腕の見せどころだったそうである。このように、水利は今でも政治に大きな影響を与えている。

とと姉ちゃんの嘘

とと姉ちゃんを見ていて疑問に思ったことがある。昭和30年代の日本の家電業界はたいへんなありさまだったようだが、いつ正常化し、さらに世界に誇るような業界になったのかという問題だ。しかし、調べても日本の家電業界が粗製乱造のひどい有様だったというような資料は(少なくともネットでは)出てこない。もっとも資料の多くは成功した家電メーカーが書いたものが多いので、不都合な事実は載っていないのかもしれない。

それどころか昭和30年代にはすでにホンダやソニーがアメリカに進出している。日本製製品は壊れにくくて優秀だという評価を獲得する。とと姉ちゃんの日本と現実の日本は別の国だったのだろうか。

確かに日本の製造業は粗製乱造だった時代があるようだが、戦後早くからデミングの指導で品質改善運動が行われていた。昭和32年には松下幸之助が家電店を組織してナショナルショップを組織している。家電の性能が悪かったとしてもそれは日本人の意識が低かったわけではなく、単に技術力がなかったということなのではないだろうか。アメリカの製品の模倣品が多かったのだ。暮らしの手帖へのクレームはそう多くなかったようだ。

さて、それでは日本の製造業は立派だったのかというとそうでもないらしい。問題が多かったのは食品だった。果汁を使っていない粉末ジュースや牛肉を使っていない牛肉の缶詰などが売られていた。国が消費者を保護するという考え方がなく、保健所に持ち込まれたり、主婦連合会が独自に研究所を作ったりしていた。

昭和40年代には不当表示を取り締まる法律が作られ、兵庫県に生活科学センターが作られた。これを模倣する動きがあり、国も追随した。そもそも消費という概念もアメリカの輸入品だ。アメリカでは1936年にコンシューマーズ・ユニオンがコンシューマー・レポートという雑誌を出している。暮らし手帖のアイディアもオリジナルというわけではなさそうだ。

戦後民主主義の高揚がありその一環として消費者へのエンパワーメントが行われたのではないかと考えられる。

昭和43年に消費者保護基本法が作られるまで、消費者には企業を訴える法的権限はなかった。粉ジュースの不当表示をめぐる裁判では「消費者は企業を訴える当事者ではない」とされ敗訴しており「かといって、嘘を書くのはよくない」ということになったようだ。消費者保護基本法が作られたの理由は「家電製品の不具合はよくない」とか「牛肉以外のかんづめがけしからん」というような話ではない。粉ミルクに砒素が混じったり、油に有害物質が混じったりというような事件が頻発していたのだ。今の中国のような状態だったのである。

国としての消費者保護はなかなか進まず、地方と民間の主導だったようだ。今でも消費者相談の窓口は国と地方の二本立てになっている。製造者責任法ができたのが平成6年だ。しかしその時点でも消費者保護を統括する役所はなかった。さらに第一次安倍政権は消費者行政をリストラしようとした。今でも大企業優遇の色合いが強く庶民には共感しない安倍政権だが、大企業のためには消費者行政が邪魔に映ったのかもしれない。その後安倍首相が体調不良のために辞任してから福田康夫政権で揺り戻しが起き、一転して消費者庁構想がでてきた。福田康夫の悲願だったようだ。しかし、福田政権も1年しか続かなかったので、消費者庁ができたのは民主党時代だ。

当初は自分たちで試験をすれば何が安全なのかということがわかったのだが、最近は事情が変わっている。遺伝子組換え食品のようににわかには影響がわからないものも多い。金融・住宅・電子商取引のように複雑化しており民間団体が「消費者目線」で検査してわかるレベルを超えている。一方で経済成長が鈍化しており、企業も消費者を騙してでも生き残らなければというプレッシャーにさらされている。

とと姉ちゃんは暮らしの手帖の意義を際立たせようと、様々な演出をしているようだが、却って「一人の英雄的な女性が日本品質の基礎を作った」という間違ったイメージを与えかねない。実際には様々な人たちが集まって徐々に日本の安心社会が形成されたのだ。うらをかえせばこれが当たり前だということにれば、不安社会に逆戻りしかねない。消費者保護行政をリストラしようとした安倍首相などはそのことがよくわかっていないのだろう。

 

イギリスはひどい国

EUの離脱騒動を見ていると、つくづくイギリスの政治家ってクズだなあと思う。離脱派の言っていることはほとんど嘘だった。保守党で離脱派を牽引したボリス・ジョンソン氏は、党首選に出馬する間際に後ろから仲間に裏切られた。また、政権の外から離脱派を煽っていたUKIPのナイジェル・ファラージ氏は党首を辞任した。離脱派を煽るのは好きだが、離脱の手続きみたいな面倒なことはやりたくないようだ。「自分の人生を取り戻す」などともっともらしいことを言っている。現在、イギリスは土地の値段が下がり続けている。

イギリスの政治家がひどいのは今に始まったことではないらしい。

第一次世界大戦で破れたオスマントルコ領域の諸民族にむちゃくちゃな約束をしたので、現在まで続くアラブとユダヤ人が対立する構図ができた。だがその裏でちゃっかりとフランスと密約(サイクス・ピコ協定)を交わして地域を山分けする約束をしていた。この結果作られたのが、現在のシリアとイラクで、中東が大混乱する原因になっている。シリアから難民があふれてヨーロッパは大混乱しているのだが、その原因を作ったのはイギリスなのだ。

イギリスは中国にもいろいろ仕掛けている。インドや中国との貿易がうまくゆかなくなったので、中国に麻薬を売りつけた。清が反発すると、けしからんといって戦争をふっかけて香港をぶんどった。中国はこれがトラウマになり、今でも西欧世界がつくる秩序に懐疑的だ。

第二次世界大戦では中国を引きずり出す政策にでた。日本の戦力を消耗させるためだ。国民党の蒋介石を引っぱりだして「沖縄をあげるから」などと誘った。国民党は日本と対峙して疲弊してしまい、日和見を決め込んでいた共産党との対決に破れることになった。その結果、中国大陸は第二次世界大戦後共産化してしまう。アメリカもイギリスも、第二次世界大戦後の国民党を支援することはなかった。それどころではなかったという事情もあったのだろうが、日本が何かとアメリカ中心の秩序に反対したがる共産主義国家と対峙しなければならないのは、イギリスのせいだと言えるだろう。

イギリス人政治家や外交官には罪悪感がない。あることないことを吹き込み、相手が信じて行動しても「騙されたほうが悪い」と開き直る。後の残るのは混乱だけである。

そんなイギリスで民主主義が発達したのは何故だろうと考える。実は民主主義が発達したのは、イギリスのリーダーがクズだったからなのかもしれない。何事も最初に言質を取っておかなければ不安だし、時々政権を変えないとどこまでも増長することになるだろう。何か意外なことが起こるたびに「騙された」と立腹していては身が持たないのではないだろうか。

ではなぜイギリス人は簡単に他人を騙すのだろうか。国が貧しく他人から略奪するしかなかったからだという仮説を立ててみた。植生が貧しくろくな作物が取れそうにないからだ。たしかに以前のイギリスの食料自給率は30%程度だったのだそうだが、現在では70%程度にまで改善してきているのだそうだ。山岳地帯が少なく農地が豊富にあったことが自給率の向上につながっているのだという。直接補助制度がうまく機能しており、国内の農家は保護されているのだそうだ。

だが、もともとのイギリスの植生は貧しい。そのために農業に対する潜在的なあこがれがあり、土地を略奪して農業作物を安定供給するような体制が取られた。アイルランドを支配すると、アイルランドから食料を略奪同然で買い取ることになった。アイルランド人はわずかな農地でジャガイモを作っていたのだが、病気が蔓延し、人口が激減することになった。イギリス人はろくな保護を与えなかったので、多くのアイルランド人がアメリカに逃亡したのだ。

ガーデニングがイギリスでブームになったのも、もともとの植生の貧しさの裏返しだ。各地から植物を集めてきて自慢し合ったのである。

食事も貧弱だ。イギリスの名物料理といえば、ジャガイモとタラが有名だ。その他にヨークシャープディングというものがあるが、肉を十分に食べられない人たちが腹持ちを良くするために作られた料理だとされている。

そのように考えると、日本で民主主義が根付かないことに対する幾ばくかの慰めを得ることができる。日本は植生が豊かで作物が豊富に取れるので、他人を騙さなくてもなんとか食べてゆくことができたのだろう。他人を騙してのし上がろうとする支配者が表れても、集団圧力がかかって潰されることになる。同じ民族(もともとは違っていたのかもしれないのだが、なんとなく今では共存している)でゆるゆると過ごすことができる。

いずれにせよ、民主主義社会を生きるのであれば、政治に過度な期待をしないほうがよさそうだ。「ああ、この人嘘をついているかも」と思っているくらいがちょうどよいのではないだろうか。民主主義はそういう国で生まれたのだ。

沖ノ島が女人禁制になった謎

テレビで沖ノ島の特集をやっている。世界遺産に登録されそうだということで注目されているそうだ。

航海術が発達していなかった当時、朝鮮半島に渡るためには唐津から壱岐に行きそこから対馬に渡る必要があった。このルートだと目的地がずっと目視できて、比較的簡単に渡ることができるのだという。対馬からは釜山と壱岐が見える。また壱岐からは九州を見ることができる。

ところが、ルートとしては沖ノ島を目指した方が早く着く。島は宗像から朝鮮半島(釜山あたりになる)を直線距離で結んだ途中に沖ノ島があるからだ。唐津を経由せずに直接行けるわけで、この土地を押さえることには利点がある。宗像一族はこの島の存在を秘密にすることで優位性を保っていたのではないかというのが番組の説明だ。

宗像族がここを利権化したのはどうしてだろうか。沖ノ島で祭祀が行われるようになったのは4世紀の後半だそうだが、まだ日本には製鉄技術がなかった。5世紀半ばの西日本の古墳などに朝鮮半島の鉄の延板が出てくることから、当時の勢力が鉄を朝鮮半島から輸入していたことがわかる。鉄が使えることには2つの利点がある。まず丈夫な農機具が作れるので生産性が上がる。そして、武器にも使えるので国力が強くなる。つまり、鉄は富国強兵に欠かせない資材なのである。天皇家を中心とした連合勢力であるヤマト王権はこうして周囲の勢力を凌駕していったものと思われる。王権が整うと、朝鮮から製鉄技術を持った人たちが入ってくる。最終的に中国に習った法律体系が整備され、最終的に日本は国としての体裁を整えてゆくのだ。

これを聞いて勝手に仮説を妄想した。なぜ女性の上陸ができないのかという謎についてである。沖ノ島は女神が守っていると信じられている。女神は女性に嫉妬するので女性は上陸ができないというのが一応の説明だ。沖ノ島に住んでいる男性神職が見張り役を果たしているのは明白だ。そもそも沖ノ島に神社が建てられるのははるか後になってからなので、この人が神職であるという説明にはあまり説得力がない。

男性もそのままでは上陸ができない。何も身に付けずに海に入り禊をする。なぜ何も身に付けずに禊をする必要があるのか。それは、見張り役が「この人が女性でないこと」を目視する必要があるからだろう。では、どうしてそこまでして女性を嫌うのか。

もし女性が上陸すればその女性は子供を産む可能性がある。つまり沖ノ島に人が住み着く可能性があるということになる。そこに人が住めば九州本土や朝鮮半島との往来が生まれる。すると島の存在は秘密ではなくなるだろう。ヤマト王権や宗像一族にとってみればそれは利権を失うということを意味する。女性が進んで離島に上陸するということは考えにくいが、男性の見張りが女性を連れ込むことはありそうだ。そこで「あそこには女が入ると祟りがある」とか「無事に帰っては来れない」などと言ったのではないだろうか。

沖ノ島は岩で覆われた地形ではあるが、開墾すれば人が数人くらせるくらいの野菜は育てられそうだ。実際に縄文時代には人がいた痕跡もあるそうだ。わき水があるそうで水には困らないだろう。また、漁師は沖ノ島付近で漁をしており上陸も許されているという。また、北朝鮮や韓国からの密入国者に上陸された歴史もある。つまり、防御をしないとヨソモノに奪われる可能性があるということになる。

ということで沖ノ島に女性が入れないのは子供を作らせないためという説を勝手に唱えたい。神秘的な説明付けにも意外と現実的な理由があるのではないだろうか。もちろん、何の根拠もないし、誰かそういうことを提唱している人もいるかもしれない。が「神話だからダメ」などと言われると、なぜかそれに異議を唱えたくなってしまうのである。

中国の尖閣海域侵犯と日本が敗戦した意味

中国艦船が尖閣諸島辺りへの航行を繰り返しているらしい。これを見た短絡的な日本人は「中国は日本を侵略しようとしている」とか「国際的な秩序への挑戦だ」などと息巻く。まあ、これはこれで構わないと思うのだが、一般常識のある人はこのような意見には与しない方がよいと思う。これについて考えを巡らせると、意外な感想を持つ。

そもそも「国際的な秩序」とは何なのだろうか。もともとは内戦状態にあったヨーロッパでの紛争防止スキームに端を発する。ヨーロッパの勢力はやがて「国」という枠組みを発明し、海外で植民地経営に乗り出すようになった。この植民地経営に加わったのがアメリカと日本だ。「内戦」は植民地を巻き込んで、大混乱の末に集結した。結局「植民地経営は経済的に正当化できない」という認識ができ、別の統治の仕方が考えられた。それが国連による「国際的な秩序維持」である。

第二次世界大戦当時、ヨーロッパとアメリカは独力で日独伊に対抗できなかった。そこで中国とソ連を抱き込もうとした。ソ連はドイツと対抗していたし、中国は日本から独立したがっていた。また、アメリカは中国利権を日本から奪取したいと考えていた。

だが、この二カ国は旧宗主国連合ではない。つまりは植民地経営を経て「これは割に合わない」という経験をしていない。それどころか既得権としての利権を持っていないので、旧宗主国が作った秩序に挑戦するようになった。このため、国連は紛争防止スキームとしては破綻している。東西冷戦が終わった後、ロシアはクリミア半島を自国領土にしてロシア系住民の多いウクライナ東部を狙っている。また中国は外海へのアクセスを求めて南シナ海へ勢力を拡大しようとしている。

東西冷戦時にはあたかも「イデオロギー対立」のように見えていたのだが、最近ではそれは「文明の衝突」などという人もいる。だが、新興国が全て現在の国際秩序に反抗しているわけではない。例えばインド、南アフリカ、ブラジル、ナイジェリアなどは、植民地支配された経験から共通言語は持っている。

中国が尖閣諸島付近を航行するのは、明らかにアメリカが南シナ海を航行することに対する当てつけだ。アメリカが中国の提唱する秩序を認めないのであれば、中国はアメリカの提唱する秩序を認める訳にはいかないと考えるのだろう。それは旧宗主国陣営が作った秩序に対する挑戦なのだ。北朝鮮も核を持って「核兵器を平和の維持に利用する」などと言っているが、これはオバマ大統領をまねたものだろう。こうした国々はより危険な形で「正義の味方ぶる」アメリカに対抗しているわけだ。

植民地に完全に組み込まれなかった地域を探してみたがきわめて少ない。イラン(ペルシャ人)、エチオピア(他民族国家だそうだ)くらいしか思いつかない。トルコは東ヨーロッパとアラビア半島を版図とした経験があり「旧宗主国」側である。旧植民地で宗主国側に転じたのはアメリカ合衆国だけだ。

ヨーロッパはアメリカを「世界のリーダーだ」とおだてることで植民地を経営することなく世界秩序を維持することができていた。しかしアメリカ人は「実はこれは割に合わないのではないか」と感じ始めているようだ。その意味ではドナルド・トランプは田舎者のアメリカ人なのだ。「秩序維持に対して正当なな対価を得る」などと言っている。

そもそも中国は「国際的秩序とやら」による利益を享受している実感がない。従わせるのはなかなか難しそうだ。多分、軍事力によって押さえつけられているのではないかという被害者意識を持っているのではないかと考えられる。中国人はたびたび外国からの支配を受けてきたが、支配者層は全て中国に同化してしまった。中華文明に同化せず、ただただ搾取し続けたのはヨーロッパ人と日本人だけなのだ。イギリスのように麻薬を売りつけられないからという理由で戦争を吹っかけ、香港をぶんどった国もある。中国人にとってはこれが「国際秩序」なのである。

と、同時に日本が現在の地位にあるのは、第二次世界大戦で強豪国として列強に激突したからなのだなということも分かる。形式上では敗戦国なのだが、日本は第二次世界大戦で負けた国なのだという認識を持っていると国際情勢を見誤るのではないだろうか。

日米は同盟関係にないという説があるらしい

他人のTwitterというのはなかなか勉強になる。今日は「日米は軍事同盟を結んでいない」という人がいた。その根拠になっているのは「日米は(軍事)同盟条約を結んでいないからだ」ということだ。これに対して「同盟というのは重層的なものであって、軍事同盟だけを指している訳ではない」と反論している人がいた。

なんだかすっきりしない。いろいろ調べて分かったのは、この単純そうな問題ですらタブー視された歴史があったということだ。これを健全に語れる状態に戻さないと、後々ややこしいことになるのではないかと思えるのだ。そもそも「語れなかったことが、今の私たちの議論をややこしいもの」にしている。

まず「日米は軍事同盟関係を結んでいない」というのは、従来の政府の見解だったようだ。なぜなのかはよく分からないが、日米安保の改訂に大きな反発があったので政府がタブー視していたのではないかと考えられる。

これが変わったのは大平首相の頃だそうである。学術的にまとめられた文章は見つからず、なぜかYahoo! 知恵袋に書かれている。Wikipediaには後任の鈴木善幸総理大臣が「やっぱり日米安保は軍事同盟ではない」と発言して伊東正義外相が抗議の辞任をしたのだということが書いてある。どのような党内対立があったのかは分からないが、1980年代の初頭までは「あれは軍事同盟なのだ」と言うことが半ばタブー視されていたことが分かる。

ある国会議員(伊東正義外相の話はこの人から聞いた)によると、永田町ではこれで「日米同盟は軍事同盟」というのが定説になったようだが、巷ではまだ「あれは軍事同盟ではないので、日米は同盟関係にはない」と信じている人がいるということになる。つまり、「日米の関係が何なのか」ということや「同盟とはそもそも何なのか」ということすら、実は世間的な統一見解がない。少なくとも当時の見解の相違を引きずっている人がいるのだ。

では、条約のパートナーはこの件をどう見ているのだろうか。アメリカ政府のウェブサイトには「アメリカの集団的防衛の枠組み」というセクションがあり、日本条約という項目がある。

まずは、日本ではいろいろとごちゃごちゃ言っているが、日米安保条約は集団的自衛の取り組みなのだということが分かる。「限定的」というのは「憲法に沿う形で」と書いてあるが、あくまでも「日本の行政権の及ぶ範囲では相互の攻撃を自国の攻撃と見なす」となっている。アメリカの認識としては「日本はアメリカを助けませんよ」は通らないことになる。

であれば、昨年夏のあの一連の議論とか、これまでの政府見解って何だったのかということになる。一方、安倍さんは領域外でも協力すると言っていたが、あれは日米同盟の枠外だということになるが、大丈夫なのか。また、日本はオーストラリアやインドと相互防衛条約なんか結んでいないのだから、中国の封じ込めなんかできない。あの議論の混乱を見ると、安倍さん自身が枠組みについてよく分かっていなかったのではないかと思えてくる。

ただ、この表にあるからといって、実効的な同盟関係にあるというものでもないらしい。例えばリオ条約の項目にはキューバが含まれている。長い間国交がなかったのだからアメリカとキューバは同盟国とは言えない。Wikipediaではキューバは除名されたと書かれているのだが、アメリカ政府のリストはアップデートされているらしいので(ページの下にいくつかの国が加えられメキシコが取り除かれたと書いてある)形式上は同盟関係が生きているのだ。

またANZUSの中にはニュージーランドが入っているが、ニュージーランドが非核化を進めたために、ニュージーランドとの相互防衛協定は実質的に失効しているのだそうだ。にも関わらず「集団防衛の枠組み」の中にはニュージーランドが残っている。

いずれにせよ、日本では内と外で議論を使い分けた結果つじつまが合わなくなり、後世の人たちが苦労するという図式があるようだ。これが幾重にも積み重なり、国防の議論を難しくしているのだろう。今回はたまたま「同盟って何」という点に着目したのだが、こういう議論がたくさんあるのだろう。

過去の政府見解は正しかったと言いたい気持ちは分かるし、政治家はなぜ放置していたのかと非難されたくない気持ちもよくわかる。しかし、安全保証の議論を正しい道筋に戻すためには、与野党ともにこれまで議論を錯綜させたことを国民に詫びてはどうだろうか。これは日本の安全保障上、かなり重要なのではないかと思う。

空気から元素を取り出すと人口爆発が起る

植物を育てていると不思議に思うことがある。どんどんと上に伸びてゆくわけだが、あれはいったいどこから湧いてくるのだろうか。光合成というから光を固定して物資化しているのか。

光合成は光を物質化しているのではないそうだ。「理科で習った」のかもしれないがすっかり忘れいていた。光合成は光の力を使って二酸化炭素を炭水化物へと変えているらしい。その役割を担っているのが葉緑素である。合成の残りかすが酸素なのだそうだ。

そんなことをしていたら地上から二酸化炭素がなくなってしまいそうなのだが、動物が酸素を二酸化炭素に還元している。炭水化物も分解されるわけで、うまくできている。

植物は空気を物質に変えているのである。

植物が成長するときには窒素も使っているらしい。ただし自分では窒素を固定化できない。そこで細菌が「ニトロナーゼ」を用いてアンモニアを植物に供給してやっている。ところがその量には限界があり、植物はその限界の中でしか成長することができない。

そこで、人間が細菌の役割を担うようになった。かつては「肥」を田畑に流していたわけだが、現代では、高圧力下で窒素と水素をぶつけてアンモニアを作っている。ハーバー・ボッシュ法というそうだが、水と空気から植物のもとを作っている訳だからまるで魔法のようだ。ハーバー・ボッシュ法が発明されたおかげで人類は土地の制約(すなわち細菌の量だ)から解放された。ヨーロッパの土地は限られている。だから人口を賄おうと思えば、外の土地を収奪するしかない。そこで起きたのが植民地獲得競争だ。だが、土地の収量が上がれば、高い武装コストを払ってまで植民地経営をしなくてもすむのだ。

戦争はなくなりそうだが、却って戦争は激化した。同じ仕組みで火薬を作ることもできるのだそうだ。ドイツは火薬の原料の硝酸を自家供給できるようになり、第一次世界大戦で利用されたということである。

いずれにせよ、空気からアンモニアが合成できるようになったおかげで人口爆発が起きた。1920年の人口は20億人だった。これが現在では70億人となっている。日本でも明治維新以後人口が伸び始め、第二次世界大戦後爆発的な人口増加が起きた。

第一次世界大戦と第二次世界大戦は、人類が土地の生産量から解放された結果起きた人口爆発を背景にして起ったことになる。なんらかのバランスが壊れたからなのかもしれない。

北方領土という概念は本当に存在するのか

安倍首相がロシアを訪問する予定になっている。日本は北方領土問題も協議したい意向だ。「領土問題はすぐには解決しない」と主張しているが、ロシアも日本との協議の場を継続させたいのだろう。

北方領土問題は人参のようなものだ。だから、北方領土を返還してもらうつもりなら、日本政府は北方領土を「金で買う」必要がある。それは、長期に渡るコミットメントになるはずだ。だが、日本政府の態度は「単なるジェスチャー」にすぎないのではないかと思う。国際的に北方領土が帰ってくる見込みはほとんどない。

ただ、そもそも北方領土という固有の地域があるのかについてすら議論のある。要約すると次のようになるらしい。

  • 歯舞・色丹は北海道島の属島のような扱いで、千島(クリル)とは切り離して考えることができるし、そのように扱われることが多い。
  • 一方で、国後・択捉は「南千島」という扱いで、千島列島に属する。すると、サンフランシスコ条約締結時に一度放棄しているということになる。
  • 日本政府の見解は吉田茂当時とその後に違いがある。つまり、日本政府は「南千島はクリル諸島には含まれない」と態度を変えている。

もともと北海道は「蝦夷地」と呼ばれて日本の領域外だった。蝦夷地には樺太・北海道・千島などが含まれていた。蝦夷地のうち北海道南部が日本の植民地となり、その後、植民は全島に拡大した。その後、北方の国境を策定する必要が生じ、樺太については国境を決めず、千島(クリル)が南北に分割された。ただし、サンフランシスコ条約では、たんに「クリル」と指定されていて、吉田全権もこれを認めている。ただし、歯舞・色丹は明確にクリルとは区別されている。

ネット上には次のような引用がある。農民協同党の高倉定助議員と吉田茂首相及び西村熊雄外務省条約局長とのやり取りでは「サンフランシスコ条約の認識では南北千島をクリルと呼んでいる」とした上で「南北千島はその歴史的経緯が違う」ということになっていたらしい。

ただし、その後解釈の変更が行われ、吉田答弁はなかったことにされた。池田首相の答弁では「そもそも南千島などというものは存在しない」ということになったようである。その根拠は明確ではないものの、樺太・千島交換条約で交換した地域が「北千島地域」であったことが根拠になっているものと思われる。ネットで見ることができる原文では鈴木宗男衆議院議員(当時)が小泉政権の見解をただしており、政府は次のように答弁している。南千島ではなく、千島の南にある島々という意味合いだというのだ。北海道の属島なので定義がないという理屈なのかもしれない。

日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「サンフランシスコ平和条約」という。)にいう千島列島とは、我が国がロシアとの間に結んだ千八百五十五年の日魯通好条約及び千八百七十五年の樺太・千島交換条約からも明らかなように、ウルップ島以北の島々を指すものであり、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は含まれていない。国後、択捉の両島につき「南千島」ないし「千島南部」と言及した例が見られることと、千島列島の範囲との関係について述べれば、例えば、昭和三十一年二月十一日の政府統一見解において、これらの両島が、樺太・千島交換条約に基づく交換の対象たる千島として取り扱われなかったこと、及びサンフランシスコ平和条約にいう千島列島に含まれないことを確認している。

ここで問題になるのは「誰が誰に確認しているか」が必ずしも明確でないところだ。確認したのは小泉政権なのだろうが、誰に確認したのだろうか。「アメリカ」に聞いたのか、ソ連(もしくはロシア)に聞いたのか、国連に確認したのかが分からない。日本政府が日本政府に確認したということも考えられるが、これだと意味をなさない。国際紛争に内輪の定義を持ち出しても何の意味もないからだ。つまり、最初から「国内向け」のメッセージなのだ。

それではなぜ、定義が混乱しているのだろうか。混乱の元になっているのは、もともと千島の占領が密約(口約束)だったからだ。もともとソ連とアメリカが「北海道を南北で分割しよう」という密約を結び、後にアメリカがそれを断った。代わりに千島へのソ連軍の侵攻を黙認したと考えられている。歯舞・色丹はその当時に「巻き添え」になったものと考えることができるだろう。

ルーズベルト大統領は迷惑な人で「中国に沖縄をあげるから、戦争に協力してほしい」などと言ったという話が伝わっている。ここで「沖縄の範囲は……」などと話し合ったとは思えない。ざっくりと「日本を山分けしよう」と各国に持ちかけていたわけだ。

「千島とは地図で見たときに一連に見えるから、南も北もない」という主張にはあまり説得力がない。なぜならば、日本列島という自明に見える概念も、少なくとも地図上で見れば樺太から台湾までを含みうる。琉球についても同じで、奄美群島や台湾(かつて小琉球と呼ばれた)までを含みうる。実は「列島」とはきわめて曖昧な概念なのだということが分かる。

とはいえ「南千島を千島に含めたことなど一度もない」というのも間違いのようだ。国連は第二次世界大戦で確定した国境の現状変更を厳しく禁止している。Wikipediaの敵国条項の項目には次のようにある。なお、日本はこの「敵国」に当たる。

第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できないとしている。

第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)は、第106条とともに「過渡的安全保障」を定めた憲章第17章を構成している。第107条は旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されないというものである。

日本から見ると千島への侵攻は「単なる不法占拠」だが、占領によって確定した措置も無効化されないと定められているようだ。

確かに日本人の信条としては「無理矢理奪われた土地を返してほしい」という気持ちは分かるのだが、国際的にはかなり「無理筋」な話であることも知っておくべきだろう。ロシアとしては放置してもよいことなのだろうが、日本が食いついてくることで交渉の材料にすることが可能だ。ある意味「おいしい」わけだ。

「マスコミが正しく伝えない」という不満もあるのだが「政府も一度は南千島の放棄を認めていた」などと言えば大バッシングを受けることは明らかなので、伝えられないのだろう。

なお、サハリン州(樺太と千島全域を含む)の人口は50万人を切るそうだ。どちらかといえばロシアはこの地域を持て余していると言える。日本の資本を入れて開発したいところなのだろうが、歴史的経緯から日本はロシアと協同で開発することができない。共同開発を認めてしまうと、ロシアの実行支配を認めてしまうことになるからだ。とはいえ、ロシアとしても見返りもなく戦利品を手放すことができないのだろう。国内に示しが付かないからだ。

結果的にこの地域は開発が進まないままで取り残されている。

戦隊ものと時代劇の簡単なまとめ

Twitter上で面白いつぶやきがあった。戦隊ものには演劇的な伝統があるはずだという疑問である。そこで、簡易的ではあるが、戦隊ものと日本の演劇についてまとめた。好きな人がいれば、さらに分析してみると面白いと思う。なお、この分類はWikipediaレベルの情報であり、そこは浅い。好きな人はちょっと満足できないかもしれない。

そもそも日本で演劇と言えば歌舞伎だった。ここから2つの分派ができる。一つは新派と呼ばれる人たちだ。政治的なメッセージを持っていた。川上音二郎などが有名だ。もう一つの流れが左翼的な思想を背景にした新劇だ。もともと日本の西洋芝居には社会主義的な背景がある。後述するが、今でも日本の演劇界には左翼思想を持った(あるいは持っていた)人が多い。

ところが、新しい流れの中から、政治性を排除して純粋なエンターティンメントを求めようとした人たちが出てくる。その一例が澤田正二郎の新国劇(1917年)である。新国劇は歌舞伎から剣劇の要素を抜き出した。剣劇は後にチャンバラと呼ばれるようになる。この人気に着目したのが映画業界だ。日本にいくつかの映画会社が作られ、チャンバラ映画が成立した。

剣劇はエンターティンメントとして人気があったらしい。例えば、1930年代には女剣劇と呼ばれる「ちょっとエッチな」剣劇も作られた。有名な女優に浅香光代がいる。男性は浅香光代のアクションシーン(と、ふともも)に「萌えた」のである。現在の戦隊ものにも女性がおり、女性の戦闘シーンに萌えるファンを獲得している。ここからも剣劇と戦隊ものにはある程度のつながりがあることが分かる。

では、剣劇はその後どのようにして、テレビに継承されたのだろうか。

映画会社はスターシステムと五社協定を採用してスタッフや役者を囲い込んだ。戦中の戦意高揚映画の時代をくぐり抜け、戦後安い娯楽として多いに繁栄した。

ところが日本の映画はその後斜陽の時代を迎えることとなる。その原因となったのも囲い込みによる五社協定だ。映画会社は五社協定を使ってテレビ局を排除しようとした。所属俳優が俳優がテレビに出ることを禁止したのである。

そこで、テレビは本格的な(つまり映画の俳優やスタッフなどを使った)コンテンツが作れなかった。そこで浅草の軽演劇的な伝統を持つ人たちがテレビに駆り出された。黒柳徹子のようにNHKの専属女優もいた。当初テレビは「大衆的だ」と蔑視されていた。今テレビがインターネットを見ているような目線かもしれない。

本格的でないとされていたテレビからは面白いコンテンツがいくつも作られた。今回のコンテクストで重要なのはウルトラマンを作った円谷プロだろう。アメリカのテレビの怪奇シリーズ(トワイライトゾーンやアウターリミッツなど)をまねして作ったのがウルトラQであり、その流れで作られたのがウルトラマンだ。もう一つの流れは手塚治虫だろう。このようにして、新しいコンテンツであるSFが徐々に子供たちを中心に受け入れられてゆくことになる。

さて、映画は斜陽となりスターシステムは1971年に自然消滅した。そこで映画会社は新しいニッチを生み出す必要があった。例えば、日活はロマンポルノ(すなわち成人映画)に以降せざるをえなかった。東映は自社が持っていた強み(チャンバラ)を生かしたかったが、新しいコンテンツ中心だったテレビには十分な枠がなかったものと思われる。ウルトラマンなどの子供向けSFの伝統はすでにあったので「子供向け」として作られたのが仮面ライダーである。仮面ライダーは1971年の作品で、ちょうど五社協定崩壊の年にあたる。

仮面ライダーの成功に手応えを得た人たちは「仮面ライダーをグループで登場させる」企画を作った。これが発展してゴレンジャーにつながる。ゴレンジャーの制作は1975年であり、東映の制作だ。このようにして徐々にSF的な設定と剣劇が結びついたのである。

ここから、ウルトラマンと、戦隊もの・仮面ライダーは系統が異なるということが分かる。40年程度経ってチャンバラの伝統を継承した後者が生き残り、ウルトラマンが伸び悩んでいる。日本人のエンターティンメントに関する感覚は意外と保守的なのではないかと思える。ウルトラマンには剣劇の伝統がないのだ。

時代劇が時代劇のまま受け入れられたものもある。それが水戸黄門だ。水戸黄門はもともと講談だったのだそうだが、その後映画に取り入れられた。主な映画会社は東映である。

だが、皮肉なことにテレビの時代劇と映画会社は連続的に結びついていない。テレビの水戸黄門(1964年〜)を制作したのは五社協定の中には入っていない東伸テレビ映画という会社であった。テレビは五社協定の枠外で既存コンテンツを模倣しようとしたわけである。だが、東伸テレビ映画は倒産し、その後、水戸黄門は松竹に引き継がれた。

現在知られている水戸黄門は松下電器(パナソニック)の提供で作られており、制作はC.A.Lというテレビ制作会社だそうだ。つまり、水戸黄門は「テレビ映画」という映画の模造品なのである。

映画製作会社が作る時代劇の勧善懲悪は刑事ドラマに引き継がれている。例えば相棒などが東映作品だ。単純な勧善懲悪ドラマには戦前から一貫した需要があるのだろう。

ここで蛇足ではあるが「本格的な作品とは何か」ということを考えてみたい。

刑事ドラマでは勧善懲悪では現実と結びつけられる。例えば相棒には社会情勢などが反映されている。その意味では勧善懲悪行為は表面的であり、社会的だと捉えられる。一方、仮面ライダーや戦隊ものからは社会的な背景は排除されており、悪は抽象化されている。だから、子供向けだと考えられるわけだ。

だが、見方を変えると、抽象化された悪は、より内面化された悪だと考えることもできる。現実の支えがないので、正義が何と戦っているのかという点は常に考察と更新が必要になるからだ。戦隊ものが何と戦っており、どんな時代背景が含まれているのかというのは、それだけで興味深い考察対象なのかもしれない。

よく「子供向けドラマは本物の芸術ではない」と言われることがある。確かにその通りに思えるのだが、皮肉なことに「正当性のある本物の芸術」にはそれほどの需要はない。一方で、抽象化された悪という概念が「正当性のある芸術ではない」とも言い切れない。

政治的メッセージを昇華した「純粋芸術」であるところの新劇(つまり西洋の戯曲をもとにした芝居)にはそれほどの需要はない。例えば浅利慶太はもともと共産党員だったのだが、後にその陣営を離脱してミュージカルを興行的に成功させている。俳優座を作った千田是也はドイツ共産党への入党歴がある。千田是也はブレヒトの芝居を日本に導入したことで有名だ。

ブレヒトの異化効果などは面白い概念だ。革新的な社会主義では「当たり前と思っていること(つまり自動化されている常識)」を排除するために、人々は教化されなければならないとされる。ところが、現代のブレヒト劇を見ている観客は「考えさせられた」とか「大竹しのぶさんの演技に没頭した」などと言ってしまう。

芸術的な雰囲気というものは、それだけで人を飲む効果がある。つまり「西洋の芸術に触れた」ことでそれ以上考えることもなくなんとなく満足してしまうわけだ。皮肉なことに、芸術には人を思考停止に追い込む効果があり、本来の目的にかなわないものなのである。

自然境界と国境(くにざかい)

割とどうでもいい話だが、地震速報をみていて、どうして天草諸島の全部が熊本県ではないのかが気になったので調べてみた。1581年に島津氏が侵攻して天草諸島の一部である長島を薩摩国の出水郡に編入してしまったのだそうだ。いろいろと疑問がわくのだが、国境を決める権限は誰が持っていたのだろうか。戦国時代なのでいろいろとうやむやだったということなのか。よく分からない。天草諸島は後に長崎県(熊本ではなく)に編入されたあと、旧国境に従って最終的に熊本県と鹿児島県に編入された。なので、天草諸島の一部だけが鹿児島県になっているというわけである。

そこで別の不自然な県境についても調べてみた。目につく有名な飛び地が和歌山県の飛び地になっている北山村である。現在は東牟婁郡となっている。ここが飛び地になっている理由はよく知られている。和歌山県新宮市と縁が深かったのだそうだ。お隣の玉置口村は新宮市に編入されている。この地域は熊野川で新宮市とつながっているのだ。

地図をよく見てみると実は違うところに疑問を持つべきだったようだ。なぜ隣の地域(吉野郡十津川村竹筒(たけとう))が奈良県吉野郡十津川村なのかという点だ。実は竹筒地域から奈良県側に出ることはできないそうだ。郵便も紀伊半島西側をぐるっと回る必要があるのだという。これには納得がゆく答えはなかった。十津川村は東京二十三区よりも広い面積があるのだそうだ。現在は奈良県吉野郡に属する下北山村も昔は牟婁郡だったようだ。不思議なことに上北山村は昔から吉野郡だったようだが、ここも熊野川沿いで、奈良県とはつながりが薄いそうである。いずれにせよ、この地域をまとめて和歌山県に編入しようと言う声はなさそうだ。

県を超えて自治体が合併するのは不可能ではない。2005年に長野県木曽郡山口村は岐阜県中津川市と合併した。もともと地理的に岐阜県の方が近かったのだそうだ。では、なぜここが長野県だったのかというのにも答えがない。鎌倉時代まで木曽郡全体は美濃国恵那郡の一部だったということである。その後なぜか信濃に割譲されてしまった。もともと辺境地だったということのようだ。

辺境だったのに、都市部に組み込まれた地域もある。もともと渡良瀬川の流域は辺境地域だった。この地域にあったのが下総国葛飾郡だ。川の流域なので南北に細長い形をしている。ところが江戸時代に渡良瀬川などが整理されて江戸川ができると状況が変わる。江戸川の東は下総国に残ったが西半分は武蔵国に編入されてしまった。武蔵国は埼玉県、東京都、神奈川県(の一部)になり、下総国は整理された利根川を境にして茨城県と千葉県に分断された。ということで、現在の葛飾郡域は現在4県にまたがっている。もともとの武蔵国(こちらは豊島郡)との境界も曖昧になっており東京の一部になっている。なお江戸川の向こう側なのに浦安市が千葉県なのは、江戸川が付け替えられたからだそうだ。