ポピュリズムとアルゼンチン型の没落

前回「トランプ大統領のアメリカがラテンアメリカ的なポピュリズムに陥っているのでは?」と書こうとしてやめた。アルゼンチンについてよく知らなかったからである。アルゼンチンの政治はポピュリズモとして知られており、一度これについて書いたことがあるのだが、おさらいのつもりでもう一度アルゼンチンの戦後の歴史について軽く調べてみた。途中で消費税批判が出てくる。今のままで消費税増税はしないほうがいいと、アルゼンチンの歴史を見て思った。




アルゼンチンは南米にある人口4000万人くらいの中進国である。南米ではブラジルについで豊かな国なのだそうだ。第二次世界世界大戦までは世界的にも豊かなことで知られていた。第二次世界大戦にほとんど参加せず、アメリカなどに肉を輸出しており富の蓄積ができたからだと言われているそうだ。

アルゼンチンは後進国ではないのだが、今では貧困率が32%にまで上昇している。必要以下の食料と日用品しか得られないという人たちが3人に1人もいる。これが没落型国家の問題点である。つまり社会的インフラは整っているが、内部に貧困を抱え込んでしまい政治がそれを解決できないのである。また、過去に数回債務不履行(デフォルト)を起こしており通貨には信頼がない。

アルゼンチンをここまでひどい状態に陥れた政治の正体が「ポピュリズム」である。ペロンという軍人出身の大統領が貧困層に手厚い福祉対策を行った結果、第二次世界大戦で蓄積した外貨を使い果たしてしまったのだ。アルゼンチンにとって地球の裏側で起きている戦争は金儲けの絶好の機会だった。日本が朝鮮戦争特需で経済成長したのと同じような図式だ。それを国内の産業育成に回せなかったのである。

第二次世界大戦が終わってもアルゼンチンは構造改革に着手せず、福祉に力を入れる。経済の構造転換の意欲がないままで手厚い福祉政策を手放せなかったことで、結果的に「貧困者が極端に多い」社会ができてしまった。その後軍事政権が民主化弾圧を行い、再民主化した後でインフレに見舞われた。コトバンク掲載ののブリタニカ辞典によると1989年には累積債務が国家予算の1/2になり6000%のインフレとなったそうである。

Newsweekは次のような分析を紹介している。構造改革を嫌い見かけ上のリーダーシップを好んだという点が日本と似ている。日本はサービス産業化に失敗し自民党主導の政治改革ができず、その後の民主党政権も大失敗したという歴史がある。その後生まれたのが見かけ上のリーダーシップを喧伝する安倍政権なので、この経緯がとても似ているのである。

結局のところアルゼンチンが何度も経済危機を繰り返すのは、財政規律が守られず、国民が変化を拒否していることが最大の原因である。

ちなみに前政権は自らに都合が良くなるよう経済統計の恣意的な解釈などを行っていた。こうした誤魔化しは長続きしないと思われがちだが、意外とそうでもない。結果的に自国が貧しくなっても、政治家による見かけ上の強いリーダーシップを望む国民は多いというのが偽らざる現実だ。

https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2018/05/post-49_3.php

ペロン大統領そのものはそれほどひどい弾圧は行わず「バラマキ」に徹したようだが、そのあとの軍事政権は激しく民主化を弾圧したそうである。これを汚い戦争と呼ぶらしい。しかし内部に敵を作りそれを弾圧する手法も民主化運動を抑制できず、イギリスを敵にしたフォークランド紛争を起こしてそれが失敗したことで軍事政権は終了した。その後またバラマキ政治に戻りハイパーインフレを起こし、最終的に国の1/3が貧困層になるほど経済が疲弊した。つまり、バラマキができなくなると敵を作って不満を解消するという手法が取られるのだ。

もう一つ重要だと思うのは、アルゼンチンが自らが経済の中心にならず周縁として機能していたという点だろう。食料の供給地ではあったが、自らが大きな消費市場になることはなかった。このため中央の経済(この場合アメリカ)の動向に左右されやすいという特性がある。

日本は自動車や家電などの部品の供給国なのだが、自らも人口一億人以上の消費地であり、実はそれほど外需依存の経済周縁国ではない。これを支えていたのが豊かな中間層だ。しかしながら、安倍政権は消費税を増税し古い構造を持った企業を温存することにより豊かな中間層を破壊しようとしている。これは結果的に経済の周縁化を生み出すだろう。内需を捨てて外需を追求しようとしているからだ。消費税依存を支持しているのは「年金財政を崩壊させたくない」という構造改革して欲しくない人たちなので、アルゼンチンほどではないにせよ「緩やかなバラマキが経済の再活性化と構造改革を拒んでいる」ということになる。

人口と富の蓄積がアルゼンチンより多いので経済の崩壊には時間がかかるだろうが、このまま思い切った構造転換ができないと日本経済も数世代先にはアルゼンチン化することになるだろう。通貨は信頼されず、国内に貧困が蔓延するという世界が数世代後にやってくるのである。

労働者が小作化される日本と李氏朝鮮の共通点を考える

前回は大韓帝国を見ながら「現在の検地」にあたる労働統計の問題について考えた。今回は、李氏朝鮮と現代日本の似ている点、違っている点について考えたい。




似ている点は、足元の税収に興味が持てなくなっているという点である。前近代国家においては田んぼの収入がそのまま収入になったので、検地データ(朝鮮では量田というそうである)がそのまま税収計算の基礎となっていた。現代の日本には資源がないので労働力が税収計算の元になっていると考えて「労働力は現在のコメである」という単純化ををした。

李氏朝鮮はもともと元と親密だった高麗の政権を奪って成立した国である。当時の女真は各部族に別れて明の臣下だったのだが、日本が朝鮮に侵攻してきた時代に統一をなしとげてしまった。これが結果的に明を滅亡に追い込む。女真は満州と名前を改め、国名も清とする。そして自信が中華秩序の中心になろうとして、李氏朝鮮も属国になてしまった。こうした経緯から、李氏朝鮮には清に対して複雑な感情がある。朝鮮が清に屈服させられたのは1639年のことである。そのあとも清につくかどうかでもめ続けるのだが、軍事力では勝てないので朝廷は議論を内向化させてゆく。

現代日本は全く別の道を歩んでいる。日本はアメリカに屈服させられるのだが、共産主義に対峙する必要があり「服従」はしないですんだ。結果的には東アジアにライバルがいない状態になり中国が資本主義市場に参入するまでは独占的に世界の工場の地位を享受し続けていた。ただ「軍事的に負けてしまい」その後「経済で勝った」と思っていたのに「だんだん勝てなくなってきている」という点は似ている。自身で問題解決ができないのに秩序は保たれているという状況似ている。勝てなくなると議論が内向きになるというのは李氏朝鮮と同じである。

安倍政権の最大の功績は「薄々負けていると気がついている人たちの目をそらせることに成功した」ということなのだと思うのだが、これもダメになりかけている。北朝鮮交渉からは排除されかけているし、ロシアとの関係もよくない。外交の安倍という幻想が崩れつつある。このまま安倍支持者たちがどこまで目を背け続けるのか、それとももっと強い麻酔を求めるようになるのかということは今はわからない。

このように経緯は異なるものの、自分たちの無力感を払拭するために議論を内向き化させるという点では共通点がある。安倍政権は強さという幻想を求めて外交敗北を重ねるのだが、実際にもっと内向きなのは政権運営に失敗してしまった民主党系だ。彼らが立憲主義にこだわりを見せるのは李氏朝鮮が典礼のあり方でもめ続ける姿勢に共通するものがある。

このように、経緯は異なるものの結果には似たところがある。すると、なぜか中間搾取者が跋扈するという帰結まで重なって見える。日本で現在中間搾取者になっているのは人材派遣だと思う。彼らは労働者を企業や組合から引き剝がし、労働者をお互いに協力できない小作にすることに成功した。彼らは政治家たちの強力なスポンサーとなるとことで政治から黙認される存在となっているのだが、アメリカとの経済競争を通産省が指導していた頃には考えられなかった話だろう。労働者の小作化は労働者を衰退させ消費市場を破壊するということは誰の目にも明らかだからである。

労働市場が荒れれば「耕作放棄」が増えて生産性が上がらなくなる。が、朝鮮がそうだったようにこうした変化は暫時的に起こるのですぐには気づかれないという点も似ている。ここから逆算すると「日本は既に戦争に負けており、競争意欲を失っている」という仮説が成り立つのである。敗戦相手はアメリカではなく中国だろう。

本来の経済戦争で勝てていれば労働者を搾取する必要はないのだが、勝てなくなったので搾取が始まったとみなすことができる。勝っているときは「戦力」だった賃金労働者が勝てなくなったことで単なる搾取対象者になってしまったという仮説である。労働者は企業から搾取されるだけなのだから、統治者としての国にはもはや労働基準監督署も賃金統計も必要ないのだ。

しかしながら、李氏朝鮮と日本には決定的な違いがある。それが民主主義である。日本人には政治状況を知る機会があり、選挙を通じて政権を変えるチャンスもある。李氏朝鮮時代の農民たちにはそんなチャンスはなかった。ただ、今までの政治議論を見ていると、政治議論に参加する日本人はどうも二手に分かれている。気分だけは統治者でいたいという人たちと、妙に変な神学論争にはまり「民主主義とか平和」について語りたがる人たちだ。例えば「現在の労働市場は小作化している」などと言っても、多くの人がそんなことはないと否定するはずである。頼まれてもいないのに政権運営がうまくいっているということを正当化したがる人が多いのである。

わざわざ水害の多い地域に住むのはなぜなのか

台風が来るたびに川が決壊したというニュースが流れ「水があふれて想定外たった」というような話になる。最近では線状降水帯という聞きなれない気象用語が一般化した。このため気象災害が起こると「想定外だった」という話になり、そんなところに住んでいる人が悪いという論が出てくる。




しかし、調べてみると川が決壊するのは決して偶然ではないことが分かる。むしろ、日本人はもともと洪水が起こるような土地に好んで住んできた。川の決壊が驚きを持って語られるのは日本人がどこから来たのかを忘れかけているからなのだろう。政治議論をするにしても避難経路を確かめるにせよ、自分が住んでいる地域の川がどのような来歴でできているのかを知るのはとても重要なことである。

また、堤防の議論は日本人は氾濫原に好んで住んでいるという事実を踏まえる必要がある。ダムや堤防を高くすれば普段の洪水は防げるようになるだろう。一見良いことのようだが、数年に一度ものすごい雨が降ると今度は逆に被害を大きくすることがわかる。防いでいた水が一気に流れ下るからだ。2018年の水害ではダムが被害を大きくした。朝日新聞には次のように伝える一節がある。

西予市は3~4キロ上流の野村ダムの放水量が一気に増加したことが原因の一つとみている。野村ダムは7日午前6時すぎ、放水量を1時間前の4倍以上に増やした。ダムを管理する国土交通省四国地方整備局野村ダム管理所によると、上流河川が未明に氾濫危険水位に達し、ダムも満杯になって貯水能力を超える恐れがあったためという。

担当者は「今回はダム周辺に長時間、雨が降り続いた特異なケース。こんな状況での大量放水は想定していなかった。やむを得ない措置だった」と説明する。

ダム管理所は放水の1時間前、サイレンや市内アナウンスでダム放水に伴う河川水位の情報を流し、西予市防災行政無線で避難指示を呼びかけたという。愛媛県の中村時広知事は「本当に難しい判断だと思う。マネジメントを間違えると逆に決壊ということにもつながる」と述べた。

観光名所の京都・嵐山を流れる桂川では6日夜に水位が急上昇し、氾濫(はんらん)した水が道路に流れ込んだ。近畿地方整備局によると、上流の日吉ダムで貯水能力を超える恐れが生じ、6日夕に毎秒約900トンの放流を始めたためという。

NHKを見て「水害対策がなされていない」と騒ぐのは構わないと思うし、心情的には理解できるのだが、いったん雨が落ち着いたら地域を実際に歩いてみてどこに何があるのかということを調べてみるべきだと思う。さらに時間があるのなら地域の図書館に出かけて治水の歴史について考えて見てもよいのではないだろうか。

例えば2018年に被害の出た小田川にはかつて東西両ルートがあったとも西側ルートだけだったとも言われているようだ。山から降った川は井原で谷筋とぶつかる。もともと山陽道が通っていた筋で福山から倉敷に抜けているルートである。実はこの筋に従って小田川は西に流路を変えて福山から抜けていたという話があるそうだ。今では東側に流れており高梁川に接続している。小田川には天井川になっている地点があり、これが今回の被害につながった。また、終点が高梁川なので、高梁川に大量の水が流れると流れがせき止められたような状態になる。改めて地形をみるとそのことがよくわかるのだが、言われてみないと気がつかないという人の方が多いのではないだろうか。

今昔マップなどを見ると古い地図を調べることができる。

僕が住んでいる地域は関東ローム層という火山灰が降り積もった台地になっている。近くには貝塚が点在している地域もあるので、もともと台地と深い入り江が入り混じった地域だったようだ。

oldmap

白く塗ったところが川筋に当たる。火山灰の柔らかいところを小さな川が削ったのだろう。この地図ではすでに鉄道が通っており、街道も見える。

面白いことに集落は真っ平らなところにはない。谷ぞいの高台に作っている。高台の集落から谷底の田んぼに通ったのだろう。

その奥には水害に無縁の大地もあるのだが、ここは旧来全く利用されてこなかった。古くは藩の訓練施設になっていたようでその後軍隊が使うようになった。軍の訓練施設は隣の市からさらに隣の市まで広がっており、隣の市は軍都と呼ばれており、今でも多くの史跡がある。

戦後になって周囲の事情は一変する。原野にあった軍用地は大幅に縮減されて開拓団が作られた。開拓団は水の便が悪い地域を切り開いたのだが田んぼが作れなかったので畑になったようだ。川がないと栄養分も蓄積しない。肥料を外から入れない限り農業には向かない土地なのだが、今でも畑が広がっている。ところどころに開拓記念碑があり、戦後切り開かれてきたことがわかる。

関東地域は多くの川が現在の隅田川に流れこむ非常に不安定な土地だった。東京も元は湿地だった場所だ。こうした川を付け替えて流れを利根川に帰ることで地域を安定化させた歴史がある。

2015年に氾濫した渡良瀬川も流れが変わった川の一つだ。川が安定すると氾濫土壌由来の肥えた土地を農業利用することができるようになるが、時々水害の被害が出る。もともと米どころの豊かな地域はそのまま水害地だと言っても良い。水害の事だけを考えると人々は高台に住めばよかった。だが、実際にはそうはなっていない。それは我々の祖先の暮らしが米を基礎にしていたからである。

今でも雨が降ると低い土地には雨が溜まる。昔、田んぼがあったところである。つまり、日本人は雨が降ると洪水が起こるような土地を「価値がある」と考えており、わざわざその周辺に住んでいたのだ。しかし、そこに住めないことも知っており、高台に暮らしてきた。

今でも水浸しになる地点には「源弁天」という名前が付いていて小さな祠がある。この水源が潰れないように「よくお乳が出るのだ」というような伝説まで与えられている。弁天は水が湧き出るところによくある地名で源町という町も水源地を意味するのだろう。近くの田んぼの水源地であり大切にされてきたのだが、同時に水害があることも知られているので小さな祠を作って鎮めたのかもしれない。

このように地形によって住宅利用してきた土地のなりたちが分からなくなったのは高度経済成長期だ。そこで農村の人たちは田んぼを売って区画を整理した。それを取りまとめていた人たちが市議会議員になった。谷が埋められることはなかったが、谷筋を無視して直線的な道路が引かれ、高低差は分かりにくくなっている。この近くにも「〜台」という地名がついた。だが実際には谷である。それでも水だけはやはり制御できず、大雨が降ると水浸しになってしまう地域がある。よく地域で問題になるがうまい解決策はないようだ。そういう土地に家は建てられないので自治会館が立っている。避難場所にもなるが地元の人は決してそこには避難しないだろう。そもそも源弁天が海に流れる流路にあたり、その道にはいまでも地下河川が通っているからである。

それでも住むには適さない地域が残った。そういう場所は市に買い取らせて、モノレールの基地や公園を整備した。そのように「うまく市政を使う」のが地元の政治家の腕の見せどころだったそうである。このように、水利は今でも政治に大きな影響を与えている。

とと姉ちゃんの嘘

とと姉ちゃんを見ていて疑問に思ったことがある。昭和30年代の日本の家電業界はたいへんなありさまだったようだが、いつ正常化し、さらに世界に誇るような業界になったのかという問題だ。しかし、調べても日本の家電業界が粗製乱造のひどい有様だったというような資料は(少なくともネットでは)出てこない。もっとも資料の多くは成功した家電メーカーが書いたものが多いので、不都合な事実は載っていないのかもしれない。

それどころか昭和30年代にはすでにホンダやソニーがアメリカに進出している。日本製製品は壊れにくくて優秀だという評価を獲得する。とと姉ちゃんの日本と現実の日本は別の国だったのだろうか。

確かに日本の製造業は粗製乱造だった時代があるようだが、戦後早くからデミングの指導で品質改善運動が行われていた。昭和32年には松下幸之助が家電店を組織してナショナルショップを組織している。家電の性能が悪かったとしてもそれは日本人の意識が低かったわけではなく、単に技術力がなかったということなのではないだろうか。アメリカの製品の模倣品が多かったのだ。暮らしの手帖へのクレームはそう多くなかったようだ。

さて、それでは日本の製造業は立派だったのかというとそうでもないらしい。問題が多かったのは食品だった。果汁を使っていない粉末ジュースや牛肉を使っていない牛肉の缶詰などが売られていた。国が消費者を保護するという考え方がなく、保健所に持ち込まれたり、主婦連合会が独自に研究所を作ったりしていた。

昭和40年代には不当表示を取り締まる法律が作られ、兵庫県に生活科学センターが作られた。これを模倣する動きがあり、国も追随した。そもそも消費という概念もアメリカの輸入品だ。アメリカでは1936年にコンシューマーズ・ユニオンがコンシューマー・レポートという雑誌を出している。暮らし手帖のアイディアもオリジナルというわけではなさそうだ。

戦後民主主義の高揚がありその一環として消費者へのエンパワーメントが行われたのではないかと考えられる。

昭和43年に消費者保護基本法が作られるまで、消費者には企業を訴える法的権限はなかった。粉ジュースの不当表示をめぐる裁判では「消費者は企業を訴える当事者ではない」とされ敗訴しており「かといって、嘘を書くのはよくない」ということになったようだ。消費者保護基本法が作られたの理由は「家電製品の不具合はよくない」とか「牛肉以外のかんづめがけしからん」というような話ではない。粉ミルクに砒素が混じったり、油に有害物質が混じったりというような事件が頻発していたのだ。今の中国のような状態だったのである。

国としての消費者保護はなかなか進まず、地方と民間の主導だったようだ。今でも消費者相談の窓口は国と地方の二本立てになっている。製造者責任法ができたのが平成6年だ。しかしその時点でも消費者保護を統括する役所はなかった。さらに第一次安倍政権は消費者行政をリストラしようとした。今でも大企業優遇の色合いが強く庶民には共感しない安倍政権だが、大企業のためには消費者行政が邪魔に映ったのかもしれない。その後安倍首相が体調不良のために辞任してから福田康夫政権で揺り戻しが起き、一転して消費者庁構想がでてきた。福田康夫の悲願だったようだ。しかし、福田政権も1年しか続かなかったので、消費者庁ができたのは民主党時代だ。

当初は自分たちで試験をすれば何が安全なのかということがわかったのだが、最近は事情が変わっている。遺伝子組換え食品のようににわかには影響がわからないものも多い。金融・住宅・電子商取引のように複雑化しており民間団体が「消費者目線」で検査してわかるレベルを超えている。一方で経済成長が鈍化しており、企業も消費者を騙してでも生き残らなければというプレッシャーにさらされている。

とと姉ちゃんは暮らしの手帖の意義を際立たせようと、様々な演出をしているようだが、却って「一人の英雄的な女性が日本品質の基礎を作った」という間違ったイメージを与えかねない。実際には様々な人たちが集まって徐々に日本の安心社会が形成されたのだ。うらをかえせばこれが当たり前だということにれば、不安社会に逆戻りしかねない。消費者保護行政をリストラしようとした安倍首相などはそのことがよくわかっていないのだろう。

 

イギリスはひどい国

EUの離脱騒動を見ていると、つくづくイギリスの政治家ってクズだなあと思う。離脱派の言っていることはほとんど嘘だった。保守党で離脱派を牽引したボリス・ジョンソン氏は、党首選に出馬する間際に後ろから仲間に裏切られた。また、政権の外から離脱派を煽っていたUKIPのナイジェル・ファラージ氏は党首を辞任した。離脱派を煽るのは好きだが、離脱の手続きみたいな面倒なことはやりたくないようだ。「自分の人生を取り戻す」などともっともらしいことを言っている。現在、イギリスは土地の値段が下がり続けている。

イギリスの政治家がひどいのは今に始まったことではないらしい。

第一次世界大戦で破れたオスマントルコ領域の諸民族にむちゃくちゃな約束をしたので、現在まで続くアラブとユダヤ人が対立する構図ができた。だがその裏でちゃっかりとフランスと密約(サイクス・ピコ協定)を交わして地域を山分けする約束をしていた。この結果作られたのが、現在のシリアとイラクで、中東が大混乱する原因になっている。シリアから難民があふれてヨーロッパは大混乱しているのだが、その原因を作ったのはイギリスなのだ。

イギリスは中国にもいろいろ仕掛けている。インドや中国との貿易がうまくゆかなくなったので、中国に麻薬を売りつけた。清が反発すると、けしからんといって戦争をふっかけて香港をぶんどった。中国はこれがトラウマになり、今でも西欧世界がつくる秩序に懐疑的だ。

第二次世界大戦では中国を引きずり出す政策にでた。日本の戦力を消耗させるためだ。国民党の蒋介石を引っぱりだして「沖縄をあげるから」などと誘った。国民党は日本と対峙して疲弊してしまい、日和見を決め込んでいた共産党との対決に破れることになった。その結果、中国大陸は第二次世界大戦後共産化してしまう。アメリカもイギリスも、第二次世界大戦後の国民党を支援することはなかった。それどころではなかったという事情もあったのだろうが、日本が何かとアメリカ中心の秩序に反対したがる共産主義国家と対峙しなければならないのは、イギリスのせいだと言えるだろう。

イギリス人政治家や外交官には罪悪感がない。あることないことを吹き込み、相手が信じて行動しても「騙されたほうが悪い」と開き直る。後の残るのは混乱だけである。

そんなイギリスで民主主義が発達したのは何故だろうと考える。実は民主主義が発達したのは、イギリスのリーダーがクズだったからなのかもしれない。何事も最初に言質を取っておかなければ不安だし、時々政権を変えないとどこまでも増長することになるだろう。何か意外なことが起こるたびに「騙された」と立腹していては身が持たないのではないだろうか。

ではなぜイギリス人は簡単に他人を騙すのだろうか。国が貧しく他人から略奪するしかなかったからだという仮説を立ててみた。植生が貧しくろくな作物が取れそうにないからだ。たしかに以前のイギリスの食料自給率は30%程度だったのだそうだが、現在では70%程度にまで改善してきているのだそうだ。山岳地帯が少なく農地が豊富にあったことが自給率の向上につながっているのだという。直接補助制度がうまく機能しており、国内の農家は保護されているのだそうだ。

だが、もともとのイギリスの植生は貧しい。そのために農業に対する潜在的なあこがれがあり、土地を略奪して農業作物を安定供給するような体制が取られた。アイルランドを支配すると、アイルランドから食料を略奪同然で買い取ることになった。アイルランド人はわずかな農地でジャガイモを作っていたのだが、病気が蔓延し、人口が激減することになった。イギリス人はろくな保護を与えなかったので、多くのアイルランド人がアメリカに逃亡したのだ。

ガーデニングがイギリスでブームになったのも、もともとの植生の貧しさの裏返しだ。各地から植物を集めてきて自慢し合ったのである。

食事も貧弱だ。イギリスの名物料理といえば、ジャガイモとタラが有名だ。その他にヨークシャープディングというものがあるが、肉を十分に食べられない人たちが腹持ちを良くするために作られた料理だとされている。

そのように考えると、日本で民主主義が根付かないことに対する幾ばくかの慰めを得ることができる。日本は植生が豊かで作物が豊富に取れるので、他人を騙さなくてもなんとか食べてゆくことができたのだろう。他人を騙してのし上がろうとする支配者が表れても、集団圧力がかかって潰されることになる。同じ民族(もともとは違っていたのかもしれないのだが、なんとなく今では共存している)でゆるゆると過ごすことができる。

いずれにせよ、民主主義社会を生きるのであれば、政治に過度な期待をしないほうがよさそうだ。「ああ、この人嘘をついているかも」と思っているくらいがちょうどよいのではないだろうか。民主主義はそういう国で生まれたのだ。

沖ノ島が女人禁制になった謎

テレビで沖ノ島の特集をやっている。世界遺産に登録されそうだということで注目されているそうだ。

航海術が発達していなかった当時、朝鮮半島に渡るためには唐津から壱岐に行きそこから対馬に渡る必要があった。このルートだと目的地がずっと目視できて、比較的簡単に渡ることができるのだという。対馬からは釜山と壱岐が見える。また壱岐からは九州を見ることができる。

ところが、ルートとしては沖ノ島を目指した方が早く着く。島は宗像から朝鮮半島(釜山あたりになる)を直線距離で結んだ途中に沖ノ島があるからだ。唐津を経由せずに直接行けるわけで、この土地を押さえることには利点がある。宗像一族はこの島の存在を秘密にすることで優位性を保っていたのではないかというのが番組の説明だ。

宗像族がここを利権化したのはどうしてだろうか。沖ノ島で祭祀が行われるようになったのは4世紀の後半だそうだが、まだ日本には製鉄技術がなかった。5世紀半ばの西日本の古墳などに朝鮮半島の鉄の延板が出てくることから、当時の勢力が鉄を朝鮮半島から輸入していたことがわかる。鉄が使えることには2つの利点がある。まず丈夫な農機具が作れるので生産性が上がる。そして、武器にも使えるので国力が強くなる。つまり、鉄は富国強兵に欠かせない資材なのである。天皇家を中心とした連合勢力であるヤマト王権はこうして周囲の勢力を凌駕していったものと思われる。王権が整うと、朝鮮から製鉄技術を持った人たちが入ってくる。最終的に中国に習った法律体系が整備され、最終的に日本は国としての体裁を整えてゆくのだ。

これを聞いて勝手に仮説を妄想した。なぜ女性の上陸ができないのかという謎についてである。沖ノ島は女神が守っていると信じられている。女神は女性に嫉妬するので女性は上陸ができないというのが一応の説明だ。沖ノ島に住んでいる男性神職が見張り役を果たしているのは明白だ。そもそも沖ノ島に神社が建てられるのははるか後になってからなので、この人が神職であるという説明にはあまり説得力がない。

男性もそのままでは上陸ができない。何も身に付けずに海に入り禊をする。なぜ何も身に付けずに禊をする必要があるのか。それは、見張り役が「この人が女性でないこと」を目視する必要があるからだろう。では、どうしてそこまでして女性を嫌うのか。

もし女性が上陸すればその女性は子供を産む可能性がある。つまり沖ノ島に人が住み着く可能性があるということになる。そこに人が住めば九州本土や朝鮮半島との往来が生まれる。すると島の存在は秘密ではなくなるだろう。ヤマト王権や宗像一族にとってみればそれは利権を失うということを意味する。女性が進んで離島に上陸するということは考えにくいが、男性の見張りが女性を連れ込むことはありそうだ。そこで「あそこには女が入ると祟りがある」とか「無事に帰っては来れない」などと言ったのではないだろうか。

沖ノ島は岩で覆われた地形ではあるが、開墾すれば人が数人くらせるくらいの野菜は育てられそうだ。実際に縄文時代には人がいた痕跡もあるそうだ。わき水があるそうで水には困らないだろう。また、漁師は沖ノ島付近で漁をしており上陸も許されているという。また、北朝鮮や韓国からの密入国者に上陸された歴史もある。つまり、防御をしないとヨソモノに奪われる可能性があるということになる。

ということで沖ノ島に女性が入れないのは子供を作らせないためという説を勝手に唱えたい。神秘的な説明付けにも意外と現実的な理由があるのではないだろうか。もちろん、何の根拠もないし、誰かそういうことを提唱している人もいるかもしれない。が「神話だからダメ」などと言われると、なぜかそれに異議を唱えたくなってしまうのである。

中国の尖閣海域侵犯と日本が敗戦した意味

中国艦船が尖閣諸島辺りへの航行を繰り返しているらしい。これを見た短絡的な日本人は「中国は日本を侵略しようとしている」とか「国際的な秩序への挑戦だ」などと息巻く。まあ、これはこれで構わないと思うのだが、一般常識のある人はこのような意見には与しない方がよいと思う。これについて考えを巡らせると、意外な感想を持つ。

そもそも「国際的な秩序」とは何なのだろうか。もともとは内戦状態にあったヨーロッパでの紛争防止スキームに端を発する。ヨーロッパの勢力はやがて「国」という枠組みを発明し、海外で植民地経営に乗り出すようになった。この植民地経営に加わったのがアメリカと日本だ。「内戦」は植民地を巻き込んで、大混乱の末に集結した。結局「植民地経営は経済的に正当化できない」という認識ができ、別の統治の仕方が考えられた。それが国連による「国際的な秩序維持」である。

第二次世界大戦当時、ヨーロッパとアメリカは独力で日独伊に対抗できなかった。そこで中国とソ連を抱き込もうとした。ソ連はドイツと対抗していたし、中国は日本から独立したがっていた。また、アメリカは中国利権を日本から奪取したいと考えていた。

だが、この二カ国は旧宗主国連合ではない。つまりは植民地経営を経て「これは割に合わない」という経験をしていない。それどころか既得権としての利権を持っていないので、旧宗主国が作った秩序に挑戦するようになった。このため、国連は紛争防止スキームとしては破綻している。東西冷戦が終わった後、ロシアはクリミア半島を自国領土にしてロシア系住民の多いウクライナ東部を狙っている。また中国は外海へのアクセスを求めて南シナ海へ勢力を拡大しようとしている。

東西冷戦時にはあたかも「イデオロギー対立」のように見えていたのだが、最近ではそれは「文明の衝突」などという人もいる。だが、新興国が全て現在の国際秩序に反抗しているわけではない。例えばインド、南アフリカ、ブラジル、ナイジェリアなどは、植民地支配された経験から共通言語は持っている。

中国が尖閣諸島付近を航行するのは、明らかにアメリカが南シナ海を航行することに対する当てつけだ。アメリカが中国の提唱する秩序を認めないのであれば、中国はアメリカの提唱する秩序を認める訳にはいかないと考えるのだろう。それは旧宗主国陣営が作った秩序に対する挑戦なのだ。北朝鮮も核を持って「核兵器を平和の維持に利用する」などと言っているが、これはオバマ大統領をまねたものだろう。こうした国々はより危険な形で「正義の味方ぶる」アメリカに対抗しているわけだ。

植民地に完全に組み込まれなかった地域を探してみたがきわめて少ない。イラン(ペルシャ人)、エチオピア(他民族国家だそうだ)くらいしか思いつかない。トルコは東ヨーロッパとアラビア半島を版図とした経験があり「旧宗主国」側である。旧植民地で宗主国側に転じたのはアメリカ合衆国だけだ。

ヨーロッパはアメリカを「世界のリーダーだ」とおだてることで植民地を経営することなく世界秩序を維持することができていた。しかしアメリカ人は「実はこれは割に合わないのではないか」と感じ始めているようだ。その意味ではドナルド・トランプは田舎者のアメリカ人なのだ。「秩序維持に対して正当なな対価を得る」などと言っている。

そもそも中国は「国際的秩序とやら」による利益を享受している実感がない。従わせるのはなかなか難しそうだ。多分、軍事力によって押さえつけられているのではないかという被害者意識を持っているのではないかと考えられる。中国人はたびたび外国からの支配を受けてきたが、支配者層は全て中国に同化してしまった。中華文明に同化せず、ただただ搾取し続けたのはヨーロッパ人と日本人だけなのだ。イギリスのように麻薬を売りつけられないからという理由で戦争を吹っかけ、香港をぶんどった国もある。中国人にとってはこれが「国際秩序」なのである。

と、同時に日本が現在の地位にあるのは、第二次世界大戦で強豪国として列強に激突したからなのだなということも分かる。形式上では敗戦国なのだが、日本は第二次世界大戦で負けた国なのだという認識を持っていると国際情勢を見誤るのではないだろうか。

日米は同盟関係にないという説があるらしい

他人のTwitterというのはなかなか勉強になる。今日は「日米は軍事同盟を結んでいない」という人がいた。その根拠になっているのは「日米は(軍事)同盟条約を結んでいないからだ」ということだ。これに対して「同盟というのは重層的なものであって、軍事同盟だけを指している訳ではない」と反論している人がいた。

なんだかすっきりしない。いろいろ調べて分かったのは、この単純そうな問題ですらタブー視された歴史があったということだ。これを健全に語れる状態に戻さないと、後々ややこしいことになるのではないかと思えるのだ。そもそも「語れなかったことが、今の私たちの議論をややこしいもの」にしている。

まず「日米は軍事同盟関係を結んでいない」というのは、従来の政府の見解だったようだ。なぜなのかはよく分からないが、日米安保の改訂に大きな反発があったので政府がタブー視していたのではないかと考えられる。

これが変わったのは大平首相の頃だそうである。学術的にまとめられた文章は見つからず、なぜかYahoo! 知恵袋に書かれている。Wikipediaには後任の鈴木善幸総理大臣が「やっぱり日米安保は軍事同盟ではない」と発言して伊東正義外相が抗議の辞任をしたのだということが書いてある。どのような党内対立があったのかは分からないが、1980年代の初頭までは「あれは軍事同盟なのだ」と言うことが半ばタブー視されていたことが分かる。

ある国会議員(伊東正義外相の話はこの人から聞いた)によると、永田町ではこれで「日米同盟は軍事同盟」というのが定説になったようだが、巷ではまだ「あれは軍事同盟ではないので、日米は同盟関係にはない」と信じている人がいるということになる。つまり、「日米の関係が何なのか」ということや「同盟とはそもそも何なのか」ということすら、実は世間的な統一見解がない。少なくとも当時の見解の相違を引きずっている人がいるのだ。

では、条約のパートナーはこの件をどう見ているのだろうか。アメリカ政府のウェブサイトには「アメリカの集団的防衛の枠組み」というセクションがあり、日本条約という項目がある。

まずは、日本ではいろいろとごちゃごちゃ言っているが、日米安保条約は集団的自衛の取り組みなのだということが分かる。「限定的」というのは「憲法に沿う形で」と書いてあるが、あくまでも「日本の行政権の及ぶ範囲では相互の攻撃を自国の攻撃と見なす」となっている。アメリカの認識としては「日本はアメリカを助けませんよ」は通らないことになる。

であれば、昨年夏のあの一連の議論とか、これまでの政府見解って何だったのかということになる。一方、安倍さんは領域外でも協力すると言っていたが、あれは日米同盟の枠外だということになるが、大丈夫なのか。また、日本はオーストラリアやインドと相互防衛条約なんか結んでいないのだから、中国の封じ込めなんかできない。あの議論の混乱を見ると、安倍さん自身が枠組みについてよく分かっていなかったのではないかと思えてくる。

ただ、この表にあるからといって、実効的な同盟関係にあるというものでもないらしい。例えばリオ条約の項目にはキューバが含まれている。長い間国交がなかったのだからアメリカとキューバは同盟国とは言えない。Wikipediaではキューバは除名されたと書かれているのだが、アメリカ政府のリストはアップデートされているらしいので(ページの下にいくつかの国が加えられメキシコが取り除かれたと書いてある)形式上は同盟関係が生きているのだ。

またANZUSの中にはニュージーランドが入っているが、ニュージーランドが非核化を進めたために、ニュージーランドとの相互防衛協定は実質的に失効しているのだそうだ。にも関わらず「集団防衛の枠組み」の中にはニュージーランドが残っている。

いずれにせよ、日本では内と外で議論を使い分けた結果つじつまが合わなくなり、後世の人たちが苦労するという図式があるようだ。これが幾重にも積み重なり、国防の議論を難しくしているのだろう。今回はたまたま「同盟って何」という点に着目したのだが、こういう議論がたくさんあるのだろう。

過去の政府見解は正しかったと言いたい気持ちは分かるし、政治家はなぜ放置していたのかと非難されたくない気持ちもよくわかる。しかし、安全保証の議論を正しい道筋に戻すためには、与野党ともにこれまで議論を錯綜させたことを国民に詫びてはどうだろうか。これは日本の安全保障上、かなり重要なのではないかと思う。

空気から元素を取り出すと人口爆発が起る

植物を育てていると不思議に思うことがある。どんどんと上に伸びてゆくわけだが、あれはいったいどこから湧いてくるのだろうか。光合成というから光を固定して物資化しているのか。

光合成は光を物質化しているのではないそうだ。「理科で習った」のかもしれないがすっかり忘れいていた。光合成は光の力を使って二酸化炭素を炭水化物へと変えているらしい。その役割を担っているのが葉緑素である。合成の残りかすが酸素なのだそうだ。

そんなことをしていたら地上から二酸化炭素がなくなってしまいそうなのだが、動物が酸素を二酸化炭素に還元している。炭水化物も分解されるわけで、うまくできている。

植物は空気を物質に変えているのである。

植物が成長するときには窒素も使っているらしい。ただし自分では窒素を固定化できない。そこで細菌が「ニトロナーゼ」を用いてアンモニアを植物に供給してやっている。ところがその量には限界があり、植物はその限界の中でしか成長することができない。

そこで、人間が細菌の役割を担うようになった。かつては「肥」を田畑に流していたわけだが、現代では、高圧力下で窒素と水素をぶつけてアンモニアを作っている。ハーバー・ボッシュ法というそうだが、水と空気から植物のもとを作っている訳だからまるで魔法のようだ。ハーバー・ボッシュ法が発明されたおかげで人類は土地の制約(すなわち細菌の量だ)から解放された。ヨーロッパの土地は限られている。だから人口を賄おうと思えば、外の土地を収奪するしかない。そこで起きたのが植民地獲得競争だ。だが、土地の収量が上がれば、高い武装コストを払ってまで植民地経営をしなくてもすむのだ。

戦争はなくなりそうだが、却って戦争は激化した。同じ仕組みで火薬を作ることもできるのだそうだ。ドイツは火薬の原料の硝酸を自家供給できるようになり、第一次世界大戦で利用されたということである。

いずれにせよ、空気からアンモニアが合成できるようになったおかげで人口爆発が起きた。1920年の人口は20億人だった。これが現在では70億人となっている。日本でも明治維新以後人口が伸び始め、第二次世界大戦後爆発的な人口増加が起きた。

第一次世界大戦と第二次世界大戦は、人類が土地の生産量から解放された結果起きた人口爆発を背景にして起ったことになる。なんらかのバランスが壊れたからなのかもしれない。

北方領土という概念は本当に存在するのか

安倍首相がロシアを訪問する予定になっている。日本は北方領土問題も協議したい意向だ。「領土問題はすぐには解決しない」と主張しているが、ロシアも日本との協議の場を継続させたいのだろう。

北方領土問題は人参のようなものだ。だから、北方領土を返還してもらうつもりなら、日本政府は北方領土を「金で買う」必要がある。それは、長期に渡るコミットメントになるはずだ。だが、日本政府の態度は「単なるジェスチャー」にすぎないのではないかと思う。国際的に北方領土が帰ってくる見込みはほとんどない。

ただ、そもそも北方領土という固有の地域があるのかについてすら議論のある。要約すると次のようになるらしい。

  • 歯舞・色丹は北海道島の属島のような扱いで、千島(クリル)とは切り離して考えることができるし、そのように扱われることが多い。
  • 一方で、国後・択捉は「南千島」という扱いで、千島列島に属する。すると、サンフランシスコ条約締結時に一度放棄しているということになる。
  • 日本政府の見解は吉田茂当時とその後に違いがある。つまり、日本政府は「南千島はクリル諸島には含まれない」と態度を変えている。

もともと北海道は「蝦夷地」と呼ばれて日本の領域外だった。蝦夷地には樺太・北海道・千島などが含まれていた。蝦夷地のうち北海道南部が日本の植民地となり、その後、植民は全島に拡大した。その後、北方の国境を策定する必要が生じ、樺太については国境を決めず、千島(クリル)が南北に分割された。ただし、サンフランシスコ条約では、たんに「クリル」と指定されていて、吉田全権もこれを認めている。ただし、歯舞・色丹は明確にクリルとは区別されている。

ネット上には次のような引用がある。農民協同党の高倉定助議員と吉田茂首相及び西村熊雄外務省条約局長とのやり取りでは「サンフランシスコ条約の認識では南北千島をクリルと呼んでいる」とした上で「南北千島はその歴史的経緯が違う」ということになっていたらしい。

ただし、その後解釈の変更が行われ、吉田答弁はなかったことにされた。池田首相の答弁では「そもそも南千島などというものは存在しない」ということになったようである。その根拠は明確ではないものの、樺太・千島交換条約で交換した地域が「北千島地域」であったことが根拠になっているものと思われる。ネットで見ることができる原文では鈴木宗男衆議院議員(当時)が小泉政権の見解をただしており、政府は次のように答弁している。南千島ではなく、千島の南にある島々という意味合いだというのだ。北海道の属島なので定義がないという理屈なのかもしれない。

日本国との平和条約(昭和二十七年条約第五号。以下「サンフランシスコ平和条約」という。)にいう千島列島とは、我が国がロシアとの間に結んだ千八百五十五年の日魯通好条約及び千八百七十五年の樺太・千島交換条約からも明らかなように、ウルップ島以北の島々を指すものであり、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は含まれていない。国後、択捉の両島につき「南千島」ないし「千島南部」と言及した例が見られることと、千島列島の範囲との関係について述べれば、例えば、昭和三十一年二月十一日の政府統一見解において、これらの両島が、樺太・千島交換条約に基づく交換の対象たる千島として取り扱われなかったこと、及びサンフランシスコ平和条約にいう千島列島に含まれないことを確認している。

ここで問題になるのは「誰が誰に確認しているか」が必ずしも明確でないところだ。確認したのは小泉政権なのだろうが、誰に確認したのだろうか。「アメリカ」に聞いたのか、ソ連(もしくはロシア)に聞いたのか、国連に確認したのかが分からない。日本政府が日本政府に確認したということも考えられるが、これだと意味をなさない。国際紛争に内輪の定義を持ち出しても何の意味もないからだ。つまり、最初から「国内向け」のメッセージなのだ。

それではなぜ、定義が混乱しているのだろうか。混乱の元になっているのは、もともと千島の占領が密約(口約束)だったからだ。もともとソ連とアメリカが「北海道を南北で分割しよう」という密約を結び、後にアメリカがそれを断った。代わりに千島へのソ連軍の侵攻を黙認したと考えられている。歯舞・色丹はその当時に「巻き添え」になったものと考えることができるだろう。

ルーズベルト大統領は迷惑な人で「中国に沖縄をあげるから、戦争に協力してほしい」などと言ったという話が伝わっている。ここで「沖縄の範囲は……」などと話し合ったとは思えない。ざっくりと「日本を山分けしよう」と各国に持ちかけていたわけだ。

「千島とは地図で見たときに一連に見えるから、南も北もない」という主張にはあまり説得力がない。なぜならば、日本列島という自明に見える概念も、少なくとも地図上で見れば樺太から台湾までを含みうる。琉球についても同じで、奄美群島や台湾(かつて小琉球と呼ばれた)までを含みうる。実は「列島」とはきわめて曖昧な概念なのだということが分かる。

とはいえ「南千島を千島に含めたことなど一度もない」というのも間違いのようだ。国連は第二次世界大戦で確定した国境の現状変更を厳しく禁止している。Wikipediaの敵国条項の項目には次のようにある。なお、日本はこの「敵国」に当たる。

第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できないとしている。

第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)は、第106条とともに「過渡的安全保障」を定めた憲章第17章を構成している。第107条は旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されないというものである。

日本から見ると千島への侵攻は「単なる不法占拠」だが、占領によって確定した措置も無効化されないと定められているようだ。

確かに日本人の信条としては「無理矢理奪われた土地を返してほしい」という気持ちは分かるのだが、国際的にはかなり「無理筋」な話であることも知っておくべきだろう。ロシアとしては放置してもよいことなのだろうが、日本が食いついてくることで交渉の材料にすることが可能だ。ある意味「おいしい」わけだ。

「マスコミが正しく伝えない」という不満もあるのだが「政府も一度は南千島の放棄を認めていた」などと言えば大バッシングを受けることは明らかなので、伝えられないのだろう。

なお、サハリン州(樺太と千島全域を含む)の人口は50万人を切るそうだ。どちらかといえばロシアはこの地域を持て余していると言える。日本の資本を入れて開発したいところなのだろうが、歴史的経緯から日本はロシアと協同で開発することができない。共同開発を認めてしまうと、ロシアの実行支配を認めてしまうことになるからだ。とはいえ、ロシアとしても見返りもなく戦利品を手放すことができないのだろう。国内に示しが付かないからだ。

結果的にこの地域は開発が進まないままで取り残されている。