なぜ携帯ゲーム会社は儲かり、自民党は若年層の支持を集め続けるのか

最近ジャンクのデジカメにはまっている。今手元にカメラが9つある。一眼レフカメラ2台、使えるデジカメ3台、使えるが多分使わないもの2台、使ええないデジカメが2台だ。カメラは1つあればよいのだが、それでもまだ探していて「あれ、これは病気なのかな」と思った。

最初に思ったのは買い物は楽しいということだ。楽しいのは買ってからではなく買うまでの過程である。あれとあれを組み合わせたらこんなこともできるのかななどと想像するのが楽しいのだ。これがジャンクカメラあさりにはまった理由になっているのだが、同じことはいろいろな買い物に当てはまると思う。組み合わせによって変化する洋服などはその一例だろう。

ジャンクカメラを趣味としてコレクションしているといえばよいという気持ちもあるのだが、どうにも後ろ暗さを感じる。明らかな浪費だからだ。フィギュアやカードなどのコレクションにはまったことはなかったのだが、この人たちの気持ちがちょっとわかる気がした。結婚してもやめられず家族に反対される人がいる。理性的に処理すればいいのになどと思っていたのだが、多分周りから指摘されている本人にも後ろ暗さがあり、捨てなさいなどといわれると反発してしまうのかもしれない。

もともと「デジカメが買えない」という状況があった。持っていたカメラの写真が徐々に白くなって行き「これはやばい」ということになっても新しいものを買う踏ん切りがつかない。ようやく一眼レフカメラを買ったのだが外に持ち出して壊してしまった。こうした一連の危機感が熱を生み出したというのが今回のカメラ熱のそもそもの始まりである。つまり、カメラがなくなるのに買えないという気持ちを数年間持っていたのだ。

ある日、ハードオフでジャンクセクションを見つけた。ここで探すと意外と使い物になるカメラが安く見つかる。例えば、500円でカメラを探してメディアをヤフオクで500円で落とすと1,000円で買えてしまう。「意外と安く買えるんだ」と気がついた。

ここで焦燥感がソリューションと結びついた。

しかしこれだけでは病気にならなかったと思う。ヤフオクにしろハードオフにしろ動作するカメラがそのまま売られているというのは稀で検索して充電池の形を調べたりしなければならない。実は無関係に見えるものが一組になっている。これが病気に火をつけたようだ。中毒性のキモは探索行動にあるのだ。

探索行動には「能動的」であり「時間がかかる」という特徴がある。つまり、積極的に調べ物をすることで消費行動に参加しているという意識が生まれる。これによってコミットメントが強まるのだろう。カメラのように組み合わせによる認識ではなくても、例えばフィギュアなどの場合、キャラクターの背景を調べるなかで「ああ楽しいな」という感覚が味わえるのかもしれない。

こうした探索はカメラ本来のものとは異なる。例えばカメラの歴史を調べるために古いカメラを網羅的に集めるというようなことではないし、目的に合わせてカメラを選ぶという合理的な行動でもない。人間はこのように合理的でない行動で「遊ぶ」という習性がある。この習性が何かの役に立っているのか、あるいはそうでないのかはわからない。

もう一つ思い当たることがある。最近ダイエットをしている。つねに飢餓状態にあるのだが、それに気がつかない。

ということでこの状態が「特異なんだな」と気がついたのは、前提が崩れたからである。

第一にダイエットがプラトー(これ以上体重が落ちない時期)に入ったので食事の制限をやめた。お腹がすかなくなって二つの変化があった。朝起きる時間が遅くなった。そして、カメラに対する病的な探索意欲が減退した。お腹が空くことでいつも覚醒状態にあり何かを探しているというモードに入るのだが、これが減退するのである。

さらに散策行動も無意味かもしれないと思う出来事があった。別のハードオフに出かけた時にジャンクのカゴに充電器とカメラがセットになっているものを見つけたのだ。別のハードオフに遠征に出かけるほど検索熱が上がっていたのだが、実際には別に検索しなくても大丈夫なんだと思った瞬間に熱がかなり冷めた。

最初にある危機感と飢餓があり、その危機感から潜在的に検索モードになっている。そこに正解が提示される。だが、その正解は積極的に問題を解かないとわからない仕組みになっている。すると人は一種の興奮を覚えて探索行動が中毒性を帯びるのだろうと思った。あるいは「お腹が空いている」とか「社会認知が欲しい」という行動が何か別のものに転移しているだけなのかもしれない。

探索行動を喚起するマーケティングは実は増えているのではないかと思う。こうしたマーケティングは「ティザー」広告として知られている。焦らし広告と訳されるようだが、映画の断片をチラ見せして本編を見たくなるように仕向けるというような使い方がされる。エンターティンメント業界では古くから行われている手法で、シリーズもののゲームなどでも時々見かける。ゲームは探索行動そのものが消費の対象になっているので、フランチャイズの古いものを解き終わると新しいものが欲しくなるのだろう。

携帯ゲームはこの特性をうまく利用している。お金もなく時間もない人に「スマホのなかだけでは自由にできますよ」という正解を提示して「これくらいだったら使えるかな」という料金を課金するのだ。これを理性的にストップさせるのは多分難しいのではないだろうか。

逆に「消費者のためにすべてを解決してあげますよ」といって情報量を増やすのはマーケティング上必ずしも好ましくないかもしれない。日用品のリピート買いでは役に立ちそうな手法ではあるが、危機感に根拠があるマーケティングの場合逆効果になってしまうだろう。

この飢餓感を最もうまく利用しているのは自民党かもしれない。

非正規に転落しそうな末端労働者が自民党を応援するのはなぜかということが問題になるのだが、これは「社会認知のなさ」が逆に危機感を煽っていると考えるとうまく説明できる。政権常に飢餓状態を作っておけば政権が盤石になる「正解」で、ある意味生かさず殺さずで農民を管理していた江戸幕府と同じような状態なのだろう。合理的な政策選択が歪められるという意味では社会のバグなのだが、意外と自民党が支持される理由はこんなところにあるのではないだろうか。

自分のデジカメ熱を考えると、こうした飢餓感を理性的に制御することはほぼ不可能だ。あれおかしいぞと思ってもおさまらず、客観的に「ああ、これはブログに書けるな」と考えてもおさまらず、さらに書いてみても明日ハードオフに行けばまたジャンクのカゴを漁ってしまうかもしれないと思う。その意味では若者の自民党支持も容易におさまらないのかもしれない。

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