議論について行けなかった安倍首相

安倍内閣が裁量労働制の法案を提出しないことを決めた。これはこれでホッとする話ではあるのだが、このブログでは「労働についての議論が全くなされていない」のは与野党ともに責任があるのではないかと、比較的野党に厳しい姿勢で指摘してきた。しかし。どうもこれは正しくなかったようだ。

今回、参議院での大塚耕平参議院議員と安倍首相とのやり取りを聞いて「やはりバカなのは安倍さんなのだな」と思った。このバカぶりは深刻で、そのためにこの国の労働法制の議論が前進できなくなっているようなのだ。

よく「〜はバカだ」という議論がTwitterで繰り広げられている。これは人格否定であり、やみくもに使うべきではないと思う。しかし、この「バカ」には明確な害悪がある。一つ目は議論が進まなくなることなのだが、もう一つは「バカ」な人たちがバカなままでも政治に参加して良いと思うようになるという点にある。安倍首相を見て「初めて政治がわかった」という人も多いのではないかと思う。

wikipediaによると、大塚さんは日銀にいる間に大学院に通ってマクロ経済を研究したようである。つまり経済の専門家である。しかし、大塚さんは国会で専門知識を使って安倍さんをねじ伏せるようなことはしなかった。しかし、これが却って深刻さを浮き彫りにしている。大塚さんは「バカ」がどのように議論を理解するのかということがわからなかったのではないかと思う。

大塚さんの議論はこうだ。

そもそも裁量労働制が政府案として採用されるに至ったのは経済界が生産性を先進国並みに上げるためには労働法を帰るべきだと考えているからである。実際には経済界の「お友達」の間の約束事であり厚生労働省は関わっていないようである。厚生労働省が「エビデンス」を見つけられなかったのは当然だ。普段の現場を見ている人たちからは「裁量労働を増やせば生産性が上がる」などという議論は出てこないのである。

いずれにせよ、日本の労働生産性が低いというのが認識になっている。我々はこの数字を当たり前のことと考えており、このブログでもそのように取り上げてきた。

大塚さんは、そこで日本の統計数字の取り方は必ずしも正しくないのではないのかと疑問を呈した。失業率を下げるために広く労働人口を捉えることになっているようなのである。このためにたくさんの人が働いているのになぜか労働生産性が低いという数字が出ているのだと指摘したのである。

細かいことは理解できなかったのだが、つまり「分母と分子」の話であり、つまり割り算の問題でしかない。他の大臣はこの議論についてきていたが一人だけわかっていない人がいた。それが安倍首相なのだ。つまり、彼はこの問題が割り算の問題だということがわからない。だから、議論について行けないというわけである。そこでそれまでのレクチャーから聞き及んだ様々な単語を抜き出して、それを議論の中に出てきている言葉に当てはめてわけのわからない答弁をしていた。

冒頭で安倍首相はバカだと書いたので、多分ネトウヨの人は読むのをやめていると思うのだが、実際の問題は「概念的なモデルが作れない」という点にあるようだ。記憶力に問題はないようで、そのあとの議論でも過去に読んだ本の話をしている。

大塚さんが到達したかったのは、これは「日本の労働生産性が低い」という前提で始まった議論だが、その認識が正しいかどうかはわからないので、統計そのものを見直した上で議論しませんかという提案だった。

日銀と関係省庁はどう調整していいかがわからないのか、それとも野党の議員風情に指摘されたくなかったのか、うやむやな答弁をしていた。これについて大臣と日銀総裁が正しいと思えばそういえば良いし、そうでなければ「検討しましょう」といえば良い。しかし安倍さんはそもそも議論がよくわかっていないので、何もいえないでいたのだ。割り算がわからないというのは正確ではない。多分「モデル」が作れないのだろう。

大塚さんは、この先に労働生産性を上げるためには売り上げが上がらなければならないということを安倍さんに理解させようとしていた。ここでパートの従業員がレジ打ちの速度を二倍にしてもスーパーの売り上げが上がらなければ生産性は上がらないという誰にでもわかりそうな議論を展開した。

だが、これはまずかった。

茂木大臣と黒田総裁は「給料が上がらない」ということを認めてしまうと彼らの施策が効果がなかったことが露見してしまう。だから、大塚さんの仄めかしを避けようとする。しかし、そこには奇妙な空白が生まれる。だが、安倍さんにはそのことがわからない。大塚さんがどこに話を向かわようとしているかがわからないからだ。

安倍首相はパートの話は理解できたようだ。だが、結局大塚さんが何を意図しているのかがわからなかったようで「いい例えだった」と言って話をまとめてしまった。黒田さんは「給料が上がれば直近の経済成長は望めるかもしれないが、それ以上の成長を望もうとすれば供給側の構造改革をしなければならないのだから、政府のやろうとしていることは正しいはず」と主張したのだが、多分安倍さんは黒田さんが何を言おうとしたのかもよくわからなかったはずである。

モデルが作れない人がこれまでの議論をどう理解してたのかと考えると、かなり暗い気持ちになる。専門家が繰り出す様々な言葉が次から次へと頭の中に入ってくるのだが、それが決して一つの像を結ぶことはない。それは永遠に続く混乱と呼べる状態なのではないだろうか。その意味では「かわいそうな状態にある」と言える。政治家の家にさえ生まれていなければ、もっと安倍さんにあった仕事が見つかったはずだ。

例えば、今回の議論では労働生産性は成果(付加価値)と投入時間の議論から始まり、実は付加価値をつけるためには給与が上がらなければならないという関係があった。大塚さんは多分頭が良い人なのだろう。だからこの理屈を「簡単に説明してあげればきっと経済の専門家でない人にも理解が可能であろう」と考えたのではないかと思う。ところが安倍さんにはこれがわからない。それどころか映像のあるたとえ話は「なんとなくわかった」印象を与えるので却って危険なのだ。

自民党にとってはバカを中心に置くことにはメリットがある。安倍さんの下で働いている人たちは「決して安倍さんは理解ができない」ことがわかっているので、自分のやりたいことができる。安倍さんには美辞麗句を並べ立てて都合の良い話だけをしていればよい。また、失敗したとしても安倍さんから責任を追及されることはない。

さらに、モデルが作れない人たちは、安倍さんの話を聞いて初めて「政治がわかった」と感じたのではないかと思う。これが安倍首相が広く支持を集める理由になっているのではないかと思う。これは選挙に強いことを意味している。

つまり、有権者と好き勝手にしたい人たちの間に「バカ」を置くことですべての矛盾が吸収される。野党が理詰めで追及しても「バカ」が吸い取ってくれるのである。

これをIQと結びつけて考える人もいるかもしれないのだが、抽象モデルを作れない人は記憶力の優れた人の中にも多くいるのではないかと思う。彼らは正解を記憶することはできるがモデルを使って未来を予測することはできない。つまり、探索型の行動が取れないことになる。皮肉なことに、これは日本の生産性を下げる一つの要因になっている。経済界が「アメリカのように時間賃金型でない給与体系を入れれば日本も成長するだろう」と考えているのはその一つの表れである。

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