最低賃金と生産性の因果関係

Twitterで感想をいただいた。因果関係が間違っていても最低賃金をあげれば生産性が向上するのではないかというものだ。その場ではやや曖昧なレスポンスをしたのだが、これについて考えてみたい。意外と重要な視点が含まれているからである。この視点について金融当局者と一部の政治家はわかっていて、わからないふりをしている。

第一に、AとBとの間に因果関係がないというステーテトメントは必ずしもBとAとの間に因果関係があるということを意味しない。つまりCという要素がありAもBもCとの間に因果関係があるかもしれないからだ。この場合、AとBとの間に相関関係は成り立つが因果関係は成り立たない。だから、これを逆にしても意味がない。

最低賃金が高い国の生産性が高いのは、多分その国が国際的に優位な経済的条件を持っているからだろう。生産性が高いので他国に先駆けて成長できる。成長すると物価が上がるので最低賃金もあげなければならなくなる。つまりCとは「国際的な競争力の優位」である。

では、最低賃金をあげて生産性が上がらなければ企業はどうするだろうか。多分、人手不足をオートメーション化で補うことになるだろう。これは単純労働を排除してしまうことになる。つまり、最低賃金をあげても生産性が上がらなければ人々は仕事を失ってしまうのである。

これは、大塚耕平民進党代表と黒田日銀総裁の間で議論になっていた。大塚代表はレジ打ちの例を出した。これは労働者が生産性をあげても売り上げに繋がらないという事例だ、大塚さんは多分給料が上がる見込みがあれば需要が喚起されるので経済がよくなるだろうと言う方向に話を持って行きたかったのではないかと思う。一方、黒田日銀総裁は最低賃金を一度あげただけでは効果は限定的だし、生産性が上がる仕組みがなければ効果は一過性に終わるだろうと応じている。残念なことに安倍首相は何のやり取りが行われているのかがさっぱりわからなかったようで、レジの話はよくわかったと一週遅れで間抜けな返事をしていた。

この黒田総裁の言葉を聞いていてある疑問を持った。なぜ政府や金融当局者は供給側の話ばかりしたがるのだろうか。もしかしたら政府は企業との間に結びつきはあっても消費者との間に合意が形成できないのかもしれない。黒田総裁は需要が喚起されない理由を「デフレマインド」というふわふわとした言葉で片付けていた。つまり、黒田さんは供給側のマインドについてよく理解できていないのではないかと思う。こうした一連のレクチャーを受けているであろう安倍首相もデフレマインドというのは「弱気な気の迷いである」と理解をしているようだ。

そもそもデフレマインドとは何なのだろうか。それは人々(企業と消費者)が無駄なお金を使いたがらないということを意味している。では、人々がお金を使いたがらない理由は経済的にどう説明されるのだろう。

ここで投資の現在価値という概念をおさらいしてみよう。

低成長下で企業や人が投資しないのにはそれなりの理由があり、EXCELにはこれを説明するための関数が準備されている。NPVというのがそれだ。

割引率という耳慣れない言葉が出てくるのだが、これはざっくりと「利子のことだ」と考えて良い。年間に10000円づつ儲かるビジネスがあったとする。これを5年で回収する目標を立てる。そのビジネスに投資するのにいくらの初期投資が許容されるのかというのがNPV(現在価値)である。

Excelの関数に任せるのは気がひけるが、細かく知りたい人はネットで検索すると様々な情報が出てくる。

例えば割引率をネットで検索すると次のような定義が見つかる。

割引率

割引率とは、将来価値現在の価値直すために用いる率のことをいいます。利回り考慮すれば現在の通貨価値将来通貨価値とでは価値が違うために、将来通貨価値現在の通貨価値換算するために用いる率のことを指します。利回りを5%であるとすると、現在の1万円は1年後には1万円×(1+0.05)=10,500円になりますから、この計算逆に行えば、1年後1万円の現在の価値は、1万円÷(1+0.05)=9,524円であるということになりますこのような計算を行うとき、仮定としておいていた利回りの5%のことを、割引率といいます。 なお、退職給付債務計算における割引率は、安全性の高い長期の債券利回り基礎として決定することとされています。

ここで注目すべきなのは利息が低い(つまり経済が成長しない)社会では手元にお金を置いておいても投資をしても現在価値は変わらないということだ。投資にはリスクがあるので、現金を手元に置いておいたほうが確実性が高いことになる。だから、企業も個人も投資をしないのである。つまり、無駄なお金を使わずに手元にとっておくことになる。

ところがこの「投資」の中に含まれないものがある。それが人への投資だ。低成長の社会では他社も同じように停滞しているので新しいビジネスが生まれない。だから優秀な社員を雇って新しいビジネスに挑戦させるというインセンティブがなくなる。これを広い意味では投資意欲の減退である。つまり人件費には「費用」の部分と「投資」の部分があるということになる。だから無駄なお金を削って現在の儲けが正当化できる費用だけを支払おうという圧力が加わるのである。

新しい知識が加わらないというのはどういうことなのだろうか。それはマニュアルでできる仕事が増えて行くということになる。だから最低賃金あたりの仕事が増えて行くわけである。

さらに企業はそもそも投資をしないのだから設備が新しく更新されることはない。そこでサラリーマンの残業を抑制する。するとサラリーマンは時間がなくなってしまうので「自分たちでなんとか労働時間を減らす」努力を始めるはずだ。つまり、生産性の向上を従業員に押し付けるために残業代に天井を設けたいのである。しかし今の仕組みは残業した分だけ支払わなければならない制度になっている。そこでサラリーマンは工夫して残業時間を減らすのではなく、基本給が足りない分だけ残業を長くしようとする。すると生産性はますます落ちる。さらに大企業の社員がだらだらと仕事をすると下請けやフリーランスは休めなくなり、過労死の危険が増えるという仕組みになっている。

企業は余計なリスクを背負ってまで新規事業には投資しない。手元にお金を持っていてもその価値が目減りすることはないからである。すると新しい技術は導入されないので、国際競争力は落ちてゆく。外国は成長しているので手元に現金を持っているとそれが目減りしてしまう。そこで新規事業に乗り出す。新規事業に乗り出せば産業は競争力を維持できるし、従業員にもより高い賃金を支払うことができるという具合だ。こうして日本と先進国の間には大きな開きが生まれるということになる。

つまり、最低賃金近辺で働く人が増加したのは経済が成長していないからだということがわかった。そして、生産性が落ちて行くのも経済が成長していないからなのだ。「最低賃金」「生産性」「経済成長(利息)」はお互いに因果関係がある。しかし、最低賃金と生産性は経済成長の関数であり、お互いのうちどちらかを人工的にあげたとしてももう一つが上がることはない。そして重要なのは、多分黒田総裁や大塚代表などはこのことがわかっているはずだということである。

こうしたことが起こるのは資本主義がお金を借りて事業を起こし、その成果を出資者に戻すという制度だからである。お金の貸借りのない社会では新しい産業を起こすというインセンティブが起きにくい。

ここで隠れたファクターは何だったのだろうか。もう一度考えてみよう。設備を作ることが投資だと考えるのは、製造業中心の資本主義社会の考え方である。つまり、資金を調達してきて工場を建てて鉄を作れば経済が潤うという考え方だ。そのためには石炭と鉄鉱石を持ってこなければならないので港と鉄道を作る。だからインフラが重要なのである。

では、現在でもそれが成り立つだろうか。答えは「否」だ。現在重要なのは知識である。IT産業でももちろん光ファイバーのようなインフラは必要とされるのだが、もっと重要なのは知的労働者である。アメリカはそのことがわかっていたのでインドや中国から優秀な若者を引きつけてきた。こうした知的労働者に魅力的な環境を提供することで国際競争力を維持してきた。トランプ大統領の登場でアメリカの競争力は落ちつつあり、カナダが後釜を狙っている。トルドー首相がインド訪問の時にインド人の格好をして見せたのは、彼が物好きだからではない。経済的にメリットがあるからだ。

政治家や金融当局者が供給側にばかり注目する理由は、多分「意欲」や「知識」といった曖昧なものを扱いかねているからではないかと思う。こうしたものは人々の気分次第で変わってしまうものであり、コントロールしにくい。だから、無意識に排除してしまうのではないだろうか。

いずれにせよ、最低賃金で働いている人たちが増えるというのは、日本の企業が新規の知識なしにオペレーション可能な領域への依存を強めているということを意味するのだろう。その裏には本社側でも新規の知識が枯渇しているという現象があるのではないかと思う。

しかしながら、日本政府は労働者の労働時間すらまともに捕捉できていない。つまり、労働者のやる気といった新しい産業形態には極めて重要だが統計数字としては扱いにくいものについてはほとんど洞察が進んでいないものと思われる。

さて、話が長くなってきたのでこの辺りでまとめたい。最低賃金と生産性の相関関係について考えた。その裏には別の因子がありそうだということまではわかった。まず、その因子について考えて、その上でその因子が何に影響を受けているのかということを考えるのが重要だということもなんとなくわかった。今回のこのエッセイでは「競争力と新規知識」という要因について扱ったのだが、他にも何か見つかるかもしれない。いずれにせよ、二つの表に出た現象だけを取り上げて相関関係をでっち上げてしまうと、その時点で思考は止まってしまう。だから間違った因果関係というのは有害性が高いのである。

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