「ネトウヨ対応」は時間の無駄だった

安倍政権が窮地に立たされているというか、自滅しつつある。自民党に参議院議員は多いはずなのに、安倍政権擁護をしようとすると立候補者が少ない。結局出てくるのはネトウヨ議員と呼ばれる人たちだけである。彼らは官邸からストーリーを指示されているようだがどうやらアドリブもあるようである。彼らのむちゃくちゃな話を聞きながらネトウヨの人たちにまともに相手をしていた時間は全て無駄だったなと思った。と、同時にここで目の前のネトウヨを論破しておかないと世の中が大変になると思い込んでいたのはどうしてなのだろうかとも考えた。

例えば和田政宗議員は太田理財局長に「野田政権の味方をしているのでは」と質問して各方面から批判された。田崎史郎さんも批判していたので安倍官邸は和田さんを切ったと考えてもよいのかもしれない。ネトウヨ思考の特徴は全てを敵味方に峻別して白か黒かをはっきりさせたがるところだろう。全てをその場その場の損得で考えてしまうので、ごく自然に「お前は敵の人間だろう」と迫ったのではないだろうか。Twitterでは面白おかしく麻生財務大臣も反日認定を食らったというような話が流れてきた。

ネトウヨ議員は政策立案ができるノウハウもなく特定の利権団体ともつながりがないのだろう。後ろ盾がないので権力への貢献を認められるしかない。しかし、自分たちの役割だけを淡々と果たすということはなく、話を盛ったり、根拠のない陰謀論を混ぜてしまう。そうしないと目立てないからだ。感情的な安定感にも欠ける傾向があり、都合が悪くなると「訴えてやる」などと騒いだり、他人を恫喝したりする。和田議員も田崎史郎さんを「訴える」と騒いでいた。確かに事実無根のことを言われると腹も立つのだろうが、普通は「違いますよ」と言って、それでも相手が根拠のないことを言い続けるとそれなりの対応をとることになるはずなのだが、いきなり「訴える」といってしまうところにネトウヨ的メンタリティの稚拙さがうかがえる。

今回和田議員が太田理財局長を侮辱する発言は議事録から消されてしまったのだが、本来はこの発言こそ記録に残すべきだと思う。安倍政権がいかにくだらない人に支えられており、最後にはこうした人しか残らないということがよくわかる歴史的な記録である。

しかし、こうした議員は他にもいる。前川喜平さんを恫喝した自民党議員も以前ちびまる子ちゃんに異議申し立てをしていたということがわかっている。最初にこの話を聞いた時には悪い冗談かでっち上げだろうと思っていたのだが、実際にそのページは今でも残っている。読んでも何が言いたいのかよくわからない、というよりパンクチュエーションがむちゃくちゃである。知的能力に欠けるとまでは思わないが、少なくとも落ち着いて文章を練るということができないのは確かだと思う。

私は、このポスターを見て、思わず仰け反りそうになりました。同省政務官時代に、国家公務員として、それも国家の継続を担う文科行政を担う矜持を持て。国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しないと機会あるごとに言ってきたのに・・・

確かに国際社会には厳しい競争もあるだろう。TPPのような国と国との協議の場に「友達だからわかってくれるはず」などという精神を持ち込むのはどうかと思う。しかし、子供どうしの交流に「コスモポリタンでは通用しない」などというのは尋常ではない。「幼少時に何らかのトラウマがあったのだろうか」と疑いたくすらなってしまう。

このように考えてくるとネトウヨにはそれほどの知的価値はなさそうだ。と同時に、こうした精神状態が広く影響力を与えるとは思いにくい。だが、安倍政権がうまくいってた時に、それなりの焦りがあったのも確かである。

ネトウヨ的言動が政権の中心にあったので「このままでは社会全体がめちゃくちゃになってしまうのではないか」という気持ちが強かった、そこで人権を蹂躙するような発言にいちいち目くじらを立ててしまう。なぜこうした不安に陥ったのかを考えてみたところ理由は二つあると思った。

一つは政権が社会の正解であるという思い込みだ。一応は選挙で選ばれていて高い支持率があるのだから、世間はネトウヨ系の人たちがいうことを全て信じているのだろうと思い込んでしまうわけだ。

しかしながら理由はそれだけではなかったと思う。多分「大衆というのは自分より馬鹿で民度も低いのではないか」という侮りの気持ちもあったのかもしれない。つまり、大衆というのは劣情に流されやすく、従ってネトウヨの人たちがいっているのは彼らの本音なのだと感じてしまったのではないかと思うのだ。

確かに日本人は政治的な意見をあまり表明せず、西洋の基準からみると「あれ?」と思われるようなことを平気で言ったりする。例えばこんな事例があった。QUORAに「中国人や韓国人は国への忠誠心がないのに自分の利益のために日本国籍を選択するのですか?」という質問がある。これは典型的なネトウヨ質問である。

何人かの善意の日本人は「中国人や韓国人であっても日本への忠誠心を持っているはずである」と回答していたが、これすらも、欧米のスタンダードからみると差別的な発言と取られかねない。国籍はいまやパスポートと居住権の記号でしかないというのがヨーロッパの基準であり、出自をもって社会へのことさらの忠誠心を求めるということ自体が差別だと考えられるからである。アメリカもかつて日本人に同じ目を向けたことがあり強制収容所送りにされた。これを払拭するために多くの日本人が兵士に志願せざるをえなかった。

だが、こうした発言が横行しているからといって日本人が愚かで差別的だということにはならない。QUORAは実名制(ただし実名が正しい名前なのかどうかまではチェックされていない)のため比較的穏健な発言が集まりやすい。そこで、欧米の現状を説明すると多くの賛同意見が集まる。つまり、我々に足りないのは「民度」や「知性」ではなく、穏健な場所で普通に政治や社会について話すことができるプラットフォームなのだということになるだろう。

今回、冷静にそして徹底的に「ネトウヨを相手にするのは時間の無駄である」という感覚を持つのは重要なのではないかと思った。なぜならば官僚の中にも「国会議員は自分たちと違って知的エリートではないのだから無茶を言ってくるし、国民はさらに愚かだから馬鹿な国会議員たちを野放しにしているのだ」と感じていた人たちが多かったのではないかと思うからだ。こうした認識があると「ネトウヨ」と呼ばれている声の大きい人たちの存在が当たり前のように思えてしまう。そこで文章を改竄したり、物語が破綻しないようなシナリオ作りに協力するような官僚が出てきてしまうのかもしれない。

その意味でも、一般の感覚でまともな言論空間を作り上げるというのは社会的に大きな意義があると思える。

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