なぜ左翼の改憲論には根拠がないのか

本日最初のエントリーでは与党の政治家が国際情勢の変化について行けていない状況を観察した。彼らは国内的には強硬な反対はに対峙しており解決策は中途半端なものになりがちである。そのため軍隊を海外に送っても危険な目にさえあわなければそれは軍隊ではないという訳のわからない理屈が編み出され、その縛りに合わせる形で日報が隠蔽された。それが勝手にコピペされており外付けのハードディスクに残っていたから「隠蔽したのだ」と騒ぎになっている。

では反対派は一体何を恐れているのだろうか。

千葉で改憲反対のデモをやるという。そこで「安倍首相が改憲するとなぜ戦争になるのか」というロジックついて調べてみようと思った。護憲運動はそれなりに盛んなのだが「安倍首相が戦争を起こす」動機についての詳しい説明は聞いたことがない。いろいろな人に聞いているのだが誰も答えてくれないので、もはやライフワークのようになってしまった。

今回のチラシには主催者の電話番号が3つ書かれていたのだが2つはつながらなかった。最後につながったさきは労働組合の事務所だったのだが「こちらではわからないので共産党の県連で聞いてくれ」という。表に名前がないのだが実は共産党の動員イベントなのである。

彼らは「憲法に新しい条文が加わると二項が死文化され戦争になる」というのだが、ではなぜ戦争になるのかは答えてくれない。つまりデモに参加する人たちも実はよくわかっていないのである。これはベトナム戦争反対デモの参加者たちがベトナム戦争がどんな戦争なのかよくわかっていなかったというのに似ている。彼らは「自分たちは正義であり、政権は悪だ」と思っているので特に問題を感じないのだろう。

共産党の県本部で受付の人に同じ質問をしてみた。現在憲法第9条の2項があるおかげで日本はアメリカとの戦争に巻き込まれずに済んでいるし、南スーダンでも武器を使わずに済んだという。ではなぜ安倍さんが憲法をいじると戦争になるのかと聞くと「あ、それはたとえです」という。「え、たとえ?」と思った。多分、正解は暗記しているが深くは考えたことがないのではないかと思う。そこで「詳しい人に折り返してもらえるか検討してほしい」と頼んだ。

最終的に県連の人と話ができたので、今までの疑問をぶつけてみた。誰も理解していないですよというと「ご指摘は受け止めるし寂しい限りですね」とはいうのだが、あまり悲観的な様子は見られない。そして「赤旗をちゃんと読んでいれば理解できるはずなんだけどなあ」と言っていた。細かいことは赤旗にすべて書いてあるそうである。しかし受付の人も理解していないことが本当に赤旗に書いてあるのだろうか。

あいにく赤旗は読んでいないし読むつもりもないので、赤旗を読むと何が理解できるのか尋ねてみた。そこでわかったのは「護憲」は出発点ではないということだ。彼らの運動原点は反核運動だ。広島と長崎で原爆が落とされた。これが起こったのは第二次世界大戦のせいであり悪いのはアメリカである。妥協の産物としてあまりよく考えずに作られた自衛隊にも反対だ。つまり、共産党のいう戦争はベトナム戦争ですらなく第二次世界大戦なのだ。この人によるとベトナム戦争は「あの程度の戦争」なのだそうだ。

例えば現在は国連憲章で侵略戦争は禁止されており、同じ思想で作られた憲法第9条はいらないのではないかということを聞いてみた。多くの人は答えられない質問なのだが、この人は理由を二つ挙げた。国連憲章の起草段階ではまだ原爆の被害が知られていなかった。つまり、日本の憲法のほうが思想としては一歩進んでいるのだという。調べてみると国連憲章が起草されたのは1945年の4月から6月にかけてなのだそうだ。さらに国連が大国間の妥協によって成り立っておらず、きちんと機能していないという点も合わせて挙げていた。

この点から南スーダンの活動は否定される。国連の集団的自衛は彼らによると妥協の産物でありあるべき姿になっていないからだ。さらに米軍との一体的な軍事攻撃に関しては「原爆を落として反省していない」アメリカを否定しているので米軍と一体となった行動は許容されない。

つまり、彼らにとっての戦争というのは第二次世界大戦のことであり、それにつながりかねないようなことは「何一つ許されない」と主張しているのである。

多くのでも参加者が「安倍さんが憲法を変えるとなぜ戦争になるのか」という疑問に答えらえないのは、実は反原爆運動・反原発運動・護憲運動が別々の運動体として捉えられているからだろう。さらにこれを理論化した人は誰もいない。

マルクスのような理論を必要としないのは、共産党の上の方のレベルでは強烈な体験が共有されているからだろう。その意味では彼らは村落的なのだが、村落が必要としている持続性を欠いている。表向きは運動が受け継がれているように思えるのだが、実は誰もついてきていない。彼らがいなくなれば誰も質問に答えられなくなるだろう。多分、運動は原理主義化するか崩壊するはずだし、おそらく両方のことが起こるのではないだろうか。

戦争は嫌だということはわかったし、国際的な睨み合いは全て排除されるべきだという主張はわかった。では、軍隊なしでどうやって戦争を防止するのかという話になるのだが、地域フォーラムを作って話し合いで解決するべきだという。例として上がったのがASEANと南アフリカにある共同体だ。確かにASEANには軍隊はない。南アフリカのほうが具体的に何を指しているのかはわからないが調べてみると南部アフリカ開発共同体というのが見つかった。こちらは構想段階なので軍の共有化という話までは進んでいない。そしてどちらも地域の経済連携が主な目的になっている。平和構築のプラットフォームとしてTPPを利用しろと言っているようなものだ。

前回のエントリーで書いたようにこうした国際的な協力の枠組みはなくなりつつある。日本流に言い換えると村が消えて流動化が起きている。安倍首相の側は東西冷戦頃の世界情勢までは理解できていたが、護憲派の思考は第二次世界大戦で止まっている。彼らが争っているのが現在の第9条論争ということになる。

では共産党の人たちの思考が第二次世界大戦で止まっているのはどうしてなのだろうか。大変残酷な例えだが、家が火災で亡くなるという経験をした幼児がそれ以降、火を怖がるようになり「マッチだけでも使っていいかな」という提案に対して泣き叫びながら反対をしているようなものだ。「火は絶対にダメ」というトラウマから全く火そのものについて考えられなくなったということになり、ある種悲劇的なのだが、これは思考停止である。ところが思考停止が「戦争はいけない」という単純なメッセージだったことで多くの人の共感を呼んだ。だから護憲運動はそれなりに盛り上がるのだろう。だが、もともとが曖昧な主張なのでそれ以上広がりようがない。

戦争を起こしてはいけないという主張は決して否定されるべきではないと思うのだが、かといって現実世界に起こっている問題をすべて「愚かな人たちが高邁な理想を理解していないからだ」と説明してしまっては現実問題に対処できなくなる。

実際の国際情勢はさらに流動化が起きており、隣の国はついに核兵器を持とうというところまで来た。どちらの極の政治家もこの状況を正しく理解しておらず、成り行きによってはさらに危険な状況に陥る可能性もあれば、日本が地域の意思決定から排除されてしまう可能性もある。

1990年代の日本の政治家は中国が国際市場するという状況の変化に対応できず国力の相対的な低下を招いた。今回は地域の安全保障情勢の変化にも取り残されようとしているのではないかと思う。

それを紐解いて行くと第二次世界大戦の総括がきちんとできていないということがあるように思える。過去を反省して未来に備える。だが、すべてを人格の問題にしてしまう日本人はこの総括が苦手なのだ。

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