柳瀬参考人招致について – 首相秘書官制度は廃止すべきタイミングなのかもしれない

柳瀬元秘書官が参考人として国会で答弁した。今回の証言を参考にすると柳瀬さんは嘘をついていなさそうである。多分、安倍首相のお友達だから加計学園が優遇されたのだろうが、普段から「安倍首相の関与がなく」見えるように行動していたのだろう。想定内の嘘なので「騙している」という罪悪感が希薄なのだろう。応援する人の中には「法律の範囲内でお友達を優遇して何が悪い」といい出す人がいたが戦後70年経っても日本人は法治主義という概念を完全には理解していないことがわかる。

合間に田崎史郎解説を聞いたのだが、国民も無関心なので「首相の関与が証明できなければセーフ」というのが官邸側の意向のようである。その線だけ守れればあとは明らかに嘘に見えても「負け」にならないと考えているようだ。日本の組織は最終的には信頼によって成り立っているところがあるので「もう有権者との信頼なんかどうでもいい」と割り切ればかなり政権の自由度は高くなる。と同時にこの国の政治中枢にいる人たちが日本人が持っていた「実際の運営は契約ではなく相互信頼に基づく」という社会通念を一切無視しているということがわかる。

一方で野党にも契約と民主主義という概念を理解していない人がいる。この議員は秘書官はジムの調整役に過ぎないのに「絶大な権限」を認めてしまっている。オフィシャルな民主主義とその裏側にある調整主義の違いが混同されているのだろう。

このことからわかるのは日本人は民主主義の契約という概念を理解できていないということだ。だから法律にお友達を恣意的に優遇できる仕組みを入れることにも抵抗はないし、事務調整官に過ぎない秘書官が実際の権力をふるってもそれが当然だなどと言い出してしまうのだ。

だが、というかだからというか、今回の一連の騒ぎには、見過ごされている深刻な疑念を浮かび上がらせた。Twitterを見ていると多くの人がこのことに気がついているようだ。

柳瀬さんが首相に何も報告をしていないとすると、柳瀬さんがどんな資格で特区関係者に話を聞いていたのかがよくわからなくなってしまう。秘書は連絡役であり法的には何の権限も持たないはずである。

柳瀬さんの立ち位置はいわば幕府のお側用人に似ている。将軍と老中の間でやり取りをするのが仕事である。政府では大きな権力を持っていたように描かれることが多いのだが、本来の意思決定者ではなかったはずだ。

お側用人は単なる将軍のスタッフ職なのだが、柳瀬さんは現在経済産業省の事務次官に次ぐ役人側のナンバーツーである。この人が「秘書官」という役職をもらい自由に動けるようになっている。本来は法的な裏付けがないので何の権限も持っていないのだが、逆に「法的な縛りがなくなんでもできる」ことになる。いわば「フリーのエージェント」なのだ。首相には憲法上の責任があるので、誰と会ったかということは国民からの監視対象になっている。しかし、秘書官には権限がないはずなので誰と会ったかは極秘にできる。つまり首相の隠密としても動けるし、首相のお目こぼしがあれば自分や自分が存在する組織のために自由に動けてしまうのである。

情報の流れという観点から政府組織を見ると、秘書官はセキュリティホールのような位置付けになる。

この「セキュリティホール」が数年に渡って自分が誰に会ったかを上司に報告していないと国会で堂々と公言している。例えば首相秘書官は国防上の秘密も知り得る立場にある。彼がマスコミなどから面会記録を監視されないのは首相がスタッフを管理しているという前提があるからだ。しかし柳瀬さんはどうどうと「自分は首相に監視されずに好きな人に会えるのですよ」と言っている。つまり、外交上の秘密をバラしたとしても誰にも気づかれないしそれを国会で罰せられることもないのですよと「ドヤ顔」で語っている。

秘書官の「使い勝手の良さ」を首相秘書官を経験した江田憲司さんはよく知っているようだった。柳瀬さんはそのことがわかっており唯一緊張した顔を見せていた。江田さんも「首相秘書官」として隠密的に動いたこともあるのだろう。その制度の欠陥を指摘してしまうと過去に遡っていろいろな疑念が掘り起こされかねない。そこで江田さんの追求はある種の緊張感を持ちながら中途半端なものになってしまっていた。

首相秘書官が秘密を漏洩するだろうなどとは思えないのだが、実際にドキュメントのごまかしなど「こんなことはやらないだろう」ということがどうどうと起きている。財務省の官僚が嘘をついたりセクハラで解職されたりするなどということは一年前には想像できなかったことだ。政治の世界ではモラルが崩壊しており、もうなんでもありいうつもりでいたほうがよさそうだ。

首相は秘書どころか奥さんも管理できていない。普通の人は夫婦なのだから夫の許可を取った上で夫の意思を忖度して動いていると思う。つまりいくらなんでも夫婦なのだから奥さんが何をしているのか知っているだろうと思うのだ。実際には安倍昭恵さんは自らの感情でふらふらと動いて周りに迷惑をかけていたようだ。そして未だにそのことを反省しているようには思えない。常識では考えられないことが起きている。

首相が夫人を管理できないのは、この人が近くにいる人と本当の意味で意思疎通ができないからだろう。いくらなんでも秘書が何をしているのか知っているだろうとみんなが思っているのだが、首相は本当に管理できていないのかもしれない。

加計学園問題を攻撃したい人は「首相の関与」を証明しようとして躍起になっている。しかしこれは想定されていた嘘であり、加えて柳瀬さんは体裁を取り繕えないことにはそれほどの罪悪感を持っていないようである。だが、実際には首相が必要な意思決定やマネジメントをしないで権限がはっきりしていないスタッフを泳がせていたことの方が問題は大きいのではないだろうか。

お側用人が幕府の政治に悪影響を与えたように、首相秘書官も政策決定の透明性を損ねている。首相が管理できないなら、首相秘書官制度そのものを廃止すべきではないかと思った。

 

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