ジャーナリズムと場

ジャーナリズムの衰退が語られている。もう新聞の需要がなくなったという人もいれば、ジャーナリズムは民主主義の要であり新聞は重要だという人もいる。そもそも、新聞はどのように始まり、どういった読者に受け入れられたのだろうか。

ヨーロッパにおける新聞の祖先には二つの説がある。政治パンフレットと商業出版物だ。政治パンフレットの歴史は国民の知る権利を巡る闘争の歴史だ。ヨーロッパでは国が出版を管理する時代が長く続き、政治パンフレットの発行を理由に死刑になる人もいた。一方、商業出版の歴史では広告宣伝とニュースの間の線引きが問題になる。

イギリスのアン女王時代に出版された最初の日刊新聞デイリー・クーラント(リンクはwikipedia)の出版部数は1,000部以下だった。特定の政治信条を主張するパンフレットと違い「ニュース編集者の主観を入れない」という方針で知られていた。

この時代1712年に新聞税が課税されたのだが、人々はそれでも新聞を読みたがった。その読者はどのような人たちだったのだろうか。

イギリスではトルコから入ってきた流行の飲み物であるコーヒーを楽しみながら新聞や雑誌を読むコーヒーハウスが人気だった。ここで議論が交わされ、世論が形成された。商人たちは情報を交換し合い、ビジネスも生まれた。新聞はコーヒー・ハウスで読まれていたから、1,000部以下の部数でも世論に対する影響を持つ事ができたのだ。

仲間と一緒に新しいビジネスに取り組むとき、海外から入ってきた新しい事物に関する情報には需要があった。デイリー・クーラントが「ニュースに編集者の主観を入れない」と宣言したのは、読者ができるだけ中立な情報を望んでいたからだろう。

残念なことに、現在の新聞が特定の場にいる読者を想定して記事を記事を書くのは不可能だ。だから、現実や読者はこうあるはずだという像を作り上げるしかない。しかし、新聞が態度を変えない一方で、読者を取り巻く環境は大きく変化し続けている。ネットが台頭し広告収入が減った影響で、大規模なリストラを行う新聞やネット版への完全移行を決めた雑誌もある。

ジャーナリストの多くは、ジャーナリズムの伝統を所与のものとして捉えており「ジャーナリズムがどうやって成立したのか」という歴史に思いを馳せる人は少ない。日本ではジャーナリズムの崩壊は民主主義の危機だというような本が出版されているのだが、そもそも伝統がどう作られたのかを研究している人もほとんどいないようだ。

場の成り立ちがそれに相応しいメディアを生むのであって、メディアが場を作るわけではない。基本的なところだが、ジャーナリズムの危機を考える上では重要な視点ではないかと思う。