日本人の中流意識 – 転落の恐怖と戦いながらつく嘘

安倍政権が嘘をつき続けているのだが野党の支持率は伸びない。これを説明するために「世論調査が操作されている」などという人たちがいる。この説明には無理があるが、認知的な不協和というか居心地の悪さを感じる気持ちはよくわかる。

この認知的な不協和の理由をいろいろと考えてみた。安倍政権が支持されるもっとも多い理由は「他に適当な政権が見当たらないから」であり、一方不支持の理由は「安倍首相が嫌いだから」らしい。このことから日本人が政策ではなく好き嫌いで政権を選んでいるということと、野党に支持が集まっていないことがわかる。

さらに、実際に実名で記事を書いてみると「政権を悪く言う」と支持が集まりにくいという経験がある。このことから<オモテ>では政権や現体制を承認することの方が「普通の態度」と認識されていることがわかる。このブログで反政権的な言論が許されるのはこれが<ウラ>だからだろう。そもそも<ウラ>に何かを書き続けるというのは普通の態度ではない。

安倍政権を叩くニュースは少なくとも<オモテ>で普通の人が見るワイドショーでは飽きられつつあるようだ。ワイドショーが今盛んに扱っているニュースは日大のアメフト問題である。ワイドショーでは内田前監督がしきりに叩かれている。識者が専門的立場から内田前監督を叩き、それを普通の人代表の芸能人が追認するというのが基本フォーマットである。アメリカでは昼間から討論番組をやっていて、個人が意見を戦わせたり勇気ある発言を誉めたたえるのが普通の態度なのだが、日本のワイドショーは普通の人が普通でない人を叩くのが普通お態度であるということがわかる。だが目的はムラから普通でない人を追い落とすことにあるので、叩いても転落しないとなると飽きてしまうのである。

普通の人は体制を承認すべきなのだが、普通の人たちが叩き始めると一転して「首相降ろし」の風に変わる。それを感知した議員たちが騒ぎ始めて内部で総裁が変わるという仕組みになっている。しかし、今回はまだこのような状況にはなっていないようだ。そのうち「少しくらい嘘をついたり友達に口利きしても、贈収賄にならなければいいのだ」という新しいスタンダードが導入されてしまった。もちろん風向きが変われば普通の人たちも安倍首相を叩き始めるだろうが、それまで日本人は口利きやごまかしのある社会を生きてゆくことになった。我々が集中して叩ける素材は限られているので、嘘や不公平が社会に蔓延することになるだろう。

そもそも「普通」とはどんな人たちなのだろうか。興味があって調べてみた。

日本では昔から90%の人が自分は中流であると答えるそうだ。しかし、実際に所得をみると多くの人たちが「下流」に転落しつつある。日本人は中流から脱落しかけている人が多いのだが、それを認められない社会と言える。(もう「下流」なのに「中流」だと言い張る日本人!ー誤った「中流意識」が社会の発展を阻害する!?ー)だが、ここで聞き方を変えて「生活は苦しいか」と聞くと多くの人が「生活は苦しい」と答えるということだ。(もはや日本の「中流」は全体の3分の1

つまり、多くの人が薄々自分は中流ではないとわかっているにもかかわらず、それを認めたがらない社会が出来上がっていると言える。現在では中流の大体の目安であった年収600万円を維持している家庭は少ないそうだ。ところが社会全体が縮小しているためにスタンダードを下げて、かつての下流的な暮らしを「普通だ」と認識しなおすことで現実から目を背けている。さらに全体が地盤沈下しているために自分たちが下流に転落したことがわかりにくい東京に住んでいる一部の人たち以外は転落に気づきにくい。。東京には格差がある。実際に成長している区域があり、ここでは格差が広がっている。

日本人は自分たちが中流から脱落しかけているということを知っていて、それを認めたくない。いったん「普通でない」というレッテルを貼られるといじめて叩いても構わないという社会なので普通から「転落する」のが怖いからである。小学校の段階で「普通学級」にいない生徒はいじめられるし、ワイドショーでも毎日のように普通叩きが行われている。

これまで安倍政権下でなぜ嘘が蔓延するのかということを考え、無理めのゲームに勝ち続けるために嘘をつき続けているのだと結論付けた。確かにそれはその通りなのだが、その背景には「中流から堕ちてゆくのだけどそれを認められない」という有権者たちがいるように思えてならない。その意味では安倍政権は最初から嘘に支えられた政権であり、嘘をついているのは実は政権ではなく有権者である。

日本人は自信を失っており自分たちが状況を変えられるとは思っていない。しかし、下流に転落することは怖いので自分たちは体制側にいるという仮想的な帰属感覚だけを頼りに誰かをアウトカーストに認定して叩いているように思える。もはや普通だという確信が持てない状態では普通から転落した人を叩いているときだけ社会との一体感が得られる。上流にも登れないし中流にいるという確信も持てない。下を見ているときだけ満足感が得られるという社会なのである。

普通から逃れることでより良い社会が作れるかもしれない。かつての日本にはそう考える人がいた。だからこそ勇気を持って「ダメなことはダメなのだ」と言えたのである。しかし、多くの人が転落を予想するようになると、上を目指すのは限られた一部の人たちの特権であると考える人が多くなる。社会変革的な動きが止まってしまったのにはこのような原因もあるのだろう。その証拠に人権について語る場合でも「今あるものがなくなる」ことを恐れる人は多いが、新しい権利を獲得したいと主張する人はほとんどいない。

誰もが普通でいたい社会において、政権を支持することが普通なので、その政権が不正を働いたということはあってはならない。もし不正があったとすると自分たちは偽物の政府を信仰していたということになる。だったら不正はなかったことにしたほうがいいし、欺瞞は見なかったことにしたい。かといって「嘘を容認しますか」と新聞社から聞かれれば、それは道徳に反すると思ってしまう。こう考えると今の世論調査は整合的に解釈できる。

嘘は嘘なのでそのうちに行き詰まるのだろうが、今後どのような展開をたどるのか予測ができないところではあるが、その間にも社会は着実に壊れてゆくように思える。

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