高度プロフェッショナル制度はなぜ労働者を地獄に突き落とすのか

最近Twitterに高度プロフェッショナル制度に反対するコメントが溢れている。だが、ピント外れのものが多いので元の法案を見てみようと思って調べてみた。すると、法律そのものの問題以前に重要な欠陥が見つかった。加えて、日本人は「どうやって働けば幸せになれるのか」ということがわからなくなっている様子も伺える。このエントリーでは働き方改革についての諸問題を考察してみる。直ちに答えは見つからないだろうが、なんらかの参考になるかもしれない。

例によって反対派のコメントは極端だ。この制度を導入すると労基署が介入できなくなり日本の労働者が働かれ放題の地獄に突き落とされるのだそうだ。もっとも、憲法第9条について検討すると明日戦争が始まると言っている人たちなので、これも仕方がないのかなとは思う。

そこで「そんなことはないですよ」という主張を書こうと考えて法案を検索してみたところ、厚生労働省が出しているらしいPDFを見つけた。これを一読すると何が問題がわかった。高度プロフェッショナル制度には年収規定があるのだが省令で変更できることになっている。また、チェックの医療体制があるのだがこれをどのように充実させてゆくのかという具体論がない。つまり、運用によってどうにでもなる制度なのである。例によって安倍首相の口約束は全く信頼がおけず、厚生労働省には当事者意識も対処能力もない。そこで反対派が騒ぎ出す。野党は最悪の見込みを持って政府に詰め寄り、政府は悲観しすぎだといって応じない。だから全く議論ができないのだろう。

政府を信頼していない人は「どうせろくに運用もされないだろう」し「年収の規定もすぐに変わってしまう」と考える。経営者にポイントを稼ぎたい政治家たちは「あとは産業界がよし何やってくれるだろうから自分たちは考えなくても良い」と思う。さらに厚生労働省は「やってあげてもいいけど、こんな予算じゃ何もできない」と投げ出してしまう。すでに集団思考に陥ってしまっており、あとは問題が起きた時に指の差し合いが始まることになるだろう。

もともとこの制度はホワイトカラーエグゼンプションと呼ばれていたはずだ。アメリカの制度をコピーしたものと思えるが、背景には日本型の正社員をホワイトカラーに置き換えようとする動きがあったのだろう。だが、考えてみるとわかることだが、残業代をゼロにしても正社員はアメリカ流のホワイトカラーにはならない。そもそも日本の経営者はアメリカの成功例しか見ていないのだろうし企業の経営のやり方も全く異なっている。

確かに、アメリカの企業にも残業についての規定はない。だが、アメリカには過労死という概念そのものがないのでKAROUSHIという言葉をそのまま使っている。英語版のWikipediaでは高度経済成長期から日本ではよく見られる現象であって、韓国でもよく見られると書いてある。ここから導き出される結論は単純なものである。つまり、高プロ制度が導入されれば過労死は増えるだろうが、かといってできなくてもなくならない。

この裏には「日大内田流の根性マネジメント」がある。日大内田流というのはマネジメントノウハウを持たない素人がパワハラによる恐怖と支配でチームをがんじがらめにしてゆくという最悪のマネジメントスタイルである。思考力を奪われた労働者は「これ以上働いたら死んでしまう」という判断力すら奪われてしまうことになる。日本人は「いいなりになる人間」を「囲い込みたい」と考える。それはマネージメントの知識がなく「パワハラで服従させる」という陸軍式スタイルが唯一の広範に知られたマネジメントだからである。嘘と過労死が蔓延するのは現場が正常な判断力を奪われるからだ。さらに日本の経営者は満足な給与すら与えたくないらしい。

アメリカ人が過労死を不思議に思うのは、「殺されるくらいなら別の仕事を探せばいいのに」と思うからだろう。さらに、マネージャー(課長)クラスでも裁量がはっきりしており「やらされる」という仕事が少ない。つまり、自分なりにスケジュールを設定することができるのである。

それでもアメフトには「どうしたら勝てるか」というルールがあるのだが、企業にはルールがない。だから、どうしたら勝てるかを自分で考えなければならない。そのためには情報をどこかから仕入れてくる必要がある。アメリカの企業は優秀な人材を引きつけることでこうした知恵を外部から幹部が取り入れている。ところが日本はこうしたやり方をしない。ここでスクロールを止めて「自分の働いている企業ではどこから情報をとってきているのか」を考えていただきたい。

日本の家電産業や自動車産業はサービスやメンテナンスを系列にやらせることで顧客から情報を取っていた。彼らから情報を集めてそれを新製品に生かしていたのである。これはサービス産業でも同じ「お客様の声」を取り入れることでサービスをアップデートした。このため日本型の提案は「カイゼン」とか「稟議」という形で下から上に上がって行き、それが計画になって上から下に降りてゆくという循環構造になっている。

このやり方だと、外から情報を取り入れる必要はない。せいぜいライバル他社の動きをモニターしておくだけで良い。代わりに、豊かな中間層と系列をメンテナンスしてゆく必要がある。社員や系列に時間をかけて価値を共有してもらわなければならないからである。

資産バブルが崩壊した後の日本はアメリカ型を模倣して再建を図ろうとした。そこで日々のオペレーションを人材派遣などに丸投げするようになった。実は日本人はこうやって情報源を時間をかけて絞め殺していった。さらにお客さんも殺気立つようになり、コンタクトセンターはクレームで溢れており、現場の人たちは「提案なんかしても黙殺されるに決まっている」と投げやりになっている。つまり、このやり方を取るなら経営陣とプロフェッショナル人材を流動化させて風通しをよくすることで外から情報をとらなければならなかったのである。

日本人は「抱え込んで支配したい」と考えるので、高度人材を正社員化したがる。社畜化して周りが見えなくなった高度プロフェッショナルという概念は、法案の良し悪し以前にそもそも成立しえない。さらに、外からコンサルタントを雇ってもパートナーではなく下請けとして扱ってしまうので、ここからも新しい情報が入らない。経営者は正社員上がりで経験則でしか経営理念を学ばないので、情報的に取り残されると最終的に行き着くのは内田流の「支配による恐怖政治」になる。他にやり方を学んでこなかったからである。

実は情報をどこから得るかに着目すると、日本型の企業をどう変えてゆくのかという議論ができる。日本流のやり方を通してもよいし、アメリカ型に変えても良い。アメフトと違ってそれはそれぞれの企業の自主性に任されている。情報に着目すると、現在のような「擬似イデオロギー」的な対立から脱却できる。企業情報は政治的にはニュートラルであって議論の対象にはならない。それぞれの企業が「勝手に変えれば良い」だけのことだからだ。

いずれにせよ、どのような制度を作っても「情報は入ってこない」が「勝たなければならない」プレッシャーが蔓延すればすべての企業ばブラック化する。日本の企業は確実にパワハラと過労死が蔓延するかなり悲惨な世界になるはずだ。

与党と野党が一切の妥協も話し合いもできないというところに問題の深刻さがある。これは経営者と労働者が話ができていないことの合わせ鏡になっているものと思われる。さらに、労働者の代表である連合がフラフラと与党に歩み寄ったり中抜きの商売の派遣業経営者がラスプーチン的に政治に影響を与えたりして、状態を混乱させている。