ダウンタウンが高プロで働いたら使い潰されてしまうのか

多分軽い冗談のツイートだと思うのだが、ダウンタウンが高プロで働いたら使い潰されてリタイアしてしまうのではないかという指摘があった。そういう番組を作れば面白いのではというのである。そこで「吉本と契約を結ばないと芸能界で生きて行けなくなるんだぞ」という意味のコメントを被せたところ「よくわからない」と言われた。

ああこの辺りがよくわからないんだと思い少し驚いた。と同時にこのあたりが高プロの議論がいまひとつ厚みに欠ける理由なのだろうなと思った。

ダウンタウンは日本型「高プロ」ワーカー

最初に書いておくとダウンタウンは今でも「高プロ」的働き方をしている。ただ、その活動が集団に影響を与えることはあまりない。グループでの活動はあまりなくキャリアが個人に蓄積するスタイルだからである。吉本タレントは囲い込みを行っているがスキルやキャリアが個人に蓄積する状態ではこうした働き方(働かせ方)はうまく行くことがある。これが成り立つのは吉本興業に次から次へと新しいタレントが入ってくるので売れないタレントに執着する必要がないからである。終身雇用ではないので売れない人たちは外に出してしまえばよいのだ。また、吉本興業のタレントも一生タレントで生きて行けるという期待をしないので会社にしがみつくことはない。

ところが、キャリアが集団に蓄積するスタイルでは高プロはあまり意味をなさない。そこに労働者の囲い込みが発生するとそれは成長を阻害する方向で働く。吉本興業のような働き方があるのだから高プロもうまく行く可能性があるのだが、今の状態では単なる残業代ゼロ法案担ってしまう可能性が高い。これを整理すると次のような類型になる。

  • キャリアが個人に蓄積 X 囲い込みあり:吉本芸人
  • キャリアが集団に蓄積 X 囲い込みあり:日本のサラリーマン
  • キャリアが個人に蓄積 X 囲い込みなし:アメリカのホワイトカラー
  • キャリアが集団に蓄積 X 囲い込みなし:パートやアルバイト

日本型と書いたのは日本は労働者を囲い込むからである。

本来は残業代ゼロ法案ではなかったホワイトカラーエグゼンプション制度

経団連がホワイトカラーエグゼンプションを導入しようとしている理由は二つあると思う。一つはよく言われている人件費の抑制である。だが、もう一つは「従業員が企業に寄りかからず自律的に儲ける方法を見つけて欲しい」という経営者側の願望であろう。アメリカやヨーロッパ型のやる気のある企業を見ている人たちには切実な問題なのだろう。では、アメリカやヨーロッパには特に優秀な社員が多いのだろうか。

企業ごとの優秀な従業員の割合はどの企業でもあまり変わらないという研究があるそうだ。このWiredの記事を読むとアップルやグーグルのような会社はトッププレイヤーを集中的に配置することで生産性をわずかに上げているだけなのだそうだ。こうした経営の智恵が積み重なって大きな違いが生まれるのだが、日本ではむしろこうした人たちを生産性の上がらない部門に貼り付けて使い潰してしまうことがあるのかもしれない。

企業に入る前に疲弊する日本人

それに加えて日本人は学生の時代から「何のために勉強するのか」がわからずに知的好奇心を失ってゆくというような統計がある。学生時代に疲れ果ててしまうので知的能力は高いが知的好奇心が極めて低いとNewsWeekが伝えている。

内容がぎっしりつまった国定カリキュラム、生徒の興味・関心を度外視したつめこみ授業、テスト至上主義……。学習とは「外圧によって強制される苦行、嫌なことだ」と思い込まされる。これでは、自ら学ぼうという意欲を育て、それを成人後も継続させるのは困難だ。

学校卒業後にすでに新しい知識を学ぶ意欲を失っているので、やっとの思いで大企業に入ると企業が成長するのに必要なことを新しく学ぶようなことはない。もともと経営がうまくプロフェッショナル社員を使いこなせない上に、やる気を失った学生が入ってくる。このため日本ではポテンシャルはあるが疲れ果てて入ってきた社員と、現場で使い潰されるやる気のある社員で構成されているのかもしれない。

労働市場が流動化すれば適正な市場が形成される

ホワイトカラーエグゼンプション導入が健全に機能するためにはお互いの納得感が必要だ。つまり給与が気に入れば企業のプロジェクトにコミットしてもらえればよいし気に入らなければ企業と交渉するだけでなく転職すれば良い。サッカーの本田流にいうと「個」があればよいわけである。ある程度の労働移動があれば市場に適正価格が形成される可能性は高くなるだろう。サッカープレイヤーは集団を前提としているが、労働市場は国際化されており流動性も高い。

政府は今回の制度改正の対象になるのは高額所得者なので企業と対等に競争できると説明しているのだが、どうやったら適正価格の市場が作られるのかという説明はない。企業がトッププレイヤーを抱えこんでいる現状で適正市場が形成される望みはない。日本の経営者は賃金を出し渋るので、すでに高騰したスタープレイヤーの国際価格で競り負ける。中国に優秀な家電の技術者が流れるのは日本の賃金水準が低く押さえつけられているからだ。

労働市場の流動化を阻む甘えの構造

ではなぜ労働市場の流動化が起こらないのだろうか。もちろん合理的に説明することもできるだろうが、今回は日本人のメンタリティについて考えてみたい。

例えば芸能界で独立騒ぎが起こると、事務所側が「誰のおかげで大きくなれたのだ」などと感情的なもつれに発展することがある。芸名の使用権を盾に事務所に縛りつけようとすることもあるようだ。SMAPのようにジャニーズ事務所から出ると過去の楽曲が使えず名前も名乗れないというようなことになる。かつて「のん」は芸名が使えなくなり、最近では広瀬香美が事務所との間でトラブルを抱えている。この壁を乗り越えたのがモデルのローラである。現在は国際的な事務所に所属しておりインスタグラム経由で環境保全活動についての訴えも行っている。モデル業界は国際化が進んでいるのでこうしたことが起こる。どのように解決したのかはわからないが、日本のテレビやCMを今までの事務所で管轄することにしたのではないかと思うのだが、日本市場は縮小しているのでローラは日本での仕事を縮小してゆくのかもしれない。

スポーツの場合はさらに「女々しい」ことが起こる。栄監督が伊調馨選手に意地悪をしたのは「俺のおかげでメダルをとれたのに勝手に出て行った」からである。日大アメフト部の内田前監督も退部しようとする学生たちに「後輩の推薦枠を減らす」とか「就職できないようにしてやる」などと脅かしていた。このように日本のマネジメントはプレイヤーにしがみつき心理的に依存することがある。皮肉なことにサッカーや野球などすでに国際化した競技ではこうした問題が起きにくい。国際的なスタンダードにあわせた流動的な労働市場が形成されるからだ。

このような「身内しか信頼できないし、離れたら裏切りとみなす」という甘えの構造が知識の交流を難しくしている。労働者は特殊な環境で技能を蓄積せざるをえないし、企業は外からの新しい知識を仕入れることができない。このようにして企業はムラ化し、そのムラが相互に配慮しあうことでガラパゴス状態が生まれて、国際競争から取り残されてしまうのである。

日本の労働市場を支配するウエットな人間関係

この日本型のウエットな職場環境について分析しているブログ記事をBlogosで見つけた。少し長いが引用させていただく。ここではアメリカと同じアングロサクソン系のオーストラリアと日本を比較している。太字は原文のままである。ただし、このブログを最後まで読むと「日本は日本型のウエットな心情を大切にすべきだ」というようなことが書かれている。

まず、オーストラリア人だったら、仕事が多すぎて、年俸と見合わなくなったらさっさと辞めて転職してしまいます。年俸が高くなると、労働法で保護される度合いも少なくなって、会社都合で解雇されても不当解雇で訴える権利を失ってしまいます。その年俸額は労働法で規定されていて毎年変わります。社員の首を切るために、わざと賃上げをする雇用主もいるぐらいです。だから、社員の方も、常により条件の良い仕事を探していて、見つかればさっさと移ります。1年もすると、周囲の顔ぶれがガラッと変わっているなんてことも珍しくありません。

中略

20数年ぶりに日本に帰ってきて、びっくりしたことがあります。

20代や30代の若い人たちが、理不尽な労働環境下でやせ我慢して働いているのです。どうやら、長く続いた就職氷河期の影響らしい。彼らは耐えるだけで、雇用主と交渉する気力も能力もありません。なんだか日本が貧しい国に見えてしまいました。

副業による棲みわけ

「日本型はウエットだ」と書いたのだが、吉本の場合はこの辺りが少しドライである。背景には働き方の多様化がある。個人事業を認めて活動外収入を許すというようなやり方をすることが多いように思える。吉本興業はもともと劇場経営から出発しているので「劇場が抑えている時間以外には何をしてもらっても構わない」という方針が取れるのだろう。面白いことに日本にはこうした働かせ方がかつてあったということだ。朝ドラで有名になったように、吉本興業は大正時代のやり方を一部温存している。今でも明示的な契約文書がないそうだ。東スポは明石家さんまについてこう書いている。

明石家さんま(61)も吉本興業と契約を交わしていないとか。「今、吉本にいるだけでもちろん契約もしてないし、だから、正確に言うと吉本から仕事を頂いているっていうバージョンになるんですね」と語っており、実際、自分の事務所を別に構えている。

またデイリースポーツによると浜田さんは司会の仕事でスタジオに入ってくる時にかなり怖い顔をしているそうだ。彼らは個人に業績をつけて行くので、多様化してやって行くと決めればそれほどテレビに拘る必要はないし、逆にテレビで生きてゆくと決めたら一つひとつのプロジェクトに気が抜けない。自己最良の結果なので、大変なのだろうが「使い潰されにくい」のではないかと考えられる。

俳優・寺島進(54)が1日放送のフジテレビ系「ダウンタウンなう」(金曜、午後9・55)に出演。ダウンタウン・浜田雅功がスタジオ入りする時に「般若」のような顔をして入ってくると暴露した。

タレントの中には資格を取ってそれを仕事につなげるような人がいる。アメリカでは同じように社会人になって学校に通い資格や技能を取ってから転職活動をすることがある。その意味ではイメージではなく技能で売っているタレントはアングロサクソン型に近い働き方をしていると言える。

そもそも集団に依存する傾向にある日本の正社員

一方、日本正社員にはそのような緊張感はない。彼らは組織に守られている上に、期待される役割も曖昧だ。日本の正社員で「自分は何かの専門家だ」と言い切れる人はそれほど多くないのではないだろう。さらに、日本の企業は個人を信用しないので個人に情報を与えない。パテントなども集団に帰属させているはずだ。彼らが信頼するのは「集団として長く活動してきた」という実績なのでよそ者である高度プロフェッショナルを仲間に入れたがらない。だから、個人はやがて集団に依存するようになる。

いずれにせよ、高プロ制度について立体的な議論が起こらないのは日本人が限定的な労働環境についての理解しか持っていないからではないかと思った。アングロサクソン型のドライな労働慣行も知らないし、フリーランスが成功しているタレントのような業態も一般的ではない。加えてメンタリティの問題があり「ドライな」環境に対して拒否反応がある。

もちろん日本型のウエットな労働市場にも良いところがあるのだが、現在の状態を見ていると陰湿ないじめが横行したり、非正規職員を排除したりとあまり良くない面の方が強調されているように思える。タレントの働き方を見ているとわかるように日本でもドライな働き方ができないわけではないのだから、根本から議論をやり直すべきなのではないかと思える。

 

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