母性という密室が子供を殺す

目黒の女の子の虐待死について考えている。外側からの規範意識を無自覚に受け入れた結果として子供を殺してしまう母親についてだった。エントリーでは母親が自分の理解した「母親像」を押し付けた結果子供が亡くなったというように分析したのだが、その後に読んだハフィントンポストの記事によると、父親が子供たちを支配しており、母親はそれを黙認していたというような図式になっている。いずれにせよ東京の子育て環境が密室化しており、両親の病んだ支配欲求を満たすのにおあつらえ向きの空間になっていたということがわかる。

この件に関する政治家の動きで一番腹が立ったのは小池百合子都知事の対応(日経新聞)だった。非難の矛先が自分に向くことを恐れたのか、早速政治的なポーズを見せた。なんの総括もせず具体的なことも部下に丸投げするのだろう。この人にリーダーシップを期待しても無駄なのだが、それにしてもひどすぎると思う。

ただ「支援がなかったのだろう」とか「この人は特殊なのだろう」と考えること、気持ちを収めたいという受け手側の事情もわかる。こう考えることで日本人が持っている母性信仰に逆らわずに済むからだ。だが、実は母性は適切な環境なしにはそれほど頼りにならない。病化すれば却って母性が子供を苦しめることになる。

この母親は生きてゆくために夫の規範を受け入れた。つまり生きてゆくにはそれが最適なのだと子供に教えたかったのだろう。それは子供が動けなくなるくらい衰弱しても「勉強のノルマを果たせなかった」という理由で折檻するというような病んだ規範意識である。確かに病んではいるが「無批判に大人のいうことを聞く」というのは典型的な良い子の姿である。先生のいうことを聞いていればそれでいいのだと教えられて、内的な批判精神を一切持たないまま育つ日本人はこの母親の姿勢を笑うことができないのではないかと思う。

これは、国や社会が「子供は国のために犠牲になって死ぬべきである」という規範を持った場合、母親が援助者として機能するということを意味する。つまり、国が戦争を求めた場合、母親は喜んで子供を戦場に送り出してしまうようになるだろう。それがその社会の「良い子」の姿だからである。

この無批判な精神は大人になるとさらに強い規範意識に縛られる。それが「女の人はうまれながら優しい母親である」という思い込みだ。こうした議論に加担する人は、優しい自分を見せたいだけであって、対象物にはそれほど興味がないのだろ。しかし、正解であるという思い込みが強ければ強いほど人気の題材になる。前回の聖書の例で見たように「これさえ掲げておけば安心」という正解だからである。

もし仮に「母性は病化する」などと主張してみても「お前の個人の意見など聞いていない」と黙殺され罵倒されるはずである。政治家の中にもこうした論調に乗ろうとする人がいる。冒頭に挙げた小池東京都知事もその例である。「わかりきっている」とされたことに乗って人気を取るという薄っぺらさが彼女の戦略だからだ。

今回のケースの場合、母親は周囲に助けを求めることができたし、実際には救いの手が差し伸べられていた。それをやらなかったのは母親が「合理的な」選択をしたからである。彼女は二人の男性との間に子供がいた。一人は子育てをするつもりがなく、もう一人は子育てをするつもりがあった。「どちらかを選ばなければならない」となった場合、子育てをするつもりがない父親の子供ではない方を「取った」ということになる。先程は「母性は不健康な状態になる」と書いたのだが彼女にとっては「合理的」ですらあったかもしれないのだ。

目黒の事件は確かに極端なケースだ。しかし、あるべき母親像に苦しめられる人は多い。「母が重い」と感じる娘が話題になったのはもう数年前になる。この日経WOMANの記事は2014年に書かれている。主に問題なっているのは「女性は家のことを完璧に取り仕切るべきだ」という社会規範に囚われてしまった母親だ。子育てがその人の「中核的な事業」になってしまうと、子育てが終わっても子供に依存することになる。家庭に入ることで母親は全てを諦めなければならなくなり、同じ生き方を娘に押し付けたり、あるいはその反動として娘に違った生き方を強要するというケースがあるようだ。BuzzFeedは5冊の本を挙げて「毒親」について解説している。

密室になった親子関係が子供を精神的に殺してしまうというケースは日本では見逃されがちである。それは親密な親子関係が美談として語られるケースが多いからである。小池都知事の他にもこれを利用しようとする人がいる。男性はさらに無責任で、子育てを女性に丸投げしようとする。

適当なラベルがないので「保守」とするが、父親から見た理想の家庭を国民に押し付けたい人たちは、家の問題を母親に押し付けて「あとは自動的に健全な子育てが進む」と考えている。例えば萩生田光一は「子育てはママがいいに決まっている」と言っている。これは「子育てを母親に押し付けている」という反発を受けている。はっきりした統計はないがと開き直っているところから、この主張には何の根拠もない。

母親は毒になる。これを防ぐためには「どのような関わり方の育児がいいのだろう」と考えた。家族という密室を作らないためには、社会全体が子育てに携わる必要があるのだが、それは何も地域の人たちが保育施設を作って子供の面倒をみるというようなことではないのではないのではないか、と思った。むしろ、子育てに専念するような環境を作ってはいけないのだ。

もともと人間にはいろいろな役割がありその役割の中でいろいろな関係に囲まれている。例えばあるお父さんは会社では課長であり地域の野球クラブの一軍コーチであるという具合である。この中に子供が組み込まれれば良い。お母さんにも職場、地域のネットワーク、家庭があれば一つのところに閉じ込められて子供に依存する必要はなくなる。

実はこのようにして解決できる問題はいくつもある。学校が世界の全てだと思えばいじめから逃げるために自殺する人が出てくる。会社の評判が全てだと思い込むと過労死でなくなる。そしてアメフトが全てだと考えると違法タックルに追い込まれる。全て「社会の密室か」の問題が背景にあることがわかるだろう。

ただ、こうした複合的なネットワークを実現するためには、変えなければならないものがいくつもある。例えば職場に子供を連れて行って良いことにしなければならないし、お父さんもお母さんも自分の裁量で仕事が調節できるようにしなければならない。さらに、今学校に丸投げしている課外活動に両親や祖父母が参画することになる。そのためには、誰かがビジョンを作ってそれを実行することが求められる。これをリーダーシップと呼ぶ。

日本人はビジョンを作って協力し合うのがとても苦手だ。代わりに箱を作って全てをその中に密閉しようとする。小池都知事の方針について反発したのは彼女の方針が「密室作り」の延長でしかないからだ。リーダーシップのない政治家は適当に口当たりの良いことだけを言って箱を作りあとは何もしてくれない。児童相談所の人たちが他部門に協力を求めたとしてもその調整は彼らが独自にやらなければならない。実はこの「社会の密室化」は社会全体の問題であり、母性はその中でこれまでも静かに病変を育んできたのだろう’。

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