労働法制の改革は正しいのか間違っているのか

先日、外国人労働について書いた。いろいろなシナリオを想定したのだがどれも説得力に欠ける。そもそも何が良い労働制度なのかがよくわからないからだ。よくわからないのに様々な改変が行われようとしており、すべての制度改革について根強い反対意見がある。

いろいろ考えたのだが自転車に例えてみることにした。経済は一人ひとりが自転車のベダルを漕ぐようなものである。漕いだ力はチェーンを通してタイヤに伝わり速度を上げて行く。速度が上がれば漕ぐのは楽になり、反対に登り坂に差し掛かればきつくなる。他にも、例えば車輪に摩擦が多かったり漕いでいる人が少なければ一部の人は疲れて漕ぐのをやめてしまうだろう。すると全体的に速度が落ちてやがて止まってしまうことになる。

自転車はスピードで計測するが、経済は成長率で計測する。自転車という経済が成長すると新しい生産設備を作るための資本と技能が蓄積されて優位性がます。逆にサボっていると中進国の中に埋没しいよいよ成長するのが難しくなる。

ミクロでは少し違った見え方をする。ある人は大学で勉強した後、会社に入って仕事を覚える。賃金の一部を学費に変えて勉強を続けてより良い仕事を見つける。また会社は新しい事業に参入して技能を蓄積する。さらに、キャリアを終わった人が自分たちの知恵を社会に還元する場合もある。社会人教育で学生に自分たちの技能を教えて行けばよい。うまくいっている経済ではこれらが連関しており速度が上がる仕組みになっている。

一人ひとりをプレイヤーとしてみた場合「社会貢献」とか「社会のために犠牲になる」などと考えなくてもよい。社会人が学校に通うのはより良い仕事を見つけるためだし、引退した社会人が学校で教えるのも年金の足しにするためなのかもしれない。一人ひとりの欲求が結果的に社会をよくするのが資本主義経済のもともとのあり方である。

ところがこのサイクルはうまく動いていない。そもそも忙しすぎる社会人は会社を離れて学校に行くようなことができない。学校を卒業している時点で学ぶ意欲を失っている(これは統計で確認できる)上に、ワークライフバランスが崩れていて学校に通うどころか過労死寸前で働かされる人もいるからである。さらに、賃金も残業を前提にしている上にそれすら減らされようとしている。さらに会社で成功した人は子会社に出向して何もしないで退職金を積み増して行くので、自分たちの知恵を社会に還元するインセンティブがない。

さて、経済という自転車がうまく進んでいるかどうかを確かめるためにはどうすればよいのだろうか。二つのやり方がある。一つは企業レベルでガバナンスを効かせることである。株主がしっかり監視していれば、内部留保が蓄積した場合に従業員に還元するか株主に還元するかを決めてくれればよい。とにかく経済にお金が戻れば回転はする。日本では株の持ち合いによってこれがうまく働いていないのではないかと思われる。もう一つは社会全体で統計をとって確かめるという方法がある。

以前、労働力に関する統計が間違っているということで国会が大騒ぎになったことがあった。「厚生労働省が嘘をついているようだ」ということが問題になったのだが、実際には「厚生労働省に労働実態を調査しようという意欲もスキルもない」ことの方が問題なのかもしれない。労働者は国の資産なのだが、それがどれくらい「効率的に」運営されているかを確かめる方法も意欲がないということになる。

例えば、国が高等教育に補助を出すかという問題がある。だが、これが良い政策なのかを判断するためには別パラメータについて検討する必要がある。高等教育にお金をかけても国内や地域内にに産業がなければ頭脳流出が起こる。かといって高等教育にお金をかけなければ単純労働者だけが蓄積して社会全体としてのスピードが上がらない。当たり前の話なのだが正しい統計とグランドプランがないと「何が良い政策なのか」決められないのである。

今回、外国人労働力について考えた時「賃金の流出が起こるのではないか」と書いた。だが、どの程度の労働を外国人に任せようとしているのかがよくわからない。メインの経済がしっかりしていれば補助経済に外国人を使うことはある程度正当化できる。メイン経済がうまく回っているアメリカの場合不法移民は少なくとも経済的にはある程度は許容されてきた。だが、日本の場合は誰がメインの経済を支えるのだろうか。それとも短期滞在者がメイン経済を支えるようになるのだろうか。

いろいろな議論はできるのだが、それが正しいかどうかわからない。そもそも新しい経済に即した統計がないからである。だから非正規労働や派遣会社が経済のどのような影響を与えているのかというコンセンサスもない。

派遣労働者を雇ったことがある人ならわかると思うのだが、実際の時給が1500円だったとしても、実際には2000円以上支払っているということがある。つまり9時間働けは4500円以上が派遣業者に支払われる計算になる。しかしながら、実際には派遣労働者の営業がそれほどの労働付加価値を持っているとは思えない上に、彼らは複数の派遣さんを担当している。強いて言えば派遣会社はオーバーヘッドを代替していることになる。派遣が広がっているのは実際のオーバーヘッドが派遣会社の実入りよりも大きいからなのだろう。工場の生産ラインを組み替える時に機械の入れ替えなどの調整が発生するがそれがオーバーヘッドだ。その意味では日本の経済はしょっちゅう機械の入れ替えをしているオーバーヘッド社会だということになる。

いずれにせよ派遣労働者は吸い取られた賃金の一部を生産設備(例えばパソコンの購入)や知的資産の獲得(学校に通って技能を磨く)などに充当することはできない。それでも頑張って資格を取ったが補助労働にしか就けないためにそれを活かせないという人もいるだろう。

もともとの図面がしっかりしていないところにいろいろな政策を立案し、効果測定されないうちにまた別の政策を立てる。そうこうしているうちに何が正しくて何が間違っているかがわからなくなる。労働法性について分析するとぶつかるのがこの問題である。

今、安倍首相の嘘が問題になっている。実際に嘘をついているのは周辺だろうという話もあるのだが、実はそもそもの統計がきちんと取られていないためにそれが嘘なのか本当なのかがわからないというのが問題なのかもしれない。

にもかかわらず安倍首相は「自分は正しい」と言い張っており、野党側は「首相は嘘をついている」と言っている。なぜこれに関わっている人たちが確定的な物言いができるのかがよくわからない。

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