「貧乏人はカップ麺を食べるからダメなんだ」について考える

先日来、リベラルの呪いについて考えている。今回は知らず知らずのうちに他人を呪う人について考える。ここから得られる教訓は二つだ。日本人は知らず知らずのうちに他人にフレームワークを被せてしまう。多分自分も含めてそこから逃れることはできない。そしてそれが他人だけではなく自分の行動を制約してしまうのである。これが「人を呪わば穴二つ」の意味である。

先日「貧乏人はカップ麺を食べるからダメ」というTweetが回ってきた。普通の日本人は日本人であるだけで「誰かに何かの意見を押し付けている」と思った方が良いんだなと思った。特に自分がリベラルだと考えている人は要注意である。無自覚に価値観を押し付けるのだが、他人から何かを押し付けるとことさらに怒り出す傾向にあるからである。思い込みが激しい人しかリベラルになれないのではないかと思えてしまう。

実際に「低所得の人ほど安価なものでお腹を膨らませたがる」という傾向はあるようで、一定の真実が含まれているのは確かである。しかし、これが中途半端に科学的なので、自分の思い込みを接ぎ木してしまうと結論を間違えてしまう。

このTweetは「カップラーメンは高い割に健康に良くないから和食を食べなければならない」と主張していた。その背景には「人間というのは和食を食べなければならない」という思い込みがあるようだ。実はこれがリベラルの人が嫌っている「日本人は夫婦同姓でなければならない」という思い込みと相似形になっているのだ。

具体的には米を炊けと言っている。「和食がよい」というのがその人の「聖書」になっており、それを主張する自分に酔っているのだろう。だが、なぜそれが呪いになるのか。

和食を成立させるためにはおかずをどこかから調達してくる必要がある。自分で作ると手間がかかり割高になるので「調理」という選択肢はない。この人は、当然スーパーかコンビニに行けばいくらでもおかずが調達できると考えているのだろうが実はこれが間違っている。

コンビニエンスストアは「いつでも一定のものが手に入る」という便利さを売っているので、ある程度の所得以上の人しか利用できない。割引サービスがないこともあり、年金暮らしの高齢者などはコンビニには行かない。

もちろんスーパーに行けばそれなりのおかずは購入できるだろうが、そもそも地方には徒歩圏内にスーパーがない場所がある。統計に出てくるわけではないし政治課題にもならないので、小型スーパーがなくなっているということに気がついていない人は多くないかもしれない。

人件費がかかる小型スーパーは斜陽産業になっている。代わりに台頭しているのが地域の大型店と簡便なミニスーパーだ。ミニスーパーは商品入れの作業を軽減したり陳列を簡素化したりして対応しているので生鮮食品が置けなくなる。つまり、生鮮食品を作って並べるということがそもそも「贅沢な行為」なのだ。

それでも「頑張って」安い値段でおかずを提供していた店はある。記憶に新しいのはポテトサラダを提供して食中毒を出してしまった北関東のスーパーだ。できるだけ手間をかけずにお惣菜をおこうとしたのだろう。このニュースのインパクトは凄まじかった。日本農業新聞によるとジャガイモの需要が減るほどの影響が出ているそうだ。

日経新聞のこの記事によると、去年食中毒を出したスーパーは全店閉鎖になってしまった。ブランドイメージが毀損したという理由のあるのだろうがそれだけではないだろう。手間のかかる上に収益の上がらない業態が成り立ちにくくなっているのではないかと思える。普通に見ているだけではこういうニュースの後追いには気がつきにくいだろうし「リベラルな自分」に酔っている人はなおさらであろう。

「手間がかかる惣菜」の代わりに安くなっているのが加工食品である。日持ちがするので無駄が少ない上に箱や缶に入っているので輸送費が安い。

それでもご飯食に拘ると保存食品かレトルト中心となり、塩分過多の問題が出てくる。もちろんインスタントラーメンも塩辛いのだが、漬物と味噌汁(そもそも味噌汁は贅沢品なのだが)でもつけようものなら塩分はインスタント食品よりも高くなるかもしれない。日本人はインスタントラーメンのような工業製品的な食品にはうるさいのだが、梅干しや漬物などの塩分はなぜか度外視してしまう。和食は体に良いという刷り込みがあるのではないだろうか。肥満と並んで高血圧も成人病の元になる。

お金もなく、買い物も頻繁にできないという条件下では加工食品にうまく依存しないと選択肢の少なさに苦しめられることになる。これが「呪い」になるのだ。加工食品ばかりという制約された条件ではこうした思い込みを解体して「必要な栄養をどうやって摂取するか」ということを考えなければならない。

調理が必要な「野菜」は贅沢品なので、野菜ジュース(これは1日分の野菜というようなものが100円以下で売られている)と炭水化物の組み合わせが「現実的な」ソリューションになる。もう少し贅沢すればビタミンを補うような補助食品も売られている。この<野菜>には繊維質が含まれていないので、健康に気をつけるならば小麦粉を使った菓子で補うことになる。こうした食事を「普通でまとも」と思える人は少ないのではないだろうか。

さらに一回あたりのカロリーが低いので三食も難しいかもしれない。つまり、こまめに食事をして空腹を防ぐことになる。実はこれは「ダイエット」の基礎になっている。

一番安いのは一番安いのは袋入りのラーメンである。ガスがないなら炊飯器で調理できる。次が安売りのインスタントラーメンだ。50円くらいの違いがあれば卵が二個足せる。日清のカップヌードルなどは廉売されないので「贅沢品」と言える。つまり「インスタント麺を同列で語る」時点でその人は「何にもわかっていない人」なのである。

ここからわかるのは、思い込みは他人と自分の選択肢を同時に狭めてしまう効果があるということだ。そしてそれを否定すると今度は慌ててそれを否定する情報を探してしまう。実はサヨク・ネトウヨ対立にはこうした呪いが満ちている。

もちろん「何も知らずに上から目線で貧困について自分の意見を押し付けてくる人」を非難するつもりはない。なぜならば自分もやっているからである。だが、知らないのなら当事者を否定するのではなくまず何が起きているのかを実際に聞いてみるべきだと思う。だが、意外と「自分は知らない」ということもわからないので、少なくとも情報が取得できるように対話の窓は開けておくべきかもしれないと、自戒を込めて思う。

その一方で具体的に社会問題を考えてみることで様々なニュースが面白く読み取れることもわかる。思い込みを捨てた方がいろいろなことがわかるのではないだろうか。

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