アベノセイダーは愚かで無駄なことなのか

今日はアベノセイダーは無駄なのかということを考える。先日来「安倍政権というのは国民の期待に応えてできた政権だ」という論を展開してきた。これに反発を覚えた人、あるいは「安倍政権の批判が読めないなら読んでいても面白くない」と感じた人も多かったのではないかと思う。こうなると少し読む人が減る。

ただ、面白いことにもう一度安倍政権批判に戻ってもかつての爽快感のようなものは味わうことができない。賛成はしないにせよいったん「国民の側にも安倍政権を洗濯している理由」があると考えることで何か内的な変化が起こるからだろう。

依然として他罰的な記事には需要があるのでターゲットを変えるという手もある。なぜかわからないものの他罰的な記事を探して拾い読みしている人がいるようだ。いアクセス解析では一人ひとりの動向がわからないからこそ、多くの人が自分が変わらないために今の窮状の<合理的な>説明を他者に求めていることがよくわかる。

いずれにせよ、いったん安倍政権が悪いと考えたからこそ、その理由を探求し、どうやら「国民の側にニーズがあるのではないか」と考えることができる。つまり、アベノセイダー段階がなければ政治に違和感すら持たなかったわけだから、アベノセイダーには意味があるということになるだろう。

ここで、「安倍政権に反対する人たちはダメな人たちだ」と考えて無理やり現状を正当化しようと考えてはいけないと思う。ここで「コミュ力」とやらを発揮していい子を演じてしまうと奴隷状態から抜けられない。自分が奴隷になるのは構わないのだが、こういう人は大抵自分より弱い人を探し出して奴隷仲間にしたがる。最近では公共とか社会のためという言葉を掲げて相手に嫌な思いをさせることが流行しているようだ。公共というのは政治家にとっては「自分が搾取して良い」領域のことであり、奴隷にとっては「全てを諦めなければならない」フィールドのことである。公共を搾取したがる政治家がいなくならないのは、彼らは一定数の人が自ら進んで奴隷になってくれるということを知っているからだろう。

かといって「アベノセイダー」状態に止まっても問題を解決することはできない。この辺りの塩梅がとても難しい。

全てを安倍政権のせいにすることに満足してしまう人たちがいる。水道民営化は国を企業に売渡す大罪だし、IRでカジノが貸付を行うとパチンコのような小口のギャンブル依存症患者が増えると思い込む。TwitterのようなSNSが発展したことで簡単に仲間が見つかってしまうせいで、彼らにとってアベノセイダー状態は非常に心地よい。このアベノセイダーズは無知である分には無害だが、野党を堕落させるという意味でまた害悪である。

現在の野党は政策提言ができなくなりつつある。安倍政権を批判している分には問題はないのだが、自分たちが何かを提案すると違いが浮き彫りになり批判の対象になってしまうからだろう。立憲民主党は共産党に接近することで明らかにこの状態に陥っており、能力はあっても建設的な政策提案ができなくなってしまっている。国民民主党は頼まれもしないのに政策を立案しようとしている。国民は政治に「何もしない」ことを望んでいるのだし、ネトウヨは権威を求めているだけなので、政策には何の意味もない。こうして全体的に「政策が意味をなさないのにイデオロギー対立があるように見える」という不思議な状態ができている。

こうした罠に陥らないためにはどうしたらいいのかを考えてみた。多分支持者や仲間などを作らないで自分で考える必要があるように思える。日本人は何もないこところから集団を作るのが得意である。良いことも多いのだが政治的課題を考える上ではあまりいいことがなさそうだ。

さて、ここから一足飛びに「社会の成長に結びつくアイディア」を探したくなるのだが、少し気になることがある。それが虚無である。

誰かを非難するのをやめた時、なぜ安倍首相が豪雨災害の時に私邸に引きこもったのかということが気になる。例えば安倍昭恵さんが首相だったなら豪雨災害は千載一遇のチャンスだっただろう。「慈悲深い私」をみんなに見せびらかす良いチャンスだからである。福祉の現場にはこういう人が多い。地道な作業はやりたがらないし汚れる仕事はしたくないが、やたらと親切な私を見せたがる人がいる。安倍昭恵さんも汚れ仕事は絶対にやりたくないだろうしカメラの回っていないところで泥のかき出しをするようなことはしないだろうが、優しい私を見せびらかすために大活躍するはずである。菅直人元首相にも同じ傾向があった。菅直人さんは自分は「この分野に詳しいから」といって現場を混乱させた。このことから、彼らは自分の実力に過剰な自信を持った自己愛の強い人だということがわかる。だからこそ膨れ上がった自己像を実像だと思い込み見せびらかそうとするのであろう。

安倍首相はそれをしなかった。安倍首相は力強いリーダーシップが期待されていないことに薄々気がついているのではないかと思う。安倍政権を自民党議員団が熱心に支持するのは、無能であり政治家としての目的もないということを知っているからだろう。だから耳元で自分のアイディアを囁くだけで簡単にコントロールできてしまうのだ。そのため安倍首相のやってきたことは「アメリカ、企業、お友達を喜ばせる」という点では一貫しているが、政策としては一貫していない。「常に何かを与える人」であることをみせることで自分自身に注目が行かないようにするというのがこの人のやり方なのだ。だから安倍首相は懇意になった人に過剰な贈り物をしたがる。トランプ大統領にゴルフクラブを差し出すことが一大事だと思い込んでしまうのであろう。被災地でも「私の政府」が仮説浴場やエアコンを与えたことだけを自慢していた。膝詰めで被災者と語り合う写真も撮らせたようだが、どこかおざなりな感じがする。

政治的な目標とされる憲法改正ですら「岸信介のやれなかったことをやる」ということなので、これは岸信介首相の娘である母親を喜ばせようとしてやっている。彼には自分がない。

有権者は自分を有能だと考えている無能なリーダーより、自分が無能だということを知っていて何もしないリーダーの方が安心できると感じているのではないかという仮説が立てられる。だから、一貫して安倍首相を支持し続けてきたのだ。

このあと日本がどのような危機にさらされるかはわからないが、危機のレベルが高ければ高いほど、安倍首相は私邸に引きこもって強い自分を夢想することになるのだろう。自分で対処すれば無能である自分がさらされてしまう。政府の嘘を改めて思い返すと自分の失敗や認識の甘さを隠そうとして「息を吐くように」嘘をついてしまい、そのことが周りを巻き込んだ大混乱を引き起こしていることがわかる。

だがこの「息を吐くように言い訳する人」を選んだのは、多分国民が政治に何もしないことを求めているからである。これに気がつくためには、まず「コミュ力」を捨て去った上で、アベノセイダーズ状態からも抜け出す必要がある。そうすることで初めて今の不正常な状態の意味がわかるのではないだろうか。