日本ボクシング連盟のガバナンスはなぜ破綻したのか

日本ボクシング連盟の話が面白くなってきた。ボスがでてきていろいろと話をし始めたからである。最初は「現代日本がなぜダメになったのか」がよくわかると思って見ていたのだが、どうも何かが違っているように思える。調べて見るうちに全く別の問題があることがわかった。しかし、扱い方を間違えると差別につながりかねないので、テレビ局がこの問題を扱うことはないのだろう。

ボクシング連盟における山根会長の問題は明白である。公私の区別がついていないのである。だが、公私の区別がついていない理由もよくわかる。山根会長は地方の連盟の会長だった時に奥さんに離婚されたと語っている。喫茶店のお金を持ち出したのだそうだ。当時から公私の区別がついていなかったということになる。反社会勢力との関係をほのめかしたりと「普通の日本人の感覚」からはかなりずれている点もある。またあからさまに尊敬を求める態度からにもなんらかの理由がありそうだ。

確かに、昔からこの手の話はある。「芸のためなら女房も泣かす」というやつである。破綻した人格を表現しているのだが、同時に周りの人を泣かせてでも芸事に邁進するという「純粋さ」としても捉えられる。最初はこの純粋さが評価されて今の地位まで上り詰めたのだと思っていた。

違和感を解く最初の鍵はオリンピックとの関係にある。ロンドンで金メダルと銅メダルを獲得したボクシングだが、東京で競技が行われるかどうかは未定である。実はボクシングは東京オリンピックから排除されかけているからだ。SANSPO.COMは10月に再び審査が行われると言っている。問題はボクシング協会の腐敗した構造だ。

AIBAでは今年1月にラヒモフ副会長(ウズベキスタン)を新会長代行に選出したが、同氏は米財務省から「ウズベキスタンの代表的な犯罪者の一人で、ヘロイン売買に関わる重要人物」と指摘されている。

問題があるのは会長だけではない。日刊スポーツはこう伝える。八百長や買収まで横行しているようなので、お金が絡んでいないだけ奈良判定は「可愛いものだ」とすら言えるし、丁々発止で渡り合える「アジア的な」リーダーがいなければ勝てなかった可能性すらある。

国際ボクシング協会(AIBA)は1月下旬にラヒモフ副会長(ウズベキスタン)を新会長代行に選出したが、同氏は米財務省から「ウズベキスタンの代表的な犯罪者の一人で、ヘロイン売買に関わる重要人物」と指摘されている。AIBAでは、規約違反を指摘された呉経国会長(台湾)が昨年11月に辞任したほか、リオデジャネイロ五輪では相次ぐ不可解な判定で八百長や買収の疑惑が出るなど混乱が続く。

山根会長は乱暴な人間だったからこそこういう犯罪組織すれすれの人たちと渡り合うことができたのだろうということがわかるし、周りの人たちもそれを期待していたのかもしれない。今になって騒いでいる人たちは当初は国際社会と「渡り合う」ために山根さんを利用しようとしたのだろうが、それが行き過ぎて受け入れられないことがわかり慌てているのではないだろうか。つまり、彼らは知っていてそれを容認していた可能性があるのだ。

「みんななんとなく」山根さんはもう邪魔だなと思っている。日本はメンバー間のゆるやかな合意で決まりリーダーもいない。民主的に組織を運営する伝統がないので告発状を作って国に訴えるという手段に出たのだろう。300人以上の人が反対しているから大変というわけではなく、自分が集団から離反されたとは思われたくないので群衆になって身を隠す必要があったのだ。日本の政府に対してデモが頻発することからもわかるように、民主主義的なガバナンスがなく物事を決められないという日本側の問題がわかる。

では、山根さんというのはどのような人だったのだろう。マスコミはここで「経歴が謎である」と口を閉ざしてしまう。この状態でテレビを見ると東洋経済の記事のように「山根さんも身を低くしていれば炎上が治るのに」と感じてしまう。ただ、これは影で指をさして相手の悪口をささやき合って「自分の身を危険に晒すことなく相手を自粛させる」という日本流のやり方である。これが通用しない人がいるということには気がつかないのだろう。

実は山根さんは在日韓国人なのである。国籍はどうなっているのかはわからないのだが、インタビューに答える時の独特のなまりから彼がバイリンガルであることは間違いがなさそうである。現在の在日朝鮮人・韓国人の人の中には文化的言語的に「日本化」した人たちも大勢いるので同質に語ることはできない。

日本人(この先大和民族というような意味合いで日本人という言い方を使う)には潜在的な差別意識があるので問題を起こした人が「在日だ」と名指しするのを嫌うのだろう。だが、突出した人が問題を起こしているということを分析するためには文化の問題を避けて通るわけには行かない。ワイドショーは面倒な問題を避けつつ組織の中のゴタゴタだけを面白おかしく取り上げたいのだろう。が、これは潜在的な差別意識の裏返しだ。

ただ、山根さん本人はこのことを隠してはいない。スポーツソウルには「AG 앞두고 발칵 뒤집어진 일본 복싱(日本ボクシング)…재일교포(在日僑胞) 출신 회장 부정판정+횡령 의혹」というタイトルの記事がある。仁川日報には面倒見が良い成功者として取り上げられている。自分が日本と韓国の間で苦労してきたこともあり、現地の若者の面倒をみていたと説明していたようだ。こちらには母親が韓国の方だったという表現があった。

このことがわかると「公私混同」の意味が少し見えてくる。地理的に大陸とつながっており常に敵に囲まれている韓国人にとって身内で守りあうのは当然のことである。自分が得たものはすべて集団に捧げなければならないのだが、その見返りとして尊敬を得るのも当然なのである。その意味では大会の時に「山根会長のおかげです」と言わせるのは当たり前のことであり、関係者が自分よりさきに政治家のところの挨拶に行くと「差別されているのでは」と考えてもあまり不思議はない。ただ、これを説明抜きに提示されると日本人にはとても奇異に見えてしまうのである。

よく日本人は集団主義的だと言われるのだが、本当に集団主義的な韓国に比べると「冷淡な個人主義」に見えてしまう。日本人は集団と個人の間に距離があり「利用したり利用する」ものだと捉えている。だが、韓国人にはそのような距離はない。このことは韓国の政権が身内の面倒をとことんまで見ようとする点からも見て取れる。逆にあまりにも身内と外を区別するので地域間対立に発展するとそれが過激な政権交代を引き起こすほどである。

本来マスコミが調べるべきなのは、なぜこのような人が会長に上り詰めたかという点だろう。アジアに共通する文化があったから国際組織との間で連携が取れたのかもしれない。また、会長の周りは「イエスマン」で固められているというのだが、おそらく文化的な背景も共通しているのではないかと思われる。

日本人は契約を曖昧にするのと同時に「まあまあなあなあ」な文化的コードで補ってきた。これは敵の存在が少ないうえに、同じ村落で一生を過ごすという日本の歴史が影響している。このために波風を立てる必要がなくまた波風を立てるのを嫌うのである。だが、困難な歴史をかい潜りなんとしてでも成功してやろうとして生きてきた人をこのコードでコントロールすることはできないのだ。

こうしたことは日本人どうしの間でも起こり得る。日本人の場合「負けたら大変なことになる」とか「実力では到底勝てない」考えると暴走が始まる。安倍政権が周囲のライバルを恫喝するのは「政策競争や人柄では勝てそうにない」と考えているからであろう。早々に降りてしまった岸田文雄衆議院議員などは「伝統的な日本の政治家」であり人柄や政策に自信があるのだろう。だから、波風を立てずに「次を譲ってもらえれば良い」と考えているようだ。

ボクシング連盟が強いリーダーを制御できなくなったようなことが起きているのかもしれないと思う。自民党が国内の圧力で変わるとは思えないのだが、あるいは人権無視の言動がヨーロッパの反発を買ったり周辺国との軋轢を起こすかもしれない。その時になると日本人は大いに慌てて同じような内紛を起こすかもしれないのだが、民主主義的な話し合いで乱暴なリーダーシップを抑制する方法さえ身につけていればこれを未然に防ぐことができたのである。その意味ではボクシングの問題は日本社会の問題の縮図になっているのである。