障害者雇用の数字水増しを許してはいけないのはなぜか


本屋では雑誌以外はめったに立ち読みしないのだが、たまたまある本を手に取った。障害者自立の話である。漫画なので簡単に読めたのだがとても感動した。だがなぜ感動したのかがよくわからなかった。多くの人に読んでもらいたいと思ったのだが、自分も立ち読みなので「買ってくれ」とはいえない。

どうやらNHKでドラマにもなったようだが全く見逃していた。NHKはオリパラを盛り上げるプログラムの一環として扱ったようだが、できれば朝ドラか大河ドラマにしてほしいと思った。

この本を読んで、前回障害者雇用の水増しの件について観念的にしかわかっていなかったなと反省した。そして。この本を読むと官僚たちが踏みにじってきたものの大きさがよくわかる。

漫画の筋は簡潔だ。イギリスの研修で障害者スポーツを見た中村裕はこれを日本でも広めたいと思った。しかし研修先では「そういった日本人はたくさんいたが誰も実行しなかった」と言われてしまう。帰国して早速取り組み始めた中村だったが案の定病院からも当事者たちからも拒絶されてしまう。それでも自立したいという青年との出会いを通じて障害者スポーツに取り組み始め、自分の車を売って工面したお金で二人の選手を国際大会に派遣する。さらに中村の尽力は続き東京パラリンピックの開催にこぎつけた。

しかし話はそこでは終わらなかった。海外の選手は大会が終わった後街に繰り出すが、日本人選手はそれができない。海外の選手は自分で収入を得ることができるのだが、日本人障害者は社会のお荷物なので「大手を振って楽しむことなど出来ない」と感じていたからである。障害者に働く場所がないのである。

そこで中村は自分で工場を立ち上げる。しかし、生産性が低く取引を断られてしまう。また一ヶ月真面目に働いても従業員に2000円程度の給料しか渡すことができなかった。当然従業員たちもこれは事業ではなくお情けなのだと感じてしまう。ベルトコンベアを使えば障害者が動き回る必要がないということまでは着想するが、自力では工場が作れない。最終的にたどり着いたのが現在のオムロンだった。今でもオムロン太陽という会社があり雇用者のうち5割が障害者なのだそうだ。

個人的な感動ポイントはいくつかある。仕事を開拓した当時はとても給料が払える状態ではなかったという点に心を動かされた。これはやり直しを図った人が自力で再起を図ろうとしたときに最初に感じる壁だと思う。そもそも収入を得るということが難しい上に、収入が得られたとしても「この程度では仕事とは呼べない」と社会から拒絶されてしまうことがあるのだ。そこで諦めてはいけないのだろうが、やはり「道楽であり仕事ではないのではないか」と感じてしまうのに無理はない。

次の感動ポイントは中村の姿勢である。お医者さんとしての地位はあるわけだから、何も他人のためにそこまでしてやる必要はない。つまり、合理的に彼の行動を説明することはできないのだ。しかし人間には社会に貢献したいという内発的な動機があり、これはお医者さんであろうが「社会のお荷物」になってしまった障害者でも変わらないのである。そしてこの内心こそが社会を変えてゆくのである。

もう一つはオムロン側の対応である。障害者相手の「善意」なのだから「かわいそうなので助けてあげましょう」としても良さそうなものだが、ベンチャー企業を立ち上げたいと提案する。「損をしたら借金を負担するように」ということである。Wikipediaの太陽の家の項には井深大、本田宗一郎、立石一真という三人の名前が出てくる。日本の製品を世界に広めた人たちなのだが、自立についての見識を持った立派な人たちだったことがわかる。24時間テレビが障害者を利用して感動を押し売りし、官僚が数字をごまかして障害者の自立を妨げる現在では想像できないことだが、つい少し前には日本にも立派な経営者たちがいたのである。

興味を持って立石についても調べてみた。

オムロンの立石一真の経歴は面白い。戦前から働きはじめ、戦後に「自動化こそが新しい産業の鍵である」ということに気がついた。戦前にはすでに社会人だった「古い」世代の人なのだが、企業が社会貢献するにはどうしたら良いのかということを常に考えており、日本で最初の福祉工場の立ち上げにつながる。また、立石はサイバネティクスというビジョンを持っており、巨費を投じて「娯楽」と言われながらも研究所を立ち上げて次世代への投資をしたそうだ。このサイバネティクス技術の国産化がその後の高度経済成長を内側から支えた。

よく、日本には立派な経営者がいないとか、アメリカ流の合理的な経営を学んでいないという批判を目にする。実際にこのブログでもそのようなことを度々書いてきたのだが、海外の事例を探さなくても日本にも立派な経営者はたくさんいて、単に忘れているだけなのである。

漫画では立石一真が最初から障害者にコミットメントを求めていたような書き方がされているが、オムロンのウェブサイトには別の文章がある。つまり、どちらか一方が「見識があった」わけではなく、障害者、支援者、経営者たちの「社会を良くするためには何ができて何をすべきなのか」という熱意が出会い、徐々に社会を変えていったことがわかる。これも自己責任が跋扈し切断ばかりが目につく現代とは全く違った姿である。

立石一真 語録5 「企業の公器性」の意味

オムロン太陽電機の操業開始の日のことを一真は、次のように記しています。
「私はこの創業式で、重度身障者を前にしてあいさつをせねばならぬ立場にあったので、気が重かった。気の毒な境遇の人たちを、まともに正視できるかどうか心配でもあった。しかし、壇上に上がってあいさつを始めると、そんなことはものの五分もたたぬうちにすっかり忘れてしまった。というのは、「さあやるぞ!」といわんばかりの意欲のみなぎった顔がいっぱいで、工場が実に明るかったからである。フレンチ・ブルーの作業服にオムロンのマークを胸につけた二十八歳の吉松工場長が、車椅子で前に出て、凛々しいあいさつをしてくれるのを聞いて、私は胸が熱くなる思いであった」。これにより、一真の「企業の公器性」に対する想いは確信へと変わっていったのです。

立石太陽が設立されたのは1972年である。ここで障害者もセットアップ次第で生産性が向上させられることがわかる。障害者の雇用が義務化されたのは1976年だった。障害者の自立支援に尽力した人や、彼らの自立について「経営的なコミットメントが必要だ」と見なした経営者がいた一方で、官僚機構は裁判所を含めて、それを信じておらず「形だけ守った風に見せればいい」と考えていたことになる。

官僚機構が長い間何を踏みにじってきたのは、社会の偏見から解き放たれるために自ら踏み出した障害者たちと高い見識でそれを支えた経営者の勇気ある一歩であるといえる。社会はこれを許すべきではないと思う。

だが、支援する側が社会の偏見や常識に争ってここまで尽力したのはどうしてなのかがよくわからない。単にかわいそうな人たちを放置しておけなかったということもできるのだが、それだけではここまでのことはできないのではないかと思う。やはり、目の前にいる当事者たちの切実な気持ちが一人ひとりを動かしてきたのではないだろうか。ではその切実な気持ちとは何だったのかは受け手である我々一人ひとりが考えるべきだろう。

私たちは自分たちの手で「歩みなおすことができる社会」を作るか「一度つまづいたら社会から切断されて引きこもらざるをえなくなる社会」を作るのかという選択肢を委ねられていることになる。

常に生き残るために他人を追いおとし失敗を相手になすりつける競争社会に住んでいる政治家と官僚は、共助による歩み直しと共感することはできないのかもしれない。だが私たちはまたこうした人たちを許容するのか、それとも声を挙げるのかという選択肢を持っている。

改めてこの本の何に感動したのかを考えてみた。私たちは一人ひとりの行動によって社会を変えることができるという実証がパラリンピックとある医師の挑戦と中村の生き方にあるからなのだろう。

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