虚ろな国にふさわしかった安倍・石破の討論会

NHKでやっていた二時間の党首討論討論会を見終わった。とりあえず議事録を入力しながら見ていたのだが「どうまとめようか」と困ってしまった。とても虚ろで内容が全く内容がなかったからである。嘘の政治家である安倍首相に内容がないのは当たり前なのだが石破茂にも内容はない。そして最悪なことにマスコミ側も虚ろなのである。どうまとめるのかなと楽しみにしてみていたのだが「激しい討論があった」というような見出しが踊っていた。党首討論は実質的な首相選びなので「国の未来をかけた激しい激論がなければならない」という思い込みがあるのかもしれない。誰も拝まなくなった神社をありがたがっているような虚さがある。

マスコミは読者が政策論争に興味を持たないことを知っているのだろう。そこで対立の構図を作りたい。そこで記者が質問する段階になって「対立が足りないから追加注文する」と注文をつけていた。つまりネタがないからよこせというのである。正直唖然とした。ところがマスコミ側のおじいさんたちには新しい視点を出す意欲はないし能力もない。マスコミの偉い人たちに老後の不安や子育ての不安があるはずもなく、国民の心配事を共有していないからである。結局、ありきたりのことを聞いて、それをありきたりに答えるという「誰の心も動かない」討論になってしまっている。

毎日新聞社は<自民総裁選>アベノミクスで激論 安倍氏と石破氏が討論会というタイトルをつけていたが、見ていた人の中に「ああ、第激論を見た」などと思う人は誰もいないはずである。彼らは多分何も考えたくないのだろう。

実際に1日経って話題になったのは石破派の大臣が「石破を応援するなら大臣やめろよ」と嫌がらせをされたという場外乱闘的な記事だった。国民も総裁選びが自分たちの暮らしに関係があるとは思っていないので、面白い見世物がみたいのである。

だが、総裁選が盛り上がらない理由は石破の側にある。石破は、経済を成長させるためには付加価値をつける必要があると言っている。だが具体的にそれが何なのかわからないので、地方の浮沈は中小企業や農業などが握っていると仮定した上で、安売り競争ではなく付加価値型の商売をしなければダメだとまとめていた。多分、大学レベルの論文だとFがつくのではないかというレベルの話だった。

もちろん安倍首相側の話もひどかった。いろいろなことをやっているが、具体策は日銀の黒田総裁に任せているから俺は知らないと宣言したのである。もう一つやろうとしているのは、老人を働かせて年金をカットした上でそれを少子化対策にや教育無償化に回したいという目論見である。これを働き方改革に乗せていた。働き方改革は、韓国や欧米ではワークライフバランスを取り戻すことで生産性をあげて非製造業型の雇用にふさわしい労働者を作ることを意味するのだが、安倍首相はそれもよくわかっていないのである。だが、それがわかっていないのは記者も石破も同じだった。もちろん記者たちはすでに過労死レベルの仕事をする必要はないし、石破もほどんどのキャリアは国会議員だから(1979年に銀行に入り1981年に父親がなくなり後継者になっている)ワークライフバランスの意味はわからないのだろう。

ここで「安倍は独裁を目指しているからこんな乱暴なことが言える」と書きたくなるのだが、この討論ごっこでわかったこともある。それは安倍首相の虚無がどこから来ているかということだ。

それは自衛隊の議論に現れている。二人とも自衛隊は軍隊だという認識を持っている。だが安倍首相は「どうせ誰もわかってくれない」と考えており、面倒なので国内向けには自衛隊と言うとはっきりと主張していた。あまりにもあけすけな上に記者を含めて誰も突っ込まないのでこちらが聞き間違っているのかと不安になったくらいだった。安倍首相が憲法改正したいのは党是であるという理由の他には、護憲運動でつけあがっている共産党にひとあわ吹かせたいというくらいの理由があるようだった。共産党はどうせなんでも反対するんだし、協力なんかしてくれるはずはないという見解を述べた上で、彼らが護憲を牙城としているという認識も持っているようだった。つまり、それが崩せれば「彼らにひとあわ吹かせることができる」と考えているのだろう。

こういう諦めの感情があるので石破茂に「あんたは自衛隊が軍隊だと国民を説得するのか」と詰め寄っていた。主権者なので国民は正しく現状認識する必要がある。いわゆるポリティカルコレクトネスなのかもしれないが、表向きはそれを守るのが大人の政治家というものだ。だが安倍首相はそこを軽々と越えてくる。どうせわからないから彼らが気にいるような主張をしておけというわけだ。これを日本語では嘘というが、政治家たちは「物事を円滑に進めるための方便だ」というだろう。

ところが石破はこれに対して「国民は正しい認識を持って主権者として判断すべき」とは言わなかった。「実質的には軍隊なのでそういう認識にするが、名前としての自衛隊が気に入っているならそれは変えなくてもよい」と答えていたのである。つまり、どうせ国民はよくわからず名前さえそのままなら文句は言わないんじゃないかと言う認識を持っていることになる。

つまりこの討論は、実質的には軍隊なのだが国民には口当たりの良いことを言っておくという人と、名前だけそのままにすれば細かい法律のことなど誰も気にしないだろうという対立軸になっていて、すれっからしの記者たちも「まあ、そうだよな」と聞いていたという恐ろしい討論会だった。だが、呆れたことにこれについて反発する人は(少なくともTwitterでは)見かけなかった。

安倍は明らかに「自分にはリーダーシップも問題解決能力も問題理解能力もない」ということを知っている。さらに、東方経済フォーラムでは長い交渉をすべてひっくり返されて「領土について妥協はしないよ」と宣言され面子を潰された。これが何を意味するのかについてもわかっていないのだろうが、面子を潰されたらしいということだけはわかっているようで、記者の質問に逆ギレしていた。早口になり時間制限を無視してあれこれ言い訳を並べ立てるという国会でおなじみの「あれ」を繰り広げたのである。見ていた人はみな「ああ、気にしてるんだな」と思ったに違いない。

しかし、これにに耐えられない安倍は自分の中で伝説を作り出してゆく。あの偉大な長門会談から始まった親密な信頼関係は続いており水面下の交渉ではうまくいっていると主張していた。ただ、それが何であるかはここでは言えないという。なぜならばそれは信頼関係に基づいた交渉であり表に出すことはできないからである。年末にまた会談をやるのでそこで成果が出るはずだとも主張した。小学生くらいの子がそのような主張をすることはあるのだが、60歳を越えている大人が問題を認識している人たちの前で堂々とこんな話を披瀝するのを見ていると正直かわいそうになってくる。

ネットには「安倍晋三 沈黙の仮面」という書籍の話題が広がっていた。養育係の久保ウメさんという人が晋三坊ちゃんが夏休みの宿題を全くやっていないのに「全部やった」と事実と異なる話をして新学期に登校していったという逸話を書いているらしい。多分ウメさんはこれを良き思い出と捉えている。自分の助けがないとダメな晋三坊ちゃんが可愛くて仕方がなかったのではないか。面白そうなので手に入れて読んでみたいと思った。周りがなんとかしてくれていたという少年が現実的な対処能力を持たないまま、利用価値があるという理由だけで首相にまで上り詰めてしまったというのはある意味悲劇である。小池百合子東京都知事は女性であり自民党の生え抜きでないという事情があったので自分の力でなんとかやってきたわけで、実際の問題解決能力がなくてもなんとかやって行けるだろう。だがすべておんぶに抱っこだったの人は他に行き場もないはずで、このまま表舞台で恥を書きながら生きてゆくしかない。さらに対抗する人たちにも大したアイディアはないので、後継者に道を譲ることもできない。ここに安倍さんの悲惨さがある。

利用価値がある晋三坊ちゃんの自己を満足させるために一生懸命頑張っている人がたくさんいる。鈴木宗男はこう書いている。

外交は積み重ねであり、その上で信頼関係を構築し解決していくしかない。
プーチン発言は平和条約締結を加速させる大きな呼び水だと私は受け止め、安倍総理が必ずや歴史を作ってくれる、いや、作ると確信している。

どういう思惑で書いているのかはわからないが、久保ウメさんやお母さんが夏休みの宿題を代わりにやってあげたようなものでありこれで現実を直視するチャンスを失ってしまったのだろう。だが根拠になっているのは鈴木宗男さんのあやふやな確信だけだ。

安倍さんの話を聞いていると、言葉の端々に「どうせわかってもらえない」とか「経済はうまく行くはずがない」とか「自分にはわかるはずがない」という諦めがあるようだ。「どうせどうせ」の人生なのだ。しかし周りの人たちも政治に大した問題意識は持っておらず「これをどう利用しようか」としか考えていない。安倍昭恵さんですら好き勝手に生きており首相は「どうせ言うことなんか聞きませんよ」と言っている。

「総理はこうも言っていました。『昭恵は本当に人の言うことを聞かないんだ。今回のことがあっても、相変わらず毎日出歩いてばかり。少しは懲りてくれるかと思ったんだけど……』。

だがその虚無は簡単に<激論が交わされた>といえば隠蔽できてしまう。日本の首相が誰になったからといって大きな変化があると思っている人はいないからである。これも嘘なのだがこの見出しに罪悪感を感じるマスコミもないのではないだろうか。それはスポーツ界のゴタゴタと違って大した人間模様もなくニュースバリューがないことをみんながわかっているからなのかもしれない。新聞もかつてのように国民のオピニオンリーダではなくなっている。ネットができて読み比べができるようになった上にほとんどの情報は無料で手に入ってしまうからだ。つまり、マスコミも「どうせもうマスコミの華やかな時代はやってこない」という虚無感を政治家と共有しているのだろう。

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