党首選挙の討論から考える付加価値のつけ方

日本でバカな保守の人たちが延々と頓珍漢なことを叫び続けるのはなぜなのだろうということを考えている。そこでその大元である安倍首相がどうして政治家になったのかを観察した。安倍晋三も石破茂もほとんど現場経験がない上に、半ば自分の意思とは関係がなく政治家になり、その後政治闘争に明け暮れたということがわかった。自分が生き残ることばかりに目が行き、経済にも人々の暮らしにも興味が持てないのは当たり前だなと思った。

例えていうならば映画監督になりたかったが映画には興味がないという人が、映画ごっこをしてくれる下僕を集めているようなものである。結果集まってきた人たちはギャング映画が好きなわけではなくギャングになりたかった人たちばかりだったというわけだ。

だが、嘆いてばかりでは仕方がない。ややまともな方の石破の主張について考えてみる。アベノミクスではトリクルダウンは起こらない。地方経済とトリクルダウンで恩恵を受けた大企業は断絶しているからだ。だから地方は独自で儲ける手段を見つけなければならない。問題は「どう付加価値を付けるか」ということなのだが、石破にはそれがわからない。地方自治体はお金を払ってコンサルタントを雇うがコンサルタントがやってくれるのは立派なパワーポイントの資料を作ることだけである。だからいつまでたってもアイディアは生まれない。

今回は二つの付加価値のつけ方について勉強する。一つは日本人が好きそうな本質的なやり方であり、もう一つは付け焼き刃的な方法である。

洋服が売れないというような話をよく聞く。東洋経済も「洋服が売れない」という記事が出たばかりである。これを書いた人はアパレルを専門とする東洋経済の記者らしいのだが、多分「服が売れない」という話ばかりを取材しているのではないかと思う。だから、この人の書いた一連の記事には答えがない。政治記者が政治家の内部のゴタゴタには詳しくなるが政治はできないのと同じである。

実際に高い服の購入を検討すれば、なぜ服が売れないのかがわかると思う。多分「私服にはユニクロ以外は必要ないし」「スーツも量販店で買うもので十分だ」と言い訳をする人が多いのではないだろうか。会社と家の往復をするだけなら高い服は必要ないのだ。それより意識を高くして「冴えない格好をどうにかしたい」と考えたとする。しかし、高い洋服を買ってもかっこよくなれない。もしもてたいと思うなら、洋服の投資は最低限にして食べ物と姿勢に気を配った方がよい。つまり、やせてかっこよくなった方が見栄えへの影響は大きい。逆に服装は頑張りすぎずユニクロレベルの方が好感度が高かったりする。

それでも洋服を売りたければどうすればいいか。それは見せびらかす場所を作ればよい。かつての上流階級はパーティーに着てゆくために洋服をしつらえ、そこで目立った人が新しい流行を作っていた。高度経済成長期には「渋谷」という舞台がマーケティング的に作られた。日曜日にはいつもよりおしゃれして渋谷に出かけることが郊外に一戸建てを持つ人たちのステータスだったわけである。関西はもっと手が込んでいた。梅田にはデパートが作られ、有馬温泉や宝塚の劇場と結ばれていた。最近ではSNSも洋服を見せびらかす場所になる。

実は日本人はこのやり方をよく知っている。私鉄は民需主導で作られ、モータリゼーションは官民協力のもと実現した。ドライブの目的地を作ればそこに観光施設が生まれて地域が潤い地域振興にもなる。Wikipediaの余暇開発センターの項目には次のようにある。

通産省主導で、競輪の利益金およそ2億6千万円を補助金として、新日本製鐵日本興業銀行日本長期信用銀行東亜燃料工業三井情報開発の五社が中心となって1972年4月に設立された。

つまり、戦後の自由民主党はどうやったら付加価値が作れるかということを知っており国民を誘導する形で「レジャー」という新しい形を作ったという歴史がある。政治の役割は企業をまとめて財源をつけることだった。この場合には競輪の収益と税金が充当されたようだ。

このやり方をバーチャルの世界に持ってきたのがアメリカである。Appleは自社の音楽プレイヤーの付加価値を高めるためにiTunesというマーケットを作った。

ただバーチャルな世界では「場所」を作って鉄道や道路で結ぶだけでは成功できなかった。SONYはそれで失敗している。SONYは単に音楽プレイヤーとその他の製品を接続する場を作ったのだが、各部署がバラバラにしかも「多くの人をそこそこ満足させる」ものを作ろうとして失敗した。

Appleはすべての人を満足させるためにマーケティング調査をして戦略を立てたわけではなかった。スティーブ・ジョブスが妥協なく楽しめるようなサービスを目指したのだ。ちょっとした使い勝手が勝敗を決めるバーチャルの世界では妥協のない一人のニーズの方が重要だったのである。iTunesは良くも悪くも音楽産業を変えてしまったが、コンピュータ屋と音楽産業が結びつくことなしにはこのような変化は起こらなかっただろう。村で固まる性質の強い日本ではこの紐帯を国が代行していたのだが、自民党が実経済への関心を失い権力闘争に特化するなかで、国の強みが失われてしまったことになる。

だが、こうしたやり方ばかりが付加価値のつけ方でもない。仕組みができないことを嘆いてばかりでは仕方がないのでもっとお手軽な方法を考えてみよう。題材として安倍首相が「国民が理解するはずはない」軍隊としての自衛隊の売り込み方を見てみたい。

自衛隊を国民に売り込むなどというのは戦争を売り込むプロパガンダだという感情的な反論が聞こえてきそうだが、少し我慢してお付き合いいただきたい。停戦状態にある韓国には徴兵制がある。もともとは軍政だったのだが民主化が進んだという経緯もあり積極的な広報活動が欠かせないのだろう。

そんな韓国には「チンチャサナイ(本物の男)」という勇ましいタイトルのミリタリーバラエティがある。外国人(つまり実際の軍隊には入れない)タレントを含んだ芸能人が軍隊に入隊して、徴兵された軍人と同じプログラムをこなす。最近では女性版まで作られている。徴兵制のある韓国では一般人が入れ替わり立ち替り軍に入隊している。そこで彼らを飽きさせないように訓練させる方法があるようだ。訓練はきついのだがサバイバル形式のリアリティーショーのようになっており、中には運動会や競技大会のような「ショー的なお楽しみ」もあるというような具合である。

実は日本の自衛隊が認められない理由の一つが何なのかがわかる。概念的な議論ばかりされるが、実際の自衛隊の人たちがどんな訓練をしているのかは知られていないし、テレビで自衛隊員が笑い顔をみせようものなら「不謹慎だ」というクレームになりかねない。だから「親しみのある芸能人」が訓練に参加して時には笑い合いながら訓練をするというようなショーが受け入れられないのだろう。

事情の違う日本では自衛隊を舞台にしたエンターティンメントなどありえないという人がいるかもしれないが、有村浩の「空飛ぶ広報室」のようにドラマで成功した事例もある。空飛ぶ広報室が炎上しなかったのは主人公がヒーローではなく挫折を経験した「弱い部分を持つ」人だったからだろう。ネトウヨの人たちが自衛隊の広報番組を作ろうとするとヒーロー的な自衛隊員の勇ましさを伝えるような番組が企画されるはずだが、実際に必要なのは「弱み」と「親しみ」を見せることなのである。

アメリカではもっと進んでいる。イラクやアフガニスタンの戦争から帰ってきた人たちのありのままの姿が普通のテレビドラマや映画に登場する。彼らは問題を抱えているが、これも日本では「弱みを見せる」として嫌われそうな内容だろう。時には手足を失った人たちが懸命にリハビリする様子が雑誌などで紹介されることもある。これも「テレビや雑誌で不愉快なものを見せるな」と非難の対象になりそうだが、これが現実であり、またこうした現実を見るからこそ「自分たちと同じ存在」として軍が認知されるということになる。

重要なのは「他人の目を受け入れ」て「ありのままを伝える」努力をすることである。ネトウヨ首相が不都合な事実を隠し、ヒーロー的な自衛隊の姿だけを伝えたがる。ネトウヨ首相がヒーローとしての自衛隊を求めるのは、その軍隊を指揮しているのが「勇ましい俺」を見せたいからなのだろう。昔やっていた映画ごっこと本質的な違いはない。だが本当に軍隊を浸透させたいならそれはやってはいけないことなのだ。

エンターティンメントにはいろいろな利用方法がある。例えば、石破が売り出したい田舎を紹介するためにはリアリティショー形式の番組を作れば良い。実際に韓国には田舎暮らしを題材にしたショーがある。

日本で田舎暮らしを紹介する場合「実際に住んでいる人のありのままの姿」が紹介されることが多い。だが、そこでは田舎は暮らしやすく人も親切だというような良い面ばかりが紹介される。だが、韓国のショーは違っている。まず大ヒットしたテレビドラマのキャスト陣がそのままやってくる。そこでのんびり暮らせると思いきや目の前にはキビ畑があり「これを刈り取らないと肉は食わせない」という宣告を受ける。仕方なくキビを狩り続けるうちに「自分はソウルではスターなのにここでは奴隷のようだ」などと愚痴を溢しはじめ、プロデューサと喧嘩をはじめると言った具合である。

ただしこのショーは配分が絶妙だ。こうした罰ゲームのような要因もありながら、普段は見られないスターの姿を見ることができる。中には昔ながらのやり方で田舎料理を作るスターもおり自然に韓国の昔の人たちがどんな料理を食べていたのかということがわかるようになっている。この微妙なバランスは外国人には作れない。視聴者が何を要求しているのかは国によって違うのだから、政府としてはエージェンシーを作ってロケ先を紹介できるようすれば良いということになる。

他にも韓国人が香川にうどんを食べに来る番組を見たことがある。香川は旅行先としてはあまり知られていないが、実は関西国際空港からも近く、うどんの値段もリーズナブルである。高級料理としての日本食しか知らない人は驚くようだ。だが、問題点もある。うどんの名店は駅の近くにはないので、タクシーを借りる必要がある。タクシーの値段も1日借切りにすればそれほど高くはないのだが、韓国語が通じない。こうしたロケを呼び込むことで韓国人が現地で問題に直面するのかがわかるのである。これを解決するのは簡単だろう。韓国語ができる通訳をタクシーに同乗させれば良い。

誰かに何かを売り込みたいのなら、まず思い込みを捨てて当事者たちの声を聞く必要がある。政治闘争に明け暮れた人たちが一番理解し難いのは「謙虚に話を聞く」ことなのだろう。さらに虚像の中に暮らすようになると、相手にどう「大きく見せるか」ということばかりを考えるようになる。だが、これは相手に伝える上では逆効果なのだ。

今回は二つのマーケティング事例について見てきた。どれもすでに行われているやり方であり、それほど突飛なものはない。しかし、内側ばかり見ていてもアイディアは湧いてこない。まずは異質な人たちを接触させて、都度都度問題を解決しながら形を作ってゆく必要がある。

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