「ジャニーズは踊りが下手」について考える

テレビ朝日のミュージックステーションを見た。普段はYouTubeで韓国のダンスグループばかりを見ているので、韓国人は踊りが上手だがジャニーズを中心とする日本のアイドルは踊りが下手なのだと思っていた。しかし、東山紀之率いるジャニーズJr.をみて印象がガラリと変わった。どうやらそれは間違いだったようだ。

ただ、これはレビュー舞台だから成立するのであってテレビでは無理なんだろうなとも思った。さらに少年隊の昔の映像が流れ、昔のジャニーズはちゃんとダンスを踊っていたということもわかった。つまり、ジャニーズの踊りが劣化しているわけではなく、今のテレビでは思い切りダンスが踊れなくなっているのだろうと思った。

原因は二つあると思う。一つ目の理由は箱の小ささである。お気に入りのタレントのアップを見たいと思う人は引きの映像で踊りを見せられても面白く無いだろうし、今回見たレビューのような一糸乱れぬダンスもテレビの箱の大きさには似合わない。もう一つは日本人の心境の変化だろう。韓国のダンスと比べると自己主張ができなくなっているように思える。これで使えないダンスが出てくるのだ。

韓国のダンスグループは歌番組では完璧なダンスを披露しバラエティ番組でギャップを見せるという構造になっている。また「揃える」という発想はあまりなく、一人ひとりが体型の良さを生かしたダンスを披露する。このため訴えかける圧力を感じる。歌詞も「私からあなたへ」訴えかけるものが多い。これは韓国人の性格にあっている。

ところが日本は状況が異なる。例えば日本人が好む俳句には読み手の情は出てこない。季語を使ってほのめかすのが「美風」とされる。気持ちを直接伝えられると押し付けられると不快に思う人も多いのではないだろうか。このため歌詞を見ても「その気持ちわかるよ」とか「みんなで一生懸命に未来を作って行こう」というようなものが多い。一人称が巧みに避けられているのである。AKB48の「フライングゲット」は一人称だが、相手のでてこないいわば幻想の世界である。これを恋愛対象になる女性に歌わせることで「訴えかける必要が無いのに望ましい状態が実現する」という世界を作っている。

さらに、アイドルはあまり上手にダンスを踊ってしまうと親しみが持てなくなるという計算があるのだろう。YouTubeで過去の動画などをチェックすると踊れる人もダンスを制限していることがわかる。このためテレビだけを見ていると「あまり踊れないように」見えてしまうのだ。

それでも、昔の少年隊などを見ているとバク転をしてみたり、足を思い切り伸ばして「大きく見せたり」という工夫をしているのがわかる。高度経済成長期には「訴えかける」圧力は許容されていたことになる。「草食化」が進むことで、これが徐々に押し付けがましいと感じられるようになったのだろう。

一方でLDH系のダンスはどうだろうか。以前に中途半端な考察をしたことがあるのだが、当時は違いがよくわからなかった。今回改めて調べたところHIROさんのコメントと称するものがいくつか扱われていた。雑誌での発言が引用されているのかもしれない。このコメントによると、ジャニーズはそれぞれのタレントが歌と踊りをやる。これは10代から訓練しなければできないそうだ。もう一つはジャンルが違うという主張である。HIROさんは「ニュージャックスウィングだ」と言っているようだ。

ではニュージャックスウィングとはどんな踊りなのだろうか。これについて調べてみるとグルーブ感という用語に行き当たる。もともと黒人音楽には土俗的な要素が入っている。この土俗的な要素をグルーブ感というらしい。YouTubeの解説映像が見つかった。全身の円運動を中心としてリズムを作り、これを徐々にずらしてゆくらしい。つまり、体全体を揺らし、さらに正規のリズムをずらすことで「人間的な」感覚を入れこんでゆくのがグルーブ感ということになるようだ。

例えば吹奏楽とジャズの違いを考えてみるとわかりやすい。典型的な甲子園の応援曲は吹奏楽的に演奏される。リズムがしっかりとしているので「かっとばせXX」というリズムが乗せられるのである。こうした統制されたリズムは機械的な印象を作る。

吹奏楽出身者はポピュラー音楽でも楽譜通りに吹いたり叩いたりする癖がつくので「面白みに欠ける」とか「音楽のライブ感を殺す」などと言われる。ダンスコンテストのダンスが体操競技のように見えるのは、個々の踊り手ではなくシンクロナイゼーションを重視しているからだろう。

ここからダンスには三種類があることがわかる。ジャニーズのような優美さを追求するダンス、個性を打ち出す黒人音楽的なダンス、そして日本人独特の集団体操的なダンスである。体操競技には芸術的な美しさはなく技巧が焦点になる。

ジャニーズのダンスは突き詰めてゆくとバレエになるのだろう。体つきを優美に美しくみせるユニゾンとソロダンスが特徴である。バレエダンサーは無駄な筋肉をつけない。筋肉がつくと人間らしく見えてしまうからだ。ジャニーズの踊り手たちも肉感をそいでお人形のようになってゆく。少年性を残しているほうが「お人形のように」美しく見えるのだろう。これは一つの芸術の形になっている。先ごろ滝沢秀明がジャニーズJr.を指導するために現役を引退するというニュースがあった。テレビから見ると「引退」だが、実際には活動場所が変わってしまうだけということになる。確かに、あのレビューをテレビでやるのはかなり難しそうだ。

一方で、LDH系の踊りはグルーブ感を乗せてゆくので「揺れていて」「重みがあった」ほうが迫力が出る。彼らはウェイトを使った筋トレをしていて踊りにもブレとズレがある。これが土俗的な美しさを演出するのだろう。

少なくともネットに出回っている記事によると、HIROさんはこれをジャンルの違いと捉えているようだが、実は「何を目指しているのか」が全く違っていることになる。ジャニーズは身体性と個性を消すことが最終的な目的になっており、LDHは身体性を打ち出すことが目的になる。

ただし、LDHのダンスを見ているとダンサーが技巧を示すために「速さ」にこだわっているのがわかる。本来はグルーブ感を出して訴えかけるダンスをすべきなのだが、ついつい技巧にこだわるようになるのだろう。どちらかといえば体操の概念に近い。より複雑に鉄棒を飛んだほうが「難しいことができてえらい」という価値観である。

ここまでくると他のダンスも見てみたくなる。まず盆踊りを見てみた。盆踊りは手足だけで踊る。実際に歩いてみるとわかるのだが、足を長く見せようと思うと足と骨盤が一体になっているように足を使う必要がある。ところが日本人は個人が大きく見えるようなやり方は好まずたくさんの人数で迫力を出すことを目指しているようだ。全員が狭いスペースで動くので前には動くが横への動きはそれほど多くない。

ヨサコイも同じである。手足だけで踊っている。ただしヨサコイには盆踊りにはない横のステップがある。盆踊りにもヨサコイにも手足を伸ばして自分を大きく見せる動作はないし、一度かがみこんで反動をつけて体を大きく伸ばすような動作もない。

このスペースの制限と体全体を使わないことが日本のダンスの特徴ということになるだろう。これが顕著に出たのがオタ芸だ。オタ芸は上半身はサイリウムを振り回しかなり忙しい動きをするのだが、足を伸ばしたままで下半身には動きがない。これはもともと狭い劇場で生まれた踊りだからではないかと思う。

日本人は制限された狭い場所に集まってみんなで一緒の動きをしたり機械的に掛け声をかけたりするのが好きなようだ。これは体操競技的に技を競い合うのとは違っているし、人形のような美しさも、ずらした動きで人間らしさを表現するダンスとも違っている第四のダンスと言えるだろう。

ダンスには集団への埋没、技巧の追求、人間性の脱却、人間性の追求という異なった目的があるということになる。

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