民主主義が根元から腐り始めている国 – 日本

今日は、制度を変えれば全てがうまく行くのではないか、という見込みについて書く。多分それは間違っていると思う。ではなにが問題でどうすれば良いのかというのが次の疑問になる。

先日、QUORAで「選挙区の区割り」についての質問を二つ見つけた。一つは「選挙区の区割りが地域別なのはどうしてか」という質問だった。一度答えを書いたが「気に入らない」と言われた。どうやら「地域で割り振ると地域エゴが出る」という思い込みがあるようで、それに沿った答えを書いて欲しいのだろう。疑問のふりをして実は答えが決まっているという人はそれほど珍しくない。

地域で割り振らないとしたら大選挙区制(結局比例代表単独制度と同じことになる)にするか、別の区割りを考える必要があるのだが、そのような制度を採用している国はない。では、何が問題だと思っているのか。一応コメント欄で聞いてみたが答えはなかった。これもよくあることだ。

これとは別に「年齢別に割れないか」という質問があった。質問文は「この制度はよい制度でしょう」という含みが感じられた。老人の要求ばかりが取り上げられて、若者や生産年齢の人たちの要求が伝わらないというフラストレーションが背景にあるのだと思う。。

両方に共通する思いは「今の政治は何かうまくいっていないが、なにがうまくいっていないのかよくわからない」という苛立ちだろう。そこで、選挙制度を変えれば意見が通るようになるのではないかという考えが生まれるのだろう。

だが、こうした考え方には賛同できない。いくつかの会社で同じようなことをみたことがあるからだ。

社長に就任すると組織や会議の構成を変えたがる会社がある。つまり組織という制度を変えれば何かが変わるのではないかと思うのだろう。「営業部」とか「マーケティング部」などを作るとお互いに責任を押し付けあって物事が進まないことがある。そこで、責任の所在を明確にするために事業部を作って競わせようと考える経営者は多い。だが、組織を変えても当事者意識は生まれない。そこでインセンティブ制度などを導入すると却って嘘が蔓延したり、自己保身から新しい挑戦をしなくなる。問題は「社員一人ひとりの意識なのだ」とわかった頃には取り返しがつかないことになっている。

日本の選挙制度は戦後大きく入れ替わっている。中選挙区はお金がかかるからいけないという理由で現在の小選挙区制に改められた歴史がある。しかし、お金がかかるからというのは表向きの理由であって、実際の理由は別のところにあった。「党内派閥を潰したい」という内向きの動機と「目障りな中小政党を潰したい」と外向きの思惑だった。思惑通りにことは運んだわけだが、二大政党制のような制度は生まれず、党内からもアイディアが上がらなくなった。

最近では、与党の政治家が野党の政治家に「中からでは声があげられないからなんとかしてくれ」とお願いすることもあるそうだ。党内で意見が言えないなら高いお金をかけて送り出している意味はないのだから、国会の定数は1/10くらいにした方が良いのではないかと思う。

冒頭の「選挙制度から地理区分をなくしたらいいのではないか」という説については、気乗りはしなかったものの、やはりリクエストがあるのだから調べてみようと思った。全国区だけしかないという選挙制度をとっている国はなさそうだ。

人工的な区割りで思いついた国が一つだけあった。人種・収入別に分けてしまえばよいわけである。過去にそういう国があった。選挙の区割りだけでなく国まで作ったのである。

南アフリカ共和国は白人を優遇して黒人を支配していた。これが人種隔離政策であるとして国際的な避難を浴びるようになると白人は「国から黒人を追い出してしまえばよいのだ」と考えるようになる。天然資源は自分たちで独占し、劣悪な土地に黒人たちを移住させた。こうした国々は「バントゥースタン」と呼ばれ国際的な避難の対象になった。差別が固定化されたことで住民たちの怒りを買うことになり、結局は白人政権は打倒されたという。

人工的な枠組みを決めるのは権力者なので、権力者に都合のよい制度が生まれるのは当たり前である。だから非伝統的な選挙区割りはあまり良い結果を生まないのだろう。

そもそも国とは何なのだろうか。それは「自分たちの未来を一緒に決めて行こう」と決意した人たちの集まりである。政治は選挙で終わるわけではない。むしろ議会を作って話し合いをすることが重要なのである。もちろん現在の小選挙区制度が良いとは全く思わないのだが、実際の問題は意欲の低下なのである。

実際に「もう一つの枠組みでは無理だ」という地域は出始めているのだが、たいていの場合それは「格差による分裂」によって起こる。格差が広がっているカリフォルニア州はすでに一つの地域としてはまとまれなくなっており2018年11月には住民投票が予定されている。またヨーロッパでも先進地域(税金を多く払っている)と後進地域(保護の対象になっている)の間に対立があり、一部には独立運動がある。

だが、日本にはこうした対立が少なくとも表立っては存在しない。日本で顕著なのは意欲の低下である。安倍首相は虚構の成功に引きこもってまともに現実を見なくなったし、石破候補も実際には経済をよくする具体的なアイディアを持っているわけではない。

世間を知らずに政治家になるしかなかった人たちが集まって政治闘争だけを繰り返しているうちに「自分たちにはどうせ何もできない」という自己認識を持つに至ったように思える。そしてそれを支えるのは無関心だ。民主党に政権を任せてみたが結局何も変わらなかったという諦めを持っている人が大勢いるのではないだろうか。

足元では「制度に何か欠陥があるのではないか」と考える人たちが出始めており、彼らは「自分たちの気持ちが政治に反映されていない」という不安を感じている。こうした人たちが現在の政治状況を肯定的に捉えるとは思えない。

カリフォルニアやヨーロッパでは表向きにはいろいろな分裂運動が起こっていて政治状況が安定しないように見える。しかしそれは民主主義という根がしっかりあるからこそ起こる動きである。日本では地上部は立派で安定しているように見えるのだが、実際には根が腐っている。多分、枯れる時には一瞬で枯れるはずである。そうならないようにするためには土を耕して空気を送りこむしかない。