新潮45を葬り去るのは実は簡単なのではないか

新潮45の問題を考えているうちに、これはヘイトではなくいじめなのではないかと感じた。クラスの中から誰かを抜き出したうえでその特徴を取り出して「劣っているもの」とラベリングする。そしてその人から正規のメンバー権を奪って嬲り続けるのがいじめである。いじめの特徴の一つに仄めかしがある。いじめられているということを仄めかしつつも決してそれを認めないのである。

今回の件は一見すると同性愛者嫌悪のような体裁になっているが、劣っているものを置いておいていたぶり続けるという意味ではヘイトというよりいじめに近い構造を持っている。だから、いじられた側は異議の申し立てはしても、あまり感情的な対応はしない方が良い。

では、真正保守と自称する人たちは、なぜいじめを繰り返す必要があるのかというのが次の課題になるだろう。この課題を解くためには安倍政権を見るのが手っ取り早い。

安倍政権は日本の政治で唯一生き残った政治勢力である。彼らは党内では政策には詳しいが闘争にはあまり熱心でなかった保守本流を駆逐した。彼らは公家集団になっていて実は大したことはなかった。実際に、かつて彼らを保守傍流と見下していた人たちは石破一派を除きすべて屈してしまった。情けないことに次の首相の座を恵んでくれないかと安倍政権に媚を売る人まで出てきた。

自民党は対外的には理想主義を掲げる左派を駆逐した。社民党は政権を取った段階で変節したとみなされ支持を失い、そのあとに出た民主党政権は日本の統治に失敗して自滅してしまった。6年もの間彼らは失敗の総括ができておらず、未だに分裂したりくっついたりしたりを繰り返している。

ゆえに安倍政権は勝利に酔い、思う存分彼らが理想とする政治に邁進すればよいはずなのだが、それができていない。国民は積極的に安倍政権を支持しているわけではないし、兵隊にと雇った議員たちは失言や舌禍事件を繰り返し引き起こして暴れまわっている。支持してくれてありがとうと振舞ったカツカレーは食い逃げされ、変な右翼思想にかぶれた幼稚園経営者や地方で学校経営に失敗しつつある友達がすがり付いてくるという具合になっている。とても勝った集団とは思えない。

憲法改正ももともとは保守本流だと威張っていた人たちが勝手に決めたのが気に入らないというようないい加減な動機で動いているに過ぎない。民主党政権下で自民党有志に憲法改正草案を話あわせたところ「選挙で負けたのは国民がバカだからだ」国民の基本的人権を制限しようということで話がまとまった。今回も「既得権益を守るために県に必ず一つは議席を確保すべきだ」という話になりつつあり、統治機構をどう改革し、そのためにどう国民を説得しようという議論は全く出てこない。首相本人でさえ「とりあえず憲法が変えられるなら自衛隊という名前を憲法に載せればいいや」と言い出している。

政治にやりたいことがないのと同じように、保守論壇にも実はやりたいことがない。ある人たちはとにかく偉そうにしている左派が気に入らなかった。そして別の人たちはとりあえず食べてゆくためにどこかの論壇で認められる必要があった。ゆえに、自称保守の人たちは絶えず敵を作り出してはそれをあげつらっている。最初の仮想敵は共産主義だったが、共産主義は実質的になくなってしまったので、中国や韓国を攻撃するようになった。そのうち民主党が敵になり、彼らが標榜していた「コンクリートから人へ」を攻撃するようになる。この「人」に当たるのがいわゆる拡張された人権である。

安倍政権が勝ったわけだからそれを支えた論壇も官軍側である。やっと自分たちの時代が来たのだから官軍らしく理想の政治を語り周りを説得すればいいと思う。しかし、彼らはそれをしない。盛り上がるのはホモやオカマには人権がないといった程度の話だけであり、ホモに人権を渡すなら痴漢だって大手を振って電車に乗っていいはずだという中学生でも恥ずかしくて書けないようなことを書いて喜んでいる。そして、それを日本で最も古い文学アーカイブスを持った会社がサポートしているという惨憺たる状況なのだ。

スポーツにもいじめの構造がある。いじめの側に立つかいじめを黙認した人はたいてい過去に勝った人だ。しかし勝利というのは実は儚い。オリンピックに出場して金メダルを取ったりチャンピオンシップでチームを勝利に導いたとしても注目されるのはほんの一時のことである。彼らが引き続き注目を得続けるためにはオリンピックで勝ち続けなければならない。だからなんでもやる。そしてその「なんでも」が社会の規範とぶつかったとき炎上が起こるのだ。

スポーツでは「勝った」という成果よりも、なぜ勝てたのかというプロセスや競争を通じて成長すること自体が大切である。だが競争が自己目的化されてしまうとそれがわからなくなる。そしてなんでもいいからとりあえず勝たなければならないとなった時に社会の規範とぶつかってしまう。

実は安倍政権も同じように破綻しつつある。ロシアの大統領は公開討論の場でわざわざ安倍首相の顔を潰して見せた。よっぽど腹が立ったのだろうが、その気持ちはよくわかる。中国やロシアは民主主義が十分に発達していないのでいつでも政権が打倒される危険性がある。そのためには本当に勝ち続けなければならない。彼らは経済成長を目指してなんでもやろうという覚悟を持っている。

あの北朝鮮ですら「核兵器開発」は体制維持のための必死の策であり、それをどう利用しようかということを現実的に考えている。だから「放棄」を仄めかしつつそれを延期させようとしている。

その真剣勝負の場所に安倍首相はヘラヘラとでかけていった。「おいしいところだけ食べさせてください」というわけだ。しかし、安倍首相が裏で中国の悪口を言っていることも、インドやオーストラリアに働きかけて「一緒に封じ込めましょうよ」とふれ回っていることも知られている。公開討論の場で殴られなかっただけでも、安倍首相は感謝しなければならないだろう。

当初この話は様々な村落的な行き詰まりを構造的に分析するようなものになるはずだった。その線で何回か書き直したのだが、いつも最後の所で行き詰ってしまう。「で、構造が分かってどうするのか」と思ってしまうのである。

行き詰って立ち寄った本屋でダイエットの本をたくさん見た。最近のダイエット本は売るのに苦労しているようだ。体の痛みがなくなるとか、痩せるとか、頭が良くなると言った具合に動機付けのワードがタイトルについているものが多い。実際に痩せてみれば気持ちが良く健康にもなれるし、外見を自分でコントロールできるのは楽しいのになと思った。

ダイエット本が売れ続けるのは痩せたことがない人がたくさんいるからなんだろうなと思ったところで気がついた。「他者をいじめる本」がなくならず、政治が嘘をつき続けるのは、多分鏡に映った自分の姿が気に入らないからなのだろう。写真を加工したり鏡を歪めれば当座はしのげるだろうが、やっぱり嘘は嘘なので、次の嘘を探さなければならない。

つまり、こうした嘘の構造は「これは嘘なのだな」と認識したら、それ以上深掘りしても意味はなさそうだ。それよりも自分たちが変わるための第一歩を踏みだすべきだろう。多くの人たちが「自分たちは変われた」という実感を持った時、新潮45のような雑誌も安倍政権のような嘘の政権は世間から忘れ去られてしまうのではないかと思ったのである。

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