実は危険だった石破茂総裁待望論

今回の自民党総裁選挙を見ていて面白いなと思ったことがあった。実は日本の憲政は危機的状況にあったのだが、誰もそのことに気がついていないように見えたからである。憲政の危機とは、1945年の前の数年間あったような議会制民主主義の停止の危機である。

重要なのは、危機があったという事実ではなく、その作られ方である。日本の政治危機は特定の狂った独裁者から生まれるわけではなく、集団思考による思考停止で生じるのである。それは大政翼賛会の作られ方を見ているとよくわかる。大政翼賛会も「勝ち馬に乗り遅れるな」という焦りが生んだ自己保身的な作られ方をしている。

Twitterは石破待望論で溢れていた。民主党を応援していたがあの人たちはダメそうだという空気が広がっていて、それでもとにかく安倍でなければなんでもいいという雰囲気があるからだろう。これが集団思考の最初の兆候である。つまり、目の前になんらかの危機があり「それさえ脱出できるならあとはなんでも構わない」と考える人が出てくると、社会から理性が失われて集団思考が起こりやすくなるのだ。ナチスドイツの場合、最初の兆候はソ連の革命勢力だった。共産主義が広がってきて大変なことになるのではという空気をヒトラーは利用したのである。

石破茂は憲法改正にあたって「緊急事態条項」を入れることを主張している。緊急事態条項とは東日本大震災などを想定して、地震があった時に内閣の権限を強化することを狙ったといわれる条項である。問題点は「地震など」となっているところである。つまり、全てが明確に規定されているわけではないので国会の2/3が「これが緊急事態だ」と決めれば緊急事態になってしまうのだ。東京新聞に自民党案が出ている。だがこれには仕方がない面もある。豪雨災害などが増えており何が危機的状況になるのか誰にもわからない。だから憲法に全てを書き込むことはできない。

この件について石破が何を意図しているのかということは議論にあまり関係がない。もしかしたら本当に地震の時に「ああ必要だな」と痛感したのかもしれないし、ロスチャイルド家に操られていて国を売ろうとしているのかもしれない。

ただこの「など」は結果的には大きな危険をはらんでいる。例えば、多数派を握っているが行き詰ってしまった議会多数派が「議会を解散したくない」と考えた時、適当に「緊急事態」をでっち上げて国会議員の任期を延長するということができてしまう。例えば、ポピュリズム的な政策で選挙で大勝した政権が破綻しそうになるとする。選挙をすると負けが確定しているわけだから、国会議員は保身を図ることになるだろう。そこで「今回の選挙は体制転覆を狙った敵勢力がしかけている」として、国会議員の任期を「無制限」にすることが憲法で保障されることになってしまうのである。

安倍政権の傍若無人ぶりから想定して、緊急事態条項を悪用して「総理大臣や官邸が暴走するのではないか」と懸念する人が多いと思う。しかし、内閣が法律を作ってもいずれかの時点で国会から追承認を得なければならないので、この心配は少ない。

そもそも日本人は明確なリーダーシップを取りたがらないので、あからさまな独裁者が出てきて全権を掌握した上で悪事を働くというようなことは考えにくい。あの安倍総理ですら、面倒なことは諮問機関などを作って他人の口から言わせている。むしろ考えられるのは、集団が自分たちの既得権益を守るためになりふり構わず暴走するという姿である。誰も責任を取りたくないが、今の地位を失いたくないという理由で暴走するのである。

石破はこの緊急事態条項で私権の制限を主張している。これも地震などの緊急事態にはしかたがないのではないかと思われるのだが、国会議員の保身に使われた場合のことは想定されていない。ポピュリズム的な主張で多数を形成した与党の政策が破綻し、野党が反対をする。このままでは選挙は避けられそうにない。そこで緊急事態を宣言し国会議員の任期を無期限にした上で、テロリスト(つまり野党のこと)を盗聴してもよいという政令を作り、それを追加承認するということが考えられる。

選挙がないのだから国会議員の地位は永久に保障される。めちゃくちゃな法律を乱発してももう誰も止められない。説明責任などという言葉は急速に死語になってしまうだろう。そして選挙が遅れれば遅れるほど事態は悪化してしまい、最終的には国民の暴動を招くか、外国とぶつかることになるだろう。軍事的にというより経済的に封鎖される可能性の方が高い。国を潰すのに核兵器は必要ない。国際世論の協調と経済封鎖で簡単に国は潰れるのである。

自民党の多数派が考えているのは議席の安定的な確保である。だから、彼らは熱心に「各県に一人以上の国会議員をおける権利」や「緊急事態時の任期の保障」などを求めている。彼らの頭の中にあるのは選挙のことだけである。彼らもまさかポピュリズム的な政策で国を滅ぼしてやろうなどとは思わないだろう。

ここでなぜ石破が「私権の制限は絶対に入れてくれ」と主張しているのかがわからない。議会側は「会期延長さえ通れば国民を説得しやすい方が良い」と考えているからである。考えられる可能性は、安倍首相への対抗である。今年の初め頃には「安倍よりも右派である」というポジショニングで自民党内部の支持者を増やそうとしていたのかもしれない。

石破にも地震をきっかけに日本を乗っ取ってやろうなどという気持ちはないだろうと信じたい。だが、議員の関心を引くために身分保障の観点から緊急事態条項と参議院の制度改革を持ち出したとすれば、結果的にそれが「想定外の事態」を引き起こしかねない危険があった。

もう一度議論を整理すると、次のような可能性が浮かんでくる。東日本大震災の時に「ああ、この地震の時に選挙があったらえらいことだなあ」と思った議員がたくさんいるとする。彼らは選挙を避けたいと考えて割と気軽に「憲法に書き込めばいいんじゃないか」と考える。どうせ憲法は変えられそうにないのだからいうだけ自由である。もしかしたら「地震の怖い映像をCMで無尽蔵に流せば納得してもらえるかも」くらいのことは考えた人がいるのだろう。そこに原理・原則主義の傾向の強い石破さんが出てきて「私権が制限されるような強い権力がなければ地震は乗り切れない」と考えてそれを主張し、安倍首相よりも「力強いリーダー」を志向したいという理由で「緊急時の私権制限」も入れろと宣伝している。

だが、結果的には「国会議員たちが自己保身のために国会の無期延長を決め」て「自己保身のためにポピュリスト的な政策を乱発」する余地が出てくる。しかし、国民はこのことに全く気がつかなかった。石破が総裁になる見込みはなかったので、誰も真剣に石破提案を吟味しなかったし、安倍以外だったら誰でもいいから早く変えろという空気も蔓延していた。たいてい憲法改正議論の危険性に最初に気がつくのは野党支持の人たちだが、今回はある意味「眠っていた」のだ。

幸いなことに石破は「総裁選挙に負けたら殺される」という程度の強い危機感を持っていなかった。例えば韓国のように大統領の権限の強い国ではライバルも必死になるので自然とポピュリズムが生まれやすくなる。もし、石破が政治的に殺される覚悟で選挙戦を戦っていたらもっと違ったことが起きていた可能性もあるだろう。

その意味では今回の総裁選は「ごっこ」で終わったことが国民には幸いしたと言えるだろう。小泉進次郎のいうような「武器のない戦争」ではまだないということである。