ネトウヨおじさんと日本の学校教育の欠陥

今日のお話はネトウヨと日本の学校教育の欠陥についてである。誰にでも(もちろん私にも)当てはまるところがあるので、自分ごととして読んでいただきたい。

ある人がTwitterで池上彰に噛み付いていた。池上彰が「国が借金をし続けたらお金が消えてなくなる」と言っているというのだ。添付してあるビデオを見てみたのだが、そんなことは言っていないのでそうリツイートした。するとツイートした本人からフォローされた上で「直接は言っていないが池上彰は確かに貯金が消えると言っている」と主張する。本人は続けて「こんなことはお金が消えてなくならない限り起こらない」と言うツイートを送ってきた。

この時点でこの人がわからない点がわかった。お金が消えてなくならなくても価値が失われるということが起こり得るのだが、その可能性に気がついていないようだ。国が個人から一千万円の借金があったとして、それが「一夜のうちに」千円分の価値しかなくなれば、実質的に国は借金が軽くなり、国民は財産を失う。これを一般的にハイパーインフレと呼んでいる。ハイパーインフレは課税の別形式(あるいは実質上の政府課税)と言われることがある。

池上彰はかつて日本で起きたハイパーインフレを念頭に置いているのだと思う。が、池上には失念していることがあるようだ。つまり、これを知らない人が脳内の常識で「勝手に」穴埋めしてしまう可能性を忘れているのだろう。何も知らないのがあたりまえの子供には起こらないが、大人は「予断を持つ」ことがあるのだ。

日本は第二次世界大戦の時に軍票を印刷して戦費を調達したので戦後になってハイパーインフレと財産課税が起きた。Wikipediaでは敗戦の混乱からハイパーインフレが起きたと説明しているが、Diamond Onlineにもうすこし分かりやすい説明があった。戦前から返せる見込みがない金融政策が行われており、戦後になって破綻が表面化したと説明している。ただし、これでも金融は安定しなかった。そこでアメリカから専門家が呼ばれて急激な財政緊縮を行われた。この緊縮財政をドッジラインと呼ぶ。この一連の出来事が安倍政権が2012年に政権を取った時に話題になったので、池上はこれを「当然のことであり興味がある人は理解した上で知っているだろう」として議事を進めているのだ。

だが知ってはいても内容を理解していない人もいるということになる。実際に安倍政権の側からは「日銀が面倒を見てくれれば消費税増税さえも必要がない」という主張が出ているし、自由党も「今は財政出動だ」と言っている。これは言い換えれば「政府がなんとかしてファイナンスしろ」と言っているのと同じである。この副作用に言及せずに支持できる人が多いところをみると、仕組みを理解しないで結論に飛びついてしまう大人が多いということがうかがえる。

Wikipediaによると1945年から1949年の間に物価が70倍に上がったそうである。1000円が14円の価値になったということになる。1000円でうまい棒が1.4本しか買えなくなったというとなんとなく感覚がわかるかもしれない。

池上彰に突っかかった人は「自分が理解できない点」を常識で補っていたことになる。だが、自分が何がわかっていないかということがわからないがゆえにどこを常識で補っているのかがわからないのである。ところが、相手を避難する時には「経済政策をわかりもしないでいい加減なことをいうものではない」と言っているので、自分は経済について知っているという自意識を持っていることもわかる。

なぜこのようなことが起こるのだろうかと考えた。しばらくして思いついたのが日本の学校教育の特徴だ。穴埋め式のテストが主なので日本人は知識を溜め込むことを「穴埋め」の概念で捉えがちなのではないだろうか。大人は知識量が豊富なのでいろいろな穴を埋めることができるのだが、中には単なる勘違いや予断なども多く含まれていて、正確な知識とそうでないものの区別がつかないのだろう。だが、穴埋め問題は穴さえ埋まってしまえば一応の答案が作れる。答え合わせの必要もないし、そもそも問題が間違っているかもしれないなどと疑う人はほとんどいない。「先生が間違った問題など出すはずはない」からである。

だが、こうしてできた知識体系が常識外の主張と出会うと摩擦を起こす。大人は心の中で過去に解いた穴埋め問題をたくさん知識として蓄えている。だから彼らが「お金が消えて無くなるはずはない」と考えるのはとても自然なことである。このチャンネル桜を視聴しているという方はこの「常識」を知っているからこそ池上に反論したということになる。

だが、よく考えてみると、普通の大人が金融政策に詳しい必要はない。実際に「戦後のハイパーインフレと預金封鎖の説明をしろ」と言われたら答えられないと思う。だが「仕組みがよくわからない」ということは自覚しているので、他人に説明する前に下調べをしたりする。その時に「なぜ、日本人は短い期間の間に財産を失ったのか」という疑問を持つことが大切である。つまり、知っていることではなく、知らないことに着目するアプローチもあるのだ。

だが、よく考えてみるとこれはかなり贅沢なスキルであると言える。日本人は大学まで穴埋めで過ごすので、小論文(つまり他人に何かを説明すること)を書くチャンスが少ない。人によっては小論文が卒論だけだったという人もいるのではないだろうか。そのあとの社会人経験でも経営陣や経営企画室が考えた筋に従って穴を埋めてゆく仕事が多いので、自分で何かを調べたり身につけたりするスキルを持たないままで大人になってしまう人の方が実は多いのではないかと思った。

だから、ネトウヨの人たちの決め付けたような言い方を聞いても「バカだなあ」とは思えない。そういう教育を受けているのだからそういう大人が量産されて当たり前なのだ。だが、その一方で価値観や世界観が急速に変化しており、この穴埋め式だけでやって行けないことも確かである。

一般的な常識では「借金は真面目に働いて返さなければならない」し「政府が国民からお金を取り上げるような酷いことをするはずはない」ので、池上さんに反発するのも当たり前である。今回の議論を通じて池上彰の番組は見ないほうが良いのではないかと思った。子供にわからないことを伝えることはできても、常識でガチガチに固まった大人に短い時間で「一見ありそうもない」ことを説明してしまっては却って誤解や反発が生じかねないからである。

今回もう一つ感じたのが社会的方言の大切さだった。タイムラインをみると多分同年代からそれより上の方のようである。「チャンネル桜を見ている」と書いているのでもしかしたら定年されているのかもしれないなと思った。そこで、普通の日本語ではなく「おじさん言葉」で返信することにした。「おじさん言葉」はかつてサラリーマンの間で使われていた共通言語だが今では社会方言化している。すると返事がなくなった。

もし仮に普通の日本語で書いていたら「この人は若いのだな」と認識されて罵倒されていたかもしれないと思った。つまり、我々の年代から上の人は女子供をみると居丈高になりかねないのである。「社会常識的に」女子供は補助労働者だという認識があるので「この人はバカにしてもよいのだろう」と思うのではないだろうか。店頭でおじさんが女性店員に上から目線で話しているのをみると実に嫌な気分になるが、これが一般的に浸透してるのもまた確かなことだ。

おじさん語というとわざとぞんざいに話すことだと考える人も多いと思うのだが、実際には相手の面子を立てるためにあらゆる手段を使う。今回も「知識がおありのようなのですでにご存知ですよね」と書いたので、それ以上突っ込まれることはなかった。これも「先生や年長者は文句なしに偉いのだ」という学校教育を引きずっているように思える。実際に走らないことが多くても、やはり知識がある大人としての体面は保ちたい。しかし、妥協したりへりくだったりするのもよくない。逆に侮られてしまうからである。「おじさん語」は実に面倒な社会方言だ。

さて、この穴埋め世界観の脱却ということを考えていて問題に直面した。穴埋め世界観から脱却して疑問を持つためには「人に説明をする」という機会を作ることが重要である。だが、人に説明をするために調べ物をするという機会を日常的に作るのはとても難しい。

多くの人が知っていることではなく、知らないことを自覚できるようになれば政策議論も進みより暮らしやすい世の中が作れるとは思うのだが、自主練はなかなか難しい。結局「学校でディベートや論文を書く時間を増やすべきだ」というありきたりな結論になってしまったが、学校を卒業した人が今から学びなおすのは不可能なので、できれば「エア説明」をしてわからない点に目を向ける訓練をしたほうが良いと思う。