バーリアルから安倍政権の問題点を考える

ダイエットをしている。普段の食事から少しずつ量を減らすと却ってストレスがたまるのでいつもは思い切って減らしている。しかし、そればかりだと代謝もモチベーションも下がるので時々ジャンクフードなんかを食べる。ちょっと気をぬくのが長く続けるコツではないかと思う。

ということで、ある時ポテトチップスとビール(一番搾りだった)を試してみたのだがあまり美味しくなかった。なんでだろうかと思って別の機会に手作りキムチ餃子と合わせてみた。多分ビールというのは食事に合わせて美味しくなるようにできているんだなと思った。

そこで見つけたのがバーリアルである。100円以下で売られている。カラムーチョと合わせても200円にならない。さすがに如何なものかと思ったのだが、これが抜群に美味しかった。後になって調べてみたところキリンビール製造に変わったそうだ。(商業界ONLINE)「あれ、これはおいしいぞ」と思ったわけだから、理屈はともかくとして「それなりにアリ」な製品に上がっていることになる。

安く商品が手に入れられるのはいいのだが、これって経済にはどう影響するんだろうかと思った。そしてしばらく考えているうちに、この線でモデルを作ればイデオロギーなしに政策論争ができるぞとも思った。おいおい説明してゆく。

まず、キリンビール側の事情を調べた。かつては「ちょっと落ちる代替品」だったプライベートブランドの商品で良い成績を収めないとやって行けない市場環境ができつつあるようだ。ダイヤモンドオンラインの記事を見つけた。経営学ではファイブフォースと言ったりするのだが、サプライヤーの力が弱くなっているのである。

バーリアルが美味しくなっているということは、製品そのものの品質は犠牲になっていないということである。では何が犠牲になっているのだろうか。

第一に流通経路が短くなっている。商業界ONLINEの説明によるとイオンとキリンビールの直接商取引きになっているそうだ。さらに広告が不要になるので、これに関わる産業が軒並み排除される。広告代理店、芸能事務所、タレント、制作会社、テレビ局などがこれにあたる。他社が広告を引き下げれば他の会社も広告が必要なくなる。さらに、小売店も手間を省いている。イオンの小型スーパーでは仕入れを単純化したりカゴのままで展示陳列したりしている。

このように考えてみると「関わる人の数を減らせば減らすほど」価格が減らせるということになる。さらに、細かく減らすより大胆に「バッサリと」削減した方が効果的なのである。もちろんこれは政府のせいではない。企業努力によるものである。つまり、格安の品物が定着するとデフレではなく国内労働市場の縮小が起こるのだ。

ただ、低価格商品が出ると高齢者は支出を減らせるのでその分を金融資産の運用に回せる。ここで挽回すれば国内総生産には影響はでない。だから統計上はデフレにならないかもしれないのである。

統計操作などいろいろな問題が指摘されたが、まあそれでも金融資産運用で経済が維持できればそれはそれで問題がないようにも思える。だからデフレではないというわけだ。同じように企業も人件費を削減できれば海外資産への運用や株への運用ができる。経済的な損失はないかもしれない。

ところが市場労働という絵を置くとちょっと違ったことがわかる。バーリアルの登場によって小売流通に関わる人が減っていることがわかる。すると、こうした産業が日本から消えてなくなる。広告代理店がいなくなれば嬉しいと思う人もいるかもしれないが、要は広告のノウハウが日本から消えてなくなるということである。バーリアルは図式としては「知識がなくなることで製品が安くなる」ということを示しているのだ。そして残るのは「飲む」という原初的な欲求(低次元欲求ともいうがこの言い方には問題が多いように思える)である。私にとってバーリアルはありがたい製品なのだが、知識を蒸発させるのだ。

国内労働市場がストックとして持っている資産は何だろうかと考えるとそれは知識である。

バーリアルは単に市場によって登場しただけだが、政府はこの傾向を後押ししている。例えば消費税を増税して国内消費を冷え込ませる。一方で法人税を減税すると海外投資(一般に内部留保と呼ばれている)が増える。資金としては国内市場からは退出する。すると、資金によって裏打ちされていた知識が維持できなくなり蒸発する。さらに、賃金によって法人税減税効果を市場に戻すこともできなくなる。国内市場そのものが縮小しているからだ。

国内市場が冷え込むとそれを穴埋めしようとして海外から労働者を入れる。するとエントリーレベルの単純労働に若年者が関われなくなる。海外の労働者は一定期間で帰ってしまうのでトレーニングの成果も海外に流出する。今回話題になっている「これは技能労働なのかそれとも単純労働なのか」という議論は実はあまり意味がない。実際には足りないのは「低賃金・技能労働」なのである。経営企画とレジ打ちのどちらが大変かという議論に意味はない。どちらも大変な仕事だ。問題は技能労働者が低賃金で貼り付いているということだ。技能を身につけても暮らしが良くなるというモチベーションがなければ知識だけでなく意欲も蒸発する。

若年労働者(一部で構わない)は熟練の機会さえあれば高付加価値の人材になれるかもしれない。また、女性は子供を生むとキャリアを中断しなければならないのでそこで生産性の向上が止まる。国が保育園政策を充実させていれば彼女たち(たいては女性なのだ)はキャリアを諦める必要がなかったかもしれない。いずれにせよ少子高齢化のもとではノウハウは自然蒸発するので、それを充填しなければならないのだが、どこからも補充はない。ホワイトカラーの残業時間も国が抑制する方針(ホワイトカラーエグゼンプションが導入されるが労基署の人材は増えない)ので、使い潰される労働力は増えるだろう。専門家も技能を向上させる時間がない。

低価格帯の製品が増えるとそれに適応した企業が出てくる。これは当たり前のことだ。だが、それに最適化してしまうと高技能労働がなくなる。加えて市場労働そのものが縮小しているので次世代の教育に回せるお金がなくなる。すると、次世代はもっと低賃金・低技能労働に貼り付いてしまう。こうして世代を重ねるごとに日本の労働力はどんどん生産性を失ってしまうのである。実はこれはもう始まっている。現在OECD35ヵ国の中での生産性は20位となっている。

よく労働者から「賃金をあげて仕事を増やすべきだ」という意見が出る。一方経営絵者の方は「賃金をあげたら仕事がなくなる」と言って恫喝する。しかし、実際に起こっていることを観察すると中間が整理されることで「仕事がバッサリなくなる」ことの方が起こる可能性が高いということになるだろう。

日本が取り組むべき政策は実は簡単で、国内に仕事が戻るように(言い換えれば国内消費を改善する)ように取り組めばいいということになる。具体的にいえば消費税を減税(あるいは撤廃)してブレーキを緩め(あるいは取り除き)、女性が労働市場に戻れるようにし、海外から低賃金「技能」労働者を調達する政策を取る代わりに若年者を教育するようにすればよい。すべての人が将来的に生産性を増すことはないかもしれないが、少なくとも海外人材のように数年で流出するということはない。そしてキーワードになるのは、市場が自分たちの判断で知識を増やせる機会を増やし、流出したり蒸発したりする機会を減らすということだ。

もちろん公共事業を増やして国内労働市場を活性化するという方法も考えられる。ここで問題になるのは定着力である。公共事業は手っ取り早く国内消費を回復させる効果がある。ところが公共事業が止まってしまうと国内消費も落ち込む。技能が蓄積されることがない上に継続性もないからだろう。

今回は簡単で乱暴なスケッチを書いただけなのであるいは間違っている点もあるかもしれないのだが、コンセプト自体は簡単なものなので誰でも理解できるし、特に右とか左とかのイデオロギーを持ち込む必要もない。

なぜこんな簡単なことに政治家は気がつけないのだろうか。それは、国内市場の仕組みがよくわからない上に、今出て行く年金・福祉予算のことで頭がいっぱいになっているからだろう。さらにここに党派対立が加わるともう議論はできなくなる。あらかじめ正解が決まっているからだ。

加えて世襲政治家は労働市場を通じて技能を上達させるモチベーションがない。いずれは政治家になるのだから、自ら技能を磨いて自分の暮らしをよくしようという気持ちになれないのは当然である。

だが、だからといって議論そのものができないわけではないし、打開策が見つけられないわけでもない。単にシンプルなモデルに戻ってみるだけで良いのである。

だが、だからといって議論そのものができないわけではないし、打開策が見つけられないわけでもない。単にシンプルなモデルに戻ってみるだけで良いのである。

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