保育園にわざと落ちる「わがままな」親たち

先日は憲法改正と外国人労働者受け入れの問題から「出し惜しみ論」について考えている。この一環として日本に蔓延する「わがままな親たち」について考える。片山さつきによると「私たち」自民党は国民は義務を果たさず権利ばかり追求すると考えている。このわがままさの正体がわかれば自民党の世界観が正しいかどうかがわかるはずである。

保育園わざと落ちる問題についておさらいしておく。この現象は不承諾通知狙いと呼ばれている。東洋経済から抜粋する。東洋経済によると不承知許諾通知狙いは慢性的な保育政策の不足から起きている。

ヨーロッパの先進国では、3歳もしくはそれ以上の育児休業をとれる国も少なくありません。しかし、日本の育休制度は、あくまでも1歳までが原則で、育休延長は保育園に入れなかった場合などの救済策として設けられているに過ぎません。

このことが、実はさまざまな歪みをもたらしています。

育休は1年間は取れるのだが、それ以降2年目までは救済策として整備されている。この救済策を受けるためには「保育を申し込んだが受け入れられなかった」という実績が必要である。一歳児はまだまだ手がかかる上に、職場に復帰してしまうと「男性並み」の働きが求められるため、子育てと職場の両立に不安を持つ親が多い。だから最初から保育園に落ちたことにして不承諾通知を狙う人がいるのである。わざと人気の場所を選ぶ人がおり、選ばれても通えないからと辞退する人に多いそうだ。彼らは職場とキャリアを失うのが怖いので「彼らができる範囲で」最適な行動を取ろうとする。これが制度を混乱させている。つまり、親のわがままとは部分最適化行動なのである。

不足のある政策は部分最適化行動を生み政策の不足を助長するということになる。

ポストセブンも同じような解説をしている。

制度を作るとその制度を「有効に活用しよう」とする人が出てくる。しかしその他に自由度がない(夫は育児を手伝ってくれずその余裕もないし、職場も人手が足りず育児中の女性を特別扱いできない)うえに制度そのものも十分ではないので、その制度の中で最適化を図ろうとしてますます制度が混乱するという悪循環が生まれる。

保育園の数が十分あればこんな問題は起こらないはずである。ではなぜできないのか。これについて、以前地元の市役所に取材したことがある。予算制約があり駅前の便利な土地にたくさん保育園が作れない。統計上の数合わせのために空いた土地に作ったりするのだがそこには需要がない。無理して便利な土地に作ってしまうと今度は別の問題が起こる。今まで保育園がないからといって子育てを諦めたていた人たちが子供を作ったり、キャリアを諦めなくなったりする。すると保育園の需要が増えてしまうのである。

複雑に思えるかもしれないのだが、起こっていることは単純だ。既存の変数から計算して保育園の需給予測を立てる。しかし、保育園の数が変数になり需要を増やしてしまうという「フィードバック効果」が生まれる。だから、いつまでたっても数字が確定しない。市役所の人たちは薄々これに気がついているが理論化まではできない(そもそもそんなことを考えていても仕方がない)ので、「国が決めること」だとしてコントロールを諦めてしまっているようだ。

ここでもう一つ重要なのは「保育園の数がいつまでも足りない」ということである。計画的社会主義の供給が不足に陥ることは経験的には知られている。ソ連ではすべての生活必需品を計画生産していたが、1960年代ごろまでに破綻し「いつもモノが足りない」という状態になっていた。いくつか要因は挙げられているが、何がキードライバーなのかは確定していないのだという。個人的には社会主義にはインセンティブを与える仕組みがないからだと思っていたのだが、これが主犯だという証拠もないそうである。

日本は資本主義社会なので日用品の生産は充足している。足りないのは介護や子育てなどの福祉分野と労働賃金である。この二つの分野で社会主義化が起こっていると仮説すると状況がうまく説明できる。

政府がどのくらい市場に介入すべきかというイデオロギー的な問題は横に置いておいたとしても、政府が介入するとところでは部分最適化が起きなおかつ供給はいつまでも過小なものだろうという予測はかなり確度が高い。保育所がいつまでも足りないように海外労働者も充足しないだろうし、それは賃金の慢性的な不足という意味で日本の消費市場をじわじわと衰退させるだろう。

前回蓮舫議員のツイートを批判したのはこのためだ。つまり、蓮舫議員が「不足人員の需要を出せ」といったことが、彼らが意図した華道家は別にして計画経済的な視点になってしまっているのだ。

実は政府が計画を作ってしまうと、その枠までは低賃金労働者が供給できる可能性があるという宣言になってしまう。すると、その低賃金労働に人が張り付くことになる。実際に各産業ではこの数字を巡り「自分たちの産業にも多くの人を割り当てるべきだ」という声が出始めている。(毎日新聞)こうすると賃金を上げずに企業活動が維持できるのである。そしてそれはアパレルのゾンビ企業を温存する。これも社会主義では「ソフトな予算制約」と呼ばれる問題に似ている。

一方、対象から外れたコンビニやスーパーは、将来受け入れ対象になることをめざし、経済産業省などと協議を続ける。縫製業務などで外国人技能実習生を多く抱える繊維アパレル業界も「認定されれば工場の安定的な操業につながる。ぜひ対象に加えてほしい」(ワコール)と求めた。

安倍首相はアベノミクスで経済が成長すればその果実は地方と労働者に滴り落ちると説明してきた。しかし実際にはその果実が滴り落ちることはなく、安い賃金労働者がもっと必要だから海外から調達してこようという話になっている。野党はこのことを追求することなく「確実な需給予測を」と言っている点から、安倍政権だけでなく野党も資本主義経済についてよく理解していないことがわかる。狭い村を基本に行動する日本人はもともと計画経済志向が強いのかもしれない。だが実際の経済は一部の人が完全にすべての情報を把握できるような大きさではない。

政府が市場に関与すればするほどソ連型社会主義の「不足」の問題が出てきてしまう。だが、自民党は構造的な問題を解決することはなく「国民がわがままだから自分たちの素晴らしい計画がいつまでたっても成就しない」と考えて「天賦人権を取り上げて政府が指導すれば問題は解決するのではないか」と推論するようになってしまったのである。

数年前に「天賦人権はふさわしくない」と言い放った片山さつきは今や大臣になっている。そこでわかったのは公職選挙法を都合よく解釈して各地に大きな看板を作ったり、カレンダーを会議の資料だといってプレゼントしたり、さらには自分の名前を使って勝手にいろいろな商売をするであろう人を無償で秘書として雇ったりということをしていた。一生懸命自分のキャリアを守ろうと試行錯誤する親がわがままと言われる一方で、政治家の私物化はわがままと呼ばれることはない。

これが自民党政権を放置し続けたツケなのかもしれない。