安倍政権が破壊した村を引き継げるのは誰か?

新しい外国人受け入れの問題が引き続き審議されている。立憲民主党と国民民主党はなんとかして有権者に振り向いてもらおうと「あれが大変になるかもしれない」とか「これがよくわからない」などと騒いでいる。多分、多くの有権者はヘッドラインしか読まないだろうから彼らの懸念が支持者以外に伝わることはなさそうである。

この議論を見ていて「ああこれは大変なことになっているな」と思った。今審議しているのは移民制度である。社会に大きな影響を与えるので、受け入れが必要だったとしても慎重に運用する必要がある。管理に必要なのは全体を把握して人数を決めるという「計画経済的」なアプローチであり、極めて緻密な行政運営が求められる。

前回の議論で「計画経済は社会主義的であり自由主義経済の日本ではそもそもありえない」というような主張をしているのだが、今回の議論はこれを乗り越えないと前に進めないので、いったん計画経済を是認して先に進みたい。

計画経済で重要なのはまず政府が「そもそもどれくらいの外国人労働者が必要で」「彼らが従事するのはどんな労働で」「今どうなっているのか」ということを把握しなければならない。だが、政府は「それらは法律が決まってから別途決める」との一点張りである。そこで我々は政府は隠しているのだなと勝手に推測してしまう。

そんな中で、技能実習生の問題でいい加減な統計が見つかった。これがどうなっているのかということを調査するために政務事務次官をトップにした調査チームを作ったようである。これは大臣がいたにもかかわらず現場から適切な報告が上がっていないことを意味している。しかしこれはおかしいのではないか。

不都合な現状があればそれを隠すことはできるが、そもそも隠すためには現状を知っている必要がある。知らなければ隠すことすらできない。

以前、オイルショックの対応についてみた。中曽根通産大臣が通産省の職員と「一体となって」緊急対応を決めたという。高度経済成長期の日本ではこういうことができていた。中曽根自体は官僚出身ではなかったが終戦時には海軍主計少佐だったので数字に強かった。実質的には軍内官僚だったわけだ。一方で官僚も自民党経由で国会議員になるという通路があった。だから彼らはお互いに共通した文化を持っていた。

日本人は公式の役割分担や通路のほかに験が共有されている人たちの間での親密な関係作りを好む。ゆえに中曽根はわざわざ公式な制度など作らないでも人間関係で情報が取れていたはずだし、気心の知れた官僚たちは情報を隠すというようなこともなかったのではないかと思われる。通産省は手計算で全体が把握できる程度の村であり、大臣と官僚の間には「経理」という共通言語があったことがわかる。

安倍政権は実務経験がない世襲の人たちが「政治主導」という名目で官邸の力を強化て作った政権である。麻生財務大臣は東大をバカにしているようで「税金で勉強したかわいそうな人」というようなことを言っているし、安倍首相も東大には行けず成蹊大学を卒業している。そもそも東大を中心にしたエリート層にシンパシーを持たない人たちなのである。

日本人は強いリーダーシップを嫌い経験を同じくする村の調和を好むので、こうした「政治主導」に嫌気を覚えて情報を上げなくなるだろう。政権側ができるのはポジションを使った操作と恫喝だけであるが知らない情報を出せとまでは言えない。だから、官僚はボトムアップ的に情報を上げなくなると政権は全体で何が起きているのかわからなくなってしまうのだ。

例えば「今どれくらいの労働力が不足しているのか」とか「外国人研修生がどのような状態になっているのか」という情報は実は現場の人たちしか持っていない。それがあがってこないということはそもそも計画すら立てられないということを意味する。そんな中で無理やりな計画を立てれば、今度は官僚が「うまくいっていますよ」という報告用のファンタジーを創作することになる。これが改竄や隠蔽である。そして官僚はもともと創作能力に長けた「頭の良い」人たちなのである。

複雑なことに有権者からみると内部の嘘は官邸の嘘と見分けがつかない。山下法務大臣は福山哲郎委員に個票が出せないと主張していた。訴えられる可能性があるからだという。これに対して福山委員は、すべて国外退去しているのだから訴えることなどありえないだろうと応戦していたが、山下大臣は一度隠すと決めた情報は頑なに出さない姿勢のようだった。つまり、あからさまな嘘があるために、「ああ、官僚たちも自己保身のための嘘をついているな」ということにまでは気が回らないのだ。

安倍政権は「誰をどれくらい入れるのか」ということを決めないままで新しい制度を導入しようとしている。これにたいして民主党系の人たちは「審議が拙速だから数字が上がってきてから改めて審議をしてはどうか」と提案していた。しかしこれは「いずれ政府が状況を把握できるだろう」という見込みに立っている。ということは野党は政権は情報を把握する能力があると思っているということだ。

民主党系の人たちが「本当は政府は何もわかっていないのではないですか?」と聞いて欲しいところなのだが、それは無理かもしれない。民主党もまた強い政治主導を標榜して失敗した経験があるからだ。彼らもまた組織というのは上から命令すれば思い通りの結果が返ってくるはずであると思い込んでいる。だが、官僚はそういう動き方はしてくれない。

前回の議論では日本人が村性から脱却できないのではないかということを正面から受け止めるべきだろうと書いた。これについて「日本人をバカにしている」と憤った人もいたのではないかと思う。だが、実際に「自分が官僚の立場だったら問題を積極的に上にあげるだろうか」と考えてみるとよい。官邸は都合が悪いことは聞きたがらないだろう。異論を不快に感じるかもしれないし、「なんとかしろ」と問題を官僚に押えつけるかもしれない。村で生きて行かなければならない日本人はこれを超えて自浄作用を発揮することは絶対にできないのだ。

官邸は情報がない中で無理な計画を立てる。野党があれこれ心配するので「心配しなくてもうまくやれるから大丈夫だ」と言って押し通してしまう。官僚はなんとかそれを形にしてみせるが実は問題が起きている。ただそれを報告してしまうと「自己責任だ」といって報告した官僚が責任を取らされる。だからごまかした報告書を作る。すると全体につじつまがあわなくなるので、今度はそんな報告資料などないと官邸が野党に嘘をつくことになる。

確かにひどい状況だが、野党は安倍政権が村を破綻した状態で政府を引き継ぐことになるので、これを見越した調査をするという難しい能力が求められる。気に入った答えが返ってこないといって子供のように机を叩く野党にその度量があるとは思えない。そう考えながら国会審議を見ると、極めて憂鬱な気分になってしまう。