櫻井よしこ氏は二度失望する

櫻井よしこが「将来に禍根残しかねない入管法改正案 日本は外国人政策の全体像を見直す時だ」という記事で安倍首相を批判している。反対方法が独特でありいったい何に反対しているのかがよくわからないのだが、安倍首相は無責任な野党と同じと言っているのでかなり怒っているようだ。

最初のパートでは入管法の改正に中身がないということを言っている。この点は野党と同じだ。だが、後半では一般永住者に中国人が多く中華人民共和国は外国に住んでいる中国籍の人に有事の際の防衛協力を求めていると言っている。つまり、潜在的なスパイになりかねないと指摘しているのだ。櫻井が訴えたかったのは最初のパートではなく二番目だろう。

櫻井よしこが個人の意見を言っているとは思えない。彼女の界隈の人たちの意見を代表しているのではないかと思われる。つまりネトウヨが安倍政権の移民政策が気に入らないと言っているのである。彼女たちは建前では世界に誇るべき日本民族はこれからも永遠に繁栄するだろうと言っているのだが、本当は「中国の躍進」を恐れている。経済的にも人口も伸びてゆく中国が怖いのだが、それを認められないので軍事的な脅威と共産党の世界征服の野心に置き換えていると言える。

さらに文章そのものにも日本人らしさが出ている。議論に慣れていない日本人は主張と人格を分離できない。そこで反対されることをとても嫌がる。だから最初に「これが否定されても困らない」という別の問題を置きたがるのである。櫻井の文章は以前に観察した死刑制度維持を訴えるQuoraの質問に似ている。最初は家族感情を理由に死刑制度は維持すべきではないかと誘導しているが二番目のパラグラフでは反社会性を持った人は排除すべきではと書いてあった。本音は反社会的な人が紛れ込んでいて自分たちに害をなすかもしれないという恐れがあるから死刑制度を維持したいのだが、それがストレートには言えないので別の問題を持ち出している。

もちろん保守と恐れが結びつくのは日本だけではない。ある意味極めて自然な態度とも言える。アメリカ人も潜在的な脅威を抱えているからこそ銃を持ちたがるのだが、怖いから銃をもたせてくれとは言えず、憲法に保障されたアメリカ人の権利であり自分たちにはコミュニティを守る使命があるからだからと言っている。つまり、保守は本質的に被害者になることへの恐れを持っており、その反動として正義とか力を持ちたがる。そしてその正義とか力は時として暴走する。弱さゆえに力を持ち出した人はそれが制御できないからである。アメリカでは人生に失望した人が他人を巻き添えにして自殺するような事件がたびたび起きている。

安倍首相は保守が持っている本質的な感情を理解できない。なんらかの理由で内心が欠如している安倍首相は、相手の主張から内心を読み取ることができないのだ。だから「軍事的な勇ましさを訴え」て「憲法議論さえ維持していれば保守は満足なのではないか」などと思ってしまうのだろう。彼には彼の「内心の空虚さを埋めるために立ち止まれない」という彼にとってとても大切なミッションがあり、他人の問題に構う時間はない。そして、ネトウヨの要望とトランプの要望は同時に叶えることができるぞなどと考えて一兆円分の戦闘機を注文してしつつ、移民政策では大勢の中国人を招き入れるというようなちぐはぐなことをやってしまうのだ。

櫻井が今後どのようにこの問題に対応するのかはわからない。少なくとも外面的には安倍首相が彼女たちの持っている問題意識を共有していないということを認めてしまうと、保守世界は崩壊するのだから、表立っては反対しないのではないだろうか。が、彼女たちは内心大いに失望することになるだろう。

ところが彼女が失望するであろう理由はそればかりではない。Quoraを観察していると、政治的な議論に極めて冷笑的で冷酷な回答をする人が増えている。

中国が民主主義国として出発していたらどうなっていたのかという質問には「チャイナに民主主義が定着するはずはない」というような回答がついていた。この中国をチャイナと書く人の他の回答を見てみると中国や韓国に対して蔑視的な回答が多く見られる。「支那」と書くとTwitterなどでアカウント停止になってしまうが、中国と書くと「負ける」と思っている人たちが最近チャイナという言葉を使い始めている。同じように韓国を南朝鮮と呼ぶ人たちもいる。

彼らは櫻井たちが潜在的に持っている恐れを共有してはいない。実際に世界で何が起こっているのか、日本がどのような国になりつつあるのかという点もおそらくは分析していないはずだ。彼らが政治的に目覚めた時にはすでに勇ましい議論が繰り広げられており、それが政権に認められた「政治的に正しい態度だ」ということは知っている。だから自らも勇ましい発言をすればひとかどの存在としてみてもらえるだろうという見込みを持っているのであろう。

彼らは櫻井たち先輩ネトウヨが持っていた潜在的な怖れを共有しない。最初の入植者たちは関東軍の後ろ盾があってこそ中国人に対して傲慢に振る舞えるのだということがわかっていたが、後から入ってきた人たちは日本人は何をしなくても偉いのだと思っている。立場が弱いと必要以上にへりくだり、相手が自分を恐れていると思うとどこまでも居丈高になるという日本人が昔から持っていた悪い性質が彼らにはある。

櫻井が立ち止まって後ろを振り返ると彼女たちの後には誰もついてきていなかったことがわかってしまう。だから、彼女たちは勇ましく歩き続けるしかない。彼女たちが「自分たちが伝統保守を破壊してしまった」と気がついた時に感じる失望はとても大きなものだろう。だからこそ立ち止まってはいけないのだ。だが、彼女たちは「関東軍」は最後まで入植者を守ってはくれないだろうということに気がつき始めている。

ネトウヨの源流がどこにあるのかはわからないのだが、1990年代の小林よしのりの時代には迷っていた日本人がその迷いを払拭するためにわざと「ゴーマンかまして」いた。危機感があったから強さを求めたのである。だが、その運動は権力や権威に結びつくこと躊躇や怖れを見失いつつあるのかもしれない。保守思想は「何もしなければ忘れ去られてしまうかもしれない」という危惧が根底にあるはずなのだが、何も勉強しなくても何も守らなくて良いことになれば、実際の保守思想は破壊されてしまう。あとは何の根拠もなく「自分たちは守られている」と根拠もなく信じている人たちだけが残される。

中国東北部に取り残された人たちが最後にどうなったのか、を考えてみるとその恐ろしさがよくわかる。