時代に乗り遅れた中高年が滅ぼす日本

前回は国民が政治に興味を持つためには単純な政策を軸に政策を組み立て直すべきだと書いた。しかし実際にはそうはならないのではないかと思う。いろいろ考えてタイトルを中高年が滅ぼす日本にした。できればそういう中高年の一部にはなっていないと思いたいが、こればかりは自分ではなんとも判断がつかないところである。

毎日新聞から特定秘密に指定される件数が制度発足以来4割増えているという記事が出た。政権を監視するというマスコミが特定秘密を歓迎しないのは当たり前だが実際に国民は政治の関して正しい知識を持ちたがっているのだろうかという疑問も浮かぶ。取り立てて国民は怒っていないからである。毎日新聞も何を非難していいのかわからないようで、有料記事の冒頭は「懸念された動きは表面化していない」となっている。だからこの記事を読むと「問題がないならいいじゃないか」と思ってしまうのである。

特定秘密は制度的な情報隠しだが、実際にはもっとひどい情報隠しがあからさまに起こっているようだ。嘘の報告を元に大臣に答弁をさせて、嘘がバレたら個票はコピーできないと言い募る。入管法改正の中身は曖昧で具体的なことは省令で決めるという。省令の根拠は多分示されないままなのだろうし、示されたとしても間違った情報を元に意思決定をしているのではという疑問は今後も付きまとうことになるだろう。だが、それでも誰も気にしない。

確かに情報隠しは悪いことなのかと聞かれれば悪いことだと答える人が多いのだろう。だが、それでも国民の間からは「きちんとした情報を出すべきだ」という声は聞かれないのはなぜなのだろうか。

例えば毎日新聞の調査による安倍政権の支持率は上がってきている。入管法についても廃案にしろとも今通せとも言わず、よくわからないがじっくり審議すればいいという人が多い様だ。朝日新聞でも同様の傾向がある。つまり、有権者はわからないから決められないと言っているのである。

国民がバカなのだと思う人もいるのだろうが、実際にはこれが実相なのかもしれない。マスコミが意思決定をつきつける問題についての意見はだいたい50%づつで割れており、与党の説得も野党の反対も響いていないのではないかと思える。かといって政権に抵抗があるわけではないのだからつまり「よくわからないがどっちか選べというからランダムでどっちかを押した」という人が多いのかもしれない。朝日新聞のアンケートで顕著なのは「先延ばしオプション」のある問題では先延ばしを選んでいる人が多いということだ。政権に批判的な朝日新聞の読者でさえそうなのだ。

わからないなら黙っていて欲しいと思うのだが、わからないのにとにかく騒いでいるような人もいる。

川上和久という政治心理学者(テレビで見たことがあるがどういう人なのかはよく知らない)が自民党で、改憲勢力を悪者に仕立てるべきだと披瀝したという記事を読んだ。さほど政権に否定的ではない時事の記事なので、タイトルの立て方を見ると「さすがにこれはひどいなあ」と思ったのではないかと思う。ただ、川上さんのTwitterを見ると産経新聞系の執筆者のようなので、多分分析する価値はない人なんだろうなと思った。

この会合の記事では本当に知りたいことが書かれていない。当の自民党の人たちは本当に憲法を変えたがっているのかという問題である。本当にそれが国民のためになるならなんらかの熱意くらいは伝わるはずである。しかし、そうした熱意は伝わってこない。合理性もない。伝わってくるのは「言われたからやらなければならないが国民が乗ってこない」という焦燥感だけでだ。

しかし彼らは自分たちに問題があるから伝わらないのだとは思わない。川上さんは「自分たちに従わない奴がいるから反日認定してしてしまおう、そうすれば世論は動くはずだ」という間違った認識である。

憲法は「一つになってまた国を立て直そう」という国民の統合の象徴なので世論が真っ二つに分断されないように政治家たちはそれなりに腐心してきたはずだ。結果的に改憲できてもその過程に問題が出れば深刻な禍根を残すということは皆わかっているはずである。しかし、どうしても改憲したい人たちは自分たちに熱意がないことを棚にあげて、誰かを悪者にして国民世論を分断してでも改憲を成し遂げたいらしい。

そこでこの件についてQuoraで聞いてみたが「憲法は改正ができることになっているのだから改正すべき」という意見が来ただけだった。多分背景にある記事は読んでいないと思う。改憲に反対する人が多く、それをねじ伏せたいと考えている人がいるのは確かなようである。

Quoraには海外生活が長い比較的リベラルな人も多いのだが、社会の指導的役割についている年齢の参加者が「おじさんがおしえてあげよう」という態度で参加することも多くなっているようだ。質問の意図を読まずに自説を押し付けてくる人がいるので「実生活でも人の話を聞かないんだろうなあ」などと想像してしまう。で、プロフィールを見ると経営者や組織のトップだったりする。普段、村社会では人々を動機付けなくても住む人たちはその見識が「社会でそれが通用しない」ことを知ると腹をたてるのだ。

自分たちが何かを決めようとしても「昨今のコンプライアンスがどうだ」とか「おじさんはテクノロジが理解できていない」などと「いいわけ」されて誰も従ってくれない。そこで「自分たちの意見が通らないのは、一部のサボりたい不心得者が抵抗を示しているのだ」と理解を付け替えているのかもしれない。

つまり、改憲をすべき理由は「憲法第9条のあり方が現状に合わなくなっているから」という合理性に基づいたものではなく、自分たちの意見が通らない苛立ちを世間にぶつけているだけなのかもしれない。考えてみるとくだらない動機だが実社会では、こうした嫉妬こそが世の中を動かすことがある。

これらを考え合わせて怖くなってきた。人々は政治的な問題について意思決定ができなくなっている。人々は選択に疲れており、政治に興味を持たなくなった。情報が隠蔽されようが不正が横行しようが構わないという態度である。

それだけならまだ「政治的無気力(アパシー)」として片付けられるのだが、経営や組織の意思決定について学びもせず、テクノロジーについて行く気力もないのに、自分は年長者になったのだからもっと敬われるべきだと感じている人たちが被害者意識を募らせ「とにかく俺が変えると言っているんだから変えるべきだ」などと言い出したら社会はめちゃくちゃになってしまうだろう。

現在の政治状況を見るとこのような苛立ちを感じる。思ったように現実が変わってくれない。だったら情報を隠し、意思決定を先延ばしし、悪者をでっち上げて自分の意見を通そうと思っている人が意外と多いと思うのだ。