産業革新投資機構の失敗はなぜ起きたのか

産業革新投資機構の役員人事で政府と会社側もめているそうだ。これについて調べてみたのだが「さっぱりわからない」ということしか分からなかった。いくつかのテレビも見たのだがそれでもやっぱりわからない。この「わからない」というのが問題の核なのではないかと思った。




このニュースはいろいろな媒体が取り上げているので経緯はわかってきている。いったん承認したはずの役員報酬を経済産業省が取り消したことに役員が反発して感情的な問題に発展したらしい。2兆円規模のファンドだったという話もあるので、2兆円規模の喧嘩ということになる。中学生よりタチが悪い。

ただ、それがいいことなのか悪いことなのかを考えようとするとさっぱりわからなくなる。誰が何を何のために決めているのかがわからないからだ。細かいことを考えないで読んでみるとその原因もわかる。前身の組織は2009年に作られている。ちょうど自民党と民主党の政権交代の時期にあたり政治がまともな判断ができなくなっていた時期に重なる。さらに財務省と経産省からそれぞれ人が入っており(予算は財務省が出すが内容は経済産業省が管轄するという仕組みになっていたようである)意思決定の最終責任者が誰なのかということがよくわからなくなっていたということもわかる。

それでも省庁だけが管理していたのならまだよかったのかもしれない。ここに官邸の意向を気にした「国会担当の経済産業省の人」が入ってきたことで、経産省が一度決めたことが他の人によって覆されるということが起きたようだ。さらに、経済産業省から先に「異例のコメント」が出たことにより問題が収拾不能になった。

このことから窺い知れるのは、官邸+経済産業大臣はマスコミを通じて世論を作り相手を追い込んでゆくという宣伝主導のやり方に多分慣れきってしまっているのだろうなということである。もともと目的も意思決定者もはっきりしないのだから揉めるということは大いに考えられるのだが、これに世論誘導が加わると問題がさらに複雑になってしまうのだ。世耕大臣側は「自分たちはマスコミを操作できるのだからそれを優位に利用することは賢くて良いことなのだ」と思い込んでいたのかもしれない。そして、内政に関してはこの作戦がうまく機能しているのだろう。

世耕大臣の当初の目論見は成功している。数ヶ月のやり取りの中で一本気な田中正昭社長に嫌気がさしていたのだろう。世耕大臣ら官邸側は経済に疎く業務がわからないのだからファンド側を精神的に支配する必要があるが、実務では勝てないために「無理を言って屈服させること」で支配を試みる。これは前回みたいじめの構造に似ている。心ない言葉を投げかけて相手を支配しようとするのと同じことである。世耕大臣は機構側をいじめて「誰がボスか」を知らしめようとしたのかもしれない。

ただ、世耕大臣側は読み違いをしたと思う。恫喝が効果的なのは恫喝される側が村で生きて行かなければならないからである。しかし、田中社長らはグローバルに活躍していて日本の村に頼る必要はない。だから「ああ、そうですか」といって出て行ってしまった。

今回は日本型の「相手を恫喝して精神的支配を試みる」という習性を観察している。これが個人的な対人関係の不安から生じる場合もあるし、合理的に「相手より上に立たないと搾取支配される」という恐れだったりもする。いずれにせよ、日本人は閉鎖的な空間に慣れているので、こうしたやり方が効果的であることが多い。集団主義で年功序列がある場合にはそれに従っていればいいが日本はそこまで集団主義ではないので年功序列には頼れない。かといって個人の意見が尊重されるわけでもない。こういう極めて特殊で不安定な集団構造がありなおかつ閉鎖的な日本の空間では常に闘争に参加し勝ち続ける必要がある。

つまりこれは村の論理だ。一体どれ位規模のファンドかはわからないが世耕大臣はこれを村の論理で処理しようとして失敗したのである。

今回の件で日本の投資環境は極めて閉鎖的だということがわかった。これは国際金融という村に広まり誰も日本政府にコミットしようとは思わなくなるだろう。もともと前身である機構の失敗の隠蔽から始まった機構改革だったが、世耕大臣の稚拙で陰湿な村落的な「解決策」のために失敗が露呈してしまったということになる。