辺野古はレイプされている!と言い続けることの意味

先日立憲民主党が組織不全に陥っており来年の参議院選挙で自由民主党がそれほど負けることはないのではないかという予想を書いた。離反されるのかなと思ったのだが、意外と多く読まれていて「リベラルに期待してきたけど何か違うのでは?」と思い始めている人が多いことが伺える。




リベラル支持の人たちは有権者がバカで支持が広まらないか、マスコミや安倍政権の陰謀のために支持が広がらないという他罰的な文章を期待したのではないかと思っていた。だが、実際には他人のせいでリベラルが成り立っていないわけではなく「人の話を聞いたり協力体制を作れない」ことが停滞の理由になっているように思える。これは学校の先生に言われていたような当たり前のことである。

保守の人たちも人の話を聞かず既存のルールや合意を破りたがる。こうして他人に従いたくない人たちが「自分でルールを作って人を順わせればいいのでは?」と考えて政治に参加していると仮説するとこの惨状が説明しやすい。

安倍政権が傲慢でやりたい放題だという話と、リベラルが自壊してしまったという話は表裏一体に見えながらも実は別の事象なのではないかと思う。リベラルの側はいろいろと言い立てるのだが、実際には抵抗するために組織化しようという努力を全くしてきていない。

今回は辺野古の埋め立てが始まったということで「辺野古はレイプされている」という声がTwitterで渦巻いている。だが、これも自分たちが支持されておらず、満足な組織体が作れないという辛い現実を忘れるための道具になってしまっている。だが、表立ってこんな指摘をすれば「沖縄の歴史を忘れたのか」という悲しげな抗議の声が殺到することは目に見えている。レイプされているという被害者意識は実はこうした現実逃避効果を生み出しているのである。

リベラルの立場が疲れるのは、すでに分析したように安倍政権が日本の政治的ニーズに合致しているからである。それは嘘と誤魔化しだ。自民党は政権交代の時に総括と自己改革ができないままで民主党の敵失により政権復帰した。反省も総括もしていないので「再び自分たちがやりたいようにやればまた離反されるかもしれない」という潜在的な不安を抱えている。だから自民党の中には嘘とごまかしがある。特に政策に強いはずの”保守本流”の人たちは「自分たちの政策は有権者にまともに理解されない」という被害者意識と政争では喧嘩好きな保守傍流に勝てないという劣等感を持っているはずだ。

安倍政権側にはお互いに矛盾する要望を「虚の中心」である安倍晋三がまとめ上げるという基本構造がある。決定的な決断を先延ばしにしていた日本の社会は根本的には行き詰っている。いろいろな矛盾がぶつかり痛みを感じないためには安倍晋三という虚の中心が必要だった。

しかし、彼が何か意思決定するたびにつじつまが合わなくなるので、嘘や隠蔽が横行することになる。安倍晋三が嘘をついているわけではない。嘘をついているのは周りの人たちで、安倍は単に「自分は興味がないし知らない」と言っているだけである。だから安倍政権というおばけを追求すると疲れるのだ。

少し長いが森友加計学園問題についての有名な山本太郎の質問書をご紹介しよう。安倍はこの問題について「私は関係がない」と言い続けてきただけで嘘は他の人たちがついている。嘘を容認することに慣れきった社会では意外とこの壁が破れないわけである。

 平成二十九年二月十七日の衆議院予算委員会において、安倍首相は学校法人森友学園に対する大阪府豊中市の国有地譲渡等及び当該学校法人の小学校新設に係る設置認可(以下「本件」という。)に関する質疑において「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。」、また「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切この認可にも、あるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして」、さらに「繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」との答弁を行った(以下「首相答弁」という。)。
 以上を踏まえて、以下質問する。

また外国人技能実習生が亡くなっている件についても「亡くなられた例については、私はいまここで初めてお伺いをしたわけでありまして、ですからわたしは答えようがない」と同じようなことを言っている。この「知らない・答えられない」というのが実は難しい問題を考えたくない日本人の心象にぴったりと合致しているうえに、知らないと言われるとそれ以上のことが追求できなくなる。その上実はリベラルの中にも「でも外国人を犠牲にしないと介護人材が集まらないのでは?」などと思っている人がいるのだろう。だから、この数年間は「知らない」「いやそんなはずはない」という会話だけが壊れたレコーダーのように繰り返されるばかりで、具体的な改善策はどこからも出なかった。

確かに安倍政権はひどい。しかし、このままではまずいと本当に思うならリベラルが総崩れになったのは安倍政権のせいではないと考えるべきだ。自分たちの正当な思いが全く理解されていないのは社会の無理解と有権者のバカさ加減のせいだという独特の世界観を持ったままでは世の中を変革できない。英語にself-pityという言葉があり日本語では行き過ぎた自己憐憫などと訳される。

自己憐憫に浸るリベラルの人たちは「世間に伝わっていない」という話をよくするが、実際には世間はそれを見ている。呆れている人もいるだろうし、手を差し伸べたのに「お前は無理解だからわからないのだ」と逆ギレされた人もいるだろう。中には内部に入って「お勉強」を強要されて嫌になった人もいるのではないかと思う。自己憐憫に浸っている人は無関心な人を叩けないので、関わってきた人を攻撃してしまうのだ。

NHKが伝えないから、大人が悪いからと逆ギレすることで、リベラルは却って世間の支援を当ざけてきたのではないか。世間が遠ざかるとますます被害者意識を高ぶらせて「世の中にはこんなに悪い人がいる」と政権を叩くわけだが、実はその裏で組織化のための努力もしていない。だから口だけだと嫌われてしまうのだ。

Self-Pityは害悪である。第一に自己憐憫に囚われると相手のことを聞かなくなる。次に全てを差別のせいにしてしまうので、自分たちの組織力や実行力がないという問題が棚上げになってしまっている。大人は振り向いてくれないと怒ってみても世の中は変わらない。

集団主義も個人主義もない日本人は協力せず人の話を聞かない。単に自分の主張が伝わらないからといって相手を攻め立てて大きな声で叫び続ける。自分が勝ちたい人が多いので、相手を否定して我こそが正しいのだと政権を取ってみたが実際には実力不足で何もできなかった。こうなると、もう現実を逃避して自分たちが想像した空間に逃げ込むしかない。自民党は政府文書を隠したりなくしたり忘れたりすることで逃避を図り、野党側は沖縄の自然が破壊されるといって自己逃避をしているのだ。