日本人が国際的に非難される理由について考える

タイトルは大げさだがそれほど大したことを考察するわけではない。Quoraを見ていて慰安婦問題が国際的に非難される理由がわかったみたいな気がするというだけの話である。




Quoraで面白い質問を見つけた。日本では女性を性的に扱ったアニメコンテンツが多いというような内容だった。外国の人の質問らしい。これについて続々と反論が寄せられている。

よくこのブログでは「日本人は文脈にこだわる」というようなことを書くのだが、アメリカやヨーロッパにも文脈はある。この場合、「欧米に比べて人権的に遅れているので反省してはどうか」という言外の含みがあるのだろう。さらに東洋人の男性というのは全て女性を下に見ていて未だに隷属支配しているという思い込みも含まれていると思う。

ところが日本人(答えた人はほぼ男性だったが)はこの文脈がわからない人が多いらしく様々な回答を返していた。日本人は自分たちの文脈にはとことんこだわるのだが、他人の文脈には極めて無関心のようだ。

  • 確かにそうだがビジネスなので仕方がないという回答は人権を無視してビジネスにしていると捉えられる。金儲けなら何をしてもいいのかと非難されるわけである。
  • そんなことはないという回答は問題意識がなく疎い人だと捉えられる。
  • そうかもしれないが欧米だってそうだという回答は欧米の問題があるからといって日本の問題は正当化されないという反論を呼ぶ。たいていこのような質問をする人は欧米の状況も非難するはずである。

しかし日本人は他者の文脈的背景がわからないので、割と平気にこういう回答を返している。そしてみんながそのような答えになるのであまり違和感を感じないようだ。「日本人は全体として人権意識が低い」という印象を与えるのでかなり危険である。

ここから、組織が組織防衛に走る時にも同じような現象が起こるんだろうなと思った。このブログでは散々村社会が炎上する様子について観察してきた。我々は情報消費者として外にいるから、さまざまな体育系の団体や学校が「この問題は大したことはない」とタカをくくっている間に炎上している様子がわかるのだし「何故中にいる人たちはこんなことにも気がつかないのか」などと不思議になる。だがアニメ擁護議論を見ていると、こうしたことはどこにでも起こり得ることがわかる。

日本人の男性は駅売りのスポーツ紙に女性の裸に近いような写真が載せられていたとしてもなんとも思わない。そしてそれを女性から指摘されても「そんな小さなことに目くじらをたてるな」という。外国人から指摘されても同じようにいうのだが、これが場合によって炎上することになる。例えば伊藤詩織のレイプ事件はかなり重大な人権蹂躙だが、BBCが報道するまで「大した問題ではない」と思っていた人が多かっただろう。インサイダーは問題を過小評価してしまうのだ。

例えばインドではプロポーズを断った女性の顔を科学的薬剤で破壊するというような行為が起こる。これをインド人の男性が「そういうこともあるさ」などと回答すればかなり人権意識の低い国と見られかねない。もちろん、英語ができるインド人は欧米人がどのような眼差しで自国を見ているのかを知っているので「政治的に正しい」回答をするはずである。

この件について過小評価せずにきちんと「政治的に正しい対応」をするためにはどうしたらいいのだろうと考えた。つまり「国内的には大した問題ではない」という認識を持ちつつ距離をおいて「政治的に正しく」回答するためにはどうしたらいいのだろうか。

欧米で日本的なアニメコンテンツが問題視されるということを知るためには、まず欧米の人と直接会話したうえで、自国文化についてある程度客観的な説明ができなければならない。つまり、外との交流と言語化が必要なのである。

さらにそれに加えて「日本文化を否定されることは自分の恥になる」という一体化は避けるべきだ。例えば捕鯨の問題では欧米から非難されると「捕鯨は日本伝統の文化で」などと言い出す人がいるはずだが、その人がクジラ肉がないと生きて行けない人であるとは限らない。こうした一体化は思いもよらない反発を招きかねない。

Quoraは最近質問をテコ入れしており参加者が増えてきた。このためちょっとした国際摩擦を引き起こすかもしれないという面白い問題が生じている。Quoraはある意味教習所のようなところなので、問題はそれほど大きくはならないとは思う。だが、それを欧米的な議論だと思ってはいけない。同じような議論を公共の場でやると間違いなく叩かれる。

例えば従軍慰安婦問題で同じような主張をすれば非難されるはずだし、捕鯨の脱退問題でも同じようなことが起っているはずだ。日本人がこうした問題で国際的にうまく立ち回れなかったのは、多分自分たちの文化を客観的に見ることができていないからだろう。