所属集団と所有集団

国際捕鯨委員会(IWC)から日本が脱退することが決まったそうだ。これでクジラの肉が食べられる!と喜んでいる人たちがいる。




この件については国際的非難が予想されるのでリスクの高い判断と言えるのだが、いわゆる保守と呼ばれる人たちはそうしたリスクについてあまり関心がないようだ。人の目を気にし、リスク回避傾向の強い日本人としては極めて異例のことと言える。国内にいるとクジラを食べるのは当たり前と考えらているからだろう。つまり「みんながやっていることなので別に良いのではないか?」というバイアスが働くわけである。これは「ムラバイアス」だ。

例えば相撲界には「暴力は教育の一環である」というムラバイアスがあり暴力問題への対応が遅れた。最終的には公益法人格を返上してはどうかという問題にまで発展したために一転してガバナンスを強化するという方針に転じた。これも本当の意味で周辺が何に怒っているのかよくわかっていないからだろう。つまり理不尽に「怒られている」ように思えると説明や原因究明ではなく厳罰化に走ってしまうのである。実際に中にいる人たちが反省しているわけではないうえに、暴力のメカニズムも分析されていないので罰則だけが強まり暴力事件はなくならないだろう。

また従軍慰安婦問題では「どこの国の軍隊だって多かれ少なかれこういうことはあるだろう」というムラバイアスがある。しかし世界の軍隊は男女平等化が進んでおり女性の人権蹂躙は深刻な問題になっている。従軍慰安婦的なものを許せば女性兵士への乱暴も許容せざるをえない。例えばアメリカでは女性だけでなく男性も性的乱暴を受けることがあり問題になっている。だがムラに住む日本人はこうした一連の変化に気がつかないので、この問題を適切に処理できないわけだ。日本人はムラロジックには極めて敏感に反応するが、ムラの外には全く無頓着である。

考えてみれば、日本人がそもそもそれほどクジラ肉を食べない。冒頭でリンクしたBBCは冷静にこう書いている。

日本では海岸地域の住民の多くが捕鯨を数世紀続けてきた。しかし、クジラ肉の消費が急増したのは、クジラが食肉の主要供給源となった第2次世界大戦終結後だけで、最近数十年間では消費量が急減している。

https://www.bbc.com/japanese/46643430

かつては給食などで出されていたようだが、代用肉という印象が強く、決して美味しいものではなかった。さらに最近の人はそれすら食べたことがないのではないかと思う。この問題は「多くの日本人にとってどうでもいい」はずの問題なのだが、これに強く反応する人がいる。普通の日本人と何が違うのだろうか。

よく集団と呼ばれるが、所属している集団とは別に、強い力を持った集団がありそうだ。意思決定に関与でき、自分のアイデンティティに関わるような集団である。所属欲求は守られたいという欲求だが、これとは別の欲求があるように思える。これが所有欲なのではないかと思った。

アメリカ人は自分が勤めている会社をworking forと表現しour companyとは言わない。our companyでは経営していることになってしまう。この経営という概念は所有である。一方日本人は所属しているだけなのに所有欲求を持つことがあるのである。

この所属しているという感覚は悪用されることがある。アルバイトが仕事に所有感を持っている場合「自分の方がマネージャーよりも現場をよく知っていて」なおかつ「その仕事に責任感を持たねば」と感じることがあるだろう。これを悪用するとブラック企業ができあがる。やりがい搾取と呼ばれる現象である。クリスマスケーキを進んで自腹購入したり、アニメで名前がクレジットされるからといって請負契約で最低賃金以下の時給しか貰わないという現象になる。「やりがい」と言っているが実際には過剰な所属意識が利用されているわけである。やりがい搾取というのは偽の所有欲求を持たせるところから始まるのだ。アメリカのような契約社会では職場に所有欲求を持たないので、過労死レベルまで働いて現場という戦線を維持しようと考える人はそれほど多くない。

日本人が鯨食を擁護したいと思ってしまうのは、これも意思決定と所有欲求に関係しているのかもしれない。海外の人たちが勝手に「鯨食は野蛮だ」と決めていると感じた人は嫉妬心から腹を立てて鯨食を擁護してしまう。強い所有意識を持っている人たちはつい自分が屈辱されたと思い、あまり食べなくてもすむクジラを弁護してしまうのである。

もちろんこの所有欲求は日本だけの現象ではない。韓国では日本人が所有欲求を持たない「国」に所有欲求を持っている人たちが大勢いて、大統領の弾劾のためにデモに参加したりしている。日本人は国に所有欲求を持たないので安倍首相を政治から追放するのにデモをすることはない。むしろ国政に関心を持たない人が大勢いて、このことからも日本人が「所有欲求を持たない集団」に対して極めて無関心で冷淡な態度を取ることがわかる。公共を信じない日本人は何かが決定されたら自分は損をしないように動けばいいと考えており、それが結果的に全体の利益を損ねることになってもそれほどの抵抗は示さない。一方、戦争状態の国にとっては「自分たちの国は自分で守る」という意識を持たせるのは極めて大切なことであり、これが過度な所有欲求につながっているのかもしれない。

そう考えると、何かを自分の支配下におきたいという所有という概念には強い力があるのだということがわかる。他人を支配したいような人はこうした所有欲求をちらつかせて搾取を目論むのかもしないと思った。