厚生労働省の静かなるパニック

相対的善悪主義と原理原則主義について考えている。最近石破茂が「安倍首相は憲法第9条の改正案に就て説明すべきで、解釈によって振り幅が変わるのは良くない」と主張している(ロイター)ようだ。石破の主張は「原理原則主義」に基づく。




多くの日本人には原理原則主義が理解できない。原理原則にこだわる石破はしばしば「お堅い人」と呼ばれ、自民党内で敬遠されてきた。日本人が原理原則主義を嫌うのは、原理原則にこだわって結果的に損をしたら困ると考えるからだろう。

安倍晋三が好まれるのは彼が虚の政治家であり内心を全く持たないからである。彼の性格がよく表れているエピソードに野田佳彦との対話がある。赤字国債発行の是非などを問う選挙を提案した安倍だが、消費税増税に反発が強まっており「野田はこの時期にみすみす損をすることがわかっている提案」を飲むはずはないと感じていたはずだ。だから「それを受けない」ことを非難しようというシナリオを準備していたのであろう。野田がその提案を受けた時一瞬顔色が変わった。結果は誰もが予想していた通り民主党の大惨敗になり、そのあと政権を引き継いだ安倍は自民党が損をすることがわかっている定数削減を引き延し続けた。

だが、この原理原則にこだわらないという日本人のやり方には副作用が大きすぎたようだ。原理原則にこだわらなくてもムラが崩壊しないのは、お互いにムラビトが共通の認識を持てているからである。そのコミュニティの限界は人間の脳の限界からみちびきだせるという話がある。学者によって幅があるようだが、150名くらいのムラであれば「お互いの関係性」が捕捉できるという話(ダンバー数)が提唱され学者たちに支持されているようだ。もちろん日本社会はこれより大きいのだが、村の共同体が代表者を出してゆき階層構造ができている時は村のよりあいだけで管理することができる。一方、ダンバー数を超えた社会では他の統治原理が必要になる。

最近、厚生労働省の毎月勤労統計が間違った方法で統計が取られていたことがわかった。誰が何の意図で間違った方法を採用していたのかはわからない。が、これに対する対応がめちゃくちゃなのだ。最近「官邸の人民日報」になっているNHKでは報道が出てからすぐにフリーダイヤルが準備されたことが告知された。「わからないことがある人はここに電話をするように」というのだ。

ここまでをみると「実は官邸は首相が不在でなおかつ国会が開かれておらずさらに予算の再編成に間に合う時期」を選んで問題の沈静化を図ったように思える。とても用意周到なのだ。

ところが実際に電話をしてみると「平成16年8月以降の給付がすべて間違っており、1件あたりの追加給付額は1400円程度になるだろう」と繰り返すだけで、それ以上のことは何もわからない。例えば住所が捕捉できていない人にどうやって連絡するのかということもわからなければ、本当にこの1400円という数字が合っているのかということもわからない。オペレータは地方のパートの人たちで、上から言われたことを「とりあえず3月の末までやってください」と言われており、あとは報道か厚生労働省のウェブサイトで見てくれと繰り返すばかりなのだ。

そもそもこの問題がで始めた時、厚生労働省は「間違っていることは知っていたが、法律で出せと言われたから出しました」と言っている。つまり、担当者たちは罪の意識を感じていない。しかしながら、世間からの炎上が予想され選挙にも損なので早めに発表することを決めた。その時に問い合わせ番号が必要ということになり、番号を準備したのだろう。つまり、問題の良し悪しを区別する絶対的な判断基準などなく「結果的に選挙で損をしたら誰かが責任を取らされる」という相対的善悪主義の世界になっていることがわかるうえに、その対応もかなり場当たり的である。

そもそも、1400円という金額が出ているということはサンプルと全数の差がわかっていたということなのだが、検査はやっていないはずなのだから、全数はわからないはずだ。だからこの数字もデタラメであるという可能性があるということになり、数字が違っていたらまた炎上することは目に見えている。逆に、もしわかっていたとしたら恣意的に数字を作っているということになり組織的に対応していたということになる。さらに数字はわかっているのに今後の対応が話せないということは、公式に国会に承認されるまで本当はわかっている数字が確定できないということになる。

いつものように誰かが何か嘘をついているのだが、誰がどんな嘘をついているのか把握している人は誰もいないのかもしれない。もし誰もいないなら「みんなが一斉に散り散りバラバラに逃げている」ということになる。これは静かに見えてもパニックなのだ。こうしたことが起こるのは安倍首相が最終的に責任を取らないからであり、責任を取らない安倍首相を有権者が咎めないからである。

厚生労働省はいろいろな役所の寄せ集めであり完全に村になりきれていなかったのだろう。そこに官邸から圧力がかかり組織対応ができなくなってしまった。日本の村落構造が階層的なボトムアップでありトップダウンによる意思決定に極めて弱いことがよくわかる。

安倍首相が安倍首相的な憲法を決めるということは、憲法をなし崩しにして死文化させてしまうということだ。その方が官邸だけでなく様々なムラの自由度が増す。そしてそれは日本人が好む文化なのである。だが、それが成り立つためには重層的に構成された固定的なムラが必要なのだ。

冒頭に挙げた憲法第9条の問題と厚生労働省の混乱という全く別の問題のように見えるのだが、実は統治方法の選択という意味で共通点がある。

憲法より先に省庁が壊れてしまったのは、それが行政府の長である首相の管轄域だからだろう。たぶんこのままでは日本がどう国家運営をするのかがわからなくなり統治は崩壊することになる。しかも表向きは体裁が整っているが中がぐちゃぐちゃに崩れているという静かな崩壊だ。

ただ、今回の厚生労働省の問題は「失業保険を払っているのに国民が損をしている」という損得の問題に置き換えられてしまっている。結果的に損をしたからこれはいけないことだということになり、でも私はそれほど損をしていないから放置しておこうということになる。

しかし、物事がここまで混乱していても誰も騒ぎ出さない上に「ちゃんとした原則を決めよう」という動きも出てこない。たぶん、このままでは平成の次の世代は今よりももっと混沌とした状態になるように思える。