河野太郎というピエロはどうして表舞台に登場したのか

ロシアと日本の「外交交渉」について調べている。日本側は完全にロシアの手のひらで転がされておりそもそも「取り組み」になっていないようだ。




ロシア側のプーチン大統領はKGBのスパイだった過去がある。外国の状況を把握して寝技を仕掛けるなど朝飯前なのだろう。だから、日本が外交下手というよりそもそも相手が悪かったとも言える。プーチン大統領は東ドイツで国民を監視していたシュタージと協力していたことがわかっておりBBCの報道によると秘密警察の身分証が出てきたそうである。多分、日本が何を求めているのかも知っていたのではないだろうか。

一方、調べていて面白かった人がいる。それが河野太郎外務大臣である。河野さんが面白いというよりネトウヨ界での扱いが面白いのだ。いわゆるネトウヨ史観を産経新聞の記事で見つけた。

産経新聞の切り口によると河野太郎は「犯罪者の息子」である。慰安婦について軍の関与を認めた河野洋平談話が「外交史の汚点」と断罪されているのだ。ネトウヨ界にとってはあれは異種の自虐による屈服なのだろう。そこで「息子は違う」ということに価値がでるのである。産経新聞によると河野太郎は安倍晋三の集団的自衛権の問題に早くから支持を表明していたという。あの界隈の人たちが好きな「みんなが反対しているのに漢気を見せて早くから支持を表明する」というアレである。

この漢気のある河野太郎に父親の河野談話を覆させることはネトウヨ史観的には「過去の間違いを雪ぐ」ことになるのだろう。国として議長談話を覆すことはできないが、息子にこれを否定させることはできるという「イエ」の論理がある。近代国家の中に家族の物語を入れるというのがネトウヨ的な価値観なのだなあと改めて感心させられる。つい「極めて日本的」と書きたくなるのだが、考えてみれば父親が分裂させた善悪を再統合するというスターウォーズにそっくりだ。つまり、物語の元型になりそうな要素が報道という衣の下に隠れているのだ。

この記事の中には懸念も表明されている。官僚に対して威丈高だというのである。また、面白いことに外交の専門性や交渉能力の有無に対しては全く言及されていない。そうして、それらの懸念は全てスターウォーズ的物語の中で「なかったこと」にされてしまう。

このあとも産経新聞によると「父親と距離を置いている」ことが主に評価されているようだ。ここにネトウヨ的なマイノリティの扱い方の典型がある。例えば女性が極端に男性寄りの発言をすると「あの人は話のわかる人だ」ということになる。杉田水脈議員とか櫻井よしこなどは勇ましい発言が世間から非難されるたびにネトウヨ界のスタアの階段を上がることになっている。女を捨てて男の立場を補完すると「男性の側」が矢面に立たなくて済むので便利なのだろう。同じように河野大臣の場合も「戦犯の息子」であるからこそ利用価値が生まれるという屈折した事情があるわけだ。

こうしたことは周囲が勝手に思っていることなので、本来は河野さん本人には関係がない。問題は河野太郎さんが個人として本当はどのようなポジションを持っているかということだ。ただ、反原発の姿勢も表明しなくなってしまったことからわかるようにそもそも彼自身が何をどうしたいのかという意思はないのかもしれない。彼には「世襲として政治家以外の人生がない」のだから、自分の内心など持ってしまっては大変なことになると考えている可能性もある。

改めて恐ろしいなと思うのは、国としての一貫した姿勢が必要とされる外交交渉で「一貫した内心など持っては危険だし、そんなことは考えないようにしよう」と考えて周囲の期待通りに動いていた人が「目の前にニンジンをぶら下げられて」諜報部員経験がある人と対峙するという事態である。同じ人たちが通商交渉なども行っているわけである。

だが、スターウォーズ的な物語に夢中な人たちは、プーチンは倒すべきボスキャラなのだと信じることでこうした懸念を全て吹き飛ばしている。「我々は正しい国なのだから正義がもたらされるだろう」というネトウヨ的な集団思考があるのではないかと思う。

この記事を読むと、産経新聞とその読者は国際社会や議論といった捉えどころがない複雑な変化は扱えないのではないかと思った。彼らは、たんに気に入らない過去を自分たちが知っている物語に従って純化したいという欲求だけで現在進行形のニュースを編集しているのではないだろうか。つまり、ネトウヨは過去に生きているのだと言える。