都立町田総合高校SNS炎上事件とルールの相対化

QUORAで都立町田総合高校事件に関する質問があった。そこで背景を調べていたのだが、社会が根底から破壊されそうな構造があり面白かった。キーワードはルールの相対化である。




事件は先生が生徒を殴っている動画から始まる。当然「暴力はいけない」ということになり先生が処分されるのだが、後になって先生が嵌められたことがわかり、生徒は罰しないのかと騒ぎになったという事件である。背景にあるのは「こんなことがまかり通れば学校教育が成り立たなくなる」という世間の焦りだろう。「最終的に誰が悪いのか」という話になるのだが、今までのスタンダードを当てはめると生徒を罰することができない。認知的不協和が発生するのでコメンテータにあれこれ言わせているのだ。

これを定型化すると「結果的な不都合(社会秩序が破壊される)」を防ぐために一般的なルールを作ろうとすると、その他のルール(この場合は体罰は絶対にダメ)とコンフリクトを起こすという問題になる。ルールは「秩序維持のために誰かを罰するためにある」ということと「結果から逆算されてルールを設定している」ということが重要だ。

普段、経緯から逆算してルールが作れるのは、我々が固定的な社会に住んでいるからである。つまり、だいたい村で起こることは決まっているので、その場しのぎのルールを作って見せしめ的に罰すれば、だいたいそれで賄えてしまう。だから、村落社会には民主主義のような面倒で一般的なルールは必要はなく、経験的にたいていのことは処理ができるのだ。

しかしながら、今回の事件ではこれが成り立たなくなっている。随分と「枠」が揺れているのである。第一に学校が合併してできているという事情がある。さらに学校内だけで判断していたのに、SNSによって枠が拡張されてしまったという事情もある。

テレビの報道では学校名がわからなかったのだが、この学校は偏差値的に公立校の中位からやや下にある学校のようだ。そこで同じような事件を思い出した。このブログでも暑かった大阪府の懐風館高校だ。こちらも複数校の合併によって新設された学校だったのだが、茶髪の生徒を黒髪に染めさせたとして裁判になった。

懐風館高校の場合、学生の品位を守りとにかく就職させることが学校の目的になっている。しかし先生たちも「上位校に行けなかった」人たちなのであまりやる気がない。だから、生徒に基本的な価値観を教え込んで品位を守らせようとはしない。そこで体裁だけを整えて品位を守らせようという「学生のモノ化」が始まる。そこでもともと髪の毛が茶色かった生徒を「一般的な規格品」として黒髪にしようと「品質管理」を試みて裁判になった。その子は最初から髪の毛の色が明るかったのだ。

ワイドショー(フジテレビ)によると、今回の町田の学校の騒ぎの元々は「生徒がピアスをしている」ことにあったようだ。先生たちは「あの子は病気である」として笑い者にしていたが生活指導の先生だけが熱心にピアスをやめさせようとしていたということだ。もともとルールはあったが先生たちもそれを守らせられるとは思っていなかったということになるだろう。この生活指導の先生は「ルールだからとりあえず守らせよう」として「つい暴力に訴えてしまい」「それをSNSで拡散された」ということになる。先生がルールを信じていないのだから、実はルールは守るべきだという原則もかなり揺らいでいる。ワイドショーで安藤優子はこの点を指摘していたがなんとなくスルーされていた。

明確に説明もできないし守らせる気すらないルールで組織を統治することなど不可能だし、有害である。

生徒の側は「社会のルールというのは誰が見るかによっていかようにも変わってしまういい加減なものなのだ」ということをありのままに受け入れてしまっている。学校という閉鎖空間であれば隠蔽可能だがYouTubeなんかに流して騒ぎになれば大人たちは屈服させられるということも知っているのだ。だから彼らは動画を拡散して相対化したルールを破壊した。今後この学校では咎められなければ何をしてもいいが、見つかったら怒られる。でもSNSで炎上すればルールそのものがどうでもよくなるという、新しい秩序のもとで運営されることになるだろう。別の言い方でいうと学校は無秩序状態になるだろう。

その背景にあるのは「校則などと言っているが、誰も納得させられる合理的な理由付けはできないし、先生たちもそんなものを信じていない」というニヒルな感覚だろう。そして炎上を引き起こした学生の向こうには、ルールには大した意味もないが面倒なのでとにかく従っておこうと考える人たちがいるのではないか。これが偏差値中位の「普通の日本人の感覚」なのだ。

この事件を防ぐためには都立高校から「ピアスなどせずに学生らしく振る舞う」という実行不可能な校則をなくしてしまうしかない。結果的に就職率は下がるかもしれないが、それはもう受け入れるしかないだろう。実行できないルールは組織を破壊する。

町田のケースはとても極端に見える。だが、彼らが荒れては見えるが偏差値的に中位である。つまり、社会のルールというのは形骸化していてずるく振る舞えば乗り越えて行けるのだという了解は意外と根深く存在するかもしれない。そう考えてくると安倍政権が支持される理由も見えてくる。誤魔化せるなら嘘をついても構わないという価値観はかなり広く浸透しているのだろう。