根本厚生労働大臣

昨町田総合高校の事件について見ながらインターネットの国会中継を聞いていた。途中で公明党の議員が怒り出し、立憲民主党の議員が「調査がお手盛りである」ことについてチクチク追求するところくらいまでを聞いて、だんだん怒りが収まらなくなった。だが、その怒りが落ち着いて感じたのは「恐怖」の感情だった。この恐ろしさは誰にも伝わらないのでは?と思いながらこのエントリーを書いている。




今回観察しているのは、日本人の内心のなさと意思決定プロセスの関係である。日本人は閉鎖的なゼロサム社会を前提にした損得勘定で生きているというような絵を描いており、村を保存するためには内心を持たないようにしているのではないかという仮説を検証している。日本人は、枠組み(村)が与えられるとその中で損得勘定ができるので「正しい判断」ができるのだが、枠組みがなかったり揺らいだりすると判断ができなくなり、問題に対する興味そのものがなくなってしまうというのは、かなり確からしいと思う。

この例として挙げたのが、前回までの一連の事件である。大分の村八分裁判は「外から民主主義という別の判断基準が処理できなくなった村が異物を追い出すという「反応」の話だった。水を抜いて、村八分にして追い出してしまうという意味で免疫装置に似ている。だがこの免疫装置は村の外の民主主義社会では受け入れられないので裁判担っているわけだ。北方領土の問題は「どの島が戻ってきて、どれが自分にどうトクになるかわからないから賛否が決められない」という問題だった。安倍首相は自分で議論のフレームを作れなかった。とても情けなく見えるが、プーチン大統領は問題のフレームを「さっさ」と作り上げ、相手の弱みを調べた上で交渉を有利に進めることができた。さらに町田の高校では「何のためのルールかよくわからないがとりあえずやってはいけないことが決まっていた村の掟」が「SNSに拡張された瞬間すべて無効化されてしまった」という話である。これは村を前提にして意思決定を組み立てている日本人にとっては脅威なのだ。

今回の話はそれの最たるものになっている。有権者の代表である国会議員たちは「統計というのは国の基礎なのでそれは正確に誠実に作られなければならない」という価値基準を持っているか、あるいは信じていないにしても国民の素朴な心情を代弁している。ところが、厚生労働省の役人や根本厚生労働大臣の話を聞いているのとなにかが変なのである。彼らがロボットのように見えるのだ。

厚生労働省の人たちは「何がいけないのかまったくわかっていない」様子がある。彼らは誰がどこまで責任を取らされるかわからないし、世間がどう反応するかわからないからとりあえず腰を低くして問題を小さく見せようとしている。彼らはこれを厚生労働村の問題と見ていて、それが外からどう見えているのかをまったく気にしていないのである。

根本厚生労働大臣はその意味ではぶっ壊れている。彼は大臣なので「問題解決を主導して間違いをただす」ことが期待されているはずである。だが、彼の口から出てくるのは「調査していただく」という受け身の言葉だけだった。根本さんは自分が何を期待されているのかがまったくわかっていないように見える。が、これは根本さんが自分の役割をきちんと把握しているからこその反応なのだと思った。つまり、選挙に勝てるように問題の防波堤になれと言われているのだろう。

今回の件は彼が主導したことではないので「隠している」という罪悪感はない。そして国の統計についてはどうでもいいと思っているのだろうから、そこにも罪悪感を感じていないようだ。新聞で活字になると消えてしまう情報なのだろうが、国会のネット中継からはその様子がありありと伺える。国の統計は信頼できるものであるべきだという期待を持っている人から見ると、それがとても異様に見えるのである。

根本さんが単なるボンクラではないことは彼の行動からよくわかる。他の会議には出てきていた資料が立憲民主党には提示されていなかったようだ。つまり、根本さんは「選挙にトクになるかソンになるか」ということはとてもよくわかっている。彼が一番やらなければならないことは立憲民主党に追求のチャンスを与えないことであって、統計の信頼回復などどうでも良いのである。

このように内心がなく、すべてを損得でしか考えられないような人たちに問題解決は無理だ。すると「損をしてもらう」しかないわけで、そのためには炎上なりなんなりさせて支持率を落とす以外にないということになってしまう。これは民主主義の放棄であり言葉による暴力である。が、これしか選択肢がないというところに日本の政治が抱える恐ろしさがある。

しかし本当に恐ろしいなと思ったのは社会のこの件に関する取り扱いである。「何が正しいか」ということをみんなで考えるのではなく「とりあえず今勝つことができればそれでいい」という例もいくつかすでに観察しているので、この「とりあえず今勝つことができればいい」という考え方が社会に浸透しているという観察結果がすでに出ている。アンケートで「嘘をついてもいいか」を聞くと「それはダメ」という答えが圧倒的に多いのだが、皆本当にそれを実行しているのだろうかというくらいのところまで考えたところで、とても恐ろしくなった。これも嘘かもしれないではないか。

国家は嘘をつくべきではないと考えている私は異常な人間かもしれないのだ。