多様なものに囲まれると居心地の悪さを感じる「頭の悪い」人たち

最近、多様性について考えた。「社会は多様性を受け入れるべきである」というと賛成する人は多いと思うのだが、果たしてそれが実践できるのかという問題である。これについて考えていて「保守派の人は頭が悪い」という結論にたどり着いた。




だが、この保守は頭が悪いというフレーズをコピペしてRetweetする前に以下の文章を読んでいただきたい。もし、これがわからなければあなたも保守脳の持ち主である。

ここでは、多様性の受容とは「すなわち自分が理解できない他者をそのまま受け入れる」ということを意味するとする。ここに危機意識を感じる人がいるのではないかと思った。

例えば、全く理解できない外国語を話している人たちが大挙して隣の席に座った時「この人たちが襲ってくるのではないか」と考えることがある。外国語の中には和やかに聞こえないものもある上に、そもそも理解できない言葉には警戒心を持つのは当たり前のことだ。外国人が安全に思えるのは言葉の意味そのものが理解できないにせよ、ああこれは韓国語なのだとか、中国人が声をはりあげるのは普通のことなのだという予備知識があるからである。わかると警戒心は薄まる。わからないと心の中のアラームは鳴り続ける。

外国語は複雑さの例だが、実際にはいろいろな複雑さがある。例えば同性婚もそうだし、外資系企業の企業文化もそうかもしれない。複雑さが認知できないと、恐れが憎しみに変わるのではと考えたのである。

そこで調べてみたところ非常に短い文章が見つかった。多様性を許容するリベラルな人は他人への理解度が高く、保守の人ほど恐怖に関する領域が強く働いているという傾向が見られるというのだ。つまり、複雑さが理解できるというパラメータと恐怖心を持つというパラメータは別だということだ。ここでは保守とリベラルという二つの傾向を抽出しているのだが、実際には4つの異なる人たちがいる可能性があるということになるのかもしれない。

脳の特性で「決めつける」ような研究には一定の危険性があると思う。「これまで、一定の心理的特性でその人の政治的志向を予測できることは知られていた。政治的志向を脳活動と関連付けた研究はあったが、脳の構造と結びつけた研究は今回が初めて」とも書かれているので、心理性をそのまま脳の特性と決めつけるのはよくないが、今回はそうした傾向が見られたということになる。

これとは別に、リベラル脳は複雑性への対応能力が進化の結果であるという研究結果もある。こちらでははっきりと「あたまがいい」人が「複雑な状況に対応した結果」がリベラルさだと言っている。

つまり、保守的な人というのは「複雑さに対応できない頭が悪い人だ」ということになる。頭が悪いので複雑な状況の処理ができないというわけだ。そこで情報を刈り込んで陰謀論に近いようなストーリーを組み立てたり、物事を白黒で判断したがるのではないかと思いたくなる。

ただ政治的指向性と知能を関連づける研究には批判も多いようだ。このリンクではIQテストとカナザワ氏が考える「頭の良さ」は必ずしも相関性がないのではないかという批判が紹介されている。

この二つの論文の紹介からわかるのは、どうやら複雑さの理解ができないことが保守的な傾向に関係していることは確かなようだが、それがなにに由来するのかということはよくわかっていないということになる。そして「複雑さに対処できない」ことを「頭が悪い」と規定すれば、保守派は頭が悪いということになるのだが、必ずしも入試で良い点を取れないというような意味ではないということにもなる。

いずれにせよ、保守と呼ばれる人たちの単純な思考の組み立てを見ていると、複雑さの処理に困難を覚えている人や自分のもっている概念を更新することに著しい困難さを覚える人が多いということはよくわかる。安倍首相の政治概念への理解度の低さや対人能力の低さなどを見ると、彼が複雑さに対応できていないことは明白だ。彼は民主主義の仕組みについてもよくわかっていないし、米・中・露・韓・朝鮮の変化にもついて行けていない。

だが、彼は同時に複雑さが見えないので、物事を単純化する能力を持っているともいえる。複雑さに対応できる人は複雑さをそのまま扱うので情報を刈り込むことなく他者に伝える。いわゆるリベラル勢力の主張が広がって行かないのはこのためだろう。彼の言っていることの方がよくわかると感じる人が多いのだ。