首相のコラ画像が逮捕案件になるまで – 集団思考で独裁化が進む

著作権法が変わるそうだ。朝日新聞によると文化審議会で答申がでてこれから国会審議が始まる。これについて「そのうち首相のコラ画像を作ったら別件逮捕されてしまうかも」とつぶやいたら反応があったので、考えるところを書いてみたい。




まず、津田大介の一連のつぶやきからご紹介する。例外から始まって厳罰化が進む過程がよくまとまっている。

津田によると、もともとは音楽・映画の要請から始まったようである。実はこの業界は著作権の管理が一番進んでいる業界だ。特に音楽はJASRACが著作権をほぼ独占的に管理してきた。インターネットが出る前は、レコード会社にきっちりと報告をしてもらい、流しっぱなしの放送と一括契約を結び、あとはカラオケ店や結婚式場を見回って「著作権警察」をしていれば音楽の著作権料などが管理ができた。だから音楽業界はインターネットが出てきたときにはそれを否定し、自分たちが時代から取り残されているぞと気がついた時、それを規制したいと願ったのである。配信業者が規制できないということがわかったので、今度はユーザーを罰したいと言っている。

元々が自己否認から始まっているので実効性がなく、そのためにどんどん厳罰化だけが進んで行くのである。

AKB48ができたのが2005年だそうだ。CDが売れないという時代があり、音楽の楽しみ方が配信とイベントになってきていたという時代である。AKB48は投票権というイベント参加券がメインでCDがサブになったというエポックメイキングな出来事だった。パッケージからイベントへ、つまりモノからコトへという流れは今でも続いている。日本も確実にサービス産業が先導する経済に変わりつつあるのである。

CDが売れないなどと言われているが、音楽の楽しみ方は多様化している。日経スタイルによると実は東方神起は年間で128万人もの人たちを動員している。不況だと言われているのだが、実は2000万人以上がコンサートを楽しんでいるそうだ。モノからコトへの移行が進んでいることがわかる。

セールスとは対照的に成長を続けるコンサート市場。18年上半期の動員数は約2084万人と、前年同期と比べて約5%の伸びを見せている(コンサートプロモーターズ協会調べ)。日経エンタテインメント!では、既に18年に行われたコンサートと、年末までのスケジュールが発表済みのもの(10月上旬時点)の会場収容人数を合計し、各アーティストの「年間コンサート動員力」を算出、ランキングにした(詳しい調査基準は文末の囲みを参照)。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO38332660Z21C18A1000000?channel=DF010320183446

インターネットの爆発的な普及によって、モノはコトへの導入としての役割を持つようになった。さらに、モノに依存しないで売り上げを伸ばすことも可能になりつつある。YouTubeで無料配信し知名度の普及を図ったK-POPは大成功し、日本のチャートにも韓国語の歌がそのまま流れるまでになっている。彼らは日本のみならず海外にでかけてゆき大規模なイベントを行う。そして、事務所単位で興行を行いイベントと物販で資金を回収するのである。

ネットで遅れていたジャニーズでさえも滝沢秀明を筆頭にネットとイベントを中心とした新しいビジネスを始めるようだ。新しい会社であるジャニーズアイランドは、ジャニーズがイベントを行う時のブランド名のようだ。ジュニア名義のYouTubeチャンネルも更新が盛んになっている。ジャニー喜多川は今までのビジネスを旧世代に任せ、新しい時代に適応できる若い後継者を選んで新規ビジネスに参入している。

日本人は「自分たちのものは自分たちで囲い込みたい」という意識がとても強いのだが、新しい世代に経営を任せれば十分に克服は可能だ。問題なのは古い世代の人たちがいつまでも昔のビジネス形態を懐かしんでいるという点である。彼らはネットを憎んでいる。テレビは買い占めらるが、ネットは買い占められないからである。そして、自分たちができないことをやろと政府に泣きつくのだ。

こうした違いを「オープン戦略」と「クローズ戦略」という。全てを囲い込むのがクローズ戦略だ。かつてはいかに囲い込むかが重要だ他のだが、最近の日本はこれで軒並み失敗している。一方でオープン化で成功しているのが中国や韓国だ。先日見たように中国家電はスマホと連携することで「コストの切り捨て」を図っているのだし、韓国は宣伝をインターネットのファンたちにアウトソースしていると言える。コントロールできないなら協力すればいいのだ。

本が売れない、音楽が売れないとなった時、「自分たちが時代についてこれていない」とか「高齢化している日本市場にだけ頼るのは限界があるのでは」と考えるのは難しい。それよりも「無断でスクリーンショットを撮影する人が悪い」と逆恨みしたほうがラクなのである。そして、時代について行けていない人ほど政府に頼って「国の力でなんとかしてほしい」などというものなのだ。書籍・出版・新聞・テレビ・レコード会社という旧体制の人たちが新しく飛躍しようとしている人たちの足を引っ張り「自分たちを置いて行くなら罰してやる」と言っているのが今の日本である。

多分、違法ダウンロードを禁止したりスクリーンショットを規制しても、本やパッケージソフトが売れるようにはならないだろうし、新聞の購読者も戻ってこないだろう。だが、彼らはそれを認めないし認めたくない。

さらに日本の著作権管理はかなりいい加減であり文書ではなく口頭で著作権のやりとりをしているケースが多くある。樹木希林さんはマネージャーがおらず、権利処理が面倒なので「二次使用もファンの撮影も好きにして」と留守電に吹き込んでいたというのは有名な話だ。こうした口約束の世界を非親告罪化してしまうと、そもそも権利処理が確認できないというケースが続発するはずである。音楽の世界の常識がテレビで通じないということがあり、さらにこれに漫画やフィギュアの二次創作(宣伝のために著作者が黙認したりしている)などの「さらにいい加減(あるいは柔軟)な」人たちが入ると、話はぐちゃぐちゃになってしまうだろう。

こうして国に厳罰化を頼む人が増えるほど、お互いを縛りあうようになり、さらに萎縮が進む。有料配信の新聞記事は読まれなくなり無料のものが引用されるだろう。テレビの歌番組がなくなりつつありYouTubeに音楽コンテンツが溢れる今となっては、日本の歌そのものが忘れられてしまうかもしれない。

もちろん厳罰化を要求された政府が初めから人々を支配したがっているとは思えない。だが、自分たちの失敗を隠蔽するために独裁傾向を強めることはありそうだ。

最近、菅官房長官が東京新聞の望月衣塑子記者を念頭に「あんな質問をさせるな」と記者クラブにねじ込んで問題になった。確かに望月さんにも問題はあるのだろうが、国会でこれを質されて半ばキレ気味に自分の主張を述べていたのをみて「こんな気の小さいおじさんが官房長官なんだ」と思った。調整できないから政府でなんとかしてほしいと言い続けて、政府に強すぎる権限を移譲しても、実際に対応するのは交渉もろくにできない首相と気の小さい官房長官である。日本人は全体的に調整ができなくなり国になんとかしてくれと求めるわけだが、国は国で現業が何をしているのかわからないのでこのようなことが起こるのだろう。

安倍首相は菅官房長官を弁護するつもりなのか「内閣の一員がわざわざマスコミ対応してやっている」と言っていたが、そもそも権力者が記者たちに「情報を教えてあげる」という意識そのものが危険なのであり、コミュニケーションのプロである広報官を立てる方が理にかなっている。だが、そんなことを安倍首相に言っても彼は全く理解できないだろう。

恒例の経営者たちが経済から取り残されてしまうとジリ貧になった人たちが権力になきつき、それが結果的に独裁を生んでしまうかもしれないというのはなんだか情けない図式である。が、リーダーが責任を取りたがらない日本ではこうした集団思考による情けない形で独裁が進行するのかもしれない。気がついたら何もものが言えなくなっていたという時代になっている可能性があるということになる。