実は問題が大きい橋本聖子JOC副会長の「五輪の神様」発言

橋本聖子JOC副会長がオリンピックについて「ガバナンス、コンプライアンスで悩んでいる場合じゃない」といったことが物議を醸している。これはとても問題が大きいと思う。桜田大臣の「五輪憲章を読んでいない」よりも問題が大きい。




これについてQuoraで聞いたところ「超法規的措置を望んているのでは」という指摘があった。問題の本質を一番ついている発言だと思った。つまり、オリンピックは特別神聖なものであり、ガバナンスやコンプライアンスなどの細かなことに煩わされてはならないと考えているのだろう。JOCは現代の関東軍になったのだ。

戦前の関東軍は単独で無謀な戦争に独断で突入してゆくのだが、必ずしも日本をめちゃくちゃにしてやろうとは思っていなかったはずだ。むしろ、彼らは一貫して自分たちの行動は日本を守るための聖なる戦いだと感じていたはずである。戦前の二大政党制の元で議会は機能せず経済復興のための具体的なアイディアが出せなかった。そこで国民とマスコミは具体的な成果を出していた陸軍を支持し、軍も議会を無視し内閣を恫喝し続けた。

軍が崇高な目的を持っていたことも、具体的な成果を挙げたことも否定はできない。しかし、最終的に日本国民を巻き込んだ破滅の道を突き進み、国民をコマとしてしか認識できなくなってしまう。今、オリンピックで同じようなことが起きていることは、桜田大臣が「スター選手が病気になったらオリンピックが盛り上がらずに困る」と発言してしまうことも明らかである。裏ではもっと露骨な利権確保の動きがあるのだろう。蓮舫議員の一連のTweetを見るとオリピック予算の適正化を要求しても全く反応が返ってこないらしい。オリンピック利権に絡んでいる放送は一貫してこの問題を無視し続けている。

ガバナンスやコンプライアンスなどという「些細なことに囚われていては成果が挙げられない」という橋本副会長の止むに止まれぬ気持ちは本物だろう。だが、それはとても危険な暴走が始まっているという証拠にしかならない。彼らはすでに正気を失いつつあるのだ。

こうした歪んだ信仰心は自民党が政権を失い国家神道と結びついた時に生まれたものだろう。「自分たちの特権が失われた」と信じている国家神道の信奉者たちは「日本という特別な国」は国際的なルールや個人のわがままに過ぎない民主主義に拘泥されるべきではないと考えている。

失われたという怒りが人々から合理性を奪ってゆくという例は何も日本にのみ見られる現象ではないだろう。例えばトランプ大統領はメキシコからの移民がアメリカを滅ぼすと信じて国家非常事態宣言を出した。壁さえ作ってしまえば軍事費や麻薬対策費が必要なくなるという考えから対策予算を壁に振り向けようとしているようだ。これも「彼なりの正義感」の表れなのだろう。しかし、壁を作って国境を塞いだとしてもアメリカの諸問題がたちどころに解決することにはならない。トランプ大統領と支持者たちは正気を失いつつあるが、アメリカの民主主義にはセーフティーネットがいくつかあり法廷闘争へと持ち込まれようとしている。

ベネズエラの経済も大混乱に陥っている。このニュースを聞いた人は「マドゥロ大統領がさぞかし贅沢な暮らしをしてベネズエラを搾取しているのだろう」と思うかもしれない。しかし、ベネズエラの経済がめちゃくちゃになってしまったきっかけはむしろ正義感なのだ。金持ちに搾取されていた石油の儲けを国民に還元するというチャベス大統領の政策が後継のマドゥロ大統領に引き継がれたころから話がおかしくなったようだ。彼らも資本主義の面倒な仕組みを理解しようとしなかったことで、最悪の結果をもたらしつつある。

プロジェクトが大きくて難しいほど携わる人たちは「自分たちは良かれと思って崇高なことをやっている」と感じる。「崇高な闘争」に突入する過程で「神の崇高さ」のようなものを感じることがあり、それが全体を巻き込んだ破滅に至る場合もあるということである。人間の闘争本能は時に暴走するのである。

日本的ポピュリズムがそれほど過激に燃焼しないのは、左派的ポピュリズムに傾倒しそうなパヨクと呼ばれる人たちと失われた怒りを持っているネトウヨと呼ばれる人たちが別のセグメントを形成しているからだろう。神を持ち出してくるのはネトウヨ側だけだ。

現在の自民党政治の大元にあるのは被害者意識である。自民党の憲法草案はすでに「自分たちを政権から追い落とした天賦人権は憎い」というところまで来ている。これは安倍首相の言う悪夢の民主党時代に作られた。結局この一連の流れは「なぜ自民党政治が行き詰ったのか」ということを反省せず自らは自己憐憫に浸ったところから始まっていることになる。現在、国家プロジェクトは超法規的に行われるべきだと主張するところまで来た。次に来るのは神に選ばれた自分たちは選挙の洗礼を受けず国家を指導すべきだという狂った政治観だろう。そのためには統計を歪めて嘘をついても良い。なぜならばそれは正義の闘争を勝ち抜く正義の嘘だからである。

いずれにせよ次から次へと聞こえてくるオリンピック関連のデタラメな発言は、彼らが世間と決定的にずれ始めていることを意味していると思う。まともにオリンピックをやりたいなら外部から社会を知ったまともな人たちを連れてくるべきであろうし、それができないならオリンピックはやめるべきだ。だが、被害者意識から視野狭窄に陥っている人たちにこの声は届かないようにも思える。