アメリカは児童虐待にどう立ち向かってきたのか

野田市の栗原心愛さんの事件が早くも風化気味である。ブログなどのページビューを見ているとそのことがよくわかる。




与野党共に選挙のことで頭がいっぱいになっているのだろう。特に野党は「なんらかの失政を捉えて与党攻撃につなげたい」ので次から次へと様々な「問題」が出てきては積み残しになってしまっている。ページビューの推移を見る限り、有権者はこうした状況に疲れていると思う。いつまでたってもどこにも出口が見えないからである。

そんななかQuoraで「アメリカでは殺人として扱われるケース」がなぜ虐待にしかならないのかと憤る人たちがいるのを見つけた。どうやらアメリカは児童虐待についての法整備が進んでおり、例えば車に児童を放置したり送り迎えがしないだけで虐待とされるケースもあるのだという。野田市のケースも「殺人事件として立件される可能性が高いのでは?」というのだ。また、里親制度も充実しており日本の立ち遅れぶりがよくわかる。

ただ、こうした声は昔からあるようだ。少し検索してみたら「アメリカが羨ましい」という現場の声はかなり見つかった。アメリカは社会が子供を育てるという意識が徹底しているという。

大いにあります。極端に言うと、アメリカでは「子どもは社会のもの」と考えられているため、社会が虐待に積極的に対応する。しかし、日本では「子どもは親のもの」といった考えが根強く、他人の家庭には口出ししない風潮がある。

http://www.jinken.ne.jp/flat_special/2001/10/post_6.html

問題の根底に日本人の「子供」に対する考え方があるのがわかる。つまり必ずしも政府が悪いわけではないことになるだろう。

では、アメリカが最初からそうだったのかといえば必ずしもそうではないらしい。どうやって法整備を進めてきたのかということがわかれば日本でもヒントになるかもしれないと思って調べてみた。アメリカの法整備の大体の流れは国立国会図書館のPDFで読むことができる。実は日本政府にもこの辺りの事情を研究している人たちはいるのである。ただ、なかなか政治(つまり選挙)のアジェンダに乗りにくいのだ。

児童虐待に関するアメリカの法手続―フロリダ州を例にして― (山口亮子)という別の論文には次のように書かれている。

アメリカの児童虐待・ネグレクトの歴史はさほど古くはない。1962年に小児科医のケンプ医師らによる「被虐待児症候群(Battered Child Syndrome)」の発表により、児童虐待・ネグレクトの現実を世に知らしめたことで、その認識が高まったといわれている。そして、1974年に、児童虐待・ネグレクトに関する初めての連邦法である「児童虐待防止と対応法(Child Abuse Prevention and Treatment Act= CAPTA)」が成立し、児童虐待の定義、通告義務および児童虐待の調査・手続きに関する規定が置かれた。1988年の改正で、合衆国保健福祉省が全国のデータを回収し、プログラムを分析す る任務が指示された。

児童虐待に関するアメリカの法手続―フロリダ州を例にして―

もともとアメリカにも「親が子供をいじめることなど考えられない」という考え方があったのだろう。この背景にはアメリカの核家族化があるのではないかと思う。リースマンが「孤独な群衆」を書いたのは1950年だ。アメリカでは戦後すぐに社会の粒状化が始まり、密室化した家庭の虐待を働く親が出てきたのかもしれない。人間の歴史において「村が共同で子育てをしない」という現象が出てきたのはつい50年か60年ほど前の出来事なのである。日本も遅まきながらこれに追随していると言える。

時代背景も特殊である。ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任する頃と重なる。選挙で選ばれたわけではない副大統領のフォードが大統領だった時代にようやく児童福祉についての対策も練られ始めた。しかし、フォードはウォーターゲート事件をもみ消そうと関係者を恩赦してしまい、うんざりした国民は民主党のカーターを大統領に就任させる。

カーターは共和党の政策を否定するためもあり大胆な福祉政策を実行したのだろう。例えば「アメリカは支援国に人権順守を誓わせる」という人権外交が行われるようになったのはカーター大統領の時代だそうだ。また教育省もカーター大統領が創設したのだという。

つまり、児童福祉は諸改革の一環だったことになる。背景には政治や経済の行き詰まりと社会変化の同時進行があるということである。だが、この後の歴史を調べると改革はやがて行き詰まるということがわかる。そもそも改革の必要性が叫ばれるのは政治や経済がうまくいっていないからであり、改革政党はその結果がでないうちに国民から失望される運命にあるからである。

日本で言えば自民党の行き過ぎた腐敗政治に怒った国民が民主党を選んだというところまでは改革志向が結実したと言える。だが、結果的にはリーマンショック(これは民主党が引き起こしたわけではない)に対応できず、地震や原発事故の責任まで背負わされ、安倍首相からは「悪夢の時代」と罵られている。冷静に考えてみれば自民党はこの悪夢の時代を民主党に肩代わりさせて「逃げた」とも言えるのだが、自民党も国民もそうは考えない。

カーター大統領は国内経済を停滞させたことで知られる。人権外交もあまり成功せず、イランやソ連との間に深刻な対立がもたらされた。カーター大統領は「需要拡大に依存した」とあるが、これは「消費者に焦点を当てて企業に焦点を当てなかった」ということを意味する。共和党は企業よりの保守政党なので供給サイドに焦点があたり、民主党はリベラルなので需要サイドに着目するのだろう。改革がうまく行かないことに失望した国民は共和党のレーガンを大統領に選んだ。レーガン大統領の経済政策(レーガノミクス)は、政府の公共事業の拡大などで供給サイドを満足させたのだが、同時に双子の赤字と呼ばれる赤字を生み出したとされる。任期中は「強いアメリカ」と「レーガン大統領の人柄」で人気を保った。

日本の政治は現在改革失望期であり現実に安倍政権は憲政史上第一位の長期政権になろうとしている。2019年2月21日に吉田茂の政権を抜くそうである。日本の有権者は今現実の問題に直面したくない。そんな中で様々な問題が提起されてもそれは「今の年金制度が維持されているのだからこれ以上触りたくない」という有権者がいる限り、大方は無視されるのだろう。国民は景気がよくなることも正直な政治が行われることも、子供が安心して暮らせることも望んではいない。ただ、今の暮らしが崩れなければもうそれでよいと感じているのではないだろうか。