現代版劇場型政治を支える日本人の勝ちたいという気持ちについて考えた

これまで、現代版の劇場型政治を見てきた。間接民主主義による議論と分配による問題解決がうまく機能しなくなると、敵を作って乗り切ろうとするというのはどこにでも見られるありふれた光景のようだ。ではそれを支えている熱はどこから来るのだろうか。




このような劇場型の政治状況では、いったん権力を奪取すると契約期間には何でもできてしまうのだが、それが終わると倒される側に回ってしまう。なので、いつまでも権力を降りられない。契約期間を先延ばしにするためにはできもしない約束を掲げ、それが叶わないのは「大きな敵がいるからだ」と宣伝し続ける必要がある。これが現代型の劇場政治の概要だろう。だが、これは権力側の都合であって有権者が耳を貸す理由にはならない。

日本は普通選挙が実施された時からこの劇場型政治による潰し合いを経験した。韓国は1988年に民主化されてから政権が変わるたびに大統領が粛清されているのので、議会制民主主義を導入した国が乗り越えるべき試練だったのかもしれない。が、現在の日本は議会制民主主義をもう長い間経験してきており、なぜ揺り戻しが起きているのかよくわからない。

この日本型劇場政治を観察するきっかけになった小西さんは小粒すぎるし優等生すぎる。「民主主義が守られていない」とか「法治主義がわからない」などといったクイズで熱狂させられる人たちの数はしれている。人々を熱狂させる肌感覚の煽りは「政治的なバカ」でなければ思いつかない。この煽りを冷静に文章化すると、なぜ人々がこうした簡単な騙し文句に引っかかるのかよくわからないのだが、実際にこれらはうまく機能している。闘争心が強い人が口からでまかせで言ったなかから選び抜かれた主張なのだろう。

  • 日本の成功はズルをしている中国に奪われた。中国のようなけしからん国は正義の側に立つ日本が成敗しなければならない。そのためには強い軍隊が必要であるから、憲法を改正したい。
  • 自民党の古い人たちが女性を苦しめている。私を厚化粧のババアと罵った政治のせいで「私たちは自分らしく生きられない」のだ。だが、私たちはその古い政治に一泡吹かせてやる能力がある。今こそ緑色のものを持ってそれを示すべきだ。
  • 大阪も東京のような仕組みにさえすれば東京のようになれる。万博が来れば高度経済成長が再びやってくる。大阪が停滞したのはあなたたちのせいではない、府市の役人が怠慢だからである。
  • アメリカは怠け者のずるい同盟国にいいように利用されているからいつまでたっても私たちは豊かになれない。アメリカの軍隊が役に立っているのならそのサービスには利益が乗っていいはずだし、彼らは一生懸命働いてその対価を支払うべきだ。我々にはその権利がある。それが資本主義というものだろう?

アメリカのトランプ政権はラストベルトと呼ばれる発展から取り残された地域で根強い人気があるようだが、日本の劇場型政治は東京と大阪という都市に根付いている。特に都市に貧困層が集まっているということは言えないので、組織化されていない「砂つぶのように孤立した群衆」がこうした劇場を支えているのだろうと思われる。

こうした煽りに乗る人たちは小泉選挙では確か「B層」と呼ばれていたはずだ。IQが低いが既得権益の恩恵を受けているという人たちである。小泉政権下では「郵政民営化の必要性を学ばせるべき」だとされていた。当時、まだインターネットは今ほど普及しておらず「肌感覚」の情報を流す媒体がなかった。

だが、現在のB層はネトウヨである。ネトウヨは帰属先を持たず「日本」というバーチャルな帰属先を求めている人たちである。ネットの存在がなければ彼らは未だに砂つぶだったのかもしれない。無党派層というとどこか弱さと結び付けれれることが多い。ポリティカルアパシーとは「政治的な感情を失ってしまった」という意味なのだそうだ。だが、日本人はそうは認識しない。自分たちはとても力強い存在であるという自己認識がある。

日本人は「強くて多い側」に立つことを求め「一見合理的な説明に彩られた感情論」を好む。つまり「上から勝利」したい人たちが多い。トランプ流のポピュリズムに乗っている人たちは「自分たちは本来は優秀な自由主義経済のプレイヤーであるのだが、他人にそれを邪魔されている」と感じているはずだが、日本人は人生という闘争の勝利者だと信じている。このように弱さを感じたくない人たちに偽のエンドースメントを与えることが、劇場型政治にはとても重要なのだろう。

日本人はアンパンマンから始まり戦隊モノやプリキュアを通じて「正義の側にたって勝つ」という正解を何度も刷り込まれる。例えば高度経済成長期からバブルの後にも人気があった少年ジャンプも「勝つことが自己目的化」した闘争に溢れていた。日本人は「どうあるべきかを自分で見つける」というような面倒なことには関心を持たず「勝つことの大切さ」を教え込まれて大きくなる。そして、スーパーサイヤ人のようにどんどん自己を肥大化させてゆく。日本人にとって成長とは円熟味を増してゆくことではなく、ただただ強くなってゆくことなのである。戦前の朝日新聞が戦争に勝ち続ける日本を題材に大きく販路を伸ばしたように、現代でもこれに火をつけさえすれば日本人を扇動することができるだろう。普段の暮らしに没頭しつつも、新聞やTwitterを眺めながらヒーロー気分が味わえる。

多くの日本人は「合理的な理由」を聞いて劇場型の政治を支持しているのだろうが、その合理性は思い込みと自己目的化した闘争心に裏打ちされている。そして戦いの動機も肌感覚によって彩られた合理性も表には出てこない。社会化された時間は従順な社会人として振る舞い、個人の時間でヒーロー気分を満喫するのだ。

今朝の電車であなたの隣に座っているおとなしそうな人も、実はネットでネトウヨ的な発言に「いいね」しているかもしれない。高度経済成長期には会社での戦い二勝つことでこうしたエネルギーを満足させていた人たちが勝てるプロジェクトがなくなりつつある。当座はネットゲームに課金して闘争心を満足させるのだろうが、それで飽き足らなくなる日があるいがやってくるかもしれない。

日本人の闘争心はぼた山の屑石炭のように地中に堆積している。これに火をつけることに成功した人は、一瞬はかなりの成功を手にするだろうが、やがてその火を消すことができる人は誰もいなくなるだろう。