ヘイト発言は麻薬に似ているのかもしれない

世田谷年金事務所の所長さんが韓国に対するヘイト発言で炎上した。Quoraで教えてもらったところによるとIPアドレスで身バレしたそうである。ワイドショーの中にはこの問題を取り上げて個人の異常性をいろいろとあげつらっているものがあった。




この人は、所長(ワイドショーによると外に出された人は本省の課長に比べると偉くないそうだが)までやりながらも自分の発言がどのような影響をもたらすのかということについてはわからなかったということになる。が、本当にそうなのだろうかと思う。ヘイト発言には麻薬に似た中毒作用があるのではないかと思うのだ。

ヘイト発言をしている人たちに話を直接話を聞いてみたいと思ったのだが、これは難しそうである。麻薬を使っていますか?あなた中毒ですか?と言う質問に似ているのでまともなリサーチにはならないだろう。

武田課長の例と違って、この所長はやっている時には「バレたらどうなるのか」と怯えていた可能性もあるのではと思った。人間やめますか?ヘイトやめますか?という感じだったのかもしれないと思うのだ。もちろん安倍政権がヘイトを撒き散らしたとは思わない。が、安倍政権はこうした中毒症状に乗って長期政権を維持している可能性は高いと思う。つまり、日本は一種の戦闘状態にありヘイトなしで生活できない人が増えているということである。

コカイン容疑で捕まったピエール瀧容疑者はコカインのために別の部屋を持っていたという。つまり、「人格のある芸能人」というのとは別の顔として家族のいない部屋でコカインによる開放感を得ていた可能性が高い。同じようにプレッシャーのある仕事をしている人が「別の私」になるために政治的な発言(に見える)ヘイト発言を繰り返している可能性はあるかもしれない。それにしても「他にももっと安全な娯楽はいくらでもあるだろう」と思える。

このような依存症について書いた論文はないかと思って調べてみたのだが、ほとんど研究はされていないようだ。残念ながら、ここにも日本人特有の根拠のない万能感がある。ネット依存を<弱者>のものと勝手に決めつけてしまうのだ。

「ネット依存」という言葉はインターネット移民がデジタルネイティブを揶揄する目的で分析することが多い。2011年の東日本大震災の二年後に書かれた「「ネット依存」の日本的特徴は「きずな依存」」というNippon.comの記事もやや上から目線で書かれている。つまり、ネット依存は「寂しい女」や「自制心のない若者」のものだという考え方である。まず、自分とは関係ない<弱者>が依存を起こすと決めつけた上で分析してしまうのである。

確かに日本のインターネットが変質したのは2011年だという印象はある。Twitterは災害インフラとして期待されるようになり、これが、地震後の不安感を癒すためのツールとして使われるようになったからだ。

他人とつながる感覚を持つのは悪いことではない。しかし、つながりを求めたいがこれといったテーマを持たない人が、相手への憎しみによって他者と連帯感を持つとしたらそれはやはり異常なことである。今回はいろいろなシナリオを立てて所長の気持ちを分析しようとしても全く説明らしい説明にならない。失うものが大きすぎるのである。すると「安倍がヘイトを増長している」とか「厚生労働省は丸ごと変になった」とか「この人がたまたまおかしかったのだ」というような説明がしたくなる。

今回のQuoraの質問には3つ回答がついた。一人は韓国はプロパガンダ国家であると書き込み、直後に表示不可の処置を受けた。それが悔しかったのか仲間に応援を求めていた。そして仲間は「所長は愚か」と切り捨てた上で「やはり逆ヘイトはひどすぎる」と書き込んできた。切り捨てと決めつけはこの種の人たちの刻印のような特徴だが、いったん非難の応酬が始まると議論が「運動会化」することがわかる。

が、元々のヘイトの動機はもっと違うところにあるのかもしれない。賛同する人たちは運動会気分でも元々の人たちの動機は別のところにあるのだろうが、それは当事者でないとわからないように思える。だから本質的に防ぎようがない。

となると、我々ができるのは「政治的発言をしたいなら匿名では相手にしてもらえない」という言論空間を作ることだけなのかもしれない。匿名で運動会が行われるような環境でこうしたヘイト発言をなくすることはできないだろうが「所詮あんなものはゴミなのだ」ということにしていかなければならない。そのためには実名で暮らしの様々なことが安心して語れるプラットフォームが必要である。