令和する

つい思いついてしまったら書かずにいられなくなった。国語辞典に新しい言葉「令和する」を入れると良いのではと思う。




令和とは「他人から命令された和を守る」という新しい平和の形である。実際には平和でなくてもそう見えてさえいればそれは令和である。他人に価値観を押し付けるという時にも使えるし、逆に押し付けられた価値観を守る時にも使える双方向的で便利な言葉である。実際には同調圧力をかけみんなで縛りあう時に便利な言葉だ。

この言葉は例えば学校で使える。面倒な道徳教育はもういらない。令和しなさいで済んでしまうからだ。学校でいじめが起こっているとする。いじめはやってもいい。だが、先生の前では学生は「令和」しなければならない。表向きは平和であり先生による統治がうまく進んでいることを示さなければ先生の顔に泥を塗ることになるからである。うまく令和できた生徒は「忖度上手」ということになり良い内申点がもらえるだろう。また生徒をうまく令和させた先生はマネジメントがうまいということになり、より偏差値の高い学校に転勤させてもらえる。いじめを受けるごく一部の生徒を除いて、令和はいいことづくしである。

令和社会は問題のない理想社会だ。問題はあるかもしれないが全て自己責任として勝手に処理される。みんなが平和にいられるはずの令和社会で不満を感じているとしたらそれはもう不満を感じるわがままな人が悪いのである。だから令和社会では問題は公表もされないし共有もされない。だから、令和社会では問題は解決しないが、問題はないのだからそれでも構わない。

令和しない人がいるというのはその社会に団結に問題があるということになりこれは連帯責任だ。個別の問題についてごちゃごちゃ言う必要はない。令和していない人たちは連帯責任で処理される。だから同調して令和しない人を抑えつけなればならない。これが集団令和である。集団令和社会はみんなで作り上げる和を以て尊しとする社会なのだ。

令和は支配者にとってのユートピアであると同時に支配者に一体化したいと考える人たちにとっての楽園でもある。令和している人たちは支配者に対して喜びの声をあげるだけで幸せな気分に浸ることができる。武士は喰わねど令和社会だ。

令和社会は成長のない社会だ。解決される問題は支配者の恩寵によって取り除かれているからである。ゆえに外の社会が成長してもそれは悪魔のごまかしであり、その成長が長く続くことなどありえない。もしそうした主張をする人がいるとしたら、それは悪魔にそそのかされた人であり、許されるべきではない。

実際にはこの令和時代はすでに始まっている。社会は成長を諦め問題は全て自己責任として片付けられている。虐待やいじめも無くならないがそれは全て気のせいでありなかったことである。それを認めることは敗北であり反社会的な行いである。異議申し立てをするすべての人たちは社会に対する感謝の念が足りない反逆者である。

失敗を認めない限り「アベノミクスは失敗した」ということにはならない。地方は疲弊して公共事業と大型の国家プロジェクトだけが望みになっているのだが、なぜ収益力を失ってしまったのかなどということを考える人は誰もいない。さらに政治家が利益誘導をしたとしても「それが本音なのだ」として誰も怒らない。こうして表向きの平和が中央からの補助金によって維持され、その補助金は借金によって賄われるというのが現代令和社会の特徴である。誰も価値を生み出さなくていい。通貨は信用から成り立っているのだからお互いに信頼し合っている限りは無限に想像できるという宗教的経済学が令和社会の教義である。

だが、人々は同調圧力をかける人たちにはなぜかうんざりしているようで、ブログでもQuoraでも「迷惑な他人」について聞くと高い関心が得られる。一方で問題解決の提案や生活をよくする知恵といったトピックにはあまり関心を持つ人は多くないようだ。誰かが誰かに足を引っ張られているという感覚があるのではないかと思うが、自分たちが社会をよくできるという見込みは持てない。社会問題がないはずの国でどうしてこんなに閉塞感を持つ人が多いのか、令和社会はこの疑問を解決してはくれない。

誰か明確な支配者がいて「令和させようとしている」という感覚が持ちたい。そうすればその誰かが非難できるからである。だが、実際に令和を求めているのは我々一人ひとりである。これが、我々が今もっとも見たくない苦い現実なのかもしれない。成長を信じられなくなった人がお互いを縛り合っている。これが令和社会なのだ。

この令和という元号は、英語では当初はOrder and Peaceと伝えられたそうだ。これを日本政府はBeautiful Harmonyと言い換えるよう「命令」した。却ってディストピア感が増したのではないだろうか。このブログは礒崎陽輔議員の「訓示的憲法観」に反発してきたのだが、時代はついに政府が元号によって価値観を押し付けるというところまで来てしまったのだ。令和は訓示的元号であり、その本質は価値観の押し付けである。